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エピローグ 二人目の……


 魔物の大群を撃退した王国軍は、王都への帰路に就く。行軍列の中には当然、リリとイッゼトの二人の姿もある。

 馬上の人となったリリの隣から、野太い謝罪の声がそっと足を運んできた。


「あの時は取り乱して申し訳ありませんでした」


 少女は声の主である男の薄ら赤い顔へ視線を向ける。リリ同様に騎乗した彼は、気恥しさからなのか、首どころか視線すら彼女ではなく前方へ真っ直ぐ伸ばし、ぶれることはない。そしてそのまま、訳を吐露した。


「我が祖国……だったオスマン帝国の軍は武器弾薬も事足りぬ状況で、かつて私が戦時に指揮した事のある一個軍においても、約八万の兵に対し砲の数はたったの一〇〇門弱。兵力は今回の八〇倍だったというのに、砲火力はたったの二倍に過ぎなかったのです」


 それに比べれば、先の戦闘は全くもって理想通りであり、つい感極まってしまったのだと。


「そう……私はあまりにも簡単に魔物を全滅させてしまったことに今も驚きっ放しだわ」

「王国軍に限らず、この世界の軍隊が魔物の群れに苦戦しているのは、強力な魔術を扱える者が極端に分散配置されているのと、個人戦闘への固執が原因でしょうな」


 彼は僅かに顔をしかめた。


(いにしえ)の英雄に対する憧れが強過ぎて、集団戦が軽んじられているのがこの世界の最大の問題です。個の武勇ではなく、規律と火力こそが勝利を掴むと理解してもらわねば」

「そういえば、魔力弾に耐性のある魔物対策として、魔力で金属の弾丸を撃ち出す新型魔銃や魔砲の開発を提案してたわね。あれも、火力強化の一環なの?」

「ええ、物理的には(もろ)い一方、魔力に対する耐性を持つ魔物もいると聞き及んだので。それに魔術による身体強化を得意とする戦士型魔術師を、砲火力に転用できないかと考えたのですが、魔力を装薬代わりに砲弾を発射させ――」


 二人の会話が今後の魔物対策に話が及んでいった時、王都の方から急使の騎馬が駆け込んで来た。興奮を隠そうともしない使者は、上気した笑顔を見せつけながら驚くべき報せを(もたら)した。


 (いわ)く、儀式の間から新たな英雄が現れたのだと。


 リリとイッゼトは部隊を将校達に任せて、王都へと先行した。馬に多少の無理を強いてまで急いだ彼女らが、息を切らせて王宮に入ると、既に中々の騒ぎが起きている。

 一度の召喚の儀で二人の英雄の魂が呼び起こされる、しかも日を大分置いてからなど前代未聞であった。

 イッゼトがほとんど魔力を有していない状態で召喚された事で、余っている筈の魔力が二人目の召喚に繋がったのではないかという、宮廷魔術師らの推測を聞き流しながら二人は、新たに召喚された者が待つ部屋へと突入する。


 そこには一人の男が立っていた。

 イッゼトと同じ円柱形の黒い帽子を被っているものの、黒っぽい軍服は少し形式が異なっている。詰襟や大きな折り返しのある袖口も、深紅の上に金糸が通って見栄えが良い。

 これまたイッゼトと同じような髭と割れた(あご)を持つが、瞳の形は彼より穏やかで、どこか眠たそうにも見える。

 男はカッと軍靴を鳴らして向き直り、自己紹介を行う。


「初めまして、ハサン・()()()()・パシャと申しま……」


 しかし、言葉の途中で開いた口が固まった。彼とイッゼトは互いの顔を凝視し、目が飛び出んばかりに首を前に出す。


「ア、アフメト・パシャ⁉」

「まさか、召喚された二人目がハサン・パシャだったとは……」


 大いに動揺する異界の軍人二人を余所(よそ)に、少女が天を仰ぎながら叫んだ。


「いや、だから誰だこのおっさん!」



 世界を魔物の脅威から救う物語は、まだ始まったばかりである。


アフメト・イッゼト・パシャ(1864~1937)


 アルバニア出身。陸軍大学卒業後、27~30歳の間ドイツ帝国軍に留学している。

 青年トルコ革命直後の1908年に参謀総長(軍人のトップ)となったが、政権を握る“統一と進歩委員会”からの人事変更要求に従わないなど、政治とはきっぱり距離を置いていた。

 1914年に政治圧力によって辞任させられるまで、ドイツから派遣された軍事顧問コルマール・フォン・デア・ゴルツと共に、オスマン軍の改革に尽力した。また第一次世界大戦の参戦に強く反対。そのせいか、1916年まで軍指揮官に任命されていない。

 第一次世界大戦終盤の1918年、タラート内閣退陣後の新組閣で、元帥(ミュシル)の階級を得ると同時に大宰相(首相)となり、ムドロス休戦協定によってオスマン帝国の大戦を終わらせた。

 戦後もアフメト・テヴフィク・パシャ政権で国防相と外相を兼任し、トルコ占領を目論む連合国とギリシャ軍に対する抵抗をある程度指揮した。(ムスタファ・ケマルらの活躍が大き過ぎて、この時のイッゼトの功績は隠れがちである)

 1924年、カリフ制廃止を巡って対立関係にあったムスタファ・ケマル・アタテュルクにより、政治生命を絶たれる。以後は政軍どちらにも関わらず余生を過ごした。


 教養深く謙虚な人柄だったという。母語であるアルバニア語以外にトルコ語、ドイツ語、フランス語、アラビア語、ペルシャ語を話せた。

 トルコ第2代大統領イスメット・イノニュは、自分がクラシック音楽を愛するようになったのは、少佐時代に受けたイッゼトからの影響だと回顧録で振り返っているらしい。


画像

https://www.birzamanlarcatalca.com/ahmet-izzet-furgac/



ハサン・イッゼト・パシャ(1871~1931)


 イスタンブール生まれ。第一次バルカン戦争(1912年)で第9歩兵師団を指揮し、少将(ミールリヴァー)に昇進。翌年の第二次バルカン戦争では、アフメト・イッゼト・パシャ率いるチャタルカ軍所属の第1軍団を率いている。

 第一次世界大戦においては、カフカース戦線(対ロシア帝国)を担う第3軍司令官として戦った。戦力に勝るロシア軍相手に当初は押されつつも、反撃で戦線を膠着させるなどよく善戦した。

 しかし、第3軍参謀長であるドイツ人、グーゼ中佐(同盟国ドイツから派遣された軍人)が発案した「サルカムシュ作戦」を他の将軍らと共に無謀であると難色を示した事を、親独派の陸軍大臣エンヴェル・パシャに咎められ、職務を解かれてしまった。グーゼとエンヴェルによって強行された作戦はハサン・パシャらの懸念通り、大失敗に終わっている。

 退役後は養鶏に興味を抱いていたらしい。


画像

http://turkeyswar.com/whoswho/hasan-izzet-pasha-arolat/


※なお、筆者は本作執筆開始まで上記の二人を混同し、“イッゼト・パシャ”という同一人物だと勘違いしていた。(「パシャ」は、「サー」や「ロード」に近いオスマン帝国における栄誉称号)


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