いつか教えてくれると約束しました
先生の挨拶が終わると、教室が騒がしい空間へと変化した。わたしがテキストを鞄に入れていると、わたしの机に影がかかった。レーネとドロテーだ。レーネには彼女には今日、フランツと一緒に帰るため、一緒には帰れないと伝えてあった。
ドロテーはわたしに本を差し出した。
わたしは思わず声を漏らした。
「ありがとう」
「本当は昼休みに渡そうと思っていたけど、囲まれていてそんな余裕もなかったみたいだもの」
わたしはドロテーの言葉に苦笑いを浮かべた。
この本はわたしが読みたいと思っていた歴史の本だ。専門的な本であるため、初版のみで発行部数が少ない。そのため、なかなか手に入らないものだ。何でもこの本を書いたのはドロテーのおばあさんの知り合いで、その本が家にあると聞き、借りることになったのだ。
昼休みが終わるまで、わたしはずっと質問攻めにあっていたのだ。
その主なものはフランツのことで、フランツとわたしが恋人同士なのかという問いかけから始まり、フランツ個人に関するものまで。ただ、そうしたときはぐらかす術は身についているし、わたしに対して強引に尋ねる人間もそんなにいないだろう。
もともとフランツと面識のあるレーネはともかく、ダミアンに夢中なドロテーはあまりフランツに興味がないのだろう。そう思いながら、本を鞄に片づけると、ドロテーがにっこりと笑った。
「今からあの人と待ち合わせをしているんだよね。わたしも行っていい?」
「わたしも久々にあいさつしたいなって思ったの」
どうやらそういうわけでもなかったらしい。
「いいけど、そこまで期待するようなものではないと思うわ」
フランツ自身はこういう状況になっていると知ればどう感じるのだろうか。
彼は気にしなさそうではあるけれど。
わたしたちは待ち合わせ場所となっている校長室に行くことにした。
校長室をノックすると、叔母様が返事をする。ドアを開けると、そこにはソファに座っているフランツと叔母様の姿があった。
「初めまして。わたし、クラウディアの幼馴染のドロテー=バシュです」
ドロテーは中に入ると、フランツにそう挨拶する。叔母様は呆れ顔でドロテーを見ていた。レーネはフランツに対してぺこりと頭を下げた。
フランツも簡単に自己紹介をしていた。
誰にも物怖じをしないドロテーはフランツに対していろいろ質問するが、フランツはわたしのお父様に世話になっているということ以外は何も答えなかった。
叔母様は入り口付近にいるわたしとレーネの傍まで来た。
「急に驚いたわ」
「ごめんなさい。わたしたちが無理についてきて」
レーネは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「いいのよ。彼に学校に通えばどうかとお兄様が気にしていたのよ。だから、この学校を案内してみたのだけれど、あまり興味はないようね。このまま一生を終わらせるにはもったいない気がするの。カミラもね」
「そうですね」
その考えは分かる。頭がいい二人がこのままでいるのは、もったいない気がする。
二人が望むなら、その将来も多くの可能性で満ちているはずなのに、二人にそんな雰囲気は微塵も感じない。
うぬぼれと言われるかもしれないが、わたしの世話をすることで満足しているような気がした。
「そろそろ彼を連れて帰ってあげなさい」
叔母様に背中を押され、わたしは困り顔をしているフランツのところまで行った。
「そろそろフランツを返してもらっていいかしら?」
「ああ、ごめんね。何も教えてくれないんだもん。つい熱が入っちゃったの」
「じゃあね、また明日」
わたしは友人と叔母様にあいさつをすると、校長室を後にした。そのまま近くの来客用の玄関から外に出ることにした。
校舎の外に出ると、足早に学校を後にした。
そして、学校から離れると一息ついた。
「今日は叔母様に学校を案内してもらったのよね。どうだった?」
「今日は面白かったですよ。学校ってにぎやかな場所だったんですね」
「フランツは学校に行ったことないの?」
「ありません」
義務教育というのか生徒は基礎的な言語と数学は学ぶことが義務付けられていた。家庭教師だったり、学校だったり、親だったり、その方法には規定はない。だが、学校以外の授業で習得した場合には、テストが行われる。学校は無償で通えるところも少なくないため、識字率はほぼ百パーセントだ。
彼は自分の親や家族のことを一切口にしない。だからこそ、わたしはフランツの家族について何も知らなかった。
それは彼にとっての知られたくない境界線なのだろう。
「楽しいですか?」
「面倒な時もあるけれど、楽しいわ」
フランツは目を細めた。
「クラウディア様と同じ学校に通えたら楽しいでしょうね。いつも予想外のことを引き起こしてくれそうで」
「それってわたしがトラブルメーカーだと言っているように聞こえるのだけれど」
「愉快な方と言っているんですよ」
本当にフランツはわたしを好きなのか疑いたくなる言動だ。
好きというのは玩具的な好きなんだろうか。フランツだから、ありえそうで怖い。やはり彼の好きは軽く流すに限る。
「そんなにわたしに興味があるなら、同じ学校に来たらよかったのに。そうしたらもっと一緒にいられるじゃない」
彼を茶化したわたしの耳に、予期せぬ言葉が届いた。
「僕も同じ学校に行きたいのはやまやまなのですが、問題もいくつかあるんですよ」
「問題?」
「僕から言い出しておいてなんですが、クラウディア様には今は秘密にしておきたいことです」
「なら、そのうち教えてくれるの?」
「その予定です」
教えてくれるのなら、無理に聞く必要はないだろう。
彼が隠しておきたいことというのが、皆目見当がつかなかったのだ。
そこでわたしたちの会話が途切れてしまう。
わたしはここで会話が途切れるとフランツが気にしてしまいそうな気がして、全く別の話題を切り出すことにした。
昨日はヘレナ王女の登場に驚き、材料を買って帰るのをすっかり忘れていたのだ。
「どうせなら、買い物をして帰らない? この前、ペトラの家に行った帰りに調理実習の買うのを忘れていたの」
「喜んでお供します」
彼は優しい笑みを浮かべると、軽く頭を下げた。
わたしたちは食料品店に入ると、そこで買い物を済ませることにした。
バターやココアを含めた必要な材料をかごに入れ、支払いを終わらせた。
袋を受け取り、店を出ようとするとフランツが手を差し出した。
「持ちますよ」
「これくらい大丈夫よ」
「では、僕に持たせてください」
「……はい」
そういう言い方をされると、ノーとは言えず、わたしは彼に袋を差し出した。
わたしはそれからフランツとともに帰宅した。




