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前編 召喚

 

 白い布を被った少女は緊張そのものの面持ちで儀式に臨む。今、国の命運を賭けた召喚の儀が遂に行われるのだ。


「ふぅぅ、大丈夫。魔術陣を含めて必要な物は全て揃っている。魔力も十分。そう成功した時を想像するのよ、リリ」


 少女はそう自らに言い聞かせる。彼女ことリリは、召喚の儀を執り行う巫女(みこ)を任せられ、今まさにその責務を全うする直前にあった。


 召喚の儀。それは異なる世界より英傑の魂を呼び寄せ、術者と主従の契約を結ばせる魔術である。

 それまでは太古の魔術を再現し、無作為に異世界の人間を呼び出すのが主であったが、これは非常に欠点が多かった。


 召喚された者の能力や知識が要求基準より低かったり、能力はあっても人格に問題があり過ぎたり、そもそも術者や国に反抗的であったりとあまりに運任せの要素が強く、思ったような人材に巡り合える可能性は決して高い方ではない。


 そこで、実力が確約されている異界の英雄を狙って召喚する方法が模索され、試行錯誤の末にその方法が確立された。

 莫大な魔力と様々な希少素材を惜しげもなく使用するという、ともすれば国が傾きかねない程の高コストだが、異界の傑物の才智で得られる利益は対価を補って余りある。


 その重大事が自分に任せられた事実に、巫女リリは重責に押し潰されそうになっていた。

 首を振って万が一の失敗の想像を追い払い、逆にどんな英雄が現れるかという期待で頭を埋めようと努める。


 自分と契約するのはどの様な御方か。

 滅亡が近付いていた国に召喚され、国を救うどころか大帝国にまで押し上げたアレクサンドロスの如き大英雄だろうか。或いは自身を召喚した貧国を経済大国に育て上げた、アダム・スミスの様な内政で辣腕(らつわん)を振るう人物か?

 もしかしたら二十年程前に帝国での契約を終えたタケダ・シンゲンがかつてよく語ったという、彼の好敵手ウエスギ・ケンシンが来てくれるかもしれない!


「ふぅーすぅーふぅぅ」


 緊張を期待で上塗りする努力をする少女は、深呼吸の後に表情を引き締めた。

 魔術陣の中央に立ち、儀式に必要な言葉を紡ぎ始める。陣を遠巻きに囲う術師らも合わせて詠唱し始めた。

 やがて濃厚な魔力の気配で満ちた空間に、強烈な違和感が生じた。それは詠唱が進めば進むほど増大していく。


 ――来る!


 そうリリが感じた瞬間だった。

 魔石や魔獣の素材、異界の魂を引き寄せるというこの世界に流れ着いた異界の物品。儀式のために用意された全てが一瞬にして消滅し、この場に満ち満ちていた魔力が一点に集中する。

 そうして出現した不可思議に輝く魔力の塊は、徐々に人の形を成していく。異界より召喚された魂に、魔力で作られた仮初(かりそめ)の肉体が与えられているのだ。


 成功した!


 巫女の胸中から喜びが溢れんばかりに噴き出る。口角が自然と上がった。

 だがすぐに油断は禁物と気を引き締め直す。

 なにしろ相手は異界の英傑、自らを従えようとするなど不遜だとして、術者に襲い掛かって来る可能性も十分にあった。


 主従の契約が完了するまで何があろうと、術者を守る結界の魔術陣から一歩も出てはならないのが召喚の儀の大原則。足下をさっと見て魔術陣が正常に機能している事を確認した彼女は、顔を正面に戻す。

 いよいよ召喚された者の姿が定まったらしく、色合いが絶えず変化する形容し難い光が収まり始め、魔力の塊は一人の人間として地に足を付けた。


 巫女リリはじっくり自分が召喚した者の様相を観察する。


 まず若干横に太くがっしりとした体格から男性である事は見て取れた。土埃を思わせる淡い茶色、地球でいうカーキ色に染まった服を纏っている。

 左胸には幾つもの勲章がぶら下がり、右胸側には金色の紐が肩から胸、首元から脇に掛けて付けられていた。どう見ても軍服である。


 軍人という事は、召喚の儀の技術確立以前に異界人が語ったというロンメル将軍やもと、リリは期待に胸を膨らませた。

 異界より漂流してきた書物の写本で、エルヴィン・ロンメルなる名将の姿は(おぼろ)げながらもリリも知っている。


 彼女は目の前の男の顔をじっと見つめた。魔力の光が消失していく中、ようやく軍人の相貌がはっきりする。

 細く鋭い瞳、左右に先がぴんと立った髭が上唇を隠し、割れた(あご)の下にあるでっぷりしたもう一つの顎が赤い襟と共に首を埋めていた。

 そして少し膨らんだ腹は、前に出ようとしているところをベルトで押し込められている。


 黒い円柱形の毛織帽子を被った中年男性は、きょとんとした様子で周囲を見やり、自分の姿を見下ろして驚いたように目を見開く。

 それを呆然と見ていた巫女の口から、つい本音が飛び出してしまった。


「誰だこのおっさん⁉」


 リリの叫びが、反響を伴って儀式の間を駆け巡った。




 気まずい空気が支配する謁見の間で、リリは頭を低くするしかなかった。


 儀式そのものは成功し、異界人を呼び寄せてはいる。

 が、肝心の召喚された者は英雄という気迫が感じられず、正直に言ってしまえば戦場に立つより椅子を温めるのが得意な、よくいる軍のお偉方としか思えない。

 そんな人物を国王に引き合わせている現状へ、恥ずかしさと悔しさが同時に湧き上がる。

 一段高くされた床に敷かれた、絨毯の上で胡座(あぐら)をかく王の顔を見れずにいたまま、彼女は自身が召喚した男の名乗りに聞き入った。


「私はオスマン帝国……いやトルコ共和国のアフメト・イッゼト・フルガチと申します。天寿を全うした筈の私がここに立っているのは、この世界に召喚……されたからだという事は既に、こちらのリリ殿から聞き及んでおりますが……その、何故私如きが呼び出されたのでしょうか?」


 言い(よど)んだ“召喚”という言葉の中に、戸惑いを隠し切れなかった男からの問いに対し、宝飾品と鮮やかな布を頭に巻き付けた王が答える。


「イッゼト殿、いきなり見知らぬ国に、いや異なる世界に呼び出されて困惑しておるだろうが、面倒に思われることを重々承知して頼みたい事があるのだ。貴殿が召喚された理由でもある」


 厳しい表情の王から紡がれた言葉に、異世界より召喚された男、イッゼトは恰幅(かっぷく)の良い身体に見合わぬ素早さで、ぴっと姿勢を直立に正す。真に軍人らしい動きだった。

 この場で控えている衛兵より大分綺麗な、規律だった姿勢に、王は感心の色を瞳に浮かべつつも威厳を崩さずに言う。


「今この国、いや世界は魔物と呼ばれる怪物共の脅威に晒されておる。奴らを打ち払う助けとして、異世界より英雄の魂を、つまりは貴殿を召喚した。どうか、我が国に協力してくれぬだろうか」

「……(おそ)れながら、発言してもよろしいでしょうか?」

「構わぬ、率直に申してもよい」


 イッゼトは直立不動のまま、一度小さく頭を下げる礼をしてから口を開く。


「召喚の理由である魔物については、契約を結ぶ際にリリ殿より聞き及んでおります。魔物の群れは天災もかくやと言うべき被害を(もたら)すと。無辜(むこ)の人々を救う為に呼ばれたとあらば、それを拒むなど人の理を外れると契約を結びましたが……」


 (ひざまづ)いたまま横で聞いていたリリは、ほんの数時間前を思い出す。


 イッゼトが召喚された時、彼は最初当然ながら酷く戸惑っていた。

 人生を終えた筈にも関わらず、見知らぬ場所で息をしているというだけで混乱していたのに、空気を凍らせた例の叫びである。

 困惑を通り越して呆然とする彼へ、慌てて立ち直ったリリが召喚の儀について説明を始め、何とか事情を理解してもらう。

 しかし、すんなり契約を結ぶには至らなかった。


「死者の魂を好き勝手に使役するとは、到底納得できん。(わし)(アッラー)の審判を受けるまで静かに眠り続ける筈だったところを、無理矢理叩き起こされたという事ではないか」


 そう言って、やや不機嫌に眉の形を変えて瞳を鋭くさせた軍人は、契約に対し(がん)として首を縦に振ろうとはしなかった。

 これにリリだけでなく、召喚の儀に関わった魔術師らも口籠(くちごも)る。が、それで終わるわけにいかない。

 リリにも国の命運を賭した使命があるのだ。彼女は必死に自分達の国や世界の窮状(きゅうじょう)を訴えた。


 この世界には魔物と呼ばれる怪物が存在する。

 狼以下の害獣に過ぎないものから、たった一体で町が滅びに(ひん)しかねないものまで様々だが、共通して自分以外の生物を無差別に襲うという凶暴性を持つ。

 稀に群れを形成するが、ひとたび群れれば一国の軍隊でも苦戦を強いられる程の脅威と化してしまう恐ろしい存在であった。


 そもそもかつて無作為に異界の人間を召喚していたのも、魔物に対抗する術を求めての事だ。

 紆余曲折ありながらもやがて魔物の脅威が減じると、今度は国家間の覇権を巡って異界の英雄が求められる。

 そして各国が覇権争いにかまけているうちに、自然と魔物対策がおざなりにされてしまい、再び魔物の問題が再燃した。


 この王国でも魔物に領土を侵食されつつあり、このまま有効な手立てがないままでは早晩滅びゆくだろうと予測されている。

 リリの故郷も魔物の流入によって地図から消えた。彼女の里の場合、直接的に襲撃された事はほぼないが、近隣の村落が次々に襲われている。それらを重く受け止めた住人達が、身の安全を優先して泣く泣く故郷を離れていったのだ。


 こういった悲劇は最早珍しいことではなくなりつつある。今この時も、生命の安全を確保する為に生まれ育った村を捨てる決断をした難民が、近くの城塞や都市に身を寄せているのだ。


 苦しい現状とその起死回生を賭けた召喚の儀、これらを説明し終えたリリは、祈るような顔をして自ら召喚した男へ頭を下げる。

 どうかこの国を救って欲しいと。


 結果としてリリの泣き落としは成功したが、正直なところこの先不安しかない。主君たる国王とイッゼトの会話を聞きながら、彼女は憂いの溜息を飲み込んだ。

 耳に転がってくる話の内容では、イッゼトが召喚時に結んだリリとの主従契約を履行し、この国に協力することは一応決まったようだった。


不肖(ふしょう)イッゼト、微力ながらこの国の助けとなるよう尽力致します」


 英雄として召喚された冴えそうにない中年の男は、そう宣言して一礼する。リリも合わせるようにして国王へ頭を下げた。


 この時をもって二人は救国への道に乗り出す。不安だらけ、ではあるが。


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