第一話 辻
(クソッ、行っちまいやがった)
翔悟は己の非力さを痛感していた。
目と首だけで周りを見渡すと、そこら中で動くことも出来ずもがく隊員達。
樋口も含めこれだけの人数で挑んでもたった二人に敵わなかった。
(すぐにでもアイツを追いかけてぇのに……!)
未だ体を縛る呪術は解ける雰囲気すらない。
自力でなんとかしようと身動いでいると、外から誰かが話しながらこちらへ向かっている声が聞こえてきた。
「いやぁ〜、でもよおやっさん、女の子はやっぱ冷たくあしらってくれる方がなんかこっちも燃えるぅみたいな?」
「いやいやぁ〜、三歩後ろを付いてきて尽くしてくれるのがこう、何つぅの?男冥利に尽きると言うかぁ?」
なんの話をしているのだろうか。こちらは緊急事態だと言うのに。
「やっぱ童貞ゴリラじゃ何もわかんねぇか」
「いや俺ニ・ン・ゲ・ン!しかも童貞じゃねぇし!!」
早くこの状況に気付けと誰もが思っているであろう。
「え、待って!ここの門っていうか扉っていうかどうしちゃったの!?」
ようやくゴリラが気付いたようだ。ウホウ……アタフタしている。
「! お前ら、どうしたんだ!!何があった!?」
バタバタと慌てて門をくぐり、倒れる自分の部下達を見つけ駆け寄る今野。
「ゆーじ、翔悟!お前らまで!!」
「んーっ!」
口を塞がれた樋口が足元を見ろと唸りながら示す。
「えっなに、なんだこれ!?俺はどうすればいいんだ?斬るか?斬ればいいのか!?」
樋口が首を縦に強く振り何度も頷く。
「よしっ、任せろ!」
今野が刀を抜き、樋口の足に絡みつく物体にまさに斬りかかろうとしたその時。
「待て待て今野!よく見ろ!」
おやっさんがストップを掛ける。
「なんだおやっさん!一大事だろう!」
「だぁからよく見ろってんだよ!」
焦りつつも刀を振り翳す途中で止め、足元を見る。
——スルッ ポチャン
「え、消えた!?」
きつく縛り付けているように見えたソレは、まるで溶けたようにトロリと解けた。
雫が水面にぶつかり一つになった時の様に、波紋を広げながら地面へと消えていく。
「っ、はぁっ、やっと喋れる!」
同時に口元を覆っていたモノも地面に落ち消えていった。
それは他の隊員達も同じだった。
皆口々に助かったや解放されたと安堵している。
「何があったんだ、ゆーじ」
ふぅと一息吐き、少し落ち着きを取り戻した今野が状況を聞く。
「俺にも詳しいことは分からねぇがいきなり……」
「くそっ!早く追わねぇと!!」
詳しい状況を説明しようとしたが、少し離れたところから聞こえるイラつきと焦りの混じる声に遮られる。
先程まで安堵の声を上げていた隊員達も黙り込んでしまった。
「第一部隊は隊列を組み直して俺に着いて……っ」
翔悟は立ち上がり、今にも駆け出そうとしたのだが足元がふらつき膝をつく。
「おい大丈夫かオメェよ、足怪我してんじゃねぇの」
翔悟の横に来たおやっさんが彼の足首を見る。
そこは最後に洌士が強く締め上げた箇所だ。
ひどく赤く腫れている。
「大丈夫か翔悟!?」
すぐに今野が駆けつけてきた。
「俺は大丈夫です、何ともありません。とにかく今は隊を連れて雪華を取り戻さないと!
」
「落ち着け翔悟」
今野の後ろから少し遅れて樋口がやって来た。
「落ち着いてられるワケがねーだろ!!」
「隊を連れてどこへ行くんだ?敵が誰かもわかんねぇんだ、まずは情報を集めるのが先決だろうが」
「チッ、クソッ……!!」
樋口の言うことは正しい。
翔悟もそれは理解している。
それでもはやる気持ちから、どうにも出来ないイラつきに地面を強く殴る。
「そうだな、まずは一旦状況を整理しねぇと」
そう言いながら今野は翔悟の腕を自身の肩に回し、支えながら隊舎へと歩いて行った。
その間も彼は悔しそうに歯を食いしばっている。
今野の肩に、翔悟の身体がより一層重くのしかかる。
(雪華、なんで……チクショウ……っ!)
隊舎をあとにしてから長いこと沈黙が続いている。
(このうしろ頭ぶん殴ったろうかな)
そっぽを向いていた雪華は横目で黒い後頭部を睨む。
先程までグスグスと鼻を啜って泣いていたが、今は怒りが込み上げていた。
「そろそろや」
その憎らしい頭の男が沈黙を破る。
「あっそ」
随分と太々しい返事を返す。
態度は悪いが返事をしっかり返す様子から、少々落ち着きを取り戻してきたように思える。
「あ?なんやさっきから人のこと睨みよって」
「うるさいわアホ」
洌士につられ大阪訛りが出ている。
こう見ると本当の兄妹のようだ。
「もぅ二人ともやめよし」
光留が半ば呆れつつ間に入る。
洌士は、別に本気で相手にしていないとでもいうように、フンと小さく鼻を鳴らした。
雪華もただの八つ当たりだ。自分の弱さに苛立っているだけなのだ。
(どうせここでいがみ合っても時が戻せるわけじゃない……それに誰かが死んだわけでもない……まだマシな方だ)
雪華は気持ちを入れ替えるよう深呼吸をした。
「で?どこに向かっとるん?」
それでも洌士に聞くのはなんか癪なので光留に聞く。
「すぐに京に着く裏ルートや」
光留ではなく洌士が答えた。
お前に聞いてないと言ってやりたいがその後が面倒なのでふーんと軽く相槌を返す。
(ん?)
軽く流してしまったが“裏ルート”を使うと言っていなかったか。
「裏ルートって……」
「“六道の辻”や」
六道の辻、それは“六道”と言われる地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道へ通じる道の分岐点で、いわゆる“あの世とこの世の境”である。
冥界への入り口とも言われている。
「それ使うのは駄目や言われたやろ」
常人であれば、一度迷い込んでしまえば二度と出ることは出来ない。
「駄目ってわけやあれへん、気ぃつけろって言われただけや」
ものは言いようだ。
「……おおじじ様に怒られるで」
「“もし”バレたらや」
「そうそう、“もしも”どす」
光留がフフと笑う。
普段は洌士や雪華がやりすぎないように抑止する立場なのだが、なぜかこういった時はノリノリで楽しむようなところがある。
「ここで最後やな」
既に四辻を三回も通っている。
“四辻で四回、同じモノに出会うとあの世へ連れて行かれる”
こういった伝承はあながち嘘ではない。
洌士は態と四辻を四回通り人ならざるモノとの境界線を薄くしているのだ。
雪華も幼い頃に同じことを試しておおじじ様に大目玉を食らったことがある。
「ん、出たな」
最後の四辻を過ぎると、本来ならただの十字路に行き着く所だが、目の前には六本の道が交わる交差点が広がっている。
通行車、いや、人っ子一人見当たらない。
「あー……ちっちゃい頃に見たわこれ……」
六本の道のど真ん中、普通の人間が見れば不気味なほど静かな交差点が目の前にあるだけである。
だが雪華や洌士、光留の目の前には高さが人間五人分程の巨大な扉が在った。
これだけ大きいのだ、“人”以外では一体何がここを通るというのだろうか。想像するだけで恐ろしい。
「そうやったなぁ、どっかのアホが同じことしとったわ」
「はぁ〜?れい兄が言ったことそのまんまやっただけやし〜、れい兄のせいやろ〜」
ベーっと舌を出し揶揄う。
「光留、こいつだけ放り込んで普通に帰るか」
「あほなこと言うてへんでちゃっちゃと行きまひょ、向こうに着く頃には日ぃ変わってますで」
洌士も本気で言っているわけではない。
何も返さず、胸の前で両手をあわせ合掌する。
そして巨大な扉に向け何やら唱えている。
「オンアロリキヤソワカ」
唱え終わると、大きな扉がギギギィと重い音を立てゆっくりと開いていく。
「行き先は六道珍王寺?」
「そうや」
そのお寺は昔、小野何某が地獄と現世を往来する際に利用した“冥土通いの井戸”と“黄泉がえりの井戸”と呼ばれる二つの井戸が存在する。
そもそものお寺の所在地があの世とこの世の境にあたるのだから、そういった伝承や逸話があるのも当然だろう。
「地獄の横っちょ通るだけやんな」
「当たり前やろ。堂々と大通りなんか歩いとったら獄卒どもにどんないちゃもんつけられるか」
獄卒は地獄の鬼・異形のモノで、地獄に堕ちた亡者に罰を与えている。
獄卒達は亡者と生者の区別が付くので、たとえ出会したとしても余程のことがない限り危害を加えられたりすることはない。
閻魔が元は人間ということもありその辺はしっかり管理しているのだが、生者がうろついていい場所ではないので嫌な顔をされるのは当然だろう。
そんなことは雪華もよくわかっている。
洌士の言い方がいちいちイラつかせる。
「何や体を冷やすものでも持ってきたら良かったなぁ」
光留が髪を束ねながら言う。
「アホか。観光とちゃうんや」
「はぁ〜、暑いわぁ」
「いやまだ入ってないよ!」
扉の前で大ボケをかます光留に、雪華は思わずツッコんでしまった。
洌士はそれを横目でチラリと見てさっさと中に入って行く。少々口元が緩んでいた。
そしてその後ろをくすくすと笑いながら光留がついて行く。
先程まで互いに険悪な空気が流れていたのに、光留の可笑しな言動につい気持ちが緩む。
(ずっと拗ねててやろうと思ってたのに)
まんまと光留のペースにハマってしまった。
昔からそうだった。洌士と雪華が喧嘩をすると、必ず間に入ってくれる。
光留の作るふやけた雰囲気に飲み込まれ、気付くと仲直りしているのだ。
雪華は仕方ないと軽く笑う。
そして二人の後を追うように、その大きな扉の中へと足を踏み入れた。
どれ程歩いただろうか。
現世とあの世では進む時間にそう大差は無い。
だが、途中で何度か渡る辻を変えるためにあの世とこの世の狭間を通って来た。
そのため切り替わる際に少しずつ時間にズレが生じている。
おそらく現世はすでに日を跨ぐ頃だろう。
「さすがに疲れた……」
人と比べて体力はあるし身体も丈夫なのだが、流石に足が痛くなってきた。
加えて隊舎の様子や翔悟のことが気になり、心労も重なって辛いのだ。
「ねぇ、ちょっと休もーよ」
先を行く二人も疲れているのだろう、少し前からあまり言葉を交わしていない。
「ねぇって」
「ここや」
もう一度休憩を催促しようと声を掛けたところで洌士が急に歩を止めた。
「え、何が」
「到着や」
洌士の目の前には、この裏ルートに入る際に見た時と同じ巨大な扉があった。
「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」
右手を肩辺りの高さまで上げ、指を揃え手の平を扉に向けたまま真言を唱える。
すると、重そうな音を立てながらゆっくりと開き始めた。
不思議だ。誰かが押しているわけでもないのに一人でに開いていく。
「やっと着いた……、普通に電車とか何か使った方が早かったんじゃ……」
「アイツらに追いつかれたら面倒やろ」
翔悟達の事を言ってるのだろう。
(わざわざここまで来ないと思う……)
今や政治から何からその中枢が集まる東の都から、この京の都まで追いかけてくるなどあり得ない。
彼らはその中枢の組織なのだ、くだらないお家騒動にかまけている時間など無い。
そんなことを考えて雪華は少し寂しくなった。
「いつ来てもここは清々しい場所どすなぁ」
外に出ると目の前に井戸があり、すぐにここは本堂裏の庭の辺りだとわかった。
振り向くと巨大な扉はすでに消えていた。
あの世への入り口であるあの巨大な扉は気づくと目の前にあり、いつの間にか消えているのだ。
現れる瞬間も消える瞬間も、未だかつて誰一人として見た者はいない。
「勝手に入ったら怒られるんとちゃう?」
「平気や。ここの方丈さんとは懇意にしとるからな」
“方丈さん“とは和尚さんのことである。
宗派によって呼び方が違う。ここの宗派であれば“和尚さん“と呼ばれることが多い。
雪華自身、幼い頃によくここでお菓子を頂いたり、おおじじ様に付いて仕事を学んだりする場でもあったと思い出す。
「後で家の者にええ茶菓やら持ってこさせまひょ」
一応お詫びと挨拶も兼ねて何か贈るようだ。
(さすが光留兄、気の利かないれい兄とは大違いだ)
「なんや失礼なことでも考えとるなぁ」
「べっつにぃ〜?」
「ほらほらもぅ行きますぇ。喧嘩しはるなら家でしよし」
((家ならえぇんか……))
またも衝突しそうになるので間に割って入る。
(水月院に着いたらまた揉めそうやなぁ)
とにかく今は水月院本家まで帰るのが先だと、光留は二人の背を押し家路を急かした。
「おやっさん!説明してくれよ!!」
特別警務部隊会議室、総隊長から隊員までほとんどが揃っている。
皆の前にはおやっさんが座っており、今野から追及を受けていた。
「雪華ちゃんを連れて行ったアイツらは何者なんだ?あんたなら知ってるんだろ」
興奮した様子の今野とは逆に落ち着いた様子の樋口だが、よく見ると瞳孔が開いている。
彼もまた、あの二人の所業に怒りを覚えているようだ。
「そうだな、こうなったらちゃんと説明しねぇとな」
おやっさんは少しすまなそうな顔をしている。
そして一呼吸おくと話し始めた。
「雪華の事を話す前にまずあの二人組だが、奴らはな“水月院”家の者達だ」
「「「……えっ?」」」
「水月院家って、国でも有数の秀でた陰陽師を輩出する名家だろ」
国から特別に許可され、門下の者に陰陽師の資格を付与できる大家五家の内の一つだ。
その名を知らぬ者はいない。
今野と樋口だけではなく周りの隊員達も驚きを隠せずざわついている。
「で?それと雪華にどう関係があるんです?」
周りとは逆に落ち着き払った、いや、どこか苛ついている様子の翔悟が訊ねる。
その雰囲気に気圧されてか隊員達も静まり返る。
「雪華は水月院家の門下生というかな……、その“れい兄“と呼ばれた男は現水月院家当主の孫で、まぁ雪華とは本当の兄妹のように育てられてきたんだよ」
つまりは名家のお嬢様で陰陽師としてもお墨付き、こんな一般の警務部隊が本来関われるような人ではないという事だ。
理解した途端、今野が慌てふためく。
「マジかよ!?俺全然フツーに対応しっちゃってたよ!そんなお嬢様だなんて知らなかったよ!!どうしよう!?」
「なんなら目の前で脱ごうとしてた時もありましたね。てゆーか皆のパンツとかも洗ったり……」
中西の言葉にさらにウワーッ!と頭を抱え出した。
(だから円様ともあれほど親しかったのか)
後で一人騒ぐゴリラを無視し、樋口は以前受けた護衛任務を思い返していた。
「おやっさん前に言ってたろ、“知り合いに頼まれて雪華をここに入れた”って」
どうやら樋口はその知り合いに見当が付いたらしい。
「その知り合いってのは水月院家現当主だな?」
「……そうだ」
はぁ、と小さくため息をつく。
これで全て合点がいった。
変に肝が据わっていることも、勘の良さにあの知識量や頭の良さ、全て水月院家で修してきたからこそだ。
「で?」
翔悟は随分と不機嫌な顔だ。
「今回のことはどうなんですか? 別に雪華が家出したわけでもねぇ、それなのにっ、アイツら、無理矢理奪っていきやがった……!」
ダンッと、畳の床を強く殴りつけた。
「落ち着け翔悟」
樋口が宥める。
今思い返してみると、あの二人は時間を気にしていた様子だった。
「おやっさんよ、何か隠してんだろ」
樋口の言葉にぴくりと眉が反応した。
当主からの依頼で預けられた雪華、それをあの二人も知らないはずがない。
「ここで俺らを止めるように頼まれたか?」
おやっさんに全ての視線が集中する。
そして、おやっさんの視線の先には、畳を強く殴り赤く擦れた拳が映っていた。
「……っはぁ〜、ゆーじよぉ、なんでそうオメェは……」
クソ、と小さく呟きながら頭をガシガシと掻く。
ジェルで固めたグレーヘアが乱れる。
「こればっかりは言えねぇんだよ、俺にはオメェらを守る義務がある」
(俺らを“守る”……)
「……何からですか」
翔悟が詰め寄る。
「何から守るってんですか……!」
遂にはおやっさんの襟を掴み、眼前で怒鳴り始めた。
「翔悟やめろ!」
「織田隊長!」
今野と中西が止めに入る。
「俺らに危害を与えうる何かが居て、ソレは水月院家を標的にしてるってことか?」
樋口の言葉に翔悟の手がピタリと止まり、
ただ黙って首を揺さぶられていたおやっさんは静かに告げる。
「……アイツらもよぉ、立場上仕方ねぇんだ。許してやってくれ」
否定も肯定もしない、今ので全て理解した。
樋口はしばらく無言のまま何かを思案する。
そして、意を決したかのように全隊員へ向き直り命令を下した。
「……隊を編成する!」
「オメェら……!」
樋口の隣には今野と翔悟が立っている。
二人も、いや、隊の全てが樋口の意向に同意のようだ。
「馬鹿野郎!もう今回は関わるなって……」
「おやっさんよ……」
今野が言葉を遮る。
「俺らにも立場ってモンがあんだよ」
「……それは一体どんな立場だってんだ」
おやっさんは彼の背中を見つめている。
すると、今野は後へ少し顔を向けてニッカリと笑った。
「仲間だ!!」
そんな理由でと呆気にとられる一方、彼らの想いその全てが大変好ましくもあった。
(やっぱりなぁ、こうなると思ったよ……)
大寿朗に足止めしろと言われた時から察しはついていた。
どんな手を使っても誰も止まらないだろう。
現に水月院家トップ二人にあれだけやられてもこの様子だ。
「ったく、骨が折れるねぇ」
「雪華ちゃん奪還部隊、出動だー!!」
「「「オオオオォォォォォォーッ!!」」」
今野の掛け声に、一気に皆の気焔が昂まる。
(今度こそ……!)
翔悟は一人、刀の柄を強く握り締めた。




