別れの時期が少しずつ近づいてきました
教室に戻るとレーネの鞄はなくなっていた。
「レーネ、体調が悪いから帰るらしいよ。さっき出て行った」
ドロテーは辺りを見渡すわたしの席まで来ると、そう教えてくれた。
今日はさすがに合わせる顔がない。彼女が帰ってくれてひどいと分かりつつホッとしていた。わたしはお礼を言うと、テキストをまとめクルトの教室まで行くことにした。クルトには今日から勉強を教える約束になっていたためだ。当初の予定ではレーネも一緒に。だから、クルトにはレーネが帰ったという事実だけを伝えておこうと決めた。
クルトの教室を覗きこむと、女子生徒が数人ドアのところに駆け寄ってきた。クルトは教室の隅でほかの生徒と談笑していた。
「クラウディア様、どうされたんですか?」
「クルトを呼んでほしいの」
その言葉に少女たちに軽い動揺が走ったように見えた。あの噂の名残だろう。
そのうちの一人がクルトを呼びに行ってくれた。彼はわたしに気付いたのかすぐに教室の外に出てきた。
「わざわざ悪い。レーネは?」
「帰った。体調悪いと言っていたわ」
「体調ね」
クルトはわたしをじっと見る。
彼は教室に戻ると勉強道具を持って教室の外に出てきた。
その間、他者の視線を感じはしたが、あえて気にしないように努めた。
わたしたちは校舎の最上階にある自習室まで行く。自習室とはその名の通り、生徒たちが勉強をするために自由に使ってよい教室だ。ただ、教室といってもちょうど机が二つ入るほどの小さな部屋だ。
自習室のあるフロアに行くと、辺りはしんと静まり返っていた。そこまで一言も話をしなかったクルトが口を開いた。
「レーネと喧嘩でもした?」
「そうでもないけど」
「何かあったら相談に乗るよ」
「ありがとう」
彼はレーネが仮病を使い帰ったと分かっているのだろう。幼馴染だからなのか、彼の察しのよさが格別なのかわたしは単純に驚いていた。
言うべきことは言った。だから、このままフェードアウトするのがいいのかもしれない。
レーネがそれでもダミアンを選ぶのなら、それが彼女の選んだ道なのだから。
「お前も気にするなよ」
「なぜ?」
「そういう顔をしている」
彼はそう目を細めた。
わたしは彼の言葉に首を縦に振った。
彼の良さにここまで気づかされるとは考えもしなかった。
自習室は自由に使っていいが、中は見渡せるように扉はガラス張りになっており、なおかつ使用中の札を掲げることになっていた。わたしたちはあいている教室がないか目で見て確認した。だが、テストが終わったばかりという時期にも関わらず、自習室の稼働率は高そうだ。空いている部屋があればいいと確認していくと、三つめの扉を確認したとき、見知った姿があったのだ。
クルトも小さな声を漏らし、彼女を凝視していた。
その部屋の中にいたのはヘレナ王女だ。彼女の傍にはロミーさんもいた。
「行こうか」
そのとき、顔をあげたヘレナ王女と目が合う。彼女は目を見張るとロミーさんに声をかけ、自習室の外に出てきた。
「クラウディア様とクルトさん、どうかされたんですか?」
「彼と勉強をしようと自習室に来たの」
「正確には俺が勉強を教えてもらいにな」
その言葉にヘレナ王女は目を細めた。
「クラウディア様は聡明な方ですものね。自習室はもう空きはないようです。先ほど、わたしがはいったときにはここしか空いていませんでした」
「確認してくるよ」
クルトはそう言い残すと自習室の傍の廊下を足早に確認していった。廊下の端にたどり着いた彼は首を横に振った。
「ここで一緒に勉強しましょう。クラウディア様に変な噂が立ったら困りますもの」
ヘレナ王女はそう言うと目を細めた。
「ああ、こいつは王子様の婚約者だっけ?」
戻ってきたクルトはくすりと笑う。
そういえばその件はあやふやにされたままだ。何だったのだろう。
彼女は我に返ったのか、クルトを見て頭を下げた。
「別にクルトさんのことを悪く言っているわけではなくて」
「別にいいよ。俺だってクラウディア様と噂を流されるのは面倒だと思っている。ヘレナ様と考えていることは同じだよ」
クルトはそう大げさに肩をすくめた。
「どうしても声を出すから、ヘレナ様たちに迷惑をかけてしまうかもしれません」
「それは気になさらないでください」
そう言うとヘレナ様は愛らしく微笑んだ。
わたしたちはヘレナ王女の使っていた自習室の中に入る。ロミーさんはわたしたちと目が合うと会釈した。
わたしたちは部屋の隅にあった椅子を持ってくるとそこに座った。
持ってきたテキストを広げて勉強を開始する。まずは数学から始めることにした。
彼ができなかったのと同種の問題を開き、解くように促すが、彼の手は問題をなぞるだけで終わってしまった。
「分かりますか?」
「まったく」
わたしは最初から順を追って説明していくことにしたが、クルトはいまいちぴんとこないような表情を浮かべている。
ヘレナ王女は不思議そうな表情を浮かべてわたしたちの問題を覗きこんだ。
彼女は自分のノートに計算式を綴った。
「答えは二番ですよね」
わたしは頷いた。
簡単な問題ではあるが、彼女の年齢であっさり解いてしまうのは感服してしまうばかりだ。
「さすが王女様だな」
「これくらい基礎中の基礎ですよ。そもそもあなたがこの学校に合格したことのほうが驚きです」
「ヘレナ様」
ロミーさんが慌てた様子で彼女を諌めた。
「いや、かまいませんよ。俺だってここに受かったのは奇跡だと思います。ここの試験は難しいから」
クルトはそう笑っていた。
わたしたちは昼休みの終了間際に勉強を終えると教室に戻ることになった。
ヘレナ王女とクルトは随分と打ち解けたようで、親しい言葉を交わすようになっていた。
授業を終えると、先生が入ってきてホームルームが始まった。
彼女は淡々と連絡事項を伝えていき、一息ついた。
「今年ももうすぐ学園祭の準備を始めないといけません。各々で出し物を考えておいてください」
先生がそう言葉を締めるのを待っていたかのようなタイミングでチャイムが鳴った。
生徒たちは別れの挨拶を交わし、教室から出て行く。
わたしも帰り支度を整えながら、短くため息を吐いた。
学園祭は冬が始まる時期に毎年行われる。試験の終了を待ち、そこから二月ほどの準備期間が用意されていた。各クラスや有志で何かを作ったり、販売したりするが、決して強制ではない。なので何もしない人たちも少なからずいる。昨年はわたしも自主的に何かに参加しようとはしなかった。ただ、昨年はクラスメイトの有志で巨大な刺繍画を作ることになり、それを手伝わせてもらっていた。
前準備は忙しかったが、学園祭当日は特にすることもなく、去年はレーネと回ったが、その学園祭の終わりとともにクラウディアはレーネ達の前から去っていく。わたしがここを去るかはともかく、昨年と同じような展開は望めなさそうだった。
家に帰るとカミラが出迎えてくれた。だが、彼女はわたしを見て、顔を強張らせた。
彼女はわたしの手を引くと、部屋まで連れて行ってくれた。
彼女の細い手がわたしの髪の毛を撫でた。
「何かありましたか?」
「やっぱりわかる?」
「分かります」
彼女はそうはっきりと告げた。
もともとカミラやフランツに黙っておくつもりはなかったため、素直に伝えることにした。
「レーネにダミアンに他に彼女がいると話したら、絶縁されちゃった」
「そんな、クラウディア様が悪いわけじゃないのに」
「中途半端なのが行けなかったんだよ。ダミアンのことを無視するか、最初の段階で話してしまうか二択を選んでおくべきだったんだと思う。だから、わたしが悪いの」
カミラがわたしの肩を抱き寄せた。
「クラウディア様は本当に優しいですね。何があっても自分に責任があるのではないかと考えてしまう。忘れないでください。わたしはずっとあなたの味方でいる、と」
「ありがとう」
その幼馴染の優しい言葉に、わたしの視界が霞む。
手の甲で涙を拭うとわたしはそっと目を細めた。




