クルトに話をしました
わたしは深呼吸をすると扉を開けた。自分の席に行こうとしたわたしの動きが一瞬だけ止まる。そこにはレーネの姿があったのだ。彼女はふいっと顔を横に向けると、窓の外に視線を向ける。
わたしは心がずきりと痛むのを自覚しながら、自分の席まで行った。
レーネはその間もわたしと顔を合わせようとはしなかった。
彼女の中では裏切者としてわたしは分類されたのだろう。
学園祭のあとに学校に残ったと仮定しても、クラス替えまであと数か月。彼女と違うクラスになるまでずっとこのままなのだろうか。
ゲームの中のクラウディアがわたしと同じだとしたら、彼女がなぜ学校を去ったのか分かった気がする。
なぜなら、こんな思いをしてまでここに通う必要なんてないのだ。転校もできるし、一年や二年、卒業を遅らせても構わない。
それが分かっていても簡単には片づけられない感情がわたしを満たしていった。
それからレーネとほとんど会話をせずに、午前中の最後の授業になった。音楽の時間だ。音楽は音楽室で行われるため、前の時間の数学が終わると、教室から人気がなくなる。
レーネもテキストをまとめると、さっさと教室を出て行ってしまった。
「レーネとどうかしたの?」
パウラはテキストを手に、不思議そうな表情を浮かべながらわたしのところまでやってきた。
「ちょっとね」
「そっか。二人でも喧嘩することあるんだね」
パウラは意外そうにレーネの机に視線を送る。
「一緒に行こうか」
わたしはパウラに誘われ、テキストを手に教室を後にした。
教室を出たところで、レーネはドロテーと言葉を交わしていた。
わたしはそのまま二人の前を通り過ぎ、音楽室に行くことにした。その道中、聞き覚えのある声がわたしの名前を呼んだ。
「クラウディア」
クルトはわたしに駆け寄ってきた。
「昨日の問題だけど……ってレーネと一緒じゃないのか」
わたしは頷いた。
そのとき、わたしの隣に並ぶパウラに気付いたようだ。
「いや、そういうつもりじゃなくて」
「いいのよ。あなた、レーネの幼馴染だっけ」
「俺のことを知っているんだ」
「あなた、意外と有名なのよ」
パウラはくすりと笑う。
クルトは意味がよく分かっていないのか首を傾げていた。
要は女の子に人気があるという意味だろう。
そのクルトの視線がわたしの背後を泳ぐ。彼の口から小さな声が漏れた。
少し
して、わたしの脇をレーネが無言で通り過ぎた。
それをクルトが見て、顔をしかめた。
彼はわたしとレーネが仲たがいをしたと知っていても、それを実際に目で見るといいようのない違和感があったのだろう。
わたしはクルトの肩を叩くとパウラと一緒に音楽室に行くことにした。
昼食はわたしはパウラと食べることになった。レーネがドロテーと教室を出て行ったのを見ていたのか、わたしを気遣ってくれたのだ。いつまでこんな関係が続くのだろう。わたしは自業自得だと分かりながらも、今の関係に胸を痛めた。
昼食を食べ終わったとき、クラスメイトが数人、わたしのところまでやってきた。
「今年、クラスでカフェを開こうという案が出ているの。せっかくクラウディアやレーネと同じクラスなんだもの。クラウディアも協力してくれない?」
「構わないわ」
わたしは笑顔で受け入れた。
レーネもドロテーに説得され、受け入れたようだった。
「クラウディア」
いつのまにか教室の扉付近にいたパウラに呼ばれ、そこまで行く。彼女に促され外に出ると、クルトが立っていたのだ。パウラは会釈すると教室の中に戻っていった。
「悪いな。勉強のことだけど、しばらくやめておこうかと思って」
「構わないけど、大丈夫なの?」
「大丈夫。俺も自分で勉強してみるよ。友達にも聞いてみるし」
彼はそう言い残すと自分の教室に戻っていった。
彼はわたしとレーネの関係を気遣ってくれたのだろう。
放課後になってもレーネはわたしと口を聞こうともせずに、そそくさと教室を後にした。
わたしは荷物をまとめると教室を後にした。
だが、昇降口に行く途中、中庭でレーネの腕をクルトが掴んでいたのをみかけた。クルトの険しい表情と、レーネの不機嫌を露わにした表情に嫌な予感が駆け巡った。わたしは昇降口から外に出て、二人のいる中庭に向かう。
「お前、どうしたんだよ」
「クルトには関係ないでしょう。わたしはクラウディアと関わりたくないの」
「関わりたくないって友達なんだろう。そんな言い方するなよ」
「あなたには関係ない。クラウディアの味方をするなら、わたしに二度と話しかけないで」
レーネは冷たい口調でそう言い放つ。
クルトの目に動揺が露わになった。
「お前」
レーネはびくりと肩を震わせた。
彼女は彼に怒られるのではないかと思い、怯えているのだろうか。
そのクルトの動きが止まる。彼の視線はわたしに向けられていた。
レーネがこちらを見る。彼女は目を見張っていた。
レーネはクルトの手を振り払うと、わたしの脇を通り抜けていった。
「悪い、俺」
なんて彼はいい人なのだろう。レーネがわたしを拒絶したことを気にしているのだ。
「わたしが悪いの。だから、レーネを責めないであげてほしいの」
「何があったんだよ」
わたしは唇を噛んだ。
「わたしが黙っていたことがあるの。きっとレーネにとっては何よりも大切なことで、それを知っていたのにも関わらず。わたしは状況が変わるのをただ待つことしかできなかった。自分が悪人になりたくなかったから」
「俺にはお前がそんな自分勝手な行動をとるようには思わない。お前はいつも周りのことを考えているだろう。だから、周りもお前を慕っているし、俺だってお前を尊敬しているよ」
わたしは唇を噛んだ。それでもわたしが悪いのは明白だ。
「ダミアンのことか?」
わたしはクルトを見た。
「レーネが気にすることで、お前が隠すようなことっていったらそれくらいしかないよ。そうなんだな。なにがあったんだよ」
「知らないほうがいいし、言えない」
「気になるんだよ。俺はお前が言ったようにあいつのことが好きだ。だから、あいつが不幸になるなら放っておけない」
「誰にも言わない?」
「言わない」
「ダミアンに彼女がいたと知っていた?」
「彼女? あいつはレーネのことが」
そういったクルトは自らの口に触れた。
クルトはそう思っていたのだろう。
「彼がレーネをどう思っているのか分からない。彼は二股をかけていた。ただ、そのうちの一人とは別れ話も出ていたようだけど。わたしはレーネにそういう相手と付き合ってほしくなかったの」
「あいつ」
クルトは唇を噛んだ。
わたしは駆けだそうとしたクルトの腕を掴んだ。
「クルト」
「そのままにしておけるかよ。お前だってこれじゃだめだと分かっているんだろう」
「分かっているけど、どうしたらいいの?」
「じゃあ、お前はどうしたいんだよ。他の彼女と別れようが関係ない。今のまま見て見ぬふりをして、ドロテーとダミアンがうまくいけばいいとでも思っているのかよ。俺はそれでも別れたほうがいいと思っている」
「それでダミアンとレーネの障害がなくなり付き合うかもしれない。レーネは少なくともわたしよりダミアンを信じたのだから」
その言葉にクルトの手の力が弱まった。
クルトは唇を噛む。
「ずっと悩んでいたのか」
わたしは首を縦に振った。
「悪かったな。今は黙っているよ」
「わたしこそ、ごめんなさい。このままじゃダメだとは分かっている」
「わたしは何があっても孤立しないから。だから、レーネの傍にできるだけいてあげてほしいの。彼女が早まらないように。できればダミアンを忘れて誰か別の人を好きになってほしい」
その言葉にクルトは難しい表情を浮かべた。
その相手は恐らく彼しかありえないだろう。
都合のいい役回りを押し付けようとしているのかもしれない。
「あいつは意固地だから。本当に、何で聞く耳を持たないんだろう。なにかあったら力になるから、あまり思い悩むなよ」
わたしは頷いた。




