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 陽が暮れたというのに、暑さは留まるところを知らないらしい。シャワシャワと鳴く虫の音が、酷く蒸す熱帯夜に拍車をかける。


 背負った彼女の呼吸は荒いままだった。一分一秒の遅れが、命に関わるかもしれないという焦りが、僕の中にどんどんと積み上がっていく。


 そんな思いを抱えながら、やっと家にたどり着いた。


 ぽたぽたと汗が滴り落ち、街灯に照らされたアスファルトの上に黒い斑点を作る。


 肘を使って家の戸を開けてから姉さんを呼んだ。多分もう帰って来てるはずだ。


「姉さん! 悪いけど来てくれ!」


「どうしたん? 私より帰りが遅いなんて珍し……って背中の子どうしたの!」


 姉さんは居間から顔を覗かせた。僕の背中にいる少女を見て驚きの声を漏らす。


「事情は後で説明するから、とりあえず布団を用意して欲しい」


 僕が口早にそう言うと、姉さんは「分かった」と呟いて動き出した。


 その間に彼女を背負ったまま二階に上がる。今はもう空き部屋となってしまった部屋を開け、姉さんが来るのを待った。少し経ってから布団を抱えた姉さんがやって来た。布団を敷き、少女をそこに寝かせる。白い肌にはさらに大量の汗が浮かび上がっていて、髪の毛が額にへばりついていた。薄い胸が激しく上下に動いていて、見るからに苦しそうだった。


「姉さん。汗が酷いんだ。身体を拭いてあげてよ」


「分かったよ。とりあえずお前、桶に水入れて来てくれ」


 ほれ、ほれ、と姉さんは手で合図を出す。


「ちょっとお前、冷静になって来い。顔、ヤバいから」


 姉さんの一言に心臓を掴まれたような感覚があった。


「あの時を思い出してんだろ? 顔色、最悪だぞ。流石にお前にも倒れられたらしんどいわ」


 僕は言われるがまま部屋を後にして洗面所に向かい、桶の中に水を入れた。


 姉さんが言ったあの時とは、恐らく葉月が死んだ時のことだろう。現に僕は何度か少女と葉月を重ね合わせている。今にも死にそうな顔をしていたのかもしれない。


 姉さんが言いたいことは何となく分かるつもりだ。これ以上引きずるなということだろう。


 分かっている。理屈では分かっているが無理なんだ。もう葉月はいないし、どれだけ後悔したって、あの時間は戻ってこない。


 なら、今を幸せに生きた方が良いに決まっている。だけど、僕にはそれができない。葉月がいないと、幸せなんて手に入れられる気がしないんだ。


 水に浸したタオルを絞ってから、水が入った桶を二階に持って行く。


「おし。んじゃ身体拭くか。太陽はこの子の荷物の中でも漁っといてくれ。もしかしたら薬とか入ってるかもだから」


「分かったよ」


 少女が薬を持っている可能性なんて考えもしなかった。いや、普通は少し考えれば分かることなのかもしれない。ただ、僕にはそれができていなかった。勝手に頭に血を登らせて冷静な判断ができなかった。


 でも、今はできることを精一杯やるだけだ。


 少女が持っていた白いショルダーバッグを持って部屋を出る。


 荷物を勝手に漁るなんて申し訳ないなとは思うけど、そんなことは言ってられない。


 鞄を開けて、中身を調べる。薬を探している途中に、見たことのない物を発見した。一見腕時計に見えそうなそれは手首に巻きつけるタイプの装飾品のようだ。腕時計でいうところの時計盤の場所には液晶が取り付けられていて、その周りを銀の縁が覆っていた。Apple Watchのような形をしているが、それとはまた違う。


 見たことのない、不思議な物だった。


 だが、今はそんな物に気を取られている場合ではない。早く薬を探さなくては。


 そう思った矢先の出来事だった。


 部屋の中から姉さんの悲鳴が聞こえた。


「おい!! やばいんだ! 早く来てくれ!」


 姉さんがこんな大声を出すことなんて滅多にない。よっぽどのことなんだろうと、僕は慌てて部屋に向かった。


 部屋の扉が勢い良く開かれて、姉さんが顔を出す。


「どうしたの!?」


「いいから早く!」


 こんなに焦った姉さんを見るのは久しぶりだ。


 僕は姉さんに引っ張られる形で部屋に引きずり込まれる。


 身体を拭かれていた少女はワンピースを脱がされて、下着姿になっていた。気まずくなった僕は少し視線をそらしてしまう。


「しっかり見ろ!」


 姉さんに頭を掴まれて無理矢理見させられる。そこで視界に入ってきた現実を見て、僕は絶句した。


 あのいつも冷静な姉さんが取り乱した理由が分かった。


 その女の子の身体には、あるべき場所にあるべき物が無かった。


 なんと表現するのが正解なのだろうか。元の形は想像できるのに、そこにあるべきものが欠けている。


 へそから肋骨の下部分辺りまでが、綺麗に消えていた。


 上半身と下半身が繋がっていないのだ。まるで空洞のように、そこには元々何もなかったかのように、彼女の身体の一部が無くなっている。


 そしてそれは現在進行形で彼女の身体を消滅させていた。目を凝らして見ると、じわじわと彼女の身体が減っているのが分かる。


「姉さん……これ、どういう……」


「そんなの私にも分かんねえよ。顔とか拭いた後、服脱がせたらこうなってたんだから」


 そこで僕は今朝のことを思い出した。


 ――あの、身体が透明になってしまう病気に心当たりはありますか?


 彼女は僕にそう問いかけてきたんだ。


 そんな病気があったなんて知らない。というより、本当に体が透明になる病気は存在していたんだ。あれは、ドッキリなんかじゃ無かった。


 彼女が今朝言っていたのはこの病気のことだろう。


「この現象が病気かどうかなんて私には分かりゃしないけどさ、なんか薬はあったのか?」


 これが病気だとすれば、絶対に薬があるはずだ。彼女はきっと、それを持ってる。


 姉さんに言われてすぐにバッグを漁ると、夥しい量の薬が見つかった。同じ場所に説明書のようなものもあり、その中に発作に関する薬の説明書きがあった。


 恐らく、今起きてるこれが発作だろう。外で倒れていたんだ。突発的に起こったに決まっている。そこに記されている薬を飲ませよう。


「姉さん。発作用の薬があったよ」


「なら今すぐそれを飲ませるんだ! 意識の確認して! 寝てたら危ないから!」


 僕は彼女の横に腰を下ろして、彼女に語りかける。


「薬を持ってきました。意識はありますか? 頑張って、薬を飲んでください」


 姉さんの言う通り、意識がない中で勝手に水を飲ませて器官に入ったら大変だ。辛いだろうがまずは彼女を起こさないと。


 僕の声が届いてくれたのか彼女は薄っすらと目を開けた。そして力無く小さく頷いてくれた。


 それを見た僕はすぐさま彼女の口にカプセルを入れて飲ませる。薬を飲んだ彼女はまたすぐに意識を失った。


 少し経って女の子の容体が落ち着いてから、僕達は居間に戻った。そこで姉さんに事情を説明する。どうしてこの女の子をここに連れて来るに至ったかを出来るだけ丁寧に説明した。


「へえ。まさか今のあんたにそんなことができるとはねえ。ちょっと感心したよ」


 言葉の通りに姉さんはその話を嬉しそうに聞いていた。


 そんな姉さんの笑顔を見て、僕は少しだけ胸が痛んだ。


 姉さんはきっと僕が葉月を失ってから始めて誰かと関わろうとしていると思っているのだろう。だけど違うんだ。

僕が彼女を助けようと思ったのは、彼女と葉月が重なって見えたからなんだ。僕はまだ昔の出来事を乗り越えられていない。


 誰かに心を開いて、失うかもしれないリスクを背負って生きていくなんてことはできないんだ。だから、彼女とはあまり仲良くなりたくない。話しかけられたとしても、一歩距離を置こうと思う。


 だって、あの子は絶対に病気にかかっている。もしここで心を許したとして、あの子と仲良くなってしまったとして、葉月の時と同じようにあの子を失った時、僕は耐えられるだろうか。


 いいや、耐えられない。耐えられるわけがない。


 姉さんには悪いけど僕はまだ成長できていない。乗り越えられていない。これまでも、そして、これからも同じだ。僕はこのままでいたい。


「人がせっかく喜んでる時になんで辛気臭い顔してんだよ」


 言いながら、姉さんは席を立って煙草を一本取り出した。


「どうせあれだろ? 僕が彼女を助けようと思ったのは愛しの葉月ちゃんとダブって見えたからなんだとかなんとか思ってんだろ?」


 煙草を口にくわえ、ライターで火をつけてから姉さんはベランダに向かった。


 僕は姉さんの話を黙って聞いている。いや、黙って聞くことしかできない。


「私が気づいてないと思ったか? 私から見てもあの子は葉月ちゃんに似てんだから、私でも分かるわよ」


 ベランダの柵に背を預けて姉さんは僕の方を見る。


 煙草の煙が風に乗って部屋に流れ込んで来た。それが、痛いくらいに目にしみる。


「私はそれでも良いって思ってるってことだよ。面影を重ねようがなんだろうが、太陽が誰かと関わったことが嬉しいってこと。いきなり誰かと仲良くして友達を作りなおせなんて思ってないから。段階を踏んでで良いのよ。私はこれがキッカケになればって思ってる。それだけだよ」


 姉さんはふーっと煙を吐き出す。


 僕は、姉さんの気持ちに応えられるだろうか。その答えは、正直言って分からない。


「姉さん。良いこと言ってくれてる時に言うのも何だけどさ。病人が上にいるから窓は閉めた方が良いよ」


 だから、とりあえず揚げ足を取ってこの場は済ませておこう。


「おっ。確かにそうだな。お前には良いとして、お客さんには気を使わなきゃいけないな!」


 姉さんは笑ってから窓を閉めた。それでいいんだと思う。

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