第9章 ファルナの思い
ファルナは、不穏な感情が自分の中に凝り固まっていくのを、確信しつつあった――。
「いよう! おチビちゃんたち元気だったかい?」
ブラックスラムに着くなり、レクストンが言いそうなセリフをジェードが言った。
「ジェード兄ぃ、お帰り! レックスも!」
二人の子供は、すっかりジェードになついているようだった。そのせいでジェードは陽気なおしゃべりになり、一方、ファルナは徐々に無口になっていった。
その夜のこと――。
レクストンとジェードが、ルリエッタたちに武勇伝を聞かせている。倉庫の外でたき火を囲んで、話に花が咲く。子供用の水蜜桃入り飲料しか飲んでいないのに、ジェードは随分と高揚していた。魔法で活躍できたことが、格別にうれしかったらしい。
ファルナは意を決して、そっと立ち上がった。
「ごめん、ジェード……盛り上がっていることろに水を差して。ちょっといいかな?」
そして、レクストンたちから少し離れた倉庫の隅に、ジェードを呼び出した。
「ごめんね。いつまでここにいるのかを、教えてほしいの。危険な思いをするのは、仕方がないかもしれないし、そんな王子様を守り抜くのも侍女の勤めだと思う。それは分かる。でも、いつまでいるか教えてくれないと不安になるし。それに……あの人……」
ファルナはレクストンのペンダントに施されていたエルラド教国の紋章について、話すべきか迷った。それだけで、直ちに彼の素性を怪しむことはできないし、何より、ジェードのことを気遣ったためだ。
完全に彼は、レクストンに好意を抱いている。それは、実の兄に向ける尊敬と信頼のような、男の友情と言えるものだろう。
それがかえって、ファルナの不安をかき立て、大いに悩ませた――兄の幻影を追うジェードは、果たして正しい道に進んでいるのだろうか? 一国を担う王子として、その責務を遂行していると言えるのだろうか? と。
ジェードはただ居心地のいい、幸せを感じられる場所を求める少年の姿として、ファルナの目に映った。
「悪ぃ、ファルナ。今日は、その返事は待ってくれないか? お前も、今日の激闘で疲れただろ? 何てったってアンデッドたちだからな。あんな化け物、我ながらよく退治できたと思うよ。最後は火魔法で、ドカーンって一網打尽だぜ。あっ、おいっ! レックス! それ、俺のスモークサラミスだろ、取っといてくれなきゃ!」
そう言うと、ジェードは手で謝りの合図だけして、たき火の元へ走っていった。
ファルナの言葉はなかった。
「そうだ、ジェード。明日は、仕事は休みだ。ここから上流に行ったところで、みんなで釣りでもしようかと思ってるんだけど、どうだい? もちろん、ファルちゃんも連れてさ」
「おっ、いいね、レックス! 実は俺は意外と釣り好きでさ。前にこーんなでっかい虹色の魚を釣り上げたこともあるんだぜ、なあ、ファルナ?」
ファルナがそれに答える前に、ルリエッタが口を開いた。
「へぇーすごい! あたいにも、釣りを教えてよぅ、ジェード兄ぃ。やってみたい!」
「ずるい、僕も、僕も!」と、ロンドも口を出す。
子供たちとの会話に、まんざらでもない表情を浮かべるジェード。ファルナは、遠くからただ見つめるだけだった。その日の宴は、夜遅くまで続いた。
そして夜が明けた――。
エクスディア城のように、気の利いたファンファーレが鳴り響くわけでもなく、朝を迎えた。
朝のジェードは、ファルナの目には昨夜とは別人に映った。たき火を囲んでいたときの、はつらつとした少年の姿ではなかった。どこからどう見ても、老人の姿なのだ。
あまりの変わりように、ファルナは慌てて自分の額に手を当てた。余りにも全ての物がよく見えるものだから、つい、千里眼のミュレットを自然に結んでしまっていた。
〈駄目よ! これに頼っていたら、自分の選択眼に自信が持てなくなっちゃう。返さなくっちゃ〉
ファルナは、ミュレットの結び目をほどいた。すると、老人のように見えたジェードの姿が、少年らしさを取り戻した。それでも、大きく落胆している様子で、元気はなかった。
ファルナは、特級侍女の頭脳を巡らせた。やがて、一つの結論に達した。
〈生者の魔法の正体が、あんなアンデッドの生物兵器だったから……か。魔法が本物なら、お兄さんに会えると、心のどこかで思っていた。もしかしたら、また一緒に暮らすことができるかもって、本気で……〉
ファルナは、ゆっくりとジェードの後ろから近付いた。見晴らしのいい、段差のある草原に座り込んでいる彼を、後ろから脅かしてやろうとしたのだ。ちょっとしたイタズラだが、いつもの二人にとってのお約束であり、仲直りの印でもあった。
すると、段差の草むらの陰から人影が現れた。ファルナの方が逆に驚き、その勢いで身を隠す始末だ。
「ジェード、お前の力を見込んで頼みごとがあるんだけどさぁ。聞くだけ聞いてくれないか?」
「何だい、レックス。別にいいけど、俺に使える魔法なんて、ちっちゃい炎が踊るヤツだけだぜ。後は、風で移動する魔法は少しだけ自信があるかな。逃げ足用だけどな。それと、剣の方はまあ、そこそこかな」
「それで十分さ、実は、あいつらの将来を考えると、やっぱり金が必要なんだよ」
「おいおい、俺にお金を期待しても無理だぜ」
「いや、そうじゃねえ。よく聞いてくれ」そこでレクストンは、クスリと笑った。
「お宝の情報が入ったんだ。金銀財宝のいわゆる、お宝さ。幻想のレリクスっていう遺跡が最近発見されたらしくってさ。飲み友達の情報屋から聞いたんだけどな。これが、信用できそうなんだ」
茂みに身を隠していた、ファルナは耳をそばだてて聞いた。盗み聞きするつもりはなかったが、ジェードのことを思うと、聞き逃すわけにはいかなかった。
「へえ、そうなんだ。でも、それなら、もうみんな探しに行ってるんじゃないか? ここら辺の近くにあるんだろ?」ジェードは脳天気に答える。
「いや、それがさ。専門家のヤツらでもおいそれとは、いけない場所にあるらしいんだ。ここからだと、そうだな。草原に沿って千ブロックばかしも越えていかなきゃならない」
「千ブロック? そんな距離だったら、このファンブレラ大陸の一番端っこの、辺境地になっちゃうじゃないか。どうやって行くんだよ、レックス? 歩いてだったら、ひと月はゆうにかかっちゃうだろ」
「その知恵を含めて、お前さんに相談しようかな、と」
〈あっきれた……〉ファルナは、茂みの中から声が出そうになった。ジェードが身分を隠しているので仕方がないが、一国の王子に対して、なかなか愉快な相談を持ちかけてくれるわね。――そう思った。
ファルナが話しかけるきっかけを逸したまま、ジェードたちは倉庫に戻った。
そして、三人の子供たちと魔法遊びを始めた。倉庫の中の、くつろぎの場に相当する部分に、積み荷用の箱を重ねた机や椅子が並ぶ。
ジェードはその簡素な机の上に、小さな炎魔法(フレア=リルダンス)を幾つか生まれさせ、子供たちを小粋な踊りで楽しませていた。
「ジェード兄ぃ、レックス兄ぃと冒険に行くんだって? あたいたちも連れてってよぅ!」
「おいおい、まだ決めたわけじゃないんだから。そんな大切なこと、俺だけじゃ決められないし」
「あー、ファルナさんが怖いんでしょ。知ってるよ、あたい。こういうの尻に敷かれるっていうんだよね!」ルリエッタが得意げに言う。
「待て待て、ルリエッタ。別に尻に敷かれてるわけじゃないぞ。そりゃ、確かにときにちょっとだけ、怖いことはあるけどな」
「ほら、やっぱり怖いんじゃない。ねえ、何だったら、あたいが彼女になってあげてもいいよ」と、ルリエッタが言う。弟のラックやその侍女のミュウよりも、更に年下に見える女の子だ。どうやら、ジェードのことが気にいったらしい。
「ルリエッタには、参ったな。そうだな、もう少し大きくなったら、考えてやってもいいぞ。その代わり、もう泥棒のまねごとはするなよ。それとな、お前たちはまだ小さいから、冒険に連れてけないからな」と、ジェードがたしなめる。
「ええーっ」と二人は口をとがらせた。
「その代わり、お土産だったら買ってきてやってもいいぞ、何がいい?」
「おっ、どうした。楽しそうだな、みんな」とレクストンも会話に参戦する。
ファルナは、その倉庫での会話に入っていけなかった。しかし、柱の陰から全て聞こえていた。目くじらを立てるほどではなかったが、会話に加わる気力はなかった。
ファルナが一番驚いたのは、ジェードが遺跡に行こうとしている節があるところだった。まだ、この場所にとどまるつもりなの? 何の目的もなく。
「ジェード……」柱の陰から、ゆっくりとファルナは姿を見せた。
ジェードは、話の内容を聞かれたのが少し恥ずかしかった。子供たちと余りにも親しげに話しているのが気恥ずかしくて、その照れ隠しのようなセリフを吐いた。
「ファルナ、何だよ。いるならいるって、言ってくれよ……」
「ジェード、遺跡に行くつもりなの? さっき言ってた、その……幻想のレリクスってところに」
ファルナの立ち聞きが少し前からだと分かると、ジェードは更にぶっきらぼうに映った――少なくとも、ファルナには。
「まあ、そのつもりで考えてるけど、別にいいよな? 急ぐ旅じゃないし」
「私は、反対よ……」ファルナの口から本音がこぼれた。
「まあ、待ってくれ、ファルちゃん」レックスが箱の机を囲んだまま、二人の間を取りなす。
「俺はジェードを誘ったけど、二人にけんかしてまで来てほしいとは思ってないんだ。俺とこいつらのことに、巻き込むわけだからな。うん、いいんだ、忘れてくれ。今までありがとうな、助かったよ、いろいろと」
レクストンに悪気はないのだろうが、すっと身を引いたことで、逆にファルナが我がままを押し通す悪役に見えてしまった。これでは、ファルナも面白くない。ジェードが、そこまでの配慮をせずに、口を開いた。
「いいんだよ、レックス。それより、ファルナもちょっと怒りすぎだぞ。お前のお父さんもちゃんと探すから、少し時間をくれよ……」
「えっ? どういうことだ、ジェード? ファルちゃんのおやじさんも、いなくなっちまったのか? まさか、エルラドのヤツらに……」
レクストンのその質問に答える前に、ファルナの感情が爆発した。
「そんなことじゃない! パパのこと何て言わないでよ、バカァ! 私は、私は……」
ファルナが泣きじゃくりながら、大声を上げた。
全員が、なぜ彼女が激高したのかの理由が分からず、ただ驚いている。
「もう、知らない! 勝手にすればいいでしょ! 私はもう帰るから!」
大粒の涙をさっと拭い、ファルナはポニーテールを大きくなびかせると、全速力で倉庫を走り去った。ジェードがとりつく島もないほどの、一瞬の出来事だった。
年長者のレクストンであっても、適切な言葉が見つからなかった。ここ数日の彼女は冷静沈着に見えた。まさかこうなるとは思ってもいなかったのだ。
ファルナが勢いよく倉庫の扉を開けて出て行くのを、ジェードはぼう然と見送った。
余りにも決まりが悪いので、レクストンたちにはうそぶいて見せた。
「たまに、カーッとなっちゃうんです。放っておけば、ちゃんと戻ってきてくれますから。心配しないでください……」
「本当か? ジェード。それならいいんだけどな……」
「僕は、追いかけた方がいいと思うんですけど……あっ、すいません。子供のくせに生意気ですよね」とロンドが眼鏡の端を触りながら言う。
「あたい、分かるよ。きっとね、これってヤキモチなの! んぁっ? でも……誰に?」おませなルリエッタは、自分で自分に謎かけをした。
ファルナは、スピードスの最高速度に到達しようとしていた。
速く――、速く――、向かう先は……自分の家だ。
「もう! ジェードの分からず屋!」
ファルナは速度を限界まで上げた。常人の肉眼では、既に捉えきれない速度だ。
娘の思ったより早い再来訪を、母親は余り驚くことなく受け入れた。
「あらあら、ファルナ。随分早いお帰りじゃない。待っててね、ちょうどおいしいミルクライモンティーをいれたところだから」
そしてウィルナは何も聞かず、世間話を始めた。青果店のお値打ち品のことや、夏の収穫祭のこと。王室侍女に志願する子が、時折訪れて質問していくことなど。ファルナはポルケット村のちょっとした有名人なのだ。
ウィルナがかけてくれる言葉とミルクライモンティーは、心に染みるほど……とびっきり温かかった。




