骨③
「…………どうも皆さんこんにちは。アニです」
黒髪の若い男が映る。どうやらスマホで撮影しているみたいだ。お決まりの挨拶だが、それに覇気は無い。
「ブレブレだな」
スマホを固定せず、ただひたすら自撮り。アニと名乗った男の顔色は悪く、意識も定かでない。まるで死人が喋っているみたいだ。
そしてどうやら、彼は台所で撮影しているらしく。その背後には飲みかけの水と、開封済みの何かの箱が置いてある。
「…………睡眠薬か?」分からない、直感だ。
「皆さんお元気ですか?」
男が歩き出す。やはり声に張りがない。舌も上手く回っていないように感じる。カメラ映えを気にして髪をセットしたのだろうが、雑なスタイリングのせいで清潔感をまるで感じない。
「僕は今日しにます」
カメラがブレ、一瞬だけ天井が映る。その次にはもうスマホは固定されており、男も派手なソファに腰を下ろす。
背後は白い壁だが、個性を出すためなのか、色々と装飾が施されている。……それでも、豆電球ほどの照明しか無いせいか、この動画からはまるで華を感じない。
「――――夢は見ますか?」
ようやくまともな画になり、男の顔もはっきりと正面から見える。しかし目の焦点が合っておらず。視点が定まらないといった様子は、まるでそこにいない誰かに怯えている様だ。
「真っ暗い。海の底にいるかのような夢を」
もはや脳がまともに働いていないのだろう。彼の話す内容は支離滅裂だ。
「何度お願いしても。僕はここで終わりなんです」
薬が効いてきたのか、男が何度も頭を落とす。呼吸も荒い。それでも彼は必死に口を動かす。まさに口だけが生きている。そんな感じだ。
「最初だけ全部でした。でもそれからは全部ここです。気づけば一週間経っていて。違う僕が生きていて……」
次第に呼吸は落ち着く。だがやはり、彼は部屋の一点を何度も何度も見返す。一体そこに何があるんだ?
「あ、もう限界が来ました。…………でも多分、ホネのやつではないと思います」
目をこすりながら男は舟をこぐ。その時スウェットの袖から腕が見えたが、人間の物とは思えない程、彼の身体は痩せ細っていた。
「皆さんも……。これ……ら。へん。だと思います。ですが……。うか」
最早カメラすら見ず、うつむきながら必死に睡魔と戦っている。動画を撮った後で飲めばよかったのに。
……いや違うか。彼は不安に押し潰されそうになったのだ。だから少しでも気を紛らわせたかったのかもしれない。彼にとっての夢だったもので。
「ごめんなさい」
その言葉と共に、彼は撮影を終えた。でも何か引っかかる。
【俺】はその後もう一度動画を再生した。まともに寝ておらず、限界も近かったが必死に探した。自分の中で引っかかる何かを。
――――そして最後のエナジードリンクを飲み干し、2日間掛けて積み上げてきたカンカンタワーを完成させる。
「……骨。佐藤さんも同じようなこと言ってたな」
佐藤と会うのは今日だ。今日の16時。再びあの喫茶店で。
「やっぱり何か関連があるのか。…………今日の取材で全部聞いてやる」
疑念が確信に変わり、【俺】は一つの達成感も感じていた。しかし脳は限界だった。歳を取ると徹夜が体に響いてしまう。
もうだめだ。眠い。2日間ほぼ寝てない。流石に昔の様には行かないか。
――――背もたれを頼りに大きく後ろに反り返る。脳に血が通うあの感覚はとても気持ちがよく。私はそのまま目をつむり眠りに就いたのだ。
そして、あの夢を見た。
――――なんだ? 落ちてるのか?
「なんだっ?」
真っ暗だ、夜か?
何が起きているのか分からない。だが落ちているのは確かだ。暗すぎて地面との距離が掴めない。それどころか、空には1つの星すらも見当たらない。
それでもただ一つ分かるのは、落ちてはいけないということ。
「くそ! 何なんだッ!」
目が慣れてきた。遠くに雲が見える。でかい雲だ。夏によく見る積乱雲よりもずっと巨大だ。下はどうだ? 下は…………。
――――――――海だ。
1回目の事はあまり覚えていないが。海なのか湖なのかも分からない水の塊に落ちた時。【私】は目を覚ました。
「痛って、ててて」
目の前に見覚えのある天井が広がる。窓から差し込む陽射しが眩しい。椅子から落ちたのか?
曲げようとすると首が痛い。それに高山の笑い声も聞こえる。なんだ夢か。ああ、眠たい。あと10分だけ寝よう。
「――――ッ!」
【俺】は飛び起きた。佐藤と会うのは16時。今何時だっ?
「よく寝てましたねー。まだ14時ですよ」
椅子を逆にして座り、背もたれの所に腕を置いて俺を見下ろす高山。
来てたのか。こいつに寝顔見られたのは最悪だ。多分写真も撮ってる。いや、いくら写真好きでもその辺の節度は持ってるか。
「いってて。…………いつから居るんだ?」
眠い目をこすりながら、激しく痛む首筋を抑える。きっと無理な体制で爆睡してたんだろうな。奇妙な夢も見てた気がするが、何だっけか。
「――――昼頃っすかね」
椅子を起こして座りなおす。5時間も寝てたらしいが、しかし頭はまだスッキリしない。
「日高さん。全く寝てないんですか? てかエナジードリンク飲みすぎ」
積みあがったカンカンのタワーを、物珍しそうに眺めながら言った。――――それ崩したらころす。
「それ崩したら殺すからな」
「はいはい片付けましょうねー」
高山は不燃物のビニール袋を手に持ち、俺のカンカンタワーを頂点から崩した。ま、片付けてくれるならいいか。
「――――それより、大学では何か分かったか?」
慣れた手つきでゴミを分別しながら、高山は答える。
「自殺者と成功者の関連性は分かりませんでした」
丸まったティッシュペーパーを、UFOキャッチャーの様につまみ上げると、如何わしい物を見てしまったと言わんばかりに、それを袋へと投げ入れる。何か勘違いしてないか?
それでも彼女は声色を変えずに続ける。
「でも、先日取材した佐藤なんですが。たまたま彼の学友に会ったんで話を聞いたんですけど、どうやら佐藤自身も、ある日突然奇声をあげていたらしく、それからは一切学校に来なくなったそうです」
「…………それは、俺たちと会った後の話か?」
「いえ。その2週間前です。その友人が言うには、金回りが急によくなったのも、それからだそうですよ」
「奇声を上げても自殺しなかった?」
自殺者の共通点は、皆一様に奇声をあげていたということ。それなのに佐藤はまだ生きている?
…………だめだ頭が働かん。
「あと急に宗教にハマったとか言ってましたね。それまで全く興味なかったらしいんですけど」
あごに手を添えて、突拍子もない事を口にする高山。
なんでここで宗教なんて言葉が出てくるんだよ。神を信じたおかげでお金持ちになったってか?
…………いや待て。
「わかったぞ」
あれ、何が分かったんだっけ?
「何がですか?」
「殺す人間と生かす人間を、秘密結社が選んでいるとか?」
ああ、駄目だ。一体何言ってるんだ俺は。テンションがおかしい事になってやがる。都市伝説でもあるまいし。
「日高さぁん。この大きいゴミはどこに捨てますか?」
高山がほうきの柄で俺を突く。
俺はゴミかよ。どんどん生意気になってくな。しかし高山のおかげで、今日の取材で聞きたい事が増えた。熱いに展開になってきたぞ。
――――そうして高山が部屋の片づけをしてくれている間に、俺は身支度を済ませる。寝不足で頭の働きは悪いが、そんなのはもう慣れっこだ。
「よし。そろそろ行くか」
二日ぶりの風呂とシェービングを済まし、道具一式を背負う。熱いお湯を気持ちいいと思ったのは久しぶりだ。
「取材ですね」
「ああ。今回のは多分荒れるぞ。前回の分含め、聞きたいことが山のようにあるんだからな」
「――――ボコボコにしてやりましょう」
そうして【私】たちは、均等にならずとも大差のない熱を腹に抱えて家を出た。
まさにその瞬間。私たちが家の玄関を出たその瞬間に、その熱意が打ち砕かれたとも知らずに。