死にたくないなら誓いなさい
「……わかったよ」
兄さんはそう、呆れたように呟いた。わたしの頭にへばりつくように流れていた兄さんの魔力がゆっくりと消えていく。
それから兄さんの指先が、まだ魔力のナイフを押し付けたままのわたしの首筋をなぞった。
「本当に面倒、お前。……確かに俺はお前の身体を殺せない。その権利は俺にはない。お前の所有権は父さんのものだから」
所有権、所有権ね。やーな言い回し。まあその表現が事実なのは確かだから何も言えないけど。
わたしの身体は父さんのもの。わたしの生殺与奪権は父さんのもの。だからいくら兄さんでも、わたしを殺すことはできない。
それは父さんへの叛逆であり、ヘレンザック家への謀反と見做される。
それだけは絶対に犯してはいけない罪。何故ならば、わたしたちはこの家の意思に従う従順な奴隷であるから。
ほんと最悪だよね。兄さんもそう思わない?
「思わない。俺の身体も精神も何もかも、俺という存在は全てこの家系の繁栄のためにある。それを疑ったことはない」
嘘つき、って言いたくなったけど、言えなかった。だって兄さんは、今の言葉を本気で言ってそうだったから。
兄さんのまっくろな目の中を覗き込む。空洞。そこにはいつだって何もない。兄さん本人の意思、自我。
それは兄さん本人ですら見つけられないような心の奥底に閉じ込められて、存在を忘れ去られている。
やっぱ最悪だよ。絶対に最悪。だってこんなこと、許されていいはずがないもん。
兄さんはおかしいし歪んでるしイカれてるけど、だからってこんな風に自由意志を奪われた奴隷に甘んじなきゃいけないなんて、そんなのは間違ってる。
そう思えるのはわたしが前世の記憶と倫理観を持ち合わせてる異常個体だからだろうけどさ。
でも、とにかくわたしはこんなの許せない。
「許せない、ね。だから何? ヘイゼルがこの家のことをどう思ってようが、ヘイゼルがこの家の奴隷であることは変わらないのに」
変わらなくても、抗う意思を持ち続けることに意味はある。
「……あっそ」
兄さんはそう無意味に吐き捨てると、わたしの血塗れの首筋に手を当てる。
兄さんの手から迸っているのはさっきの緑の魔力じゃない、柔らかなオレンジ色。
その魔力がわたしの皮膚の上をなぞるたびに、少しずつ傷口が塞がっていく。強化魔術の派生系。身体強化を上手く使えば、傷ついた身体の回復速度を高めることもできる。今兄さんがやっているのがそれ。
溜息一つ。
やっぱりさ、兄さんって根本的なとこでブレてるよね。
「何が」
家のためならわたしの自我だって奪おうとするくせに、傷を癒してくれる優しい兄でもある。どっちが本物の兄さん?
「さあね、俺ももうよくわからない」
ああ、そう。最悪記録の更新。自分自身ですら、自分の本質を見失うなんてさ、ぜんっぜん面白くない。本当に。
わたしのその思考は読み取っているはずなのに兄さんは何一つ返答せず、静かに目を伏せた。兄さんの魔力のおかげで首筋の傷は完全に塞がっている。
兄さんは目を伏せたまま、静かに口を開いた。
「ねえヘイゼル、質問していい?」
質問? どうぞそんなもの、お好きなように。
頷く。それを受けて兄さんの指が3本立てられて、一本折れる。質問1、の意だ。多分。
「ヘイゼルは、この家の家業に加担できる?」
最初に放たれたのはそんな問いだった。
この家の家業、すなわち暗殺。進んでやりたいとは思わないけど、生き延びるためなら妥協できる範囲内。
こくりと首を縦に振ると、いくらか兄さんの目線が和らいだような気がした。いや、多分気のせいだけど。
問2。また兄さんの指が折れる。
「もし俺が一生この家のために働くって誓わないと殺すって言ったら、ヘイゼルはそれに従える?」
二つ目の問いの仮定は、なかなかえげつなかった。
要は命と自由のどちらを優先するかって話だ。兄さんもなかなかいい性格してる。
でも、そんなの答えは一択みたいなもん。
何の迷いもなく首を縦に振ると、一瞬兄さんが驚いたような顔をする。
当たり前だ。だってわたしは生きていたいから。でもその誓いをおとなしく守るなんてことはしないけど。
生き延びて生き延びて、それで虎視眈々と自由を得られる隙間をいつまでも狙う。そのためだったら誓いの一つや二つ引きちぎれる。
そのわたしの思考を読み取った兄さんは、疲れたように溜息を吐いた。
問3。これが最後。
「ヘイゼルは、利害が食い違わない限りこの家に危害を加えることはない。この認識は合ってる?」
ん。そういうこと。
いつも無味乾燥とした兄さんの声にしては珍しく、疲れているような、めんどくさがっているような、そんな声色で発せられた問いに、迷いなく頷く。
その瞬間、部屋を覆っていた兄さんの魔力が解除される。おお、心なしか呼吸すらも楽になったような気がしなくもない。
まあそんなのはどうでもよくて。
兄さんの大きな目を覗き込む。あ、やっぱり。
ずっと見つめていると、目の中にぐるぐると何かが渦巻いているのが見える。
兄さんが初めてわたしと会った日にも見た、不思議な紋様。それの意味が、今はわかった。




