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瑠②


「お願いします。お願いします。許してくださいっ」


 これまで溜めていたフラストレーションが爆発した。


 ――――結局、美穂と奏を轢き殺した高校生は少年法によって刑が軽くなった。だがその後の裁判で、誰もが青ざめる程の賠償金を勝ち取り、報道されなかったガキの顔と名前はネット上にバラまいた。

 その時の感情を俺は覚えていなかったが、今再び、俺の中で“それ”が蘇ろうとしている。名前が付いていたよな。確かあれは……。そうだ、愉楽だ。


 気づけば男は血まみれで倒れていた。顔面は晴れ上がり、目鼻と口から血を吹き出している。この男は果たして、俺が想像したことを実際にやっていたのだだろうか?


「…………そうだ鍵」


 鍵だ。探さなければ。


 そうして鍵を探し始めて数分経った頃に、拳に痛みが走った。そしてその痛みと共に思い出す。結局俺は、何も変わっていない。


 平常心を取り戻し、冷静に自分のしたことを考える。幸い拳は砕けていないようだ。それでも滲む激痛。この男を殴っている時、一体どんな顔をしていたのだろう。こんな俺を見たら、高山はどう思うかな。


 そして、死んでいるのか、果ては生きているのかすら分からない男のポケットから鍵を見つける。


「これだ」


 頭の中でひしめく雑念を押し殺す。今は行動しろ。何も考えるな。

 ――――それでも俺は叫んだ。声と息と共に吐きだした。自分の叫び声じゃないみたいだ。どこから出てるんだよこの声。


 両手の掌で自分の顔を弾き、鍵を握りしめながら彼女の元へと向かう。


「見つけたぞ。もう少しだからな」


 少女は安心したのか、薄暗い明かりの中で安堵の表情が伺える。もう安全だと言ってあげたかったが、それを言えるほどの自信はまだない。

 暗がりの中で必死に鍵を探す。少女の手錠に合う鍵を。


「…………お願い早く」


 祈るような声に焦らされる。そして手の錠が外れた。あとは足だ。もう少し。あと少し。落ち着け。大丈夫。

 少女の祈りが通じたのか、足の錠は直ぐに外れた。


「――――立てるか?」


 下にいた信者達に比べると、この少女はまだ健康そうだった。それでも少女の足取りはまだおぼつかない。


「うまく立てないよ」


 見かねた俺は少女を抱える。彼女は思っていたよりもずっと重い。それもそうだ、お腹に子供がいるのだものな。だがこの重さが俺を正気のままでいさせてくれる。


「ありがとうございます」

 少女は俺の首に腕を回した。震えた手。あの日の高山を思い出す。

「大丈夫。それより気を強く保てよ」


 何度も小さく頷く彼女に、俺も頷き返し、狂った妊婦たちを横目に出口へと向かう。

 彼女達は終ぞ俺を見なかったが、その言葉は確かに俺に向けられたものだ。

 しかしここで、1人の妊婦と目が合う……。


「――――ああ! 悪魔が冥府へ連れて行こうとしてるわ!」


 その妊婦がそう叫んだ瞬間、その言葉に反応したのか、それまでベッドの上だけで叫んでいた妊婦たちが、次々とベッドから立ち上がる。


「駄目え! その子を返してえっ」


 その鬼の様な形相を見ても尚、逃げない者などいるのだろうか。

 彼女らが一斉に立ち上がった時、俺は一目散に走っていた。妊婦とは思えない走りで追いかけてくる彼女達を、最早人間だとは思わずに。


 やっとの思いで部屋の出口にたどり着くと、俺はすぐさま少女を降ろし、全体重をかけて扉を塞ぐ。ところが、妊婦たちは扉を叩くどころか、物音ひとつ出さずにいる。あれだけ声を荒げていたというのに。


「…………何なんだよ一体」


 震える手を抑えながら、扉から一歩距離を置く。しかし不気味なことに何も起こらない。――――助かったのか?


 それでもやはり、俺は根っからのジャーナリストなんだろうか。沸き起こる好奇心を殺せない。この扉の奥で、彼女達が何をしているのかを知りたい。

 恐怖心と好奇心が殺し合う。もちろん勝ったのは後者だ。この期に及んで俺はまだ、これまでの事を記事にしようと考えているのかもしれない。

 再び扉に近づく。重い一歩だ。

 ドアノブに手を掛ける。冷たい感触が神経を刺激する。

 ノブを回そうとするも手が動かない。動悸が早くなる。俺の呼吸だけが聞こえる。

 次だ。次で開けよう。波のように押しては返すタイミングに俺は戸惑っていた。


「――――何してるんですか?」

 その声と共に我に返る。

「やめてください。もう嫌です」


 かなり弱った声だ。小枝のように折れてしまいそうな透き通った声に、俺は

「そうだな」と扉から離れた。


「この下に仲間がいる。そいつの所まで行こう」

 そういって俺が少女の手を掴んだ時、彼女が言う。

「あなたが探している人。あたし何処にいるか知ってます」

「えっ」


 思わず声が出た。それもそうだ。こんな意外な展開になるとは思っていなかったからな。だから握った少女の手を離し、彼女の両肩に手を置く。


「どこに。どこにいるんだ」

 少し力を入れただけで砕けてしまいそうなその肩を、俺は軽く揺さぶる。

「この屋上です。そこに彼女はいます」

「ありがとう」


 希望の光が見えてきた。俺は直ぐにでも屋上に行きたいが、この少女を置いていくわけにもいかない。

 ――――くそ。あの男は一体何してんだよ。


「君、一人で下の階まで行けるか?」

「なんとか。行ってみます」


 いやいや、まだ二十歳手前くらいの少女に俺は何言ってんだ。助けた責任ってやつがあるだろ。彼女は立っているだけでもやっとなんだぞ。

 そして思い出す、あの約束を。


「やっぱ今の無し!」


 俺は少女を丁寧に抱え、そして素早く、細心の注意を払いながら階段を降りる。3階から1階まで80キログラムはある少女を抱えながら。


「本当にありがとうございます」


 降りる途中、彼女がそう言った気がした。でもその言葉が頭に入る余地なんて無い。一刻も早く高山の元へ向かわねば。


「――――おい! 後は分かってるんだよな?」


 1階にたどり着くと男が静かに座っていた。その周りには5、6人の死体が転がっている。本当に見張っていたようだ。そして男は、俺の言葉に静かに頷いた。


「頼んだぞ!」


 乱れた呼吸を整えもせず、俺は再び階段を上がる。

 待ってろ高山。今迎えに行くからな。


 そうして妊婦達がいた3階まで登り、そこから更に屋上へと続く階段を上がる。登り切ったところで、立ち塞がるようにアルミ製の銀色のドアが目に入ったが、俺は階段を登り切った勢いのまま、そのドアをぶち破った。


 ――――そして飛び込んで来たのは、満点の星空に大きな満月。ずっと薄暗い建物の中にいたせいか、その新鮮な空気に俺はこの上ない安心感を得た。体が浄化されていくような感覚。素晴らしく心地がいい。


 俺は急いで辺りを見回す。あるのは変電設備と小さなプレハブ小屋だ。そしてその小屋からは、微かだが光が漏れている。


 一歩、また一歩と近づくにつれ歌声が聞こえてくる。それは信者達が歌っていたものとは違う歌であり、綺麗な女の歌声だ。しかし不気味な歌に変わりない。


 突然、小屋の引き戸がカラカラと小気味の良い音を響かせながら開く。

 ――その瞬間に備えて、息をのんで構える。すると中からは、俺と同じくらいの歳の女が姿を現した。


「日高様ですね。お待ちしておりました。高山様は中で眠っておられます」


 初対面の女だが、その物腰の柔らかさと、高山の名前を聞いて不覚にも俺は安心してしまった。

 女は僧侶の様な衣服を纏っており、後ろで束ねた三つ編みは、腰に届くくらいの長さはある。下にいた奴らとは違い衣服は清潔で、血の通いが良さそうな顔をしている。どこからどう見ても健全だ。


「――――誰だ?」

 女は両手を合わせ深くお辞儀をする。


りゅうの祖。名を、神田麻陽(かんだあさひ)と申します」

 神田? 神田ってあの男と同じ苗字?

「神田陽道はるみちは私の兄です」


 どういうことだ。それならあの男、神田は何しにここへ来たんだ? 妹を説得に? いや、だとしたらあいつもここに来るはずだ。


「あいつも瑠の信徒なのか?」

 麻陽も他の預言者と同じように感情が無く、そして淡々とした口調で話す。

「はい。“暴走する前の”ですが」


 暴走する前? てことは何だ、昔は健全な宗教だったとでも言うのかよ。笑わせる。あれだけの事をしておきながら。


「どうせ昔もカルト集団だったんだろ? それが殺人集団になっただけだろうが」

 しかし俺の挑発にも乗らずに、麻陽は眉根1つ動かさず言葉を返す。

「その通りです。医者だった私と陽道は昔、千里眼を持つ自殺志願者を、一切の苦しみも無くあの世にお送りすることを目的として活動しておりました」


 まるで台本を読んでいるかのように女は続ける。


「しかしある日、一人の男が来てこう言いました。あのお方は我らをお救いくださる究極生命体だ。我らは授かったこのお力を有意義に使わねばならぬ。と」


 麻陽は星空を見上げる。


「あなたも先ほど、その男に会ったはずです」

 誰だ? 1階で神田に頭を刺されたあの預言者か?

「そしてその男が現れてから、千里眼を持つ者たちは一人として来なくなりました。ただ一人を除いて」

「佐藤か?」


 簡単な消去法だが、口に出さずにはいられなかった。そして麻陽は「そうです」と頷き、話の続きを始める。


「彼らは千里眼を利用し、一般の方を次々と瑠に入信させました。もちろん私も陽道もそれを阻止しようと試みましたが、失敗することは既に決まっていました」

「未来が見えるってのも考え物だな」


 皮肉屋を気取ってそう小馬鹿にするも、麻陽は機械の様に話を続ける。――――こいつ、俺に話しているんだよな?


「そして彼らは祈り始めました。異教の神を崇拝するように。一般の方々に千里眼を授けると嘯きながら」


 祈るように淡々とした口調で話す麻陽。

 大体の粗筋は分かったが、俺にそんな話をしてどうしたいんだコイツは。それにまだ分からない事も沢山ある。


「下の妊婦たちを、貴方もご覧になったと思います」

 俺の心を見透かすように、彼女はその話を繰り出す。

「ああ。一体何が目的なんだ?」


 思い出すだけでも胸糞が悪い。多分どんな答えが返ってこようと、この気持ちだけは消えることは無いだろう。


「彼女たちの妊娠は、都の住人を産ませる事が目的です」


 急に話が飛躍する。そもそもこいつが常人である保証もどこにもない。あまり真に受けないほうがいいのではないか……。


「貴方も行った筈です。海の底に聳えるあの禍禍しい都に」


 ぼんやりとだが覚えている。あれが建物だという事も何となく理解していた。

 けど、その住人って何だ? 


 細菌の様に脳内で増殖するその想像によって、今まで感じたことの無い無力さが、俺の精神を侵し始める。


「彼らは都の住人を産むことで、自分たちも神の従者になれると信じていました。

もちろん、産まれてくるのはただの赤子です」


 期待されていたのが化け物なら、普通の子は一体どこに行ったんだ? 少なくともこの施設に赤ん坊はいなかったはず…………。


「高山様も、受種の儀を行う予定でした。――――ですが」

 ですがって何だ。駄目だ、続きを聞くのが怖い。高山に今すぐ会いたい。

「高山様は既に子を授かっていました。だから私が保護したのです」


 【私】はこの時、彼女がそれから言う言葉を信じることが出来なかった。というより、信じたくなかった。正直なところ、今でもそうであって欲しくないと願っている。


「……………なんだって?」

「彼女。高山様が孕んでいる赤子は、人の子ではありません。ましてや都の住人等といった矮小なものでもない」


 女は静かに微笑む。雲から出てきた月明かりが、それを一層美しく映えさせえる。まるで高潔な天女のよう。


「何、言ってんだ?」


 しかし月光に頼っても尚、その目に光は宿らない。口元は嗤うが、その他はまるで無感情だ。


「高山様は日高様の子を授かっています」

「――――は?」

「ですがその夜に彼女と交わったのは、日高様であって日高様ではない者。貴方が眠り、器が空になった時、代わりにその器を満たしていた者」


 この世に存在しないような言葉を述べる女。そんな彼女の表情からは、滝のように感情が溢れ出ている。


「ち、ちょっと待ってくださいよ」

「そして子を作った! 神が産まれる前の神。その古き者の子を!」


 両腕を目一杯広げ、女は天を仰ぐ。正気ではない。彼女の脳も侵されたのだ。


「いあ! いあ! っくるう! っくとるう! ああッ。なんとお美しき姿でしょう! 我が御主おんあるじよ、我らの子らを、主のおわす大いなる奈落にお導き給えっ。あははは!」


 女は声高らかに笑いながら、舞を踊り始める。


「…………狂ってる」


 私が屋上で初めて彼女に会った時、麻陽は確かに正気だった。しかし何処かで彼女は気が触れてしまった。理解の範疇を超えた何かに、彼女は侵されたのだ。


 そしてそのまま麻陽は、私の目の前で屋上から落下し、間もなく死亡した。そうして宗教団体“瑠”は指導者を失ったのだ。

 神田が言うには、麻陽は全身の骨が砕けてもなお笑っていたそうだ。


 彼は恐らく、自らの妹が死ぬ間際を、その最期を看取ってやりたかったからこそ、私を連れてここに来たのだろう。

 何度も見てきた最後の最期を、その目に焼き付けるために。


 ――――そして私が3階から救出した少女。名を清水由香しみずゆか。彼女もまた発狂し、意味の分からない言葉吐きながらあの部屋に戻っていった。


 そうして眠ったままの高山を連れ、私たちは瑠の施設を後にした。



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