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責①

 あれだけ自分に言い聞かせていたのに、俺は約束を破ってしまった。高山の事は何とも思っていない。いや、あいつを特別な人間だと自分に思わせないようにしていた。多分そのツケが来たんだろう。


 3週間の出来事を覚えていないのは自分への罰だ。私は私自身にそう言い聞かせ、また逃げようとした。現実から。事実から。そして彼女から。


 どうせアイツはクビにする予定だった。内定も決まってたんだし、高山も残りの学生生活を楽しみたいはずだ。これでいい。これいいんだ。俺にはこれくらいが丁度いい。


 しかしいくら自分に言い聞かせようと、彼女の事が頭から離れなかった。事務所を飛び出して行った時の横顔。料理を作る彼女の背中。匂い。声。考えないようにすればするほど、脳は逆の方へと道を作った。


 何で俺は高山を引き留めなかった。今さら後悔しても遅いよな。美穂と奏の時もそうだ。いつも俺は後悔する方を選んでいた。


「――――クソ!」


 私はマンションを飛び出した。気付けば、なんて表現は使わない。確かに私は自分の意志で、自分のために、彼女達のために走った。


 高山の家は知っている。ここからそう遠くない所に一人で住んでいる。全力で走れば20分もしない内に着く。

 本当にいいのか? このまま彼女と離れられれば、もう苦しい思いをしなくて済むかもしれないんだぞ? 


「黙れっ!」


 俺は高山の事が大切なのか? 美穂と奏を失って5年が経つ。まだ5年だぞ。それなのに俺は違う女のために走ってるのか?


 うるさい。


 毎日毎日2人の後も追えず今日まで生き永らえた俺が、12も歳の離れた子供一人に必死になって、本当に無様だよ。


「…………何なんだよクソ。一体何なんだよ俺は!」


 私の中でたくさんの思いがひしめき合っていた。だが私は脚を前に出し続けた。何度も止めそうになった。それでも走り、やっとの思いでたどり着いた。


 まだ建てられて新しいそのアパートは、若い子が好きそうなデザインで佇んでいる。午後11時過ぎ。まだ起きている住人もいるようだ。


 8世帯が暮らせる程の部屋数だが、その時の私には十分大きく見えた。


 玄関の前に立つ。もし高山が泣いていたらと思うとインターホンを押すのが怖い。それにもし、アイツが俺に失望していたら……。

 ――――いや、何も考えるな。今はただ、後悔しない選択をするだけだろ。


 インターホンを押した。だが遅かった。普段から彼女の事を想っていたのであれば、きっと私は出て行こうとする高山を止めた。けれどしなかった。あの日交わしたあの約束がそれをさせなかった。


 記憶を保持したまま過去に戻れるとしたら。私は迷わずあの日へ戻る。


「高山。いないのか?」


 甲高い電子音が鳴り響く。しかし反応はない。そりゃそうだよな。逆の立場だったら俺でもそうする。


 スマホを取り出し、連絡先の【猫の手】と表示されたアイコンをタップする。受話器を象ったアイコンが出てくるが、ここまで来てそれを押す勇気がない。もし嫌われたのなら、ここで電話してもウザがられるだけだ。

 メッセージを打とう。それなら高山が見ようか見まいか好きにできる。ほんとイラつくほど情けない。


【今家の前にいる】


 その1行から始めた。それでも送信するのに長い時間を要した。


【まず最初に謝らせて欲しい。高山の心を踏みにじった事を】


 1行目に比べたら容易に送信できた。決して抵抗がなかったわけではない。何かが私の中で吹っ切れたのだろう。


【その夜の記憶が無いのは本当だ。正気を保てているのが不思議だよ】

【でもこれだけは言いたい】

【俺は高山の事を大切に思っている】

【助手としても。1人の人間としても】


 言いたいことはこれで全部ではなかった。残りは会って直接言いたかった。


 全てを失い絶望していた私に、光をくれたことへの感謝。常に私のそばにいてくれた事への感謝。生きようと思わせてくれた事への感謝。

 ――――今日まで彼女に言えなかった事は数えきれないくらいあるが。もう一度彼女に会えるとしたら、私は一体何を言おう。今はそれを考えるだけ虚しいだけだ。


 幾らメッセージを開いても既読の2文字は付いていない。もうすぐ日付が変わる。俺もいつまでも彼女の部屋の前にはいられない。今日は帰ろう。


 その時私はふと、何気なくドアノブに手をかけ、扉を開けようとした。鍵が掛かっていることは承知の上で。


 ――――しかし扉は開いた。


 空いてる? 鍵閉め忘れたのか?


「おい、高山?」


 外の方が明るいと思えるほどの廊下、部屋の匂いだけが私の鼻を突き抜けた。


「入るぞ?」


 靴を脱ぎ、廊下に明かりを灯す。しかし静寂だけが反響する。知らない人の家に忍び込んでいる感覚だ。次第に動悸が激しくなる。

 廊下の一番奥。曇りガラスの扉を開け、リビングの電気を点ける。


「高山?」


 いない。何でだ。事務所を出てからもう1時間は経つ。すでに家にいてもおかしくないはず。

 本当に用事があったとか? 可能性はあるが限りなく低い。部屋に荒らされたような形跡もないし、アイツに限って鍵のかけ忘れは一番ない。


 1つの考えが頭に浮かんだ。


 家に入ろうとした時に何かあったのか……?

 ――――呼吸が激しくなり、頭から何もかもが消え去る。代わりに浮かぶのは美穂と奏。


「けっ、警察!」


 スマホを取り出し1から0まで並んだ画面に親指を叩きつける。指が震えてうまく押せない。焦れば焦るほど違う番号を押してしまう。


「落ち着け。落ち着け!」


 ようやく110の番号を押せた。ほんの数十秒しか経っていなかったが、体感では10分ほどの時間に感じた。


 スマホを耳にあてる。1回目の呼び出し音が耳を通る。しかしそこで電話は切られた。私が切ったのではない。彼に切られたのだ。


「――――お前」


 あの時の男だ。小面の仮面をつけた殺人鬼。


「警察には電話しないほうがいい」


 腹の底に響くような声がお面の下から聞こえる。だが不思議と、俺はそれに落ち着きを感じていた。


「お前が。お前が高山に何かしたのか?」


 男は俺から奪ったスマホの電源を切ると、それを手渡して言う。


「俺じゃない。あの女は巫女に選ばれたんだ」

「は?」


 男は呆然と立ち尽くす俺を更に置き去りにする。


「あの日、俺が殺しに行ったのは佐藤だけではない」


 男は少しも動かず、ただ俺一点だけを見据える。しかしプラスチックの穴から除く瞳は、一切の感情すら語っていない。


「なんだよ。ちゃんと説明しろよ」

 訳の分からん言葉にはもうウンザリだ。

「あの日、佐藤はお前らを攫うつもりで取材に応じた。だが俺の介入により、それは失敗した」


 俺たちはコイツに助けられたって事か? 信じられるかよそんな戯言。


「なんだそれ。なんで俺たちが狙われなきゃならないんだよ」

「お前たちだけではない。奴らは若い男女を1年前から誘拐し続けている」


 “奴ら”ってのは大体予想できた。おおかた佐藤が入信した新興宗教だろう。話のスケールが大きくなっていくにつれ、俺の思考は鈍った。それでも男は続ける。


「彼女はその一人に選ばれたんだ」

「何でお前は黙って見逃したんだよ。ここにいるって事は止めに来たんだろ?」


 得体の知れない男の胸倉を掴む。恐怖心はある。けれど、やり場のない怒りをぶつけるにはコイツしかいない。


「止められなかった。奴らもそれを予知してたからだ」


 今まで信じようとしなかった言葉が頭に浮かぶ。


「…………未来が見えるのか?」

「そうだ。お前もそのうち自分の未来を見るようになるだろう」


 握りしめていた男の胸元から両手を離す。信じてはいなかった。だがこれまでの出来事が俺に強く言い聞かせてくる。


「つまんねえ。何なんだよ一体。記憶は無くなるし、高山はいなくなるし」


 もう立てない。とことん運命に見放された自分を俯瞰すると、最早すべてがどうでもいい。


「…………どうしろって言うんだよ」


 楽しげな壁のフォトフレームを見る。大学の同級生と一緒に撮ったのであろう集合写真が枠に収められていた。幸せそうな顔だ。俺に見せてくるいつもの笑顔。


「そうか。お前も夢を見たのか」

「夢なんて誰でも見るだろ」

「違う。海の底に沈んでいく夢だ」


 男の顔を見上げる。こいつの言葉で思い出した。あの禍禍しい夢を。水しかない惑星にたった一人で落ちていくような絶望を。


「お前も見たのか?」

 男はお面を取る。

「そうだ。最近増えている自殺者も。未来が見える人間も全員同じ夢を見た」


 男は健康そうな体にはそぐわない、まるで50代のような顔つきだ。白髪頭に疲れ切った目。浮かび上がるほうれい線。


「俺は何ともないぞ?」


 そうだ。こいつの言っていることが正しいのであれば、俺自身に何も変化が起きていないのはどう説明するつもりだ。


「まだ浅いんだ。お前は最後まで見ていない。だから正気を保っていられる」

「まだ続きがあんのかよ」


 胃液が逆流してくる。もうどうしようも出来ない事実がこの世界で起きている。


「最後までアレを見た人間は発狂する。そして発狂しない人間は未来を見せられる」

「それで金儲けしてんのなら、よほど図太い人間だってことだな」


 弱い奴は死に、強い奴が生き残る。何が起きようとそれだけは変わらないんだな。


「だがそれも、また少数の人間であり、そいつらはあの夢を崇拝してる。まともな人間なら、未来を見てさらに絶望する」


「それで自殺か?」


 男は頷く。

 てことは、異常に増えた自殺者の下には、さらに数えきれないくらいの人間が、あの夢を見てるって事か?


「どうなっちまうんだよ、この世界は」


 私はこの時初めて、神田から世界の異常について聞かされた。普段なら信じない話だが、既にそういう次元ではなかった。多分あんなに弱弱しい声をあげたのは初めてだろう。


「お前はまだ知らなくていい」


 彼が優しい人間だということは気付いていた。未来を知っていても、私を気に掛けるくらいには


「それよりも、彼女を助けに行こうとは思わないのか?」


 何言ってんだよ。警察に電話するのを止めたのはお前だろうが。


「言いたいことは言ったから警察に電話しろってか?」

「警察は既に機能していない」


 そっか。人間の大半が狂ってるならそうかもな。記憶のない3週間。どれだけの人間が正気でいるのだろうか。


「直接助けに行けってか? 映画の主人公じゃねえんだよ」


 第一どこにいるかも分からないだろ。もう手掛かりもない。それにもう力が入らないんだよ。


「そうやってまた自分を責めるのか?」

「……分かったように言いやがって」

「お前がここに座っていても、世界は何も変わらないぞ」


 そんなことは俺が一番分かってるんだよ。それに、立ったところで変わらない世界もある。


「行動しろ。後悔しないように」

「うるさいッ!」


 あの時の飛行機に乗っている気分だ。美穂と奏が事故にあったあの時の、あのもどかしさ。上手く走れない夢の中のような。


「俺にどうしろって言うんだよっ!」


 もうどうにでもなってしまえ。


「アイツがどこにいるかも分からないんだぞ! 大体、俺1人でどうにかなる問題じゃないんだよ」


 叫んだ。隣の部屋の人は驚いたかな。まあ狂ってるなら問題ないか。


「話を聞け」

「うるせえ。もうほっといてくれ」


 そう吐き捨て俺は高山の部屋を出た。

 事務所へ歩く。だが彼女の顔が頭に浮かぶ。それだけじゃない。アルバムを捲るように、これまでの全てがフラッシュバックする。


 俺はこれでいいのか?

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