愉快な暗殺一族
この世界に生を受けてから約一ヶ月。しばらくずっと、ベッドの上で辺りに聞き耳を立てては、情報を集めていた。
情報は血液。命を救う。それが私の思想。
必死の情報収集の結果、この一ヶ月でかなりの収穫を得ることができたと思う。
まずはこの家、ヘレンザック家の家族構成。
現在の当主は私の父、ジークって人。なんかすごく怖そうで、威圧感のある人だった。筋肉ムキムキのナイスガイ。魔術師って聞いてたからひょろっとした体型をイメージしてたんだけど、真逆。
むしろ超フィジカル型の近接バトルタイプって感じ。
それを見るに、この世界の魔術師っていうのはわたしがラノベから学んだそれとはちょっと違うのかもしれない。それはともかく。
初日に会ったあのおばあちゃんはジークの一代前の当主らしい。現在は後継に席を譲った、父方の祖母にあたる人物。
そして私の母は仮面をつけたよくわからない人。イグニアさん。声が高くて妙にヒステリック。で、3人とも現役の魔術師で暗殺者。
そう、魔術師で暗殺者なのだ。どうやら最初の日におばあちゃんが言った、イミフ設定は全て事実だったらしい。信じたくないけど。
何故そう信じられるかといえば、実際に見ちゃったからだ。魔術を行使しているところを。
父さんが指を振れば重い扉は勝手に開き、母さんが指を鳴らせばコンロに火が灯る。おばあちゃんは脚を使わずとも空を滑空できる、大体そんな感じ。
そして兄弟。これは上に2人いるみたい。一番上が男で、二番目が女。
長男のイーゼルって人は何度かわたしの私室を訪れてくれた。から多少面識はあり。
で、今の所ほぼ会ったことのないお姉ちゃんはジゼル。彼女が次代当主候補。なんて長男じゃなく次女が?って感じはするけど、まあ複雑な事情でもあるんでしょう。
これが現在私が家族について知っていることの全て。少なすぎるよね、一ヶ月分にしては。何故かって?
そりゃ今の私はベッドの上から自力で起き上がることもできない赤ちゃんだからだ。
イーゼル兄さんみたいに自発的に私の部屋に来てくれないと家族たちとご対面は叶わないってわけ。
全く、赤子の身ってほんと不便。
加えて、この家がバカみたいに広すぎるってのも私が自分の家族のことを一ヶ月経ってもあんまり把握しきれてない理由の一つだ。
城みたいに広いせいで、普通の一般家庭みたいにリビングにみんなが集う、なんて現象が発生しない。全くどこのお貴族様なんだか。
まあいい。このヘレンザック家がいかに頭がおかしい家系なのか、っていうのは一回置いといて、家族紹介に話を戻そう。
お兄ちゃんのイーゼルにお姉ちゃんのジゼル、そして最後に生まれたのが私、ヘイゼル。性別は女。前世と同じ性別なのは普通に幸運だったかも。
3人兄弟の末子だからそれほど重い期待も寄せられてないみたいだし、気楽っちゃ気楽。
まあまだ高々一ヶ月きりで得た情報だから見えてないこともたくさんあると思うけど。
とにかく大事なのは、私が生まれたこの家、ヘレンザック家はとんでもなく由緒正しい魔術師の家柄であるってこと。
それ故に、我が家はその高貴な血に相応しくとっても厳しい教育方針を持っているのだ。
その教育プログラム。入ってきた情報でいちばん重要で、一番恐ろしいもの。それが、どうやら今日から始まるらしい。
そう思うと同時に、扉が開く。
「ヘイゼル、時間だよ。行こうか」
そう言いながら私をベットから降ろして立ち上がらせるのは、長男のイーゼル。
相変わらずの声の抑揚のなさ。本当にこの人感情あるんだろうか。すごく心配になってきた。
でもまあ、今は自分の心配が優先事項だけど。
そう、この家は子供を優秀な魔術師兼暗殺者にするために、毎日世にも恐ろしい拷問……もとい訓練を課しているのだそうだ。
ざっと聞いた感じ、毒の服用や痛覚耐久などなど、それから多種多様な戦闘訓練。とにかく一歩間違えれば死にかねないようなことがたくさんだった。
なにそれ、私の知ってる魔術師と違うんですけど、などということを言ってはいけない。
どうやらこの世界、いわゆる中世ヨーロッパ的な世界では全くなく、やっぱりベースは科学と技術の蔓延る現代日本に近いらしい。電気も通ってるし、お空には飛行機が飛んでいる。更には拳銃もミサイルも核兵器だってあるわけ。
そんな世界で生き抜くために、由緒正しい魔術師の家系のヘレンザック家は着実に適応進化をしてきた。
防衛魔法では銃弾が防げないなら、銃弾を防げるよう肉体を改造する。多種多様な化学毒が生まれているならば、それら全てが効かない内臓を手に入れればいい。そういう脳筋思考。
パパのジークがボディビルダーも裸足で逃げ出すようなムキムキマッチョであるのはその辺が原因みたい。
これこそが現代を生きる魔術師アサシンの姿。魔術どころか肉弾戦でも負けません、がトレードマーク。わあ、かっこいいねえ……。
いや、確かに強くさせてもらうのはありがたいとは思う。今後生きていくために戦う力は必要だしね。
でもさあ、電撃食らわせるとか、毒飲ませるとか、もはや虐待とかそういう領域超えてるよね? 家庭裁判所行きからの全国ネット総叩きが始まっちゃうよ。
まあつまりこのヘレンザック家はイカれているのだ。由緒正しい魔術の家の伝統を引き継ぎ、子供を暗殺者に仕立て上げるために、全ての人権を無視している。
人生ハードモード確定。親ガチャ失敗。ダハハ。笑ってる場合じゃないが。
そんなことをうだうだと考えていると、痺れを切らしたイーゼルに軽く手を引かれる。言外の早くしろ、には抗えない。
恐る恐る足を前に進めると…………うん、歩ける。
ベットの上でちょこちょこ練習してたから、歩行はできるようになった。相変わらず、足がすっごい疲れるけど。まあそれは仕方ない。
前後左右にふらつきながらもどうにか歩き始めると、イーゼルの光のない瞳がふとこちらを向いた。
「よく歩けるよね。まだまともな魔術も身につけてない赤子だっていうのに。本当に天才。俺とは大違い」
「……うぅあ」
おそらく私が内容を理解できているとは思っていない声。淡々と事実のみを己の中に言い聞かせるような。
その声色を聞いて、ほんの少しだけちくりと心臓が痛む。
イーゼルは無感情だ。無感情で、まるでロボットのよう。中性的で美しい容姿。そんな彼はいつも人形みたい。
ママのイグニアとおんなじ色の黒髪が腰まで長く垂らされて、箪笥の上で埃をかぶってるお人形そっくり。
そんなふうに彼がお人形みたいに振る舞っている理由は、ここ一ヶ月でも簡単に察せた。
どんな事情か知らないけれど、この人は長男にも関わらず家を継ぐことを期待されていない。それってつまりは、彼には才能がないと烙印を押されているようなものなのだ。
その強いコンプレックスが、多分彼を歪めた。
私はイーゼル兄さんに繋がれた手をなんとなく赤ちゃんのふにふにの指で握り返してみた。
この家はイカれているから、生まれた子供を分け隔てなく愛したりはしない。子供の間には明確な優先順位がつけられる。一番才能のある子供のみが愛され、大切にされる。二番目以降はゴミ箱にポイ。
つまりはこの家においては子供とはジゼルのことのみを指し、私やイーゼル兄さんはただの道具として扱われている。最悪だよね。
ねー、と同意を求めるように兄さんを見てみたけど無言で目を逸らされた。むう、塩対応。
イーゼル兄さんは黙々と部屋の外へと手を引いた。性急。
歩幅の大きいイーゼルに追い縋るようにして廊下へと出てみる。そういえば部屋の外にまともに出るのは初めてかも。今までは家族はみんな私の部屋に来てくれてたから。
だから、初めて見る部屋の外の様子に思わず目を瞬いた。
このヘレンザック家の屋敷が馬鹿みたいに広いのは知ってた。でもここまでとは予想してない。
廊下の広さは空港みたいだし、曲がり角の奥は目視では見つけられない。ざっと見て扉の数が十は超えてるし、え、なにこれ。家っていうか、大豪邸っていうか、ちょっとした城だ。
部屋の広さとか内装の感じから相当な金持ちであることは悟ってたけど、まさかここまでだとは思ってなかった。やっぱり暗殺って儲かるんだなあ。
まあ、それはともかくとしてだ。
この家はおそらくこの世界基準で見ても、相当な豪邸に値するはずだ。というかそうじゃないと困る。
この世界が地球と同じ資源量に対する人口比であれば、確実にそうだと言えるかな。まあその辺を現在考える術はないので、置いておいてだ。重要案件が一つ。
この家はどこにあるのか。
暗殺っていうのは、やっぱり犯罪行為ではあるんだろう。なのにそんな奴らの住居がこんなに大きかったら目立って仕方ないと思う。
いくら国が暗黙に認めていようが、世には建前というものがある。こんな広大な家じゃ、警察に捕まえてくださいって自己申告しているようなものだ。
だから常識的に考えて、きっとここは人目のつかない場所にあるんだろうな。地下とか、山奥とか。
やーどっちにしても、ある程度成長したら家出するっていう計画はかなりキツそう。
いや、ちょっと一瞬思ったのだ。おばあちゃんや父さんたちもまだ私がほんの小さな子供で脱走する力なんてないって思っている時期だったら、逃げたりできないかなって。
具体的にはあと一月以内くらいで。
でもそれは、この家が通常の街とかにある想定じゃないと不可能だ。
だって家出たらすごい秘境の森だったとか、確実に死ぬし。地下とかだった日には、そもそも出れない可能性高そうだし。約束の20年、無視するのは無理そうだなあ。諦めよ。
はあ、と赤ちゃんらしくない溜息を吐きつつ、手を引かれながら廊下をとぼとぼと歩く。しかも今から拷問受けに行くとか。私、ドMじゃないんですけど。
やだなあ、すっごくやだな。ものすごく逃げたいな。
そんなことを脳内で唱えても、イーゼル兄さんの歩くスピードは変わらない。まあ当たり前か。
せめてもの悪足掻きに、軽く体を動かしてイヤイヤしてみる。
すると、今まで前へつかつか歩いていたイーゼル兄さんの足が一瞬止まって、くろぐろとした瞳が真っ直ぐにこちらを向いた。
ひ、と思わず息が鳴る。一瞬でも気を抜いたら目の中に吸い込まれちゃいそうだ。
「ヘイゼル、俺の指示に従えないの?」
短く簡潔。だけど込められた意味はしっかり心臓を突き刺してくる。従わなければ殺すけど、までしっかり副音声で聞こえてくるのがイーゼルクオリティだ。
イーゼル兄さんは基本的には優しい兄だ。面倒も見てくれるし、家族の中で一番構ってくれる頻度も高い。
けど、それはあくまでこちらがヘレンザック家に従順である限りの話。
私がちょっとでもヘレンザック家の命令に背くようなことをすれば、すぐにイーゼル兄さんは兄の側面を剥ぎ取って殺し屋の視線をこっちに向ける。
だからまあ、素直に従う以外のルートはないってこと。
だって今ここで逃げ出してもイーゼル兄さんに殺られるだけ。逃げなかったら拷問を受けるだけ。
あれ、どちらにせよ詰んでる気もする。最悪だ。
でもまあ生き残れる確率が比較的高いのは後者っぽいので、今回は大人しくイーゼル兄さんに従うこととする。重苦しい溜息が漏れるのはさすがに許して欲しい。
そうこうしているうちに、イーゼル兄さんの足がとある部屋の前で止まった。
うわ、ここが例の。
イーゼルが扉に触れると、音もなく重そうな扉がスライドする。思わず目をぱちくりさせる。え、何今の。指紋認証?それとも何か別の技術?
何かはわからないが、とにかくこの世界には現代日本に引けを取らない科学技術が存在していることが、今ここで証明された。
そうして、私は部屋の中へと足を踏み入れた。