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人生バイト ~私は人生をやり直したい~  作者: 東京駄駄
金持ちの人生
4/6

高梨 壮馬

 社長として出勤する最初の日がやってきた。諸々の祝会は先週の内に終わらせているので、今日から本格的な業務経営になる。


 手始めに会社の帳簿を眺めてみた。

 正直に言おう。軽いショックを受けた。それは、金額が少なかったとかの意味ではなく、前の私が一生をかけて稼いだとしても永遠に手の届かない金額だ。


 いや、でも、この金は自分で使うためにあるものではない。会社のためにあるのだ。私は父が作り上げた会社を何としてでも守り抜かなくてはならない。


 俺は気を取り直して机に向かった。書類は山積みである。






 仕事は順調だった。最初は少し心配していたのだが、シュンという男は私が考えていたよりも何百倍も賢い男だった。


 会社で起きるトラブルの全てを短い会議で解決させる。問題の一つ一つをスキップのような身軽さで解決させていく彼の仕事は何日眺めていても面白かった。


 ある日は銃を持った男が会社に乗り込んできたときがあった。会社が保有する工場の排水のせいで娘が死んだと言っていた。

 丁度、シュンが会社に入ったときに起きたのだ。

 社員たちの助けを求める目を感じ、シュンは前に出た。それからは何が起きたのか私はわからなかった。


「社長の俺を殺せばいい。そうすれば娘は帰ってくるのだろう?」


 その一言だった。

 気がつけば男の銃が落ち、男は泣き叫び始めた。

 すぐに警備の人たちが男を拘束し、外に連れ出した。


 後で、工場の排水の濃度を調べた結果、法に則った値であった。その件はただの逆恨みとして処理されたのだが、シュンはその男に援助金を渡し、毎週のように男の家を訪問して、彼の痛みがなくなるまで添い続けた。


 その男は二ヶ月後にシュンの会社に就職した。絶え間ない努力を続け、沢山の妨害を受けながらも一年と数ヶ月で幹部に上り詰めた。


 この話はシュンの伝説の一つになった。






 明日は父の誕生日だ。

 俺の部屋ではメイドのマールがニコニコしながら、イベントではこんなことをしたいあんなこともしたいと楽しそうに話していた。


 だからだろうか咄嗟に俺は怒鳴ってしまったのだ。


「どうしてです!? みんなが準備をしてくれていたというのに!!」


 朝食の場で父はこう言った。

 明日の私の誕生日は家族だけで過ごさせてくれ、と。


 怒鳴ったせいで赤くなった俺の顔を見て、父は力なく笑った。


「お前は立派になったな。会社での話を聞いたよ。お前は立派に生きている」


 俺の怒りは一瞬で消えていった。あとに残ったのはザラザラとした後悔の感情だけだった。


 父は別に間違ったことを言っていなかったと思い直したときに、俺は気がついた。今日俺は初めて父に歯向かったのだと。それを知ったとき、俺は父が朝食で言った言葉の意味を理解した。


『お前は立派になったな』


 柄にもなく、涙が頬を伝った。



 次の日、暖かい朝日を浴びながら庭園に準備された机に座っていた。

 外で一緒にご飯を食べたいという父の要望に答えた執事とメイドが準備したものだったのだが、父は来ない。

 俺は母と二人、静かに朝食をとった。


 夜になり、夕食の準備ができた頃やっと父が部屋から出てきた。

 夕食は簡素な物が準備されていて父が座ると、執事とメイドは部屋から退散していった。


 昨日のことで、俺は父と顔を合わせたくなかったので、さっさと食を済ませた。

 父が何か話そうと口を開いた瞬間。俺は狙って音を鳴らしながらスプーンを机に置いた。無機質な金属音が部屋に響き渡る。俺は立ち上がり、部屋を出て行った。


 父は紛れもない善人だった。だが、少しづつ俺の心に疑いが染み渡り始めていた。






 会社の仕事は順調だ。父の頃と比べて収入は少し下がったが、規模が大きくなった。今はまだ不安だが、時間が経てば安定してくるだろう。


 今日は久しぶりに休暇を取り、遊びに行くことになった。

 幹部の内、二人を連れて釣りに出た。そのうちの一人は銃を持って会社に乗り込んだ男で、ゲンという名前だ。


 ゲンは事件のせいで最初は警戒されていたものの、今では会社の悩み相談役のようになっている。新入社員でさえ気軽に相談しに行くくらい信頼を得ていた。


 自分で買ったボートに乗り込み、運転手に出発を命じる。今日は釣りをしに来た。


「先生」


 ゲンの声だった。彼はあの1件依以来、俺のことを先生と呼ぶ。いくら辞めてほしいと言っても聞かないのだ。


「どうした。そんなに真面目な表情をして。今日は遊びに来たんだもっと楽にしていいんだぞ?」

「御気遣いありがとうございます。でも、話しておきたいことがあるのです」


 ゲンは改まったように手を体の前で交差した。


「そろそろ結婚を考える歳になったのではないでしょうか。私はこのままでは先生が会社と結婚したと言いかねないと心配しているのです」

「エリザベス2世か。確かにそうなってしまうかもしれない」


 ゲンの言葉は嫌味を感じさせない。何かを進言するときもこのように話すので嫌な気分にならなくて済む。これが彼が相談役に抜擢されている所以だ。


「どうでしょう私の知己の中に先生を手伝いたいと願っている者がいるのですが」


 俺はもう34歳になっている。30になった頃に一人暮らしを始めたから、かれこれ4年を一人暮らしで生きている。と言っても、幼い頃からの付き合いであるマールなどの執事やメイドはいるのだが。


 それでも少し寂しさを感じるようになっていた。


「確かにそろそろ結婚してもいいかもな。こうやって休暇を持て余せるぐらい会社も安定してきた」


 ゲンは嬉しそうに笑った。その顔全体をくしゃりとさせて歯を見せる笑い方に違和感を覚えたが、釣り竿がしなっているのを発見し大きなマダイを釣り上げたときには忘れてしまった。






 目が覚めた。昨日は私の誕生日だった。人たちは皆、甘いものに群がるハエのように私を囲み、口々に賞賛した。それをいい気になって阿呆のように、はしゃいだものだから飲みすぎてしまった。


 二日酔いで頭が痛い。これが二日酔いか。実際に体験すると、つらいものだな。

 前の私では体験できなかったことが今の俺になると体験できるということに気づけたから、今回の失敗はいいとしようか。


 控えめなノックの音が聞こえる。マールか。


「シュン様。昨日はお忙しいようでしたので伝えられなかったのですが、お誕生日おめでとうございます」


 はにかむように、恥ずかしがるように言う彼女の顔を見ると、心が浄化されるようだった。


 彼女が家にメイドとしてきたのは7年前だったろうか。俺と年もそう離れていない。


 父が俺のことを思って雇ってくれたメイドだ。


「ありがとう。誰に言われた言葉よりも今日のマールの言葉が一番うれしいよ」


 自分は何を言っているのだろう。口が勝手に動き出す。これがシュンノスケの自我なのだろうか。


「いえ、私は――」

「俺はマールに心が惹かれている…と、思うのだ」

 

 マールは、困惑したような表情をした。俺は、もう少しだ、と焦る心を抑える。


 それを眺めるような形になってしまった私の方の自我は置いてけぼりにされている。というか、私には妻がいるのだけれども。心移りする気もないし、妻よりも愛せると思える女性を見たことがない。


「どうだろう。私と来ないか」

「私は……」


 そのとき、大きな音を立てて一人の男が部屋に入ってきた。父の専属執事だ。


「シュン様。お父様のご容態がよろしくないご様子です」

「お父様が……!?」


 マールは、そちらに気を取られたようで、準備しなければと部屋を出て行ってしまった。


 私も直ぐに父の家に向かった。父は寝台に全身を預けたまま、ぐったりとしている。執事達は何をしているのだろう。具合がよくないのであれば真っ先に病院に連れて行けばいいものを…!


「来たか、シュン」

「どうされたのですか? どこか痛いところがあるのですか」


 父は疲れた笑みを浮かべた。


「末期なのだよ」

「どういうことですか…」

「私は癌にかかっていたのだ」


 ふと頭に浮かんだのは俺が父から会社を受け継いだ日の苦しそうな咳だった。


「なぜ…隠しておられたんですか…」


 俺は言葉を地面に落とすように呟く。父は言葉に混ぜられた怒りの感情を感じ取ったのか、また力のない笑みを浮かべた。


 途切れ途切れになりながらも父は懸命に口を動かそうとした。


「私は、最後まで、強くありたかった。誰よりもお前の前で……弱いところを、見せたくなかった」

「何を言っているんですか。人は病にかかることもあります。そのような姿を弱いとは思いません!」

「シュン…。お前に覚えていてほしいことがある…」

「はい、一言一句忘れずに聞きます」


 父は、ふっ、と笑った。


「お前は、私が話をしようとすると、必ずそう言うな…」


 意識もしていなかった。自分にそんな口癖があったなんて。


「シュン…。私は、今まで、お前に、私の全てを、話してきた、つもりだ。だから、最後に残った、この言葉も、伝えたい」

「はい。聞きます」

「愛しているぞ、息子よ。私の先は、長くない…だから……」

「聞いています。お父さん」


 静寂の満ちた部屋に、はあ、というため息のような音が微かに響いた。それは、父の肺に入った最後の空気が出てくる音だった。


 私の頬に涙が伝う。





 心の準備ができていなかったのだ。つらいし、逃げたい。


 このときからだったと思う。私とタカナシ シュンノスケの区別がつかなくなったのは…。

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