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英者は次男坊!  作者: ゼット
◆シーズン1
8/33

第8章 初めての外泊

「ねえ、ジェード。どこから始めるの?」


「何が?」ジェードはさっき買ったライモンを、まだシャリシャリとほお張っている。


「だから、賊探しよ。街でエージャーメダルを買ったのはいいけど、漠然と歩くだけじゃただの観光じゃない。まあ、それも悪くないけど……」


「実はな、ただの観光なんだ」


「ほえ?」ファルナは小動物が眼前でエサを取り上げられたような、丸い目をした。


 タイミングよく目の前に「ヒュードロ・サーカス」の大きな立て看板が見えた。ドーム型テントは昔ながらの簡易移動式だ。城内でもうわさされていたこのサーカスは、大勢の客でにぎわっている。そこかしこに赤や青の風船を持つ子供たちが見えた。


 ショーに出演するらしき女性が、公演のビラを配っている。思わず目を奪われるカーニバル風のコスチュームは、布の面積が見えている肌よりも明らかに小さい。あの格好をフミラさんがしていたと思うと感慨深い。配布用肖像画で見た通りの格好だ――あれで宙を飛ぶわけだ。


 ファルナはジェードが見とれているのを素早く察知したようで、細いまなざしを投げかけた。そんな暇はないと怒ってるのか、それとも……。このヤマに片がついたら、そのときに改めて連れてきてあげよう。


 サーカスの入り口で突っ立っていると、街の人たちのうわさ話が聞こえてきた。若い女子学生の二人組だ。


〈あの子、どっかで見たことあるのよね……どこだったかしら? あーもう! 思い出せない〉


〈ええっ? どの子? あの影の薄そうな男の子? 私は見たことないな〉


 影の薄そう、という言葉はジェードの耳にしっかりと届けられた。影が薄いことは、今回はちょうどいいんだけどな……。おい、ファルナ。その笑いをこらえる顔はやめろ。こっちまで、つられちゃうじゃないか。ゴホンとせき払いをして、ジェードが言う。


「そろそろ今日の宿を決めないとな。本格的な捜索は明日からにするか。何か希望はあるか、ファルナ?」


 そそくさと歩きながら、ファルナが答える。


「うーん、ぜい沢は言わないけど、広めのお風呂がいいかな」


「へえ、じゃあ、そこなんてどうだ?」


 ジェードが指した先には、ポウッと赤い看板が光を宿していた。羽ペンで書いたような流麗な筆跡で、宿名を示す――「オライエント・スゥイート」


 世間知らずの王子と、ちょっとだけ耳どしまな侍女。ファルナは、その宿がどのような目的に使われているかの判断に迷った。違う方面の可能性も往々にしてあったが――、パッと見の造りは黒塗りしっくい造りの東方テイストで、丸いちょうちんが品よく飾られている。


 ファルナが注意深い魔女のように宿の外観を値踏みしていると、ジェードはそのままスタスタと入り口に消えていった。そして、数分もたたないうちに顔をのぞかせて言う。


「オッケーだってさ」


 そこは旅人向けの宿屋で、少し高めの値段がつけられていた。ファルナが尻込みしたような、大人の男女向けのそれではなかった。二人には都合がよかったのだが、彼女は今しがたライモンを食べたように口をすぼめ、ずっと下を向いて歩いていた。


 品のよさそうな若い女中に部屋を案内された。


「こちらですね、イリスの間とニケの間です。どちらになさいます? ニケの間の方が少し広くなっておりますが」


「じゃあ、彼女をそっちで。それじゃ」そう言って、ジェードは少し狭いイリスの間へ消えようとする。今日はもう疲れたからまた明日、と言わんばかりに。するとファルナが、ジェードの腰にぶら下がった革製のナイフシースをつかみこう言った。


「い、一緒の部屋じゃなきゃ、守れないでしょ!」


「ええっ?」ジェードと若い女中は同時に言った。


 急きょ通されたサンドラの間は、思ったよりも広かった。二人で四万グレーデも支払ったのだから、それもうなずける。情緒風情のある外観とは異なり、内装は趣を異にしていた。


 むき出しのシダモ材の机と椅子、そしてベッド。それに何と言っても、部屋を埋め尽くすばかりの緑。見たことのない大ぶりの観葉植物が四隅に飾られていた。見ようによっては、食虫植物に見える。


 夜の街が見渡せる窓際の机には、リンデガエルの置物が飾ってあった。小さな石でできたかわいらしい置物で、一匹の背中にもう一匹のリンデガエルがちょこんと乗っていた。


「えっ、これって……」ファルナは思わず口を突いた。


 上に乗ってるのが親子なのはオーク亀だったかしら、だったらこれって……ファルナは思わずほほを赤らめた。ジェードはなぜか、その置物が気に入った。


 そのセンスには少々驚かされたが、一夜限りの宿として文句はなかった。大きめのベッドが二つ。真っ白な折り目正しいシーツに、近郊のリザ地方の交易品である、斜めシャガリア織のブランケットがかけられている。これならぐっすり寝ることができそうだ。


 ほどなくして夕食が運ばれてきた。ワゴンテーブルに載せられていたのは、岩クルミと谷ブドウを練り込んだパンが四切れと、ゆでた尾長芋に砂漠ダチョウのサラミを刻み込んだサラダ。そして近海のエルデ海で水揚げされた銀目ダイのソテー。


 魚の上には、グリーンオイルとレッドガーリックを熱して、刻み野菜をブレンドしたソースがたっぷりと、かけられている。香ばしい油の匂いが鼻の奥に広がり、食欲を刺激した。それに天ラン豆を用いた、クラウス風すましスープ。デザートの甘酸っぱいフランヨーグルトも、たっぷりと胃の中へ押しやった。


「ふう、満腹。城の料理とはまた違って、これはこれでおいしいな。濃厚な味付けだけど、変にしつこくないし。スープは逆に塩の味付けだけでピントを絞っている。エルデ海の天然塩を使ってるのかな」


「そうね、とてもおいしい」


 そういう割に、ファルナは食が進んでいないようだった。城の夕食のときは、これぐらいはペロリとたいらげるのを目にする。いつも楽しそうに食べる姿を見るのが、ジェードのひそかな楽しみだった。


 ただ、何となくそこに触れるのはやめておいた。日中の疲れや、これからの旅を憂慮しているのかもしれない。彼女にはジェードを守るという大義があるのだ。ジェードがファルナを見やると、少し顔を赤らめて……もじもじしているように見えた。


「あ……あのさ……」


「ん? どうした? 風呂の順番決めか? 先にいいぞ」と、口を開いたはいいが、そこで強烈な睡魔に襲われた。そしてそのままベッドにうずくまり、眠り込んでしまった。


 朝起きると、どことなくファルナはつっけんどんだった。


「あら、ようやくお目覚めかしら、王子様。昨夜はよく眠れたか・し・ら」


 理由はよく分からないが、彼女がふだんの調子になってくれたのなら、それでよしとしよう。ジェードには本当に思い当たるふしがなかった。


 朝食には絞りたてのライモンジュースが出された。酸っぱかった。

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