第四章・3
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常磐は霧藤の言ったことが理解できず、呆然としていた。
「座ったらどうです?」
霧藤は言った。
「鈴が戻るまで、何もできませんから」
それを聞いて常磐は自分も椅子に座る。訊きたいことは山ほどある。しかし、何から訊いたらいいのか、頭が混乱していた。
「少し話でもしますか」
常磐の心中を察してか、霧藤からそんなことを言いだす。
「さっき言った通り、鈴は他人の夢の中を自由に行き来できる。僕達はそれを夢ワタリと呼んでいます」
「そんなこと」
「できるわけないよね。僕もそう思ってました」
「思ってた?」
霧藤は少し笑った。
「僕も一応医者だからね。そんな話、信じてなかったんですけど。鈴はこれまでにも何人か、他人の夢へ入ることに成功してるんです」
「どうして成功だと」
「夢というのは、その人の無意識の意識と言える。鈴はその意識の中に入り込むことができる」
常磐の質問にすぐに答えず、そんなことを話しだす霧藤。
「そして、鈴はその中で自由に行動できる。その無意識の意識に直接語りかけることも」
霧藤が何を言いたいのか分からない。
「鈴を昏睡状態の患者の意識に渡らせたんです」
「え」
「あなたと初めて会ったあの日も、鈴は昏睡状態の患者の中に渡ってたんですよ。知り合いの医者に頼んで、ワタリを試させてもらったんですが……。鈴が目覚めた後、しばらくして患者は目を覚ました」
「まさか」
「そのまさかです」
「じゃあ、東田さんも……」
目を覚ますかもしれない。
そのとき、もぞと鈴が動いた。
「鈴?」
「起きたんですか?!」
鈴を確認する霧藤に、常磐も立ち上がって鈴を見守る。
「……」
眉間にしわを寄せながら、鈴がうっすら目を開いた。
「おはよう、鈴」
霧藤が言うと、鈴はだるそうに体を起こした。両手で目を押さえる。
「あの、どうでしたか。東田さんは」
ベッドを見ると、東田はまだ眠ったまま。
遠慮がちに常磐は鈴に訊いたが、鈴は非常に不機嫌なようで。今までの中で一番というくらいの、険しい目で睨まれ、常磐は思わず口を閉じる。
鈴は何も言わずに椅子から立ち上がると、再び東田の枕元に立った。邪魔をしてはいけないような気がして、常磐はそのまま、鈴のすることを黙って見ていることにした。
鈴は少しの間、東田の顔を恐い顔で見下ろしていたが、左手を握りしめ拳を作ると、それを遠慮なく東田の額に振り下ろす。
ゴツンといういい音が響いた。
「何するんですか!」
慌ててベッドに駆け寄り、鈴の手首を掴んで東田から離す常磐だったが、
「う……ん」
東田がうめいた。
「え、東田さん?」
常磐が鈴を見ると、鈴は呆れたように常磐を見返し、
「ただ寝ていただけだ」
と言うと、自分の手首を掴んでいる常磐の手を振り払って、部屋を出て行ってしまう。
そのすぐ後に
「ふわああああああぁあ」
鼻の穴を膨らませ、大きな欠伸と伸びをしながら、東田がのろのろと起き上がった。
「たいしたことなかったみたいだね。じゃあ、僕もこれで」
霧藤も東田が目を覚ましたのを見ると、鈴の後を追い部屋を出て行く。
「あ、有難うございました!」
常磐は閉まるドアに向かって言うと、目を覚ました東田を見る。
「東田さん。大丈夫ですか。今、誰か呼びますね」
ナースコールを押す常磐に、東田は寝ぼけたような目で辺りを見回し言った。
「ああ? 常磐ぁ? なんだ、俺の可愛い子猫ちゃん達はどこに行ったんだ」
「あんた……どんな夢見てたんですか」
どうやら、本当にただ寝ていただけらしい……。
そして東田の見ていた夢が、小動物との心温まるふれあいの夢ではないことは確かだ。
鈴の不機嫌になった理由が、なんだか分かった気がした。