凡人は凡人なりに努力せないかんのよ
それからなにはともかくひたすらに基礎魔術を修練すること二ヶ月。
どうにか父さんに合格とは言ってもらえたからよかったよ。
でも、わたしはやっと基礎魔術の出来をお披露目した時の父さんの最初の反応を一生忘れない。
『……まあ見るに耐えないほどではないな。ギリギリ許せる』
いやさあ、わたしの魔術が未熟を極めてることぐらい理解してますよ!?
でも一応合格じゃん。ちょっと褒めてくれたっていいじゃん。父さんのどケチ!
………ごほん、それはともかくとしてだ。
そこからは結構順調だった。
一旦ある程度魔力を体内回路の中で自由に動かせるようになったら、次は魔力をぎゅうっと圧縮するような操作を教えられた。冷やし固める感じ。この前おばあちゃんが気配遮断のためにやっていたやつだ。
魔力の沈静化。それによる気配遮断。
ただそうして魔力を体内に押し留める操作には、もう少し他にやる意味があった。
隠密行動に用いるのはもちろん、そうやって体内に魔力を押し込めている間は回復能力が上がるらしい。
そりゃあそうだよね。だってその状態では、魔力炉のエネルギーは体の内側に消費されることなく閉じ込められる。本来は魔力に与えられるべきエネルギーが体内に残留することで、回復能力が高まるんだとかなんとか。
まあ理由はどうとあれ、魔力圧縮の操作の習得は結構生命線だった。
一応わたしに求められているのは暗殺者のスキルだ。暗殺者とは、闇に潜んで隠密に、確実に対象を抹殺するお仕事。
基本はこの気配遮断を使って闇夜に潜み、隙を衒い殺すっていうスタイルが無難だろう。正面戦闘より死亡リスク低いし。
………なに殺す基本スタイルとか確立し出してるんだろ、わたし。適応しすぎだよ。
はあ、とため息をつきながら、目下練習中の魔力の加速に意識を集中させる。
身体を流れている魔力に通常より多くのエネルギーを与え、その勢いを加速させる。例えるならば水を水蒸気へと変化させるような感じ。
こうすることで、魔力はやっと『魔術』を行使できる状態になる。
こうやって加速させた魔力を一部に集中させたり、外側に出したりすれば魔術が成立するワケだ。
まあ放出させなくても魔力を身体のなかでブン回しているだけで、十分わたしの身体はしっかり強化されるんだけど。
基礎魔術、身体強化魔術。それは例えるならば、硬くて柔軟性のあるっていうとてつもない矛盾を抱えた外骨格。
鎧っていうには体に依存しすぎてるけど、体表の一部とは考えられない。そんな感じ。
まあそんなの結構本当にどうでもいいんだけれど。
それより何より、これさえ習得できればやっと他の魔術系統に手を出せる。魔力を指先から飛ばしてみたり、物体に付与してみたりさ。
要は超能力みたいなもんでしょ!ひゃっはー!これでわたしも憧れの異能力使いとして歴史に名を残す………。
とはならないけど、別の意味で名は残りそう。人類史上最悪の魔術師一家の一員、とか。
そう、こないだ父さんからもらったパソコンで調べてみたのだ。我が家のことを。
完全に冗談の気分で検索エンジンにヘレンザック、と打ち込むと、現れたのは大量の検索結果。どうやらヘレンザックは公にはされていないけど、みんなが知ってる恐怖の魔術師一族らしい。
既に魔術のほとんどが失われ、科学に取って代わられたこの時代。そんな中でも未だに魔術を行使して、化け物みたいな強さを誇っているヘレンザック家は、もはやある種の信仰対象だった。
あるネット記事曰く、ヘレンザックの現当主は岩石ほど強靭な肉体を持ち、指先一本でアスファルトを割り、手刀で首を飛ばす化け物なのだという。
また別の記事は、夜な夜な薄暗い住宅街に現れては全てのセキュリティシステムを無効化して部屋に侵入し、ターゲット殺しを達成する、恐怖の老婆の存在を唱えていた。
うん、まあ父さんとおばあちゃんのことね。しかもどっちの記事が言ってることも正解だし。
まあ、ざっと調べたところ、この世界の大半の人は魔術なんて使えないし、そもそも魔術はただのファンタジー的存在で、実在しないと思っている人も割と多い。
そんな中でとんでもなく強力な魔術を使えるわたしたちヘレンザックは、まあそりゃ怖いだろうな。
銃で撃っても死なず、毒も効かず、物理の外側で生きてる魔術師。
そんな世界の中でも明らかに異質な存在なので、裏サイトとかだとわたしたちの首を賞金をつけて追い求めている人とかもいた。貴重な魔術師の内臓が欲しくて〜、みたいな。
治安悪すぎ、この世界。なんにせよつまり、わたしたちは賞金首ってわけ。すごいよね。
ていうか、これわたしたち全員捕まえられたら一生遊んでも遊びきれないぐらいのお金手に入るじゃん。スッゲー。
まあ、そんなこと不可能なのは火を見るより明らかなんだけど。
ジゼル、イグニア母さんあたりは魔術をある程度使いこなせるようになって成長すれば、捕らえることも不可能ではないと思う。
でも、上3人は違う。おばあちゃん、父さん、それからイーゼル兄さんはレベルが違うのだ。
破格の身体能力、毒を飲んでも死なない体、ナイフの刃すら通さない強靭な肉体。
恐ろしいまでに練度を高められた魔術。
そしてそれらを完璧に使いこなせる、実戦経験。
日常と戦闘の境目がないかのように、指令さえ入れば笑顔で笑いながら人を殺せる狂気。
全てが、何もかもが、強かった。
そう思って身震いすると、思わず魔術の流れが乱れてしまう。
おおっと危ない。とりあえず今日はこの加速状態を30分維持を目標に。
父さんから、この加速状態を3時間キープできるようになれば、イーゼルの仕事に同伴させる、と言われた。
イーゼル兄さんの仕事、つまり暗殺。
心臓にナイフを、いや兄さんの場合は魔力を心臓に突きつけるだけの簡単なお仕事。まあ正直、魔術師じゃなければ、兄さんに勝てる可能性なんて1mgもない。
だから、たかが基礎魔術を覚えただけのわたしを足手まといとしてつけても、十分に余裕があるんだろう。
ていうか、ターゲットはただの戦闘能力0に等しい豪商らしいし。ただ、ボディーガードがどの程度の実力か読めないのが唯一の不安要素。
まあ、それすらも兄さんの前では無力に等しい。
兄さんが魔力回路に魔力を通すだけで、その指先は鋭利な刃物になる。兄さんの蹴りが掠っただけで、きっと一般人の頭はスイカのように綺麗に割れるだろう。
反撃のために撃った銃弾は身体に当たろうが無意味で、兄さんにナイフでも振り翳せばナイフの側が折れる。
基礎魔術だけでこれ。
その上でわたしはまだ詳細は知らないけど、兄さんはほぼ全ての魔術系統を完璧に使えるのだ。
弾丸みたいに魔力を飛ばすこともできるだろうし、脳みそを操作してぐちゃぐちゃにすることもできる。
………冷静に分析すると、兄さん最強すぎるな。
思わずぶるりと身震いをした。ラスボス、身内だった件について。
と、そういえば、うちの人以外にもこのぐらいの賞金かけられてる人たちって結構いるのかな?
つまり、うちレベルの魔術師は案外探せばその辺にゴロゴロいるものなのかどうかってこと。
もしイーゼル兄さんとかのレベルがこの世界の平均値なら、わたしはもうどうすることもできない。死ぬ。
そうよ、やっぱり事前に情報を知ることは大切。
だって考えてみなよ。いざ魔術を習得して特殊清掃員試験会場に行ったらそこらじゅうイーゼル兄さん、父さん、おばあちゃんクラスだった場合の地獄絵図を。
無理だろ。何もかもが詰むだろ。
よし、やっぱりそう言う時はパソコンを開いて、某Go◯gleそっくりのアイコンをクリック。やっぱりこの世界、あまりにも現代日本に似すぎている。
魔術師がいたり、平然と暗殺が行われてたり、ポンポン人が当たり前みたいによく死ぬとこ以外はそっくり。
まあそれはともかく、検索エンジンから裏サイトへ。
どうやらこの世界の裏業界というものは前の世界に比べて随分規模が大きいらしい。暗殺者もいれば、拷問専門請負業者、人身売買のシンジケートに巨大詐欺グループ、海には海賊が未だに跋扈し、テロリスト集団が求人広告をかけている。だいたいそんな感じ。つまりはめちゃくちゃ治安が悪いのだ。
だからまあ、こういう明らかに犯罪をやらかしている裏サイトにも簡単にアクセスができてしまう。頑張れよ警察、と思わなくもない。まあそれはともかく。
ちょっとしたパスコードを入れるだけで侵入可能なあるサイト。そこには非合法の賞金首リストが乗っていた。
金持ちのおじさんたちが、恨みを持った人の名をそこに載せる。そうすると腕利きの裏業界の人間が殺してくれる。そういうサイト。
そこには値段も罪名も多種多様の賞金首たちがずらりと並んでいた。……わたしもいつかここに名を連ねるのかなあ。
料金が高額な順に並べてみる。
やっぱり一位はおばあちゃん………と?
同率一位で、不思議な人物がランクしていた。
というか、人物じゃなかった。
『オルガーノファミリー』
おそらく何かのグループ名だろう。マフィアに近いような存在だと思う。殺人から麻薬取引、誘拐に拷問まで広く取り扱う組織犯罪集団。そのうちの一つ。
そんな激ヤバ犯罪集団には、おばあちゃんと同じく構成員一人につき10億の賞金がかかっていた。
一体何者なんだ、オルガーノファミリー。と思ってページをスクロールしてみても、彼らに関する情報はサイト上にはほとんど載っていない。
顔や年齢、性別、何もかもが不明になっている。
ちなみにおばあちゃんは、お気楽にピースした写真とプロフィールがばっちり載ってます。好物は芋羊羹だそうです。
………多少は自己主張を抑えろと思わなくはない。
でも情報もないのに、どうしてこんな賞金がついてるんだろう?
その疑問は、罪名と過去の犯罪歴を見た瞬間に解決した。
殺人、窃盗、放火、器物破損、不法侵入、強盗、誘拐、違法薬物精製。
思いつく限りのありとあらゆる罪名が淡々と描かれていた。
そして犯罪歴。
ビル一個を丸ごと倒壊させるやら、市内を火の海にするやら、そんなのばっかり。ド派手なその被害からして、彼らがわたしたちと同じく、物理法則を超越した力を振るう魔術師であることは確かだった。
もはや、こいつら災害かなんかの一種なんじゃないかって感じ。
うちはあくまで暗殺が仕事だ。その他の部分はよっぽど相手が強力だったとかそういう事情がない限り、進んで破壊はしない。
だから基本は殺人一本。他への被害は少ない。
でも、オルガーノファミリーは違う。
彼らは目標のためならば過程は気にしない。ちょっとムカついた奴がいたから。それぐらいの理由で、その人がいる街に火を放つような。そんな行動。
動機に対しての結果が大きすぎるんだ。
こんな奴が、この世界にはいる。現代日本そっくりの、けれども本質的な部分でどこまでも異なっているこの世界には。
もちろん少ない。特殊清掃員試験にノコノコ向かったら、全員こいつらぐらい強かったとかそういうアホなことは絶対ない。
でも、もしわたしがある程度の実力を持つことができたら、確実に接触するような距離にいる。
ゴクリと喉を鳴らす。
感じたのは、恐怖だけじゃなかった。
驚くほどに、その状況を楽しんでいる自分がいた。
きっと今この瞬間に、こいつらが現れたら死ぬほど怖い。でもそれだけじゃない。
わたしは、それを心の片隅では期待している。
なんでかな。その心理の動きをわたしは自分では上手く説明できない。戦闘狂のつもりはないし、ごくごく凡人なんだけどなあ。
なんか、この家で魔術を覚えて訓練を積んでいるうちに、少しずつ自分の中の何かが変質し始めているような気がする。
変質か、もしくは元々わたしの内側にあった性質が顔を出し始めたのか。
唇をペロリと舐めながら想像する。
これほどの強者が、命を賭して全力で戦う姿はどれほど美しいのだろうと。
その美しい体を染める血は、どれほど鮮やかなのだろうと。
せっかく力を得ようと努力してるんだ。少しぐらいご褒美があったっていいだろう。
幸せで平凡な人生を送るのはそれからでもいい。
今は、とにかくその血を見たい。
っと、そんな危ない方向へと飛んで行った思考が、強制的に元に戻される。
まあ具体的に何かと言うと………慌ててわたしの元へと飛んできて部屋の扉を開いた執事ロボたちによって。
執事ロボ、正確には魔力の込められた魔道具であるらしい彼らは、そうは全く思えない滑らかな動作でわたしがたった今吹き飛ばした本の山を拾い上げ始めた。
さっきの興奮でちょっと魔力が乱れてしまったらしい。その代償として転がる、部屋に置いてあった物の数々。
ちょっぴり眉をしかめながら、酷い有様になった部屋を片付ける執事ロボを見やる。
彼らは特にこちらがきちんと命令をせずとも、勝手に自発的に仕事をしてくれるのだ。魔術ってほんと便利。
まあ本題はそんな執事ロボさんの便利さについてじゃなくて、ちょっと感情が昂っただけで周囲一体を吹き飛ばしてしまうわたしの魔力量について。
そう、わたしの魔力量は普通という領域を超えている。
これはわたし自身の才能とかそういう奴じゃなくて、単純な家系。遺伝的な問題。
わたしたちヘレンザックの家系は、根本的なスペックも普通より高い。そしてそれをさらに、磨き上げていく。だから強い。
魔力量、質、筋肉のつきやすさ。全てにおいて、平均以上の能力値を示すのはここに生まれたからには当然っちゃ当然。
そしてさらにわたしはそこに加え、幼少期からの記憶持ちっていうアドバンテージがある。
父さんによると、魔力量はわたしの時期に鍛えるのが一番伸びがいい。だからわたしの最大魔力量は、おそらく同じような才能を持って普通に育ったジゼルを凌駕する可能性が高い。
でも、だからといって、何も変わらないのだ。
ジゼルが当主になるということも、わたしはあくまで彼女が成長するための補助輪でしかないということも。
その理由はわたしの知るところはないし、別に知りたいとも思わない。この家の何か深い事情があるんだろうけど、どうでもいい。
わたしが欲しいのは、平凡で幸せな人生。
……あと追加要素のスリルもちょっぴり。
そんなことを考えながら、ふわあとあくびをする。
そろそろ魔力の維持が辛くなってきた。ん、でもまだいける。
現在は魔力を加速させ始めてから約45分。目標時間は超えたけど、それでもできる限り早く3時間を超えたい。
もちろん早く強くなりたいってのが第一目標だけど、それともう一つ。
人の死に対して、自分がどれぐらいの拒否感を持っているのか知りたい。
わたしは近くで人が死ぬ瞬間を見たことがあまりない。
おじいちゃんが病院のベッドでゆっくりと息をひきとる瞬間。それに自分自身が死ぬ瞬間とか。
それぐらいしかないかなあ。死というものに触れたのは。
多分殺されるっていうのはそんなゆったりしたものじゃない。もっとショッキング。
血が飛び散って、ぐちゃりと音がして、そしてどさりと倒れる。
それが自分の眼の前で起きる。
いまいち、うまく想像ができない。
しかも、しばらくしたらわたしはそれを自分の手で引き起こすようになる。
殺し。文字で見る分には単純な話だけど、実際は違う。
わたしの手でその人の命を終わらせるという行為が、どの程度自分の心に影響を与えるのかは未知数だ。
だからこそ、早めに知っておく必要がある。
よし、と覚悟を決めて拳を作る。
早く、この魔術を習得する。
ちゃんと戦えるようになる。
殺せるようになる。
そうじゃないとわたしは、生きていけないから。
幸せな人生もスリルも何もかも、生きているから味わえるんだ。
わたしは生きたい。死にたくない。願わくは血で染まるのは相手であってほしい。
そう考えながら、魔力を更に加速させる。
あと、2時間必ず耐えきる。寝てても発動できるくらいにわたしのものにする。
そう思った瞬間、ブワッと魔力が広がって、また部屋の中がぐちゃぐちゃにかき乱される。……ごめん執事ロボ。お仕事全部パーにしちゃった。
溜息一つ。やっぱり練度が低い。そもそも操作が下手くそすぎるのだ。
うーん、これをキープできる時間を伸ばすのも大切だけど、そもそもの練度もあげたい。でもどうやって?
そう思って思い浮かんだのはイーゼル兄さん。
おばあちゃんとか父さんには、魔力の操作については言語では説明できないって言われた。どうやってるかわからないぐらい自然にやってるからって。
でもイーゼル兄さんは、多分違う。あの人は……
秀でた才能を抑えきるほどの努力であの魔力練度を達成している。
教えてもらうならイーゼル兄さんだ。
わたしには天性の才はない。だから努力でドーピングするしかない。
今兄さんは確かお仕事に行ってるはず。
戻ってきたら部屋に突撃して教えてもらおう。
おっし、やること見えたらやる気出てきた!
イーゼル兄さんは、多分一番この家で普通で。だから一番曲がって見える。
そういう意味で一番わたしに近いのはイーゼル兄さんだ。
あの人から学べることは全部学ぶ。わたしのために。