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13/15

瑠①

 電気自動車はモーター音を籠らせながら適当な場所に停まる。敷地内はオレンジ色の電灯によって足元が見えるくらいには照らされていた。


「説明しろよ。本当の狙いは何だ?」


 声を荒げる。状況がつかめていないのは俺だけなのだから仕方ない。先ほどの警備員たちも、この男も、まるで台本があるかのように事を進めている。


「これでいいんだ。俺たちにとっても、彼らにとっても」


 相変わらず他人任せな回答だ。こういうのが一番嫌いなんだよ。映画でも小説でも。個人の裁量で決まる答えっていうのが。


「行くぞ」

 男はそれだけ言って車を降りる。

「荷物はいいのかよ」


 道中バックパックの中からエナジードリンクを数本取り出しただけで、男はそれ以上それに触れることはしなかった。

 まさかと思いバックの中を覗く。案の定その中には缶コーヒーやエナジードリンクが詰められているだけで、それ以上の物は何も入っていなかった。


「ちょっと待てって!」


 男は唖然とする俺を気にも留めず歩いていく。知らない土地の知らない人間。そして知らない施設に足を踏み入れようとする中で、今頼りなのはこいつだけだ。


「ほんとに宗教施設なのかよここ。もっと神社っぽい感じだと思ってた」


 だがそこが不気味なところでもあった。窓には一切の光が無い。恐らく板か何かで塞いでいるのだろう。一見すれば普通の建物だが、細部の方まで目を向けるとその異常性が垣間見られた。


 建物の入り口には所々に木の枝が打ち付けられており、同じく材木で作られたシンボルマークの様な物。中に入れば、その辺の落ち枝で作ったような継ぎ接ぎだらけの物体も目に入る。それは何かの動物を表している様にも見えた。


「まるで骨格標本だな」


 気持ち悪いと言おうとしたが止めた。どこかでコレを作った奴が聞いていて逆上するかもしれないからな。


 男と俺は薄暗い廊下を歩く。何の飾り気もない無機質な空間を、ただ足音だけがこだまする。そして次第に音が聞こえてくる。男女の声だ。それも沢山の。


「おい、どこに向かってるんだよ」


 しかし男は答えない。


 廊下の奥から聞こえる騒めきはどんどん大きくなる。そして嫌でも耳に入ってくる声量になった時、それが“うた”であることに気付いた。


「歌ってるのか?」


 手拍子だけの単調な律動。それに合わせるかのように歌う男女のしゃがれた声。


 足が前に進むにつれ音量は大きくなる。例えようもない恐怖が押し寄せてくる。最早耳を塞いでも聞こえてくるまでに歌は成長した。

 しかし手拍子がピタリと止み、霧のように歌声も散ってゆく。


「――――この扉の先だ」


 両開き戸の前で男が俺にささやく。俺が黙って首を縦に振ると、男はドアノブに手を掛ける。自然と呼吸が早くなる。息が苦しい。…………こわい。


【かけまくもかしこきわがあるじよ】


 男がドアノブを回すと、掌を叩く音と共に、再び歌が始まった。さっきと同じ歌に聞こえる。ずっと繰り返してるのか?

 鉄製のドアが嫌な音で泣き叫びながら開いてゆく。


【おおいなるならくのねもとに】


 扉の向こうには夥しい数の蝋燭と、染みだらけの白装束を纏った人間が隙間なく詰められている。それと同時に漂う悪臭。液状の何かで床がぬかるんでいる。

 脂汗が染みついた髪。白色とは呼べない装束。腐臭を漂わせるヘドロ。こいつら、一体いつからここにいるんだ?


【おわすしんれいのおすがたを】


 彼、彼女らは大広間の祭壇にそびえ立つ石像を拝むように合唱している。それが何を模しているのかは到底理解できない。そして石像の下には、錆びれた観音像が力なく転がっている。


【あがめたてまつるわれらにそのみたまをあらわしたまう】


 その異様な光景に圧倒され、俺は体を動かしたくても動かせないでいる。そもそも何でコイツらは俺たちに目もくれないんだ?


【われらのみこととこんぺきのだいちをさしあげまする】

【まうすことをきこしめせと】

【かしこみかしこみもうす】


 歌が終わった。最早歌とも呼べないほどの邪悪さだ。このしゃがれた声も、ここでずっと歌っていたから声が枯れたのだろう。まさに狂った様に。


「お待ちしておりました。神田様。日高様」


 石像の一番手前で奉唱していた男が口を開いた。最早、骨と皮だけのような痩せ細った体系で、身に纏っている白装束も黄ばみが目立っている。

 そもそも何で俺の名前を知っている。佐藤から聞いたのか?


「会うのはこれで357回目でございますね」


 白装束の男がそう言うと、周りにいる信者であろう男女が、一心不乱に笑顔で拍手をする。

 357回目。ということはこいつが教団の預言者か?


「っああ。っああ。っくう。っくう。遂に我らは御主の元へと行きまする!」


 男が動物の鳴き声のような奇声をあげると、周りの信者達も似たような言葉を叫ぶ。さっきの合唱より酷い声だ。脳が本能的に拒否しているのが分かる。それだけじゃない。この空間の全てを身体が拒否している。


「嗚呼ああ。神の息吹を感じる。我らの血肉は今一度一つになり、我らは次なる赤子に全てを捧げる。っああ。っああ。っくう。っくるう!」

 その次の瞬間、1人の女がこちらに向かってきた。手には包丁。俺たちを殺す気だ!


「後ろに下がれ」


 隣でただ黙っていた男が、ようやく口を開いたかと思うと俺を手で押しのけた。

 女は振りかざした包丁を男に目掛けて振り下ろす。しかし男はそれを華麗に避けると、包丁を奪い、女の首を掻き切った。


 力なく倒れる女、それを見ていた信徒達が、一斉に男目掛けて駆け出した。


 ぬかるんだ床に足を取られ転倒する者。我先にと他の信者を押し退ける者。邪魔する者を刺し殺す者。転がった死体の血を啜る者。全員が全員正気ではない。…………地獄だ。

 ――――まさに多勢に無勢の状況だが、男は1人ずつ確かに殺していった。その身に一切の傷を負わず、殺陣を演じる役者のように。

 男の足元に死体が積み重なる。だが男はそれに臆することもなく、むしろそれを足場にして信者達を次々と刺し殺していく。殺し合いではない。虐殺だ。


 そして遂に男は預言者にたどり着く。

 血まみれの男を前にして、預言者は両手を合わせ深々と頭を下げた。そして呟く。


「掛けまくも畏き我が主よ。大いなる奈落の根元に――――」


 預言者がそこまで言ったところで、男は手に持っていた包丁をその頭に突き立てた。これで終わったのか?

 頭から血を流しながら預言者が倒れると、生き残りの信者達が彼の骸に群がる。


「千里眼が死んだ!」

 その言葉を先頭に次々と信者たちが喚きだす。

「次の千里眼は俺だっ」

「――――私よ!」


 絶叫。信者たちは千里眼と呼ぶ男の死体を引っ張り合う。似たような言葉を吐きながら。しかし一人の信者が叫ぶ。


「みんなで食べよう! みんなで食べよう!」


 その言葉で一瞬静まり返ったが、その次にはそれに賛同する言葉が飛び交った。とても人間の喉から発せられた声とは思えなかった。


「みんなで食べよう! みんなで食べよう!」

 信者たちは死体に食らいついた。


「――――行くぞ。ここはもう終わりだ」

 男は顔に着いた血を拭うこともせず俺に言う。

「あ、ああ。そうだな」


 俺と男はその光景を最後まで見届けることはせず、その場を後にすることを決める。多分あの光景は一生忘れられないだろう。あの匂いも、あの信者たちの顔も全て。


「高山はどこだ」


 忘れていた訳ではない。あの場の空気に圧倒されてはいたが、常に頭に浮かぶのは高山だ。ただ、この狂気に満ちた建物の中で、高山は無事でいるのだろうか。


「多分この上の階だろうな」

 ――――多分?

「多分ってどういうことだよ。これも夢で見たんだろ?」

「夢で未来は見れる。ただし自分の未来だけをな」


 あれだけ激しく動いた後だというのに、男は息を切らすことなく淡々と言葉を吐いた。怒りが込み上げてきたが、こいつのおかげでここまで来られたのだから仕方ない。


「上は安全だ。俺はここで見張っておく。行ってこい」


 その言葉を聞き、俺は左手にある階段を駆け、踊り場を回りさらに上がる。一刻も早く高山と逃げ出したい。あの日常へ。日差しの下で寝そべるような心地のいい日々へ。


 階段を上り終える。目の前には1階と同じような廊下がただ広がっている。

 端からだ。そこから向こうの端まで順番に部屋を見て行こう。


 廊下の端にたどり着く。下と同じ両開き戸が再び目に入るが、先ほどのような歌は聞こえてこない。少しは気が楽だ。

 口の中に水分は無く、乾いた嚥下だけが喉の奥をつぶす。上がった息もさらに荒くなる。この奥に一体何があるのか。その想像が扉の開を妨げた。


「大丈夫だ。落ち着け」

 酸素を深く肺の奥にまで入れ込む。そして、大きく吐くのと同時に扉を開ける。

「…………なんだ?」


 奥の広間は真っ暗だった。鼻につく甘ったるい嫌な臭いもするが、下に比べたらマシなほうだ。

 スマホのライトを点ける。その瞬間部屋の全貌が明らかになるが、消えた蝋燭と染みだらけの布団が隙間なく敷き詰められているだけで、後は何もない。だがこれ以上足を踏み入れることを身体が拒否している。

 信者たちの寝床か? まあいい。ここに高山はいない。


「次だ」


 その部屋を後にして次の部屋へ向かう。まるで学校の様な作りだ。廊下に響くのは俺の足音だけ。聞き耳を立てると何か聞こえるが、それがこの階の音なのか下なのか分からない。


 次の扉を目の前にする。今度は引き戸だ。小さなガラスが組み込まれていて、中が見える構造になっているが、やはり内から塞がれている。

 扉に耳を近付け意識を集中させる。

 よかった。何も聞こえてこない。


 ――――扉を開ける。


 廊下の明かりが中をぼんやりと照らす。教室程の広さの部屋が目に入るが、しかしこの部屋にも何もない。椅子一つ無いがらんどう。


 中に入り窓辺に立つ。やはり窓は全て分厚い布で塞がれている。俺はおもむろにその布を掴み、引き剥がす。

 月明かりが入ってきた。よかった。月だけはいつもと変わらない。


 ふと目の端に光がちらつき、気になったので窓を開けて地面を見下ろす。

 建物の裏側だ。俺たちが駐車した場所とは違い、何かを燃やしたような焦げ跡がちらほらと見える。――――すると今現在も何かを燃やす作業着姿の男が見える。


 焦げ臭さの中に少し香ばしい匂いも混じっているが、一体何を焼いてるんだ?


 手に持っている物を注視すると、小さな人形の様なものを火の中に放り込んでいる。男は何か呟いているようだが、ここからでは何も聞こえない。

 ……ここはもういい次の部屋へ行こう。


 それから全ての部屋を覗いたが、結局その階には何もなかった。だが何もないなら次の階だ。


 そうしてまた階段を上る。ここが最上階だ。

 もし、もしこの階にも高山がいなかったら……。いや、そんな考えはやめろ。今はただ俺に出来ることをやるだけだ。


 再び端から順番に見ていくために俺は歩く。しかし扉に近づくにつれ次第に物音が聞こえてきた。扉の目の前に立ち、ゆっくりと耳を当てると、そこから聞こえてくるのは穏やかな息遣いと機械音だ。


 ドアノブをゆっくりと回し扉を開ける。音が出ないように慎重に。――少し扉が開くと、中から光が漏れた。

 俺は覗き見るようにドアの隙間から中の様子を伺う。


「なんだこれ」


 そこから見えたのはベッドに横たわる妊婦たちと、そのバイタルを調べる機械群だった。他の部屋と比べてかなり清潔だが、それでも、とても妊婦が安静にできるほどの環境ではない。


 大部屋にすし詰めにされ、十分な換気もできておらず、妊婦は皆顔色が悪い。おまけにサイドテーブルには汚れた食器が積み重なっている。

 考えたくはないが、ここに高山がいるかもしれないと思うと、中に入らないという選択は選べなかった。深呼吸。そして妊婦たちを起こさないよう足を前に出す。


 切れかけた白熱電球の明かりを頼りに、人一人の顔を確かめる。皆一様に若い女ばかりだ。中には10代と思しき少女もいるが、その下腹部はまさに妊婦そのもの。


 ざっくり数えただけでも30人以上はいるように見える。一体何なんだこの施設は。


「――――あなた」


 突然声を掛けられ、肩がすくみ上る。…………恐る恐る声の方へ振り返ると、弱弱しい顔の妊婦が俺の事をじっと見つめている。


「ここは神聖なる住人の巣よ。帰りなさい」


 住人の巣。この妊婦たちも信者なのか? だとしたらこいつと話している暇はない。急いで高山を見つけないと。


「あなたッ。聞いているのッ? この場所に相応しい人間ではない貴方! 私たちの貞淑を奪いに来た悪者なのね!」


 先ほどまで虚ろだった目が、今でははっきりと開いている。

 ――――くそ、大声出すんじゃねえよ!

 そして他の妊婦たちが、その金切声によって目を開く。こうなったらなりふり構っていられない。俺はスマホの明かりを点け、妊婦一人一人の顔にライトを向けた。


「…………帰りたい! 帰りたい! 帰りたい!」


 顔に光を当てた女が叫ぶ。こいつは違う。


「ああ。今こそ我ら父のために! あはははは!」


 コイツも狂っている。最早この部屋にまともな奴はいない。

 どこだ高山。どこにいる!


「高山ッ! どこだ返事しろ!」


 しかし俺の掛け声も、女どもの声によってかき消される。ああ何処だよクソ!


「こっちよ!」

 狂い満ちた声の中に1つの声。急いでその声を探す。

「どこだ!」


 俺が呼びかけると「こっち」と女が叫ぶ。――――見つけた、あの女だ。

 急いで彼女の元へ向かう。


「よかった。普通の人だ」

 彼女は手足を縛られ拘束されていた。まさか誘拐された被害者か?

「君は?」


 周りの奇声がうるさいので、声量を上げざるを得ない。ここにいたら俺までおかしくなりそうだ。


「あたしは半年前にここへ連れて来られたの」


 彼女の声は震えている。体もだ。この部屋にいつから縛られているのだろうか。彼女の手足は青痣だらけだ。


「他の被害者は?」

「皆狂ってしまった。ここにいる半分以上は誘拐された人たちなの」


 突如込み上げる吐き気。被害者たちはきっと、夢を見て発狂した訳ではないのだろう。可愛そうに。こんな所に連れて来られたばかりに…………。


「あたしももう駄目。もう戻れない。こんな身体になっちゃったらもう」


 彼女の目から涙がこぼれた。

 嫌な想像が脳裏を過る。この教団がなぜ若い男女を誘拐するのか。……それが分かった途端、腹の底から懐かしい感情が沸き上がる。怒りではない。これは憤怒だ。


「大丈夫。俺が助けてやるからな」


 彼女を縛る拘束具を見る。鉄製の手錠は鎖と連結しており、その鎖はベッドの脚に巻かれ、さらに南京錠でロックされている。


「鍵はどこだ!」 


 彼女は怯えながらも、涙で溢れた目を部屋の奥へと向ける。その視線を辿っていくと1枚の扉が目についた。


「あそこにあたし達の世話をする人がいる。その人が鍵束を持っているのを見たの」

「――――待ってろ」


 扉へと向かう。

 ノブを掴み、扉を開けようとするも、鍵が掛かっているのかドアは開かない。それに部屋の奥から怯える男の声が聞こえる。


 怒りに任せドアを蹴る。何度も何度も。すると次第に扉が軋むようになり、次の蹴りで扉が開いた。その中では1人の男が、六畳半程の部屋の隅で怯えている。


「やめて! やめてください。ぼ、ぼ僕は言われたからやっただけなんです!」

 小太りの若い男は何度も土下座をする。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 その醜悪さを見て思い出す。美穂と奏を殺した加害者家族を。何度も何度も謝り、嫌がらせのように俺の前に現れるその姿を。

 …………でもその謝罪は2人のためではないだろ? 一生かけても払えない賠償金と、自分たちの将来を案じた故の謝罪だろ? 俺に殺されたくないから俺に許しを求めてる。違うだろ。


 そんなに許して欲しいなら――――。


「今すぐ死ね」

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