第6章(その8)
それでも彼らは、河をどうにか渡って人間たちの都に肉迫しようという当初の目的に、健気にも忠実に従おうと懸命になっていました。橋には多くの群れが殺到し、まるで石造りの橋そのものが燃え盛っているようでした。橋までたどり着けないものは、河の流れに足を踏み入れたかと思うと、そのまま流れに足を取られて流されていくか、沈んでいくかというありさまだったのです。
敵はもはや総崩れでした。それでも、炎に包まれながらも人間の版図を少しでも脅かそうと、懸命にこちらににじり寄ってくるさまは、哀れでもあり、またまるでこの世界の終末のその時のような薄らさみしい光景のようでもありました。
人間たちがそんな事を考えていると、上空にただ一人残されてしまっていた魔王バラクロアが、地の底から響くような野太い咆哮を、怒りに任せて虚空にまき散らすのでした。
人々はいよいよ恐れおののきました。ついに魔王が、哀れな民衆を炎で焼き付くさんと自ら動き始めたのです。魔王は恐ろしげな形相のまま、ゆっくりと人間達の頭上にやってきたかと思うと、人の半身を模したその形状を崩し、巨大な火の玉へと変化していくのでした。
その火の玉が、巨大な災厄となって今まさに人々の頭上に降ってこようかという、まさにその時――。
その一瞬をまさに狙いすましたかのように、炎の魔人は低い位置から一気に急上昇し、まっすぐに魔王の火の玉へと向かっていくのでした。これぞまさに乾坤一擲、魔人の一撃がその火の玉を一瞬にして貫通したかと思うと……火の玉は次の瞬間ぎゅっと収縮し、そしてその次にはまばゆいまでの閃光とともに、勢いよく四散してしまったのです。
その炎の破片は、衝撃波とともに人々の頭上から雨滴のごとく降りそそいでくるのでした。破裂する前の巨大な火の玉よりはましと言えたかも知れませんが、それでもこのままではあの哀れな怪物たちと同じ末路を、今度は人間たちの方が辿る羽目になろうというものです。
人々はうろたえ、我先にとその場から逃げ出そうとするのでした。そんな中、賢者ルッソは彼方の空をしかと見据えたまま、必死に何か呪文のようなものを唱えていたのです。
「賢者さま! はやく逃げないと!」
「今更逃げた所で間に合いはせぬ! リテルよ、私の背中に回って、身を屈めているのだ。決して私よりも前に出るのではないぞ!」
ルッソはそう叫んだかと思うと空に向かって両手をかざしました。炎の固まりが今まさに降り注いでくる中、えいや、とばかりにまるで押し返すように手を上に伸ばすと、炎はまるで見えない壁にぶつかったかのように跳ね返っていくのでした。
リテルはその場にしゃがみ込んで――へたり込んで、といった方が正確だったかも知れませんが――いつの間にかルッソの左足に夢中でしがみついていました。そのまま上空を見上げますと、ルッソが空に巡らせた見えない壁が、落ちてくる炎を全て食い止めていたのでした。その壁は見れば平原に集う人々の頭上をすっぽりと覆いつくすほどの広範囲に及んでいるのが見て取れました。それまで右往左往していた人々も、下手に逃げまどうよりはその障壁の下方に留まっていた方が安全だと気付いたようで、その庇護の傘からあぶれ出る事のないようにとひとところに小さく固まって、嵐が……そう、まさに炎の嵐が通り過ぎるのを固唾を呑んで見守っていたのです。
果たして、一体どれほどの間そうしていたでしょうか。
時間にしてみればそれはほんのわずかひとときの事だったかも知れません。ですが縮こまって災厄の通過を待つ身にしてみれば、それはまさにいつまでも続いたまま、終わりなどやっては来ないかのように思えたのでした。見えない壁の向こう側は激しい雨滴のように炎が降り注いでいたのから、次第に荒れ狂う炎が果てしなく渦巻き続けるような有様に変わっていき、しかもそれがいつまでも晴れる気配を見せないのでした。間近で見ているリテルにはとくによく分かりましたが、いかな賢者ルッソとはいえこれほど広範囲にわたる防護壁ともなればそういつまでも張り巡らせ続けられるというわけでもなく、時間が経つにつれて次第に疲労の色が浮かんでくるのでした。
「……賢者さま!?」
「分かっている。分かっているとも――!」




