わたしの思いを伝えました。でも……、
わたしは深呼吸をすると、ドアを開けた。そして、床に置いていた荷物を抱えて、部屋の外に出た。
がらんとした部屋に視線を向けると、軽く頭を下げ、扉を閉めた。その足で、階段を下りる。
すでに玄関先にはフランツとカミラの姿があった。
「荷物をお持ちします」
「大丈夫。あなたにはあなたの荷物があるでしょう」
わたしはフランツをそうたしなめた。
今日、わたしたちはこの家を離れることになっていた。わたしとフランツが先に引っ越し、一月ほど時間をおいてカミラが来る予定だ。
そのとき、わたしの足元に影が届いた。顔をあげると、お父様とお母様が立っていたのだ。
お母様はそっとわたしの肩に手を乗せた。彼女の目が潤んでいた。
「クラウディアがこんなに早く家を離れるなんてね」
「すぐにとはいかないけれど、たまに帰ってくるわ」
「駅まで本当は見送りに行きたいけど」
「いいのよ。お父様たちも忙しいでしょう。それにまた会えるわ」
わたしはにこりと微笑んだ。
そう。永遠の別れというわけではない。
突然未来が絶たれる可能性だってあることは分かっていた。だが、そんなことは今考えたくはなかった。
わたしたちはペルタの運転する車で駅に向かう。駅のホームに入ると、ベルタとカミラに挨拶を済ませることになった。
「クラウディア様をよろしくお願いします」
ベルタはそうフランツに深々と頭を下げた。
フランツは彼女の言葉に会釈した。
「クラウディア様もお元気で。何かあったら、いつでも言ってください。すぐにでも駆け付けます」
「ありがとう。今まで本当にお世話になったわね」
わたしはカミラを見た。彼女とは近いうちに向こうで会うだろう。だから、別れの挨拶も不要だと考えていた。だが、彼女はわたしの手をそっと握った。
「クラウディア様、本当にありがとうございました。あなたに会えてよかった。あなたがいなければ、わたしはわたしとして生きられなかったと思います」
わたしが尊敬し続けたカミラの言葉に、目頭が熱くなった。
わたしが彼女の心に何らかの影響を与えているなど考えたことがなかったのだ。
「わたしもよ。あなたがいてくれて本当によかった。あなたが来るときには駅まで迎えに行くわね」
そのとき、汽車がホームに入ってきた。わたしたちは二人に再び別れの挨拶をして、汽車に乗り込むことにした。
そして、近くの車両に乗り込み、ホーム側の席に腰掛けた。
そのとき、艶やかな髪がわたしたちの視界に映る。駆けつけてきたのはヘレナ王女だ。
フランツは驚いたように身を乗り出した。
「お兄様、クラウディア様、よかった間に合って」
彼女はフランツの手を握る。
「今までのように会えなくなるのは残念ですけど、必ずそちらに遊びに行きます」
そのとき、出発を告げる笛の音が辺りに木霊した。王女様はフランツの手を離すと、距離を取り、わたしに頭を下げた。
わたしも彼女に頭を下げる。
彼女とこうして会話をすることになったのは予想外で思いもしないことだった。しっていたつもりになっていた世界でもこうして知らないことがたくさんあった。それをこれからの人生ではより多く感じることになるだろう。
扉が閉まり、汽車が走り出した。あっという間に見慣れた人たちが見えなくなる。わたしの視線は住み慣れた町におのずと移る。
いろいろなことがあった。辛いこともあった。
だが、幸せなことをたくさん思い出せる。ここはわたしにとって特別な場所なのだ。
クラウディアとしてこの世界に生まれてよかったと心から思えた。
わたしは正面に座るフランツを見て、微笑んだ。
汽車が目的地に着くと、わたしたちは汽車を降りた。そして、駅の外に出ると見覚えのある男性が立っていた。以前わたしたちを迎えに来てくれたジャックさんだ。
彼はわたしたちを一件の家に連れて行ってくれた。真新しい家を視界に収めた。家自体はそこまで大きくはないが、このゲームに来る前に住んでいた一軒家の三倍以上の広さがあり、三人で住むには十分な広さだ。
彼は家の鍵を開けると、わたしたちを招き入れてくれた。そして、荷物も運びいれてくれた。
「何かあったらいつでも読んでください。わたしの家の番号です」
彼はわたしたちにメモを渡す。彼はここから二、三分ほどの距離にある一軒家に住んでいる。
わたしたちがお礼を言うと、ジャックさんはわたしたちに会釈をすして帰っていった。
わたしたちは真新しいリビングを見渡すと、一息ついた。
「何か飲み物でも飲まれますか?」
「そうね」
フランツは台所に行く。
ここでわたしたちの新しい生活が始まる。今までのように。
そう思った自らの心を否定していた。
今すぐでなくていい。だが、彼とは今までとは違う関係になることを望んでいたのだ。
香ばしい薫りが鼻先をつく。彼はティーカップに入れた紅茶をテーブルの上に置いた。
彼はカップに口をつけた。
「飲まれないんですか?」
「飲みます」
だが、彼への告白を意識したからだろうか。体にブレーキがかかったかのようにうまく動かなかった。
「クラウディア様?」
「もう様付けで呼ばないでほしいの」
彼は不思議そうに首を傾げた。
「でも、クラウディア様は僕にとっては特別な人です。呼び捨てなんてとんでもない」
「だってわたしはあなたが」
自らの想いを綴ろうとするが、ふっと息を呑みこんだ。
今まで思ったことは素直に口にできたのに、恋愛に関わると何かブレーキがかかったようになる。
だが、きっと伝えないといけない。わたしの言葉で。
彼はずっとわたしへの気持ちを囁いてくれたのだから。
わたしが彼への思いに気づく前から。
フランツのカップが空になった。
「荷物を部屋に運んでおきます」
そう言い、立ち上がったフランツの手をわたしは握りしめた。
フランツは深呼吸をして、驚きを露わにしていた。
今度は言葉が引っかからずにするりと喉から飛び出してきた。
「わたしはあなたが好き。わたしの恋人になってほしいの」
フランツは目を見張る。そして、いつも穏やかな表情があっというまに変わっていった。目が潤み、頬が真っ赤に染まっていた。彼でもこんな表情をするのかと思うほど。
わたしは思わず笑ってしまった。にやけたといったほうが正しいかもしれない。
「ごめんなさい」
「いえ」
彼は困惑を滲ませながら、頭をかいた。
「先を越されてしまいましたね。本当は僕から言おうと思っていたのに」
「あなたはわたしをずっと好きだと言ってくれていたでしょう。だから、わたしが言わないといけないと思ったの。でも……」
わたしはそういうとフランツの手を取った。
「きっとあなたの将来は簡単に決められるものではないでしょう。それでも、あなたが長きに渡ってわたしと一緒にいたいと望んでくれるならそのときはあなたからその意思を伝えてください」
それは恋愛の続きにある、将来をともに生きていく結婚という選択肢。もっとも彼がそこまで望んでいてくれるかは分からない。彼の立場上簡単に決定づけられないことも。だから、わたしは自分の気持ちの意思表示だけはしておくことにした。
フランツはもう一度目を見張る。彼の頬がより赤くなっていた。
彼はわたしの手を触ると、自らの手を解かせた。
「喜んで。クラウディア」
フランツは笑みを浮かべると、わたしの手をそっと握りしめた。
わたしはフランツの顔が近づいてくるのに気付き、目を閉じた。
終
 




