01
窓の無い六畳間。そこで私はスマホで小説を書く。
ベッドで横になり、枕元には神話や宗教、ゲームの攻略本など、小説の資料となるものが高々と積み重なって今にも崩れそうだ。
「はぁ。主人公の名前、どうしよ」
私は趣味でネットに小説を投稿している作者さんである。別に名前は売れてない。
一応学生だった、はず。ずっと通ってないし、家の中は年がら年中遮光カーテンを締め切っているので陽の光が入らない。故に、今が朝か夜かもわからない。
まぁそんなことはどうでもいい。そんなことよりも主人公の名前だ。常に未定の後の展開次第では自分の我が子のように思えてくるような子に、下手な名前は付けられない。
家中の資料を集めて読んでみて、気に入ったワードやテーマに合ったワードを頭の中で整理しながら、横並びにジグゾーパズルを組み合わせるように繋げてはバラし、繋げてはバラし。
「…頭冷やそ」
煮詰まった時、大抵私はアイスクリームを食べるかシャワーで水を浴びることにしている。
ふと、目にかかった前髪を避けるとちょっときつい臭いが鼻に突き刺さる。
「最後にお風呂入ったの、いつだっけかな」
脂ぎった頭を掻きながら、脱衣所で服を脱ぎ散らかしていく。
右手にはスマホを持っていて、器用に左手だけで下着を外す。
やせ細った筋肉とは無縁な身体、雑に染めた故に出来上がった黒と金のグラデーションになった痛めつけたような無駄に長い髪、前を見えてるのかも怪しい糸目。
「白衣きて杖とか持ったら強そう。えへへ」
鏡に写った自身の肉体をみてこんなことを思うのはきっと彼女くらいだろう。ちなみにコスプレ趣味は無い。
身体と髪を弱々しい腕で丁寧に洗い、髪を頭の上にタオルで包んでから水風呂に浸かる。
芯から凍えるように寒く、鳥肌が立つが、彼女の頭は名前のジグゾーパズルを始める。
今書こうとしているのは大抵の事はできるが学校の勉強だけは出来ない男子高校生、の恋人、妻になりたくアタックをマシンガンの如く繰り返す後輩の女の子。
彼女は常に学年トップの成績を納めるがそれ以外になると何もかもがポンコツになってしまうなんちゃって優等生。この子が主人公になるのだが名前が決まらない。
数パターンの名前が出来たところで、彼女はあることに気がつく。
「…学校通ってない私が学園ラブコメなんて書けるわけないじゃん。やめよ」
数日に渡り構想を練った小説の種を彼女は迷うこと無く脳内のゴミ箱に捩じ込む。
お風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かしながらもスマホを握る右手の親指は動きをとめない。
小説を書いているのでは無く、自身の犯したミスを『ドキュメント』という文書作成アプリに書き止めている。
私に学園モノは書けない。
ちなみに同じような一文だけを書いたフォルダが多数保存されている。つまり、役には立たない。
大した実も無いのにつける意味があるのか分からない下着を身につけ、膝あたりまで隠れる大きめのTシャツを着た頃に彼女は気づいてしまった。
「おなかすいた。…独り言増えた?」
両親ともに海外赴任なおかげで家には基本私一人。学校にも通っていないため人と会う機会もそうそう無い。
ブロックタイプのバランス栄養食を一箱四本のうち二本を食べ終え、テレビをつける。流れるのはニュース番組。画面左上には時間が表示されていて、朝八時となっている。
最近はよく、いじめにあった学生の自殺に関する報道が増えてきている。
こういうニュースが流れるとよくネットには『自殺するくらいなら臓器提供すればいいのに』とか抜かすやつが多発する。そういう輩に『病院に内蔵あげるから殺してなんて、自殺するような弱い子が言えると思う?』と、現実を叩きつけるのが最近の趣味だ。小説程ではないが、楽しい。
そんなことを何気なく打ち込んでいると、テレビの画面が黒く輝いていることに気がついた。
黒の正体は、文字。背景なんてものはなく、真っ黒なのになぜか、私はすぐにそれが常日頃から扱っている日本語であると気がついた。
あまりの眩しさに目を逸らすと、黒く輝くのに眩しいというのも奇妙な話だが、目を逸らすと、私の上に何かが飛び込んできて、私を押し倒した。
「お、おはよう?」
妙にキザったらしい声が聞こえて目を開くと、目の前あるのは顔面。
逆立った輝く金髪、芸術品のような整った顔、白銀色の鎧、装飾過多な剣。
まさしく勇者。そう呼ぶべき姿の青年が私を押し倒していた。
「…誰」
「や、やぁお嬢さん。良かったらここが何処か教えてくれないかな?」
ここが何処か、彼はそう聞いてきた。
…何処だっけ。とりあえず日本なのは確実なはず。
「日本。何県かは忘れた」
「ニホン?聞いたことの無い村だな。ケンってなんの事だい?」
そんなまるで異世界から来たようなことを言いながら、彼は私の上から退いた。
「あぁ、そうだった。君、名前は?見るからに貧相な身体だけど、この際いいか。食料でもくれれば、一発くらいは相手してあげるよ?」
「帰れ。あんたみたいな軽い男にまで名前を教えるほど、私は重い女じゃない」
あったばかりの相手に冷たいと思われるかもしれないが、そもそも私に下品な下ネタは基本禁句。女の子同士ならともかく、男に言われると吐き気がする。
「あっれぇ、おかしいなぁ。僕なにか君にしたかい?」
「…自覚症状無し。さっさと死んで帰れ」
私はテレビ目掛けて指をさそうとして気づく。
「どこ、ここ?」
指さした方向にテレビは無く、あるのは街か村に続くであろう長い道。左右は木々が生い茂った森だ。
「ここは、『ヤヤの森』だね」
聞き覚えのある名前。否、書き覚えのある名前だ。いやでもまさか…
私はひとつ生まれた疑問を解くために彼に尋ねた。これであれなら…まずいかもしれない。
「あんた、名前は?」
「僕?もしかしてそれで逆ナンのつもり?それなら向いてないよ、君。身体も、口調も。せっかく顔はいいのに」
そんなことは百も承知だし、ナンパしてるつもりは一切無い。
「いいから答えて」
「何をそんなに焦っているんだい?まぁいいけど。
僕の名前はユウズ。『ユウズ シャクイ』だ」
その名を聞くと、私はとりあえず道の先へと進むことにした。この先には街があるはずだ。
私は彼の名前を聞いて確信した。
彼は、あれは、私が生み出した。
ユウズ シャクイ、あれは『クズい勇者』のアナグラムだ。
「ちょっと、どこへ行くんだい?ナンパにしては諦めが良すぎないかい?」
「死んで帰れ。二度も言わせないで」
『ユウズ シャクイ』と『ヤヤの森』
この二つの名前がある時点で確定と言っていいだろう。
ここは、私の処女作の世界だ。世界観が未完成で、設定が未完成で、最終目標も未確定。
何を考えてもイマイチでそのままエタった黒歴史とでも言うべきものだ。
一応このスマホにはまだデータが残ってはいるけど、ネットの方では非公開にしている。
えっ、なに?この生き地獄。
「あっ、ちょっとまって」
ユウズが彼女の肩に手を掛けようとすると、
手が、すり抜けた。
まるで彼女が気体であるかのように。
まるで彼女が存在しないかのように。
まるで彼女が別次元にいるかのように。
「「は?」」
初めてセリフが被った。
「き、君は一体何者なんだ?」
何者と聞かれても、答えは決まっている。
「私は趣味で小説家をしている。名前は売れてない」
「は?」