第10章 伝説の侍女アリーザ
ファルナがテレプスをつなげたのが、生家に着いて一息入れた直後。翌日の朝にはその伝説的な侍女が、玄関に付けられたかわいらしい呼び鈴を軽く揺らしていた。
「アリーザさん!」玄関でその姿をみとめるなり、勢いよく抱きついた。
アリーザ・レインウォーターの柔肌が、ファルナにその弾力を伝えた。城中の男性を骨抜きにする彼女の魅力について、胸の丘陵と腰のくびれ具合で、同性のファルナでもすぐに合点がいった。
「あらあら、ファルナちゃん」アリーザはそう言ってファルナを受け止めた。そして奥に見えるウィルナに頭を下げる。
「いらっしゃい、お城の方かしら? 本当にごめんなさいね。遠路はるばるお呼び立てしちゃって。狭いところですが、どうぞくつろいでください」ウィルナは物腰柔らかく言った。
母は娘の悩みを、あえて聞こうとはしなかった。当事者であるジェード少年も知っているため、どちらかに変に肩入れすると余計に話がこじれてしまうと判断したのだ。
やはり母は偉大である。年頃の娘の悩み事について、およそ見通しをつけた。そこでウィルナは、「まずはお城にテレプスをかけて、一番信頼できる人に相談しなさい」とだけ言ったのだった。
「ふぇええん……アリーザさーん! ひどいんですよ、ジェードが。だって……だって……」
ウワーン! と子供が大泣きするような音量で、泣き出してしまった。
アリーザは、自分の胸に顔を埋めるファルナの頭を優しくなでた。それを見ていたウィルナはそっと目で合図を送り、上の階を指さした。
「それじゃあ、ファルナちゃんのお部屋で話を聞こっか。お母様、お構いなく」
ファルナは何度か背中をしゃくりあげた後に、こくりとうなずいた。アリーザは、ウィルナに軽く会釈をした。
「はーい。それではごゆっくり」ウィルナは、とっておきのギンガムハーブティーの準備に取りかかった。
ファルナが話せるようになるまでに、結構な時間がかかった。落ち着いたところを見計らい、アリーザが促す。
「それじゃあ。何があったのか、話してみる? このパレオスカート、かわいいわね。もしかして、ジェードさんに買ってもらった?」
アリーザがお姉さん口調で言う。すると、また何かを思い出したように、ファルナが泣き出してしまう。アリーザはそんな年下の侍女を、よしよしと慰めながらも、自然と笑みがこぼれた。ジェードの兄のプリストンが亡くなってからは、どうしても笑顔を忘れがちになっていたからだ。
やがてファルナが口を開いた。ブラックスラムでの生活のことや、エルラド教国の研究所の一件を、少しずつ丁寧に話す。
「それで……そのレクストンって人なんですけど……。プリストンさんにそっくりで、だからジェードが強く引かれちゃったんだと思います」
「ふんふん、それでファルナちゃんの独占欲がちょっとだけ、顔を出しちゃったのかな?」
「そんなこと!……少しは……あるかも……です。でも、それだけじゃないんです。やっぱり、少し怪しいんです。胸に、敵であるエルラドの紋章を下げていたし」
「そっか、ファルナちゃんが気にかけるのは無理ないわね。侍女の心掛けとしては、うん、正解。常に周りに目を配らせるのはいいことよ」
「アリーザさんは、気にならないんですか? その……プリストンさんにそっくりな人のこと。見てみたいとか、思いませんか? 本当にそっくりなんですよ」声を弾ませてファルナが言う。少し元気を取り戻してきたようだ。
「そっか、不思議こともあるものね。でも、私はその人を見てみたいとか、そういうのはないかな」あっさりとした口調で言った。
「……でも、ファルナちゃんの知り合いの人って意味なら、お目にかかってみたいかも。レクストンさんとルリエッタちゃん、それにロンド君だっけ? あと、エージャーのカーラちゃんか。ふふ、楽しそうな人たちじゃない」
「はい、そうなんです……でもやっぱりすごいなあ、アリーザさんは。ジェードなんて、もう、その人にべったりなんですよ」
アリーザは黙ってファルナの話を聞く。言いたいことは、全てはき出させるのが、こうしたときの特効薬と心得ている。
「それで、研究所を吹き飛ばしたんですって? 相変わらず、二人とも派手ね」
アリーザが言う「相変わらず」は、二人がバグドラゴ帝国の末えいを打ち倒した、この前の活躍劇を指した。ファルナは苦笑いを見せる。
そしてアリーザは、ファルナの根源にある不安と焦りの正体を、ものの見事に言い当てた。
「大丈夫。大丈夫だから。ファルナちゃんのお父さんは、その研究所の中にはいなかった。それでお仕舞い。間違いないから。私が断言してあげる。だから、もう心配するのは止めにしましょう」
するとファルナはまた涙ぐんで、アリーザの正座しているももに抱きつく始末だった。
父の安否への不安は、常に心の中でくすぶっていた。エルラド教国の研究所で、あの恐怖の実験を目の当たりにして、不安にならない方がおかしい。
百体を超える首なし人間の中に、自分の父がいたのではないかという恐怖。父のことについて、ブラックスラムの彼らの前では話してほしくなかった。自信が今にも揺らぎそうだったのだ。ジェードのことも、どこか遠くに感じてしまっていた。そうした複雑な思いが混然一体となってあふれ、心が決壊してしまったのだ。
アリーザの体から、心が洗われるような、爽やかな香水の匂いが流れてきた。
「アリーザさん、今つけている香水って何の香りですか」
「えっ、これっ? ちょっと珍しいヤツで……。ライモンがベースなの」
ファルナは、どこかでライモンの香水の話を聞いた気がしたが、頭の中でうまくつながらなかった。
〈まさか……ね。幾ら何でも年が違い過ぎよね。あの山に住んでたガルム師匠は、もっとおじいちゃんだから〉
そのタイミングで、階下より声がかかった。
「エアハート家特製の、ギンガムハーブティーが入りましたよー。よろしかったら、どうぞー」
ファルナはそれを聞くと、憧れの先輩侍女であるアリーザに言った。
「うちのハーブティーは絶品ですよ。いろいろ聞いてもらったら、すっきりしちゃいました」
アリーザは実の姉のような優しいほほ笑みをファルナに返した。
今回の団らんでは、ファルナはチャムを呼ぶことを忘れなかった。
「こんにチャム。ファルナたんのお母様ですね。大精霊様に引けを取らないほどのお美しさですね。お目にかかれて実に光栄でチャム」
社交辞令を踏まえた妖精の口ぶりに、団らんは一層楽しいものとなった。奇遇にも女性がそろったテーブルトークに花が咲いた。
「いやあねぇ。エージャーってのは初めて見るけど、何ともかわいいじゃないの。気が向いたときにでも、ママにプレゼントしてちょうだいね」
「もう、ママったら! エージャーは一応戦闘用なのよ。ペットと勘違いしてない?」
「お母様、とてもおいしいですわこのハーブティー。お城でお出ししたいので、是非作り方を教えてくださいませんか?」
「いやだわ、アリーザさん、お母様だなんて。でも、うれしいわ……。ハーブティーもそうだけど。この子、一人っ子でしょ。お姉さんか妹が、きっと欲しかったと思うの。素敵な方が身近にいてくれて、とても心強いわ。これからも仲良くしてくださいね」ウィルナがしみじみと言う。
「いえいえ、私の方こそ、ファルナちゃんに助けられて、元気を頂いてますから」アリーザは、ゆっくりと手振りを交えながら、優雅に言う。
「それにしても、ファルナ。あなた、ジェードさんを連れてきたときと同じぐらい、うれしそうね。フンフフーン」
「またぁ、やめてよ……。ママッたら……」
ファルナは、顔から火魔法が出るほど恥ずかしかった。
ジェードへの思いをアリーザにそれとなく知られたのが恥ずかしいのか。それとも、アリーザへの強い憧れを母に見透かされたことが照れくさいのか――よく分からなかった。
「そ、そうだったチャムか……ファルナたんはアリーザたんのことを、そんなに強く思ってたんですね。もう、チャムは用なしチャムぅ……」
妖精は、やはり賢い生き物なのだろう。明らかに場の空気を読んだ冗談で、更に会話を和ませた。
「それじゃ、また気軽に遊びにきなさいね、二人とも」
家の外で、ウィルナが軽快に声をかける。
「ママ、ありがとう。また、近いうちに来るから」
「突然押しかけて失礼しました。お城に来られた際には、精一杯おもてなしいたします。ファルナちゃんの仕事ぶりも御覧いただけるので、いつでもいらしてください」
「あっ、それはちょっと困るかも……」
にぎやかな笑いに包まれながら、ファルナたちは、エアハート家を後にした。
「それじゃあ、我ががま王子の元に返ってあげよっかな」ファルナが、すっかり御機嫌な口調で言う。
「一日ぐらいなら、ジェードさんは平気よ。ちょっとは寂しい思いをさせなくっちゃ。私なんて、前に一週間も放っておいたんだから」アリーザが象徴的なたれ目を少しつり上げて、サラリと言った。
その心遣いにファルナは感謝した。長男侍女のアリーザが、言うのだから間違いはない。
……その長男であるプリストンを失ったときの気持ちは計り知れないが、今はしっかりと立ち直ったようだ。
「あっ、アリーザさん! 一緒にその人、見ていきませんか? 本当にそっくりなんですよ」
アリーザは小さく首を振って、そのまま城へ戻る意思を示した。ファルナもうなずいた。
村の出入り口にさしかかったとき、ファルナが話を始めた。
「そう言えばこの前、ここでチャムを盗まれちゃったんです。ちっちゃい子に、ドンッてぶつかられて……。そこから、いろいろと流れが変わっちゃったんですよね」
胸ポケットのエージャーメダル(チャムは格納済み)を念のために、確かめた。この前は。小物入れを無防備に腰に巻いていたのが、災いした。
「――あのぅ、すいません……」
ファルナは、急に後ろから話しかけられた。見知らぬ声であり、この前のことを思い出している最中だったので心底驚いた。心が警戒していた。
声の主は、ファルナよりもまだ少し若い女の子の二人組だった。
一人は少し離れたところにいて、もう一人が勇気を出して話しかけてきたような格好だった。
「もしかして……エアハートさんですか? ファルナ・エアハートさん。最年少で特級侍女に合格して、王室の侍女をやられている……」
「ええ、そうよ」
女の子たちの問いかけが示す意味はすぐに分かった。怪しい人物ではないと分かり、ファルナは一安心した。
「キャア! 本物のファルナさん! もしかして、こちらは……アリーザさん?」遠くで見守っていたもう一人の子も駆け寄って、会話に加わる。
アリーザも慣れた様子で、軽くうなずいてみせる。
「わあ! ス、スペリングをお願いしますっ!」二人のあどけない女子が声をそろえる。
王室侍女職は人気が高く、ゆうに数万倍を超える狭き門であるがゆえ、頻繁ではないが、こうしたことはままある。侍女に憧れる女子たちが、専門の会報誌をひそかに発行して情報交換をしている。ファルナは最年少の特級資格保持者で、その記録の前保持者は他でもないアリーザだ。二人は、その会報誌の表紙を飾るほどの人気だ。
お下げ髪の二人は尊敬のまなざしで、ファルナたちを見やり、魔法のスペリングを受け取った。火の魔法で、羊皮紙などに名前とメッセージを書いてあげるのがスペリングだ。
「いつも心に太陽を! ファルナ・エアハート」
「玉ねぎを茶色になるまでいためるのが、魔法のコツよ。 アリーザ・レインウォーター」
女子二人は深々と頭を下げ、胸に大事そうに抱えて走っていった――きっと、友達に早く見せたいのだろう。
「このお仕事が、誰かに夢を与えられるといいわね、ファルナちゃん」
「はいっ! そうですよね。あの子たちの目標になるような素敵な侍女にならなくっちゃ!」
ファルナは、ジェードのいるブラックスラムへ戻る決意を固めていた。一日経過しているが、間に合うだろう。すると、アリーナが口をゆっくりと開いた。
「……ちょっと、スペリングを頼んでくる雰囲気じゃない人たちがいるわ。ファルナちゃん、六ぼう星の七番目をお願できるかしら」




