殺されたくないなら殺しなさい
私を凍てつく瞳でじっと見つめたおばあちゃんは、それからゆっくりと口を開いた。
「……イグニア、少しの間席を外してくださる? わたくし、ヘイゼルと二人でお話がしたいのよ」
「え、ええ」
イグニアさん?おそらく母親である女の人は、おばあちゃんの言葉に不思議そうにしながら。でも、それでも従って部屋を出て行った。
このおばあちゃんがこの家では絶対権力者っていう解釈で合ってるかな?
ということは、このおばあちゃんさえどうにかできれば、騙し切って平穏な人生を生きていけるかも。
そう考えると同時に、また大げさな金属音。おそらく扉が閉められたんだろう。
つまりこの部屋にいるのは、私とおばあちゃんだけ。
二人きりになるや否や、おばあちゃんは開口一番に問うた。何かを確信しているような口調で。
「ヘイゼル、あなた、何者?」
ぼそりと呟かれたおばあちゃんのその問いに、体をこわばらせる。まずいまずい。本当にどうしよう。
バレてる。私に既に思考能力があることが。
そんな怯えている様子に気づいたのか、おばあちゃんは軽く苦笑すると、こちらを見つめてくる。
「そう怯えないで。別にわたくしはあなたが生まれながらに言語を理解し、魔力炉を完璧にコントロールしている天才児だからと言って、何かあなたを傷つけようとしているわけじゃないの」
ああ、そう。それは良かったけどさ。
それにしてはおばあちゃん、なんか目が怖すぎない? まるで私を品評しているような、生かすか殺すか決めかねているような。
おばあちゃんは目を細めて、言葉を続けた。
「……ただね、あなたがその年から理性を持っているなら少しだけ気にかかることがあるのよ」
おばあちゃんは、着物の袂で口元を隠しながら艶やかに問うた。
「あなた、人は殺せる?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
人を、殺す?どういうこと?
何を私は問われてるの? 意味がわからない。理解不能だとばかりに口をパクパクとさせれば、おばあちゃんは微笑を浮かべたまま再び口を開いた。
「ああ、ごめんなさいね。説明の順番が前後してしまったみたい。最初から話すわ。まずはね、あなたが今寝ているこの部屋、この屋敷。ここは魔術の名家なの」
魔術? 目を瞬く。なにそれ、急にファンタジーじゃん。電気も通ってる現代風の世界のくせに、魔術は存在してるわけ?
そんな動揺で瞬きを繰り返す私を気にすることもなく、おばあちゃんは説明を続けた。
ちょうど私のベッドの真正面にある棚をおばあちゃんは指差す。
そこには、家宝のように一本の長い杖が置かれていた。
「初代のタラ・ヘレンザック様がこの血に神秘を齎して以来、わたくしたちは魔術の力を脈々と引き継いできた。ヘイゼル、あなたもその一人。だからあなたの身体には生まれつき、タラ様譲りの強力な魔力炉がある」
魔術、神秘、魔力炉。一度に理解できる情報量を超えている。けれどもうっすらと理解がはじまる。よかった、前世で散々サブカルを楽しむタイプのオタクをしてて。
とりあえずよくわからないけど、私のこのか弱い身体には魔力とかいう謎の力を操る性能が生まれつき宿っているらしい。
なるほどね、と理解したように頷くと、私の心臓の上を撫でるように、おばあちゃんの指が乗せられる。
「……タラ様がお亡くなりになってから、500年。この世界はとうに神秘を失ったわ。その中で魔術を受け継いでいるわたくしたちは世界の異端。だからこんな国の片隅の森の奥で密やかに過ごしているわけ」
はあ、なるほど。いよいよおばあちゃんの話が核心に踏み込み始めた。
「そんな世界では、魔術師は行き場を失う。もちろんわたくしたちも例外ではない。……だからね、わたくしたちは世界の闇の側で生きることを決めたの。ああ、そうね。端的に言いましょう」
おばあちゃんの口角が、悪魔みたいに上がった。
「わたくしたちの仕事は、暗殺業。魔術を用いて人を殺める簡単なお仕事よ。国によって容認されている裏側の世界。状況、理解できたかしら」
いいえ、全く。そんな私の声は残念ながら単なる喃語にしかならず、おばあちゃんに届くことはなかった。
魔術、神秘でキャパオーバーしてたところに今度は暗殺者と来た。要素多すぎ。もっと絞れ。
そんな脳内の罵倒は一旦黙らせて、考える。思考は大事。ちゃんと考えることは時には命を救う。
つまりまとめるなら、私は魔術師で、わたしの一族は魔術を使って暗殺をするお仕事に従事してるってこと。
なにそれ意味不明。
しかも暗殺なんてドがつく犯罪行為にもかかわらず、お国がバックについてるらしい。
まあでも世の中って大概そんなもんか。前の世界にもあったしね、必要悪ってやつ。
とはいえそんな激ヤバな状況に生まれ変わってしまったことをすんなり受け入れられるはずもなく。フリーズ。
完全に何一つ動かなくなった私を尻目に、おばあちゃんはつらつらと言葉を続けた。
「既にあなたの中に人殺しを否とする倫理観があるならわたくしはそれを否定はしないわ。けれどもね……この家に生まれた以上、あなたは暗殺者として生きる以外の道がない。それを拒むなら、どうなるかお分かりになられて?」
そう言っておばあちゃんは人の良さそうな笑みで微笑んだ。
その表情を見て、わたしは凍りつく。だって、言ってることの残酷さとは正反対の表情だから。
拒むなら、どうなるか。答えは決まりきってる。もしわたしがノーと言うなら私を生かす意味なんてなくなるっていうこと。
殺される、のだろうか。心臓の音が自分で聞こえるくらいに煩く鳴っている。
殺されるに決まってる。私の本能はしっかりそう告げていた。
だっておばあちゃんが今私に向けている殺気は間違いなく本物だったから。真っ黒な瞳の奥に、冷徹な刃が隠されている。ごくりと喉を鳴らした。
この状況で、私が生き残るルートは一つだけしかない。
生き延びる代わりに、人殺しをすることを約束する。
もちろんその約束を無視しようものなら、瞬時に私の首は飛ばされるだろう。
殺す。魔術師の、暗殺一家。
なんてところに生まれ直してるんだ、私は。最悪だし、意味がわからない。第二の人生なんて言ってる場合じゃなかった。
こんな生まれた瞬間から生死を問われるような環境に行く羽目になるなんて、誰が予想してただろう。
もう一度手をグーパーと動かしてみる。うん、やっぱり。
こんな私が人殺しなんてできるかはわからない。だけど、私は生き延びたい。
「安心なさって。あなたがこの家に縛られなければいけない時間はそう長くないわ」
私を誘惑するように、おばあちゃんはそう囁いた。
「あなたがこの家で暗殺者として生きなければならないのは、次期当主……あなたの姉が十分に育つまでの間。それまで責務を全うすれば、わたくしたちはあなたを自由にしてやってもいいと思っているの。せいぜい20年の我慢だわ」
20年、それだけの時を投げうてば、平穏な人生を生きられる。その魅惑的な言葉に心が揺れる。
確実に私を誘導するための甘い餌でしかないことはわかってるけれど、それでも釣られてしまうのは仕方がないだろう。
だって、それ以外の選択肢は実質的に存在しないのだから。
こくり、と首を縦に振る。
それを見ておばあちゃんはうっとりと笑った。
「ヘイゼル、期待しているわよ。……あなたには才能がある。ことによればあなたの姉の次期当主を上回るほど。タラ様が至った魔術の深淵にすら、あなたは手が届くのかもしれない」
そうミステリアスにおばあちゃんは言い残した。黒目が悪戯っぽく揺らいで、それからおばあちゃんもまた部屋を出て行く。
私を一人ベッドの上に残して。
それを見届けて、やっと、勢いよく全身から力を抜いた。
はー、怖かった。死ぬかと思った。というか、若干死にかけてた。かなり危ない生死の橋を渡った自覚はあるし、もし何か一つでも回答を間違えていればその時点で息の根を止められていただろう。
それだけおばあちゃんは本気だった。私を殺そうとしてた。
ぞわりと再び立ち上がった鳥肌を眺める。
でもまあ、結果が全てだ。生き延びることに成功はした。多大な対価を支払いはしたけど。
魔術、暗殺、人殺し。なんだかまだ理解できてない。
だけど、そんな能力や職業が存在しているこの世界は多分前の世界とは全く違う。それだけはわかる。
頭のなかはぐちゃぐちゃで、大混乱で、何一つだって意味がわからない。けどとりあえずは、生き残る方法を考えよう。全部全部、命あっての物種なんだから。