ある終わり
リイザとの関係は色々思うところがありながらもその後もしばらく続くことになる。彼女が部屋に来るのを自発的にやめてくれないかと、色々無茶なことを言ったりもしたが、リイザは僕の要求はすべて笑みを浮かべて受け入れ、それがまたさらに僕の心を冷えさせる。
寒さが本格的に厳しくなってくると、部屋に閉じこもることが多くなり、曇天の日が続く。積雪は滅多にないが、ちらちらと舞う雪の様子をぼんやりと眺めたりと、気分も鬱々とした毎日。
最近ウリウスも屋敷にいるらしく、親子三人で食事を共にすることが多くなった。
口数の少ない、重苦しい食卓は一人で食べたほうがよっぽど気楽なのだが、半ば強制的なもので参加せざるを得ない。
大きなテーブルの端と端にウリウスとエミリアが向かい合う。向かい合うと言っても視線すら交わされず、互いに伏し目がちに黙々と食事を進めている。間に僕の席があり、交わされる会話というのはすべて自分を介される。
この二人は何故、夫婦なのだろう。
寝室どころか部屋すらも棟が違い、屋敷にいても顔を合わせることもないだろう。形骸化した夫婦に意味はあるのか。見栄?体裁?
いつか見た、父のもう一つの家庭を思い出す。
笑顔のウリウス。
笑顔の見知らぬ子供。
ウリウスの本当は向こうの家庭にあるのではないか。
ならば僕の今いるこの場所はなんだろう。並べられているのは温かく、美味しく、豪華な食事。高価な食器にカトラリー。絹であつらえた美しい装いに身を包んだ見目のいい父と母。
どこか絵空事のような僕の世界。
「冬の終わりにまた旅に出ようと思う」
「そうですか。お気をつけて」
それもまた毎年恒例のようなもの。冬の終わりになると父は側近たちと共に長い旅に出る。果実酒を口にし、じっと僕を見つめるウリウス。
「シオンはどうする」
「え……」
10歳を過ぎたあたりから、父と主に社交の場に出て行く機会が増えてきているなとは感じていた。ウリウスの自分に対する期待のようなものが垣間見えて、嬉しさと共に緊張を伴う。
父はまだ、自分に期待してくれている。
自分を後継者として扱ってくれている。
「早すぎます。シオンはまだ子供です」
僕が答えるより先にエミリアが口をはさむ。
固い表情のまま。
そんなエミリアに、ウリウスは小さく嘆息し、
「そうだな」
あとは無言。
澄ました表情のエミリアは自分の母親とは思えないくらいに若く見える。どこか少女のようなあどけなさを持ちながら、表情を緩めることをしないせいか、印象はすこぶる悪い。ウリウスの周りでエミリアがどのように揶揄されているのか、多分エミリア自身も分かっていて、よっぽどのことがない限り社交の場に出ることはない。
毎日部屋に閉じこもって何をしているのか不明だが、楽しいのだろうか。能面のような彼女が、まだ子供だと思っている自分の息子が毎晩のように使用人とベッドの中でやっていることを知ったらどんな表情をするのだろう。
想像すると少しだけ愉快な気持ちになる。
その日は突然やってきた。
いつものように、リイザが部屋に来て、リイザに愛撫され。
心の中とは裏腹に身体は反応し、ぞわぞわと腰のあたりがむずがゆいような何かを感じて。そしてそれはいつもとは何かがかすかに違っていた。
あ。
と思ったときに、僕はあわてて身体を起こす。
少しだけ驚いたような表情のリイザの口元と掌に何かがついているのを見て、悲鳴を上げそうになる。
リイザは、僕に目を向けると、とろけそうな笑みを浮かべて、
「シオン様、おめでとうございます。大人になられたのですね」
今度こそ、耐えられなかった。
僕はベッドから飛び降りて、彼女の服を投げつける。
「出て行け」
かすれた、小さな声が聞こえなかったのだろうか、リイザはきょとんと眼を瞬かせるが、もう、これ以上は無理だった。
「二度と、金輪際、僕の部屋に足を踏み入れるな」
もう顔も見たくない。なにも聞きたくない。リイザに背を向け、蹲り、顔を掌で覆う。
しばらくそうしていると、後ろから肌掛けを掛けられ、自分がまだ全裸だったことに初めて気づく。
「失礼いたします」
囁くような、小さな声。
振り向くかどうか、逡巡したが、僕は振り向かなかった。
扉が閉まる音がする。
それでも僕は振り向かなかった。
「リイザが本日付で辞めることになりました」
朝食後、お茶を飲んでいるときにそう、ルルから告げられた。
「そうか」
「ご実家のお母さまの具合が悪いようで、ご挨拶もせずに去るご無礼をお許しくださいとのことです」
「うん……」
食器を片付け、部屋を出ようとするルルを呼びとめる。
「リイザに、礼を言っておいてくれ。これまでの」
「申し訳ありません。わたくしからはお伝えできません。どうしても、とおっしゃるならば、ご自分の口からお伝えください」
「…………」
言葉に詰まる僕。
「同じ女の立場から言わせていただいてもよろしいでしょうか」
「……うん」
「切り捨てるなら、最後まで突き放していただきたいです。下手に優しい言葉を掛けられるのは逆に残酷です」
「……そうか。どうすればいい?」
「いけすかない金持ちのボンボンらしく金で解決なされば良いかと」
ルルの言葉に小さく吹き出す。
「お前が僕のことをそんなふうに思っていたとは」
「いいえ。世間一般から見るシオン様の印象を述べたまでです」
慌てた様子もなく澄ました表情で答える。
「うん。全てルルに任せる」
「かしこまりました」
「僕は……」
下がろうとするルルになおも言葉を続ける。
「多分、女はもう抱かない。子供を作る目的以外では」
どうしてこんなことを口走ったのか、われながら理解に苦しむが、なぜかこの使用人にはいらないことまでしゃべってしまう。
「それは……、どうでしょうか?シオン様のお歳でそう断言されるのは……」
「この先僕の進む道などほとんど決まっている。父上の連れてきたどこかの貴族の娘を娶って、子供を産んで家庭を作る」
口元に知らずに歪んだ笑みが浮かぶ。
僕は、僕のような子供を作らない。父のように、よそに幸せな家庭を作るなど論外だ。
「それに……、女はもう懲りた」
僕の言葉にルルは珍しく笑みを浮かべて頭を下げると部屋を出て行った。