ある関係
始まりのきっかけはひどい悪天候の夜だった。本格的な冬の始まりの合図のように、この季節になると、毎年のように必ずこんな天候に見舞われる。
雷の音で眠れない僕の部屋にリイザが訪ねてきた。こんな夜中に呼びもしないのにやってくることなど、あり得ないが、リイザを部屋に入れた。
「何か用か」
薄暗い部屋の中で時折稲光がお互いの顔を照らす。
「雷が……、シオン様が心細くはないかと、心配で」
「心配?添い寝でもしてくれるのか」
僕としては軽い冗談のつもりだった。
今、実際眠れてないのは窓に当たる激しい雨音や雷鳴のうるささのせいであって、雷で怖くなり眠れなくなるほど自分では幼くないつもりだ。
「もちろんです」
慈愛に満ちた笑みを浮かべられ、ベッドに誘導される。
布団をまくろうとしたリイザの手を止めようとする前に、それを発見されてしまった。
丸まったリイザのストール。
あの日、返さずに隠して置いたストールを発見されたことで僕の頬が羞恥で染まる。どう言い訳をしようか、と考えていると、いきなりリイザに押し倒された。
呆気にとられて目を丸くしていると、僕に馬乗りになったリイザが、妙に熱のこもった瞳で僕を見降ろし、何かを呟くが、それは雨音と雷鳴にかき消される。
撥ね退けることをしなかったのはどうしてだろう。その時僕は11歳で、子供だったが、本気を出せばはねのけることはできた様に思う。
ただ、リイザに唇を吸われながら、少し悲しい気持ちになったのを覚えている。
一度始まってしまったら当たり前のように屋敷が寝静まった頃リイザが部屋を訪ねてくるようになった。
執拗に僕は全身を舐めまわされ、くすぐったさを堪えるのに苦労する。
彼女との蜜月というものがあったとしたら、このころの始まりのほんのわずかな期間だけだった。
望めば何でもしてくれる。どんなことでも受け入れられる。最初のころはそれでよかった。女の身体というものにぼんやりとした興味を覚え始めていたころだったから。しかし、だんだんとその興奮、高ぶりは薄れて行き……、要するに僕は彼女の身体を知り尽くしてしまうと、飽きてしまったのだ。
いつまでも始まったころと変わらずに熱に浮かされたようなうるんだ目を向けてくるリイザ。されるがままに快楽を享受していたが、常に受け身であり続け、それどころかリイザのその目を見てしまうのが嫌で、僕は行為の最中は目を閉じるようになった。
ずるずるとそんなことを続けていたのは終わらせるきっかけがなかったのと、終わらせることすらすでに面倒くさかったからというほかない。
いつものように朝の鍛錬を終え、自室に戻ろうとすると、離れた場所からリイザが見えた。多分、リイザもこちらに気付いているのだろう。最近は屋敷内でリイザを見かけるだけで煩わしさのようなものを感じるようになってきて、そういう自分自身にもかすかな罪悪感なような物も湧き、さらに苛立ちが募る。
「ルル、お茶を頼む」
「かしこまりました」
リイザを避けるように顔を逸らし、ルルに用を言いつけて、足早にその場を去る。リイザは昼は他の使用人と同じように適当な節度を保って僕に接してくれてはいたが、出来るだけ彼女が傍に来ることのないよう、自分からリイザ以外の使用人に用事を頼むことが多くなっていた。
自室に戻っても本を開く気にはならずにぼんやりと読みかけの本の表紙を指でなぞっていると、ルルがお茶を持ってきた。
「失礼いたします」
「うん」
お茶の用意をするルルを何とはなしに眺める。
笑ったところを見た記憶がないほどに無表情で無口なこの使用人が今の僕には心地いい。
リイザとのことがある前までは気がつかなかったが、使用人たちはすました顔をしながら自分に向けて何らかの感情を隠して接していた。
それは不興を買うことの恐れであったり、羨望であったり、熱のこもった何か。それらの全てが鬱陶しい。
その点ルルは完璧と言えるくらいに感情が読めない。有能なのはもちろん知っているし、だからこそ、この若さで上の立場に立っている。
「僕の身の回りの世話をする使用人というのはどういうふうに決められているんだ?」
「シオン様の身の回りのお世話をさせていただく使用人は5名ほどいますが、休暇やその他本人の希望などを考慮し交代で勤めさせていただいております。何が御不便なことがありましたでしょうか?」
「不便なことなど何もない」
「安心いたしました。シオン様が快適に生活していただくのがわたくしたちの務めですので」
快適に、か。
そう言われると疑問だ。今の生活は快適なんだろうか。リイザの感情を自分の胸に押し込めようとしてそれでも溢れ出て見えるそれが自分の何かをゆっくりと絡め取られていくような、嫌な息苦しさを感じる。何故、僕がこんな状況に陥っているのだろうか。高々使用人の一人のせいで。
「……これから僕の身の回りのことはお前に一任したい」
「かしこまりました。早速本日よりそのように調整させていただきます」
ルルの返答に内心ほっとしながら本を手に取り、開こうとして、ふと不要になった物を片付けて部屋を出て行こうとするルルを呼びとめる。
「お前、誰かと性交したことはあるのか」
不躾な質問であるということは分かっていたのだが、なにしろ僕の周りにこういうことを聞けるものが見当たらない。
「はい、ございます」
表情一つ変えない返答に僕は興味を持つ。
ルルの歳は詳しく知らないが、15で成人なので、それが早いのか遅いのか判断はつかないが、性的な雰囲気を一切感じさせないルルがすでに経験していることが不思議な気がする。
「その男とはどうなったんだ。まだ付き合いはあるのか?」
「いいえ、すでに終わった関係です」
「終わった、というのはどういうことだ?」
「もう二度と人生で関わり合いになりたくない相手でしたので。関係を断ちこちらに住み込みで雇っていただきました。お陰さまでとても快適に生活させていただいております」
「そうか、それは……良かった」
何と返答すればよいのか分からなくなり、われながら呆れるほど適当な言葉を返す。ルルはたぶん僕から気のきいた返答を期待していたわけではないのだろう、口角を少しだけ持ち上げて笑みを見せる。
「シオン様」
「うん?」
「男と女の交わりに意味はあると思われますか」
「意味?快楽の共有のほかに?」
「快楽を共有、ですか。どちらか一方の感情の押し付けで望まぬ関係を強要されることもありますが」
「……うん」
もしかしたら、ルルはその男と望まぬ関係を強要されていたのだろうか、とふと思う。
「シオン様は将来このヴィングラー家を背負って行かれるお方です」
「何が言いたい?」
「わたくしは男と女の交わりに意味があるとすれば、子供を作るということに他ならないと思われます。シオン様がゆくゆくはヴィングラー家の当主になり、そのお子様がシオン様の後を継がれることになるでしょう」
「…………」
「差し出がましい話をしてしまい申し訳ありません。では失礼いたします」
ルルが静かに部屋を出て行く。
一人になってからも僕はぼんやりと本の背表紙をなぞっていた。