魔術と暗殺者とおばあちゃんと死
私の顔を覗き込んだ女が口を開く。
「あら、目が覚めてたのね。ヘイゼルちゃん」
ヘイゼルちゃん? どうやらそれが今の私の名前らしい。
ふむ、情報一つゲット。次いで、もう一人の人間が仮面をつけた女性の横から顔を出した。おばあちゃんって感じ。
人の良さそうな、抹茶とかをニコニコ点ててそうな着物の似合うおばあちゃんだ。虫一つ殺せなそうな無害な。
そんなおばあちゃんは私の顔を見ると、ほんの少しだけ目を瞬いた。何か異常に気づいたみたいな顔。
「あら? 不思議ですわね。昨日に比べて体内の魔力量が爆発的に増加している」
「……本当ですね。一体何が」
「それに僅かとはいえ魔力を自力で操作しようと試みてもいる。奇妙ですわね。まだ魔力炉も点いていないのに」
魔力? なにそれ?
二人のわけがわからない言動と。それからなぜか妙に存在感のあるおばあちゃんの登場で、脳のキャパが一気に埋まる。
ぐちゃぐちゃの頭の中で一生懸命に考える。
少なくとも私の周囲には、赤ん坊に向かって魔力なんて訳のわからないことを言うおばあちゃんはいなかったと思う。
仮面舞踏会みたいな仮面を被った女性の知り合いだっていなかったし、この二人の顔には全くと言うほど心当たりがない。前世の私にはね。
つまりはまあ、少なくともこの二人はわたしのリニューアルされた赤ちゃんボディの母と祖母である可能性は高そうだ。
状況確定。私、転生しました。
生まれ変わり、転生。いや、身体の感覚と今の二人の会話からしてたぶん私は今この瞬間生まれたわけじゃない。
どちらかといえば、憑依。この身体に魂だけ入り込んでしまったみたいな。
なーんでそんなことになるかなあ。私の身体は向こうの世界でしっかり未練のないように火葬されたってのに。
最悪だ。最悪だけど、そんなこと言ってても仕方がない。ポジティブに考えよう。
死んだと思ったら生きてたわけだし、第二の人生みたいでいいじゃないか。
それに、異世界転生で本来一番のネックになるはずの言語問題が序盤からクリアされてるのはでかい。二人の話している内容もひとまずはわかる。
これならある程度の情報はすぐに掴めるだろう。
まず知らなきゃいけないことは単純。
私が何者か。それから私に求められてる立ち振る舞いは何か。
ベットを覗き込んでいる女性、おそらく母親をじっと見つめる。
服装からして、かなり裕福ではあるけど、かなり………風変わり。黒色のロングヘアによく似合ったベネチア風の仮面をつけてる理由も謎だし、フランス貴族だってもうちょっと加減するってぐらい豪華なドレスを着てる。
隣のおばあちゃんもかなりおかしい。丁寧に着込まれた着物。真っ白な髪の色から判断すれば結構なご高齢だと思うんだけど、背筋は異様に伸びている。
まあまず第一に、多分この二人は服装がおかしいだけで、敵じゃない。西洋風のママと和風のおばあちゃん。順当に考えるなら親族だ。
祖母、母、だけか。父の姿は見えないけど、今ここにはいないんだろうか。
「うぁ、りゃあ」
お父さんはどこ、なんて単純な文章でさえ、うまく発音できない。思考できてるのに意思疎通ができないってかなりのストレス。
そう思って顔を膨らませると、おばあちゃんがまた一瞬不思議そうな顔をする。
「イグニア、この子はいつから始める予定だったかしら?」
「単独で歩行可能になり次第訓練開始の予定です」
「……そう、ならすぐね」
始める? 訓練? なんの話だ?
今の謎のフレーズを理解しようと全力で考えていると、急に体が空中へと浮き上がる。
いや、その表現は正しくない。正確には、おばあちゃんに持ち上げられている、だ。
なんだこれは。あれか、高い高い的なやつか?じゃあ大人しくしてるが正解かな。
そう思って、宙高く投げられることを覚悟すると、なぜか床へと降ろされる。
おばあちゃんは赤子の私を堅いフローリングにぽんと置くと、その紫色の綺麗な瞳で私の顔を覗き込んだ。
「立てるなら立ってみなさい」
そう言われて、手が離された。
は? 何? 立て、ってこと? この世界だとこんな乳幼児も自力で立てるものなのか? 知らん世界の常識すぎる。
でも、まあ、やるしかない。
赤ちゃんが立てないのには二つの理由がある。
単純に歩行に必要な筋肉量が足りていないというのが一つ。
もう一つは、立ち方を知らないから。立つための重心の取り方、バランス、それを学習するのに時間がかかる。
前者は私にも当てはまるし、どうすることもできない。でも後者ならば。重心やバランスの取り方なんて、20年生きてきたのだ。余裕に決まってる。
よし、ゆっくり行こう。
地面から、恐る恐る手を離して上体を起こす。
うわ、足がプルプルする。どんだけ筋肉ないんだか。まあしかたないか。赤ちゃんだし。
そうこうしながら、どうにか立つことに成功した時には、既に足は限界だった。
おばあちゃんの方を見ると、こくりと頷かれる。それは、オーケーということですか?
まあどっちにしてももう限界だし。立っている状態から、四つん這い、いわゆるはいはいの姿勢になる。
おばあちゃんはそんな私の様子を見て、のっそり息を吐いた。
「イグニア、ご覧になられたでしょう?」
「ええ、この子はもうすでに………言語を理解することができる。それにさっき立ち上がった時も」
「足りない筋肉分を魔力で覆って補完していましたわね。素晴らしいわ。この子なら、今魔力炉を点けても十分に生き残れるでしょう」
「ということは、やはりこの子は………」
「とてつもない才能ですわね。今日いきなり開花したその才能、一体どこからやってきたのかしら?」
疲れた足をブラブラとしていると、二人の会話が耳に飛び込んでくる。
まずいまずいまずいまずい。一気に冷や汗が流れた。
そっか、当たり前だ。普通赤ちゃんは言葉なんてわかんないんだ。いきなり立てとか言われても理解できるはずがないんだ。
しかもこの歳で自力で立てるって、普通じゃなかった! 思いっきりカマかけられてた!
ど、どうしよう。もしかしてこの世界では記憶持ったまま生まれるとか結構普通に起きうることなの?
いや、そんなわけないか。
じゃあ、なんでこの人たちは、というかあのおばあちゃんは私が言語を理解できるかもなんて思ったんだろう。
まさか私のちょっとした表情の変化とかだけで、察したってこと? なら化け物すぎる。
まあいい、わからないことを考えても仕方がない。
とりあえず現状把握。今目の前のこの二人には、私がごく一般的な赤ん坊ではないって気づかれてしまった。
けど、それにしては二人の様子にそこまで気持ち悪がっている感じはない。
もしかしてこのまま上手くいけば、せいぜい天才児ぐらいの評価で丸く収まるんじゃないだろうか。いや、そこまで丸くないけど。
でも、これ以上ボロを出したらもう完全にアウトだ。普通の、なんにも知らない、ただの赤ちゃんを演じきるんだ。
そう決意を固めて、ぎゅっと拳を握る。と、おばあちゃんの目がさらに見開かれる。ぎくりと背中が凍った。
おばあちゃんは、完全にわたしを氷のような鋭い目でロックオンしていた。