第四章・2
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「ついてないね、東田も」
西山が病院の白いベッドの上に横たわっている東田を見てつぶやく。
大きな総合病院の一人部屋。
「まあ、命に別状はなかったんだし」
西山はそう言ったが、その口調から東田を心から心配しているのが分かる。いつもは喧嘩ばかりしている東田と西山だが、二人が互いを信頼しているのは、そばにいた常磐にもよく伝わってきていた。
爆発があった際にその場にいた人間の話によると、「爆弾だ逃げろ!」と東田が叫びながらトイレを出て来た直後に、爆発があったらしい。
爆風によって飛ばされたドアが東田を直撃した。病院の検査によると脳にも異常はなく、他には軽い火傷を負っただけだったが、未だに目を覚ます気配はなかった。
常磐はベッド脇の椅子に座って、両手を握り合わせたまま深くうつむいている。
「あんたがそんなに落ち込んだって、しょうがないでしょ」
西山はなぐさめるように、常磐の肩に手をやった。
「違う……」
常磐は言って、突然立ち上がった。
「違うんです。俺……俺、分かってたんです。こうなるって知ってたのに!」
西山は常磐の様子に驚いたが、
「また夢がどうとか言うの?」
「……」
常磐は答えないが、それは肯定を意味する。
西山は顔をしかめると深くため息をついた。
「あんた、ちょっと休んだ方がいいよ」
西山はそう言うと病室を出て行ってしまった。
病室に取り残された常磐。また力なく椅子に座る。あの夢が意味することが分かってさえいれば。爆弾が爆発する前に止められたかもしれない。東田が巻き込まれることもなかった。
「くそ」
両手を握りしめると、怪我をしている左腕が痛んだ。
◆◆◆◆◆◆
そのまま朝を病院で迎えた常磐。自動販売機で缶コーヒーを買っていると、
「おはようございます」
と声をかけられた。
「あなた……」
そこにいたのは霧藤だった。常磐の顔が渋る。
「なんなんですか。もう、俺にはかまわないでください」
「嫌だな。別に君に会いに来たわけじゃないですよ」
キョトンとした顔で霧藤は言った。
「じゃ、なんなんですか」
「言ったでしょ、僕は精神科医なんで。この病院の知り合いに用があったんです。あと鈴の検診に」
「え? あの子、どこか悪いんですか?」
確かに健康そうには見えなかったが。
「別にどこも悪くはない」
突然、背後で鈴の声がして驚く常磐。
「あ……ど、どうも」
グレーのパーカーのフードを頭に被った姿で、鈴がそこにいた。
その格好を見て思い出した。常磐が腕を怪我し、初めて霧藤と会ったときに一緒にいた少年。あれは鈴だったようだ。やはり、どこかで会ったような気がしていたのだ。昨日の着物姿では雰囲気が違っていたので分からなかったが。
そういえば、霧藤は鈴が常磐より年上だと言っていた。ついじっと鈴を見てしまう。
ありえない。中学生でないとしても、せいぜい高校生だ。
「もしかして、怪我をした刑事さんって、常磐さんの知り合いですか?」
霧藤が穏やかな口調で訊く。
「はい。あの、この前、俺と一緒にいた」
「ああ、あの人。それは心配だね」
「……俺には分かっていたのに」
小さな声で言った常磐の言葉を、霧藤は聞き逃さない。
「やっぱり、夢の通りだったの?」
「俺は……」
黙り込む常磐。
「常磐さんが夢を見たから、事件が起きたわけじゃない」
鈴が相変わらずの少し不機嫌な声で言う。
「くだらない事を考える暇があるのなら、さっさと犯人を捕まえたらいい」
もっともだ。
「そうですね。東田さんもきっとそう言う」
「怪我した刑事さん?」
「はい」
「そんなに悪いの?」
「いえ、怪我はたいしたことないんです。ただ、目を覚まさなくて……。脳にも異常はないはずなのに」
それを聞いて霧藤が鈴を見る。その視線に気づいて鈴が霧藤を見返し、その顔が険しくなる。
「なんだ、その目は」
「いや、知り合いが困ってるなぁと思って」
「別に知り合いというほどの仲じゃあない」
「冷たいよね、鈴は」
二人のやり取りに首をかしげる常磐。
「あの、何か」
「戻ってくるとは限らない」
常磐を無視して続けられる鈴の言葉。
「やれることはやったほうがいいじゃないか。鈴にはできるんだから」
「……」
「……」
睨み合う霧藤と鈴。鈴は霧藤から視線を外すと、今度は常磐を見た。
「常磐さん」
「はい」
「その人の病室に案内してください」
「はい?」
次に鈴は
「愁成」
と別の名前を口にした。誰のことかと思ったら
「何?」
霧藤が返事をした。そういえばそんな名前だった。
「何かあったらお前の責任だ」
「分かってるよ」
いったい何の話をしているのだろう。
「常磐さん」
少し強い口調になって鈴がまた常磐を呼ぶ。
「早くしてください」
「は、はい」
勢いに流されるように常磐は東田の病室へと歩き出した。
病室に戻ってみると、東田はまだ眠ったまま。
「脳に異常はないんですね」
鈴が訊く。
「はい。そう聞いてます」
鈴は一つ大きくゆっくりため息をつくと、東田の枕元に立った。
「何をするんです」
常磐の質問には霧藤が答える。
「ワタリをするんだ」
「ワタリ?」
鈴はベッドの上に少し乗り上がるようにして、東田の顔を確認すると目を閉じ、東田の額に自分の額をつけた。
「何を……」
また訊こうとする常磐を、しーと霧藤が自分の口に指を当てる仕草で、静かにするようにと注意する。
しかたなく常磐は黙って鈴と東田を見た。しばらくすると鈴の体から力が抜けていくのが分かった。足元がぐらつきガクンと膝が折れたところを、霧藤が後ろからすぐに支える。
「どうしたんですか?!」
霧藤の腕の中、くたりと崩れる鈴に驚く常磐。
「うん。うまく渡れたみたいだ」
さっきから、霧藤の言っていることが全然分からない。
「今、鈴はこの人の中にいるんです。すみません、椅子を並べてもらえますか」
言っていることの意味は、やっぱりまったく分からなかったが、とりあえず常磐は急いで椅子を並べる。
「これ、敷いてください」
霧藤が自分のコートを差し出して、常磐は硬い椅子の上に、その柔らかなコートを広げた。
霧藤は小さな鈴の体を軽々と抱えて、その上にそっと横にすると、鈴が着ているダボダボのパーカーの袖をまくる。鈴の細い手首を脈を取るように握り、腕時計の秒針をしばらく見ていたが、やがて納得したように袖を元に戻した。
「……今、東田さんの中って言いましたよね」
霧藤が余っている椅子に腰掛けたのを見て、常磐は改めて疑問を投げかける。
「ええ。鈴は夢ワタリ。他人の夢の中を自由に行き来することができるんです」
「夢……ワタリ?」