人生バイト
会社では大きく分けて、出世する人、切り捨てられる人、その他が大体2:3:5の割合で別れるらしい。残念なのは自分がその中で3の割合に属してしまったことだ。つまり、切り捨てられる人。
「えーと、給料に見合わないというか、入社時から業績が上がってないというか、そんな感じだ」
理由はわかる。でも、もっとうまく説明してもらいないものだろうか。こんな煮え切らない言い方では切られたこちら側も虚しくなる。
まあ、いいのだ。私の人生はそんなものなのだ。
自分に割り当てられていた席を眺める。今はもう何も残っていない。荷物は、先ほど近くの郵便局を通して家に送ったところだ。家に帰るのも億劫になってきた。
ガラスの外は雨が降っている。予報ではほとんど降らないと言っていたくせに私の気持ちを代弁するかのように少し前から降り始めていた。
空の色は、もう紺色だ。突っ立ったまま何分が過ぎただろう。会社には自分しか残っていない。社内では浮いた存在ではなかったものの、不愛想ではあった。それが原因だろうか。いや、わかってる。私にこの仕事が合わなかっただけだと。
戸締りをして会社を出た。雨が降りしきっている中にコンビニの明かりが見える。
24時間やってます、という文字を見て、私は傘を買うことにした。
コンビニに入ると、新聞が入り口の近くに並べてある。適当な新聞を手に取り、ビニール傘と一緒にレジに出す。
どうやって帰ろうか。終電はとっくに過ぎている。歩きでは一時間以上かかる距離だし、雨の中行くのは体力が持たないだろう。
まあ、今日は最後の退勤だし、久しぶりにタクシーに乗ろうかな。どのくらい金がかかるだろう。今、財布に入っている量で足りるだろうか。
445円の文字を見て、勿体ないと思ってしまった。どうせタクシーに乗るのだ。傘を買う必要はあるまい。咄嗟に傘だけをレジから離し、元の場所に戻した。店員は察してくれたのか傘の値段を引いてくれる。とても面倒くさそうな顔をしていた。
申し訳ない気がした。冴えない40過ぎのオッサンのために時間を割いてくれているのだ。
バイトだから当然か…。
バイト…。
会社を首になったのだ。次の会社に着くまではバイトでもして、生計を立てないとまずい。だが、そううまくいくのだろうか。新しい仕事は見つかるのだろうか。
考えれば考えるほど帰りたくなくなってしまう。まだ、妻のミヨコには連絡をしていない。家には息子がいる。今は中学一年生。丁度、生意気な盛りだ。リストラを息子に知られたら、馬鹿にされるだろうか。されるだろうな。
「あの…、お金…」
「…ああ、すいません」
財布を取り出して小銭を何枚か取り出す。きっちり新聞の額を払い、コンビニを出た。
幸い、タクシー会社はまだ営業中だった。都市部のほうになるとタクシー会社も24時間のところが多い。
しばらく待つと、目の前に一台のタクシーが止まった。新聞が雨に濡れないように腹に抱えながら私はタクシーに乗った。
運転手は初老の男だった。寡黙な人のようで、一言、どこまで、と聞いてきた以外は何も話しかけてこない。
今の私からすると、ありがたかったりする。
家の住所を伝えると、程なくタクシーが走り始める。私は外を眺めていたのだが、それも暇になったため新聞を広げる。
車の中で小さな文字を追おうとすると酔ってしまうぞ、と昔から言われてきたが、生まれてこの方、私は酔いというものを体験したことがない。酒でもそうだ。安っぽいビールをどれだけ仰ごうとも口の中に苦い味が残るだけ。だから私は酒を飲まない。
パチパチと雨が窓ガラスを叩く音が聞こえる。心に余裕がないせいか些細な音でも苛立ちを感じてしまう。このまま家に帰れば変なところで癇癪を起してしまうかもしれない。
新聞を読んでいると、一つの広告が目に留まった。
『人生バイト』『あなたにぴったりな仕事をご提供します!』
なんとも胡散臭い。だが、私は少し心がひかれた。
営業時間を見ると、24時間…。
「行くか…」
「どうかなさいましたか」
運転手が私のつぶやきを聞いたようだった。
「あ、いや、じゃあ、この住所に行ってもらえませんか」
タクシーは歩道に寄ってから止まり、運転手が住所をナビに打ち込んだ。新聞が帰ってきて、それからは沈黙が下りた。
タクシーは出発する。
こんなことをしていていいのだろうか。わかっている。半分以上は自暴自棄のようなものなのだ。でも、興味をそそられてしまったのだから、しようがない。
長い間、タクシーに乗っていた。思ったよりも遠かったみたいだ。金は足りるだろうか。家に帰る分が残っていないかもしれない。まあ、そうなってしまった場合は近くのATMでも探しておろせばいいか。
「着きましたよ」
「…どうも」
提示されている金額は私の財布に入っている札をごっそり持って行ってしまった。
残ったのは千円札となけなしの小銭だ。まあ、どうにかなるだろう。
「毎度あり」
運転手に見えるか見えないかの会釈をして、タクシーを出た。雨脚は弱くなっているようだった。
ドアを閉めようとしたら運転手がこちらを見た。
「頑張れよ」
私は、また小さく会釈をして閉める。タクシーはすぐに行ってしまった。
そこまで疲れて見えたのだろうか。近くに自分の顔を見れるような場所はないか探した。近くにショーウィンドウがあったので、そこで自分の顔を見る。
特に特徴のないやつれた顔だ。確かに死にそうな顔をしている。そりゃまあ仕事をリストラされたりして、人生に絶望しているし…。
人生……そうだった。自分は今バイトを探しに来たのだった。あの『人生バイト』とやら。
そう思ったとき、横のドアが開いた。
「どちら様でしょうか」
「あ…すいません」
出てきたのは30代前半といった感じの男だった。自分の顔を見た後だからか、彼の顔がとても生き生きしているように見えた。
「いえ、いいんですよ。店の中を除いていらっしゃるのかと思いまして」
「すいません、ガラスを鏡代わりに使っていただけです」
私がそう言うと男は、そうですか、と言いながらニコリと笑った。彼がドアを閉めようとしたとき、私は慌てて声をかけた。
「あの…! もしかして、ここが『人生バイト』の場所でしょうか」
彼は目を丸くした。
「ええ、そうです! やっぱりお客様でしたか」
「いえ、あの、バイトを探しに来たのですが」
「ああ、そういうことですか。大丈夫ですよ。すぐに働けるようにして差し上げましょう」
バイトは一度もやったことがない。他の場所でも、こんなに簡単に雇用しているのだろうか。というか簡単すぎる。
私は言われるがままに建物の中に入った。男は電気を付ける。
服屋だろうか。でも、置かれている服は今流行っているものから程遠い。色から何まで殺風景な店だった。
男は私を振り返る。
「自己紹介をさせていただきます。わたくしの名前はフジイ ヨシタカと申します」
「どうも、私は―――」
「自己紹介は私だけで大丈夫ですよ。でも、呼び方に困ってしまいますね。…じゃあ、店員さんと呼ばせてもらってもいいでしょうか」
会って数秒でいつの間にか店員になってしまった。
もしかして、悪徳の企業だったりするのだろうか。少し不安になってくる。心の片隅にいる私が、どうにでもなれと叫んでいるのが聞こえた。
そうだ、どうにでもなれ。
「どうぞ。…えっと、フジイさん」
私がぎこちなく名前を言うと、彼はまたニコリと笑った。
「ヨシタカでいいですよ。早速、簡単に仕事内容を説明させてもらいますね」
「少し待ってください。今から始めるんですか?」
いくらなんでも、今日はいろんなことで疲れているのだ。さすがに動く気にもなれない。
「でしたら、いったん内容を聞いてから今日するか明日するか、はたまたやらないか、決めるのはどうでしょう」
「わかりました」
それなら大丈夫そうだ。
「では、説明します。『人生バイト』の仕事内容は簡単です」
ヨシタカは一呼吸入れてから口を開く。
「他の人の人生を代わりに生きることですよ」
この人は何を言っているんだろう…。それが私の最初の感想だった。