第7章 レクストンの師匠
それから――レクストンが師匠と呼ぶ男の住居にたどり着くまでに、三時間を要した。
三人とも戦闘でヘトヘトとになっていたが愚痴をもらすこともなく、頂にたどり着いた。
そこは岩石をくり抜いた洞穴だった。魔法で奇麗にくり抜いたらしく、家主の技量がうかがわれた。
「御無沙汰してます、ガルム師匠。レックスです。今日は友達を連れてきました」
レクストンが、分厚い木の扉越しに言う。彼の「友達」という表現に、ジェードは少しうれしくなった。
返事を待つこと十分。やがて、洞穴のあるじが姿を現した。
真っ白い見事な長髪と、年季の入ったツエ。色あせを感じさせない生成り色のローブは、裾が長いものだった。部屋の帽子かけには、幾つかの三角帽子がかけられ、まるで絵本で見る老練な魔法使いが、そのまま飛び出してきたようだった。
中は思ったよりも広かった。食卓用の机に、椅子はちょうど四脚あった。
「おお、レックス。よく来たな。まあ、座りなさい。どうぞ御遠慮なく。なぬ? 遠慮するほど、小ぎれいじゃないって? ふぉっ、ふぉっ! それは愉快じゃ。さて、ときに何しに来たんじゃろうて?」
老人の気さくな話しぶりに、ジェードとファルナはきょとんとした。一見すると、もっと寡黙で、口を利くのがはばかられそうな雰囲気を醸し出していたからだ。
ジェードたちは、ペコリと挨拶をして席に座った。
レクストンは手慣れた様子で、ここにジェードたちを連れてきた理由を話し出す。
「実は、師匠。ここ最近……、一年ちょっとぐらいの間で、急速にエルラド教国のヤツらが活発になってきてるんです。ここらで手を打つべきか思案して……。実は、ここに来る途中の井戸でも、怪しげな魔獣に出くわしたんです」
「魔獣……はて? それは、もしや例の生体実験の類かのぅ?」
「ええ、多分そうだと思います。あいつら、子供たちの親だけじゃなく、いろいろな生物に洗脳やら何やらの実験を行っていると、聞いています」
「実験? 洗脳? それってどういうこと?」
「落ち着けよ、ファルナ。今それを、話してるところだろ」
「ごめんなさい……」
「ふぉっ、ふぉっ、いいんじゃよ。若い嬢ちゃんは大歓迎じゃ。とてもよい香りを運んでくれる。その香りだけで、ふっと若返るようじゃ」
ガルムは、ファルナがつけているセルンの聖水を指した。クンクンと、あからさまに匂いを嗅ぐ仕草をしたので、彼女は顔を赤らめた。山登りや戦闘で汗をかいたので、自分の香りに自信はとても持てなかった。
しかし、聖水のおかげでそうした心配はなかった。清らかな花の香りがトップ・ノートとして、かんきつ系の残り香がラスト・ノートとして漂う。
ファルナは、エクスディア城の中年衛兵たちの相手をするように、ガルムへ少しくだけた笑顔を浮かべた。
「しかし、その相談だけしに来たわけじゃあるまいて。どのみち、心は決まっておるんじゃろう。本当の用事は何じゃ?」
「さすが、相変わらず鋭いな、師匠は」
「さては、あれか。わしの回復魔法が目当てできたのじゃろう」
「えっ! ガルムさん! 回復魔法が使えるんですか? すごい、私も習いたいぐらいです、師匠!」ファルナが途端に目を輝かせた。
ファルナの話によれば、回復魔法は「風、水、火、雷、闇、光」の六元素魔法とは異なる、全く別系統の魔法だそうだ。その技術は相当に高く、簡単に習得できるものではないらしい。
「お嬢さん、回復魔法を習得するには、少なくとも半年はかかるが、それでもええかの? 正直、わしはそこまで長生きできる自信がないんじゃがのぅ」
「えっ! そんな……」
ファルナは、二つの意味で言葉を発した。半年かかるものは、さすがに諦めなければいけないのが一つ。そして、二つ目は、ガルムの「長生きできない」という部分についてだ。ぱっと見は、年老いてこそいるが、すぐにどうこうとは……とても思えない。
「わしは、ある女性に回復魔法を教わった。今でも、その人のことは忘れられない。心にいつまで残っている秘めごとじゃ。じじいのたわごとになって済まないが、とても奇麗なひとじゃった。それで、じゃ。回復魔法を授けるのは無理じゃが、かけてやることはできる。それが、お目当てなんじゃろう」
ガルムはそう言うと、三人を椅子から立ち上がらせた。
「ヒアル=ディスパッチ!(命源泉の応急)」
ガルムの物々しいツエから、命の息吹がほとばしる。風とも光とも違う……シンキロウのようにわい曲した空間があたりを包む。
〈おおう、久しぶりだ、この感じ……霧の熱風呂に入ってるような感覚〉
〈これが、回復魔法! 力がみなぎってくるのが分かる。細胞が活性化されて、次々に生まれ変わっていくような〉
〈ああ、素敵。この伸びやかな温かい感じは何? 全身が清らかな水で洗い流されていくみたい。時間があれば、絶対に習得したい魔法ね〉
ガルムは、小さな砂時計を二回ほどひっくり返した。そして、言った。
「どうじゃ、若い衆? わしの回復魔法は、たまげたかい?」
「ええ、師匠。さすがですよ。もう、完全復活した感じです。いやぁ、久しぶりだったけど、やっぱいいわ、これ」
「僕もそうですね。今からでも、走り出せそうな、そんな感じです。最初はちょっと怖かったですけど」
「ふぅ、私はまだ逆に頭がクラクラするわ。でも、体全体が回復したのは、分かる。ありがとうございました、ガルムさん」
三者三様の感想を述べる。
するとガルムが笑いながら、長い帯のような布を取り出した。それを額に巻き、後ろで一結びすると言った。
「さてと、そろそろここへ来た、本当の目的を当ててみせようぞ。おお、なるほど、これか、こいつなのか?」
「師匠にはかなわないなぁ、それがあるんじゃ……」
「えっ? どういうこと? ジェード、分かる?」
「いや、さっぱり」
ジェードとファルナに、レクストンが説明する。
「師匠が頭に巻いているあの帯、あれって、実はミュレットなんだよ。それも千里眼のミュレットっていう、レアものだ。効果は知ってるかい?」
二人は首を振る。もしかしたら、クラウスのラーゼであれば分かるかもしれない、とジェードは思ったが、口にするのは止めておいた。
「幾つかの効果があってさ。単純に、目の動きが速くなる。それと、相手の思ってることが、ぼんやりとだけど分かるようになる。心が見えるってヤツだな。最後に、今まで見えなかったものまで見える、だったかな。そんなとこでしたよね、師匠」
「さよう、レックス。正解じゃ。元々、千里眼のミュレットは、お前さんにあげたものじゃから、のう」
そこで妙な沈黙が流れた。まるでしょく罪のように、レクストンが先に口を開いた。
「俺が悪いことばっかに使うから、師匠に取り上げられちゃったんだよね。こそ泥みたいなことや裏カジノで悪さしたりしてな……」
その言葉に、ファルナが侮辱の視線を投げかける。彼女は王室の侍女という、いわば清廉潔白の旗印を掲げて毎日を過ごしているため、生理的に拒絶せざるを得ない。
俺がそんな便利な代物を手にしたら、何の目的で使うだろう? とジェードは頭を働かせた。お金稼ぎ? ジェードはたしかに王族の身だが、年齢に見合った月々のお手当てで生活している。
かみ砕いて言えば、お小遣い制だ――それも、月に三千グレーデである。露店でちょっと買い食いをして、大好きな挿絵付き小説に手を伸ばしてしまうと、もう残りは微々たるものだ。魔法ではない動力を使った(操作装置付き)車両機械などは、夢のまた夢だった。
ジェードも一般的な少年と同じ物欲は、持ち合わせているが、そのためにミュレットを悪用しようとまでは思わなかった。
ただし「心が見える」というフレーズには強くひかれた。隣で、レクストンに対して正義のまなざしを振りかざしている侍女を見やる。こいつ、俺のことをどう思っているんだろう……と、一瞬思いかけたが強烈にかぶりを振った。駄目駄目、こうしたことがガルムさんの言う、不誠実な使い方なのだろう。だとすれば……
そこで、ようやく正当な使い道を思い浮かべることに成功した。レクストンも、そのために、ここを訪れたに違いない。ジェードが、口を開く。
「そっか、エルラド教団の悪だくみを、千里眼のミュレットで暴こうってことか。そうだろ、レックス?」
「おお、何と賢い少年じゃ。ジェード君。レックスではなく、君に授ければよかったかのじゃ」
「相変わらず厳しいなぁ、師匠は。でも、確かに今ジェードがいった通りなんだ。教団に潜り込んで、あいつらのやってることを白日の下にさらしてやろうと思ってな。心強い味方ができたところだからさ。こうみえて、ジェードはなかなか物騒な武器を持ってるんだ」
「ほう、どれどれ。おう、その長尺の細身の両剣。もしや……」
「えっ、分かるの? ガルムさん?」ファルナが聞く。
「いや、実は分からんのじゃ。じゃがの、こうして千里眼のミュレットを、頭に巻くと……ふんふん」
ガルムは、幅が五センチ、長さが一メートルほどの細長い布――千里眼のミュレット――を頭に巻き、ファルナの方へ向かって、しきりにうなずいている。
「なるほど。その剣はエージャーソードというのか」
ファルナが大きく丸い目を見開き、ジェードの方へ首を向ける。ジェードも、えっ! という顔を返す。
「そして、ファルナ嬢の意中の人は……ふむ、ふむ、そうか! それをここで言ってしもうてもいいかのう?」
「えっ、ええと。お師匠様? おふざけが過ぎるんじゃありません・こ・と?」
ファルナの周囲に放電が漂っている。何やら、雷ていのクルミまで握りしめているようだ。静電気で、部屋の綿ぼこりが吸着される。電気ショックで懲らしめたら、師匠の老体はひとたまりもないだろう。
レクストンは師匠のおふざけは毎度のこととばかりに、薄ら笑いを浮かべている。
もちろん、ファルナも冗談で言っているだけだ。ただ、当人たち以上にハラハラしているのがジェードだった。戦闘の心配ではなくて、千里眼が見通すというその心の中身についてだ。
「嬢ちゃん。安心するがいい。実は、このミュレットはそこまで奥深いものは見通せないのじゃ。簡単な物の名前当てならできるじゃろうが、人の気持ちは、心の奥底にしっかりと鍵がかけられているもんじゃ。それを知るには、のぞき見するのではなく、相手の心の鍵を開けて、聞き出さなくてはいかん。おろ? わし、今いいこと言ったかのぅ」
レクストンから、大きな笑いが起きる。どう見ても、師匠が若い子たちの純情をからかって遊んでいるからだ。それをわびるかのように、ガルムは千里眼のミュレットをファルナの額に巻いてやる。古代紫に染められた布が、ポニーテールをりりしく引き立て、とてもよく似合った。
「あっ! すごい! 何これっ!」ファルナは歓声を上げた。
「全てのものがはっきり見える感じ! これなら魔法の精度も上がるかも!」
「嬢ちゃん。相手の心を読むのはな、えっと、そう、下から少し上を見る感じで」
ガルムの指導の元、ファルナはジェードの顔を下から見上げた。
「お、おい。やめろよ、ファルナ」と言いつつ、少年はブロックする術を持たない。
「あれ? 何かこっちに迫ってくる感じがする……。圧迫感? 締め付けられる感じ? あはははっ、ちょっとくすぐったいかも……やめてよ、ジェード」
ファルナが、体をくねらせる。
お、俺は何も……。とファルナの後ろを見ると、何やら御老人が小さめの風魔法でファルナをくすぐっている。余りにも楽しそうなので、ツッコムのはやめた。結局ファルナの上目遣いでドキドキさせられただけじゃないか、全くもう。
「――と言うわけで、そこまで心を見通すのはできないのじゃ。じゃが、戦闘にはすぐに役立つし、場所などは簡単に見通すことができるぞ」
ファルナもようやく師匠のイタズラに気づき、白い目を向けた。ふだんの彼女も似たイタズラをするので、まあ似たりよったりなんだが。
「ほれ、持っていくがよいレックスよ。ただし、きちんと返すのじゃぞ」
「ああ、ちゃんと返すよ師匠。後が怖いからな」
「返す」と言うセリフが、「必ず無事に帰ってくる」という意味の約束であることは、ジェードも心得ている。
「じゃが……千里眼を持ってしても、とうとうあの人には会えずじまいじゃったか。それだけが心残りじゃ」ガルムが肩を落とす。
「何言ってるんだよ、俺がまた探してあげるからさ。長生きしてくれよ。えっと、何だっけ、ライモンの香りがする女の子だっけ? いや、師匠が若い頃に会ったとなると、結構な年になってるんじゃないの」
「いいんじゃよ、年をとっていても。あの人はわしの青春そのものじゃった。千里眼のミュレットをくれたのもその人じゃ。自分にはもう必要ないからって、な。わしは、あの人ともう一度巡り会うために世界を旅して回った。それでも、間に合わなかったようじゃ。そうじゃ、ジェード君! 君も世界を見て回ってると言ったね。それでは、頼まれてくれないかな? その人を探すのを」
「は、はあ……」と、ジェードも一応は請け負って見たものの、何とも形だけの話になりそうだった。ファルナの父親であれば、少なくとも玄関の肖像画で姿を見たし、ファルナが分かるだろう。
しかし今度の人捜しは、香水だけを手掛かりに、今の見た目も分からないままで探すときてる。リザ教国のシルヴァ司教が出す無理難題を、はるかに超える代物だ。適当に相づちを打つよりほかないだろう。
ファルナもあきれ顔だったが、ジェードの安請け合いを無理に止めはしなかった。多分自分の父親を探す気持ちが、ガルムと同じに思えたからだろう。
「おお、引き受けてくれるか少年! ライモンの香りがする、とてもキュートな女性じゃ。出会ったときに、わしの半分ぐらいの年じゃった。向こうは二十歳ぐらいのときじゃから、きっとわしのことは覚えていないかもしれんな。戦争で引き裂かれてしまったが、あなたのことをずっと思っていた。ただ、そう伝えたいんじゃ」
先ほどまで、白い目を向けていたファルナも、師匠のひたむきな思いに感化され、少し見る目が変わったようだ。やはり女子というのは、ひた向きな思いに弱いらしい――あっ、男子もそうか、と納得するジェード。
「それじゃ、師匠。また来ますよ」
「ガルムさん、いろいろとお騒がせしました。とても素敵な時間を過ごすことができました」
「私も……、ありがとうございました! 回復魔法も感激しました、また来ますね」
「何の、何の。レックスが悪さするようだったら、懲らしめてやってくれ。それと今度は、ロンドとルリエッタたちも連れてきておくれ」
ガルムと笑顔で分かれ、山頂の小屋を後にした。
何でも見通す千里眼――自分の死期が近いことを悟る能力すらあることに、ジェードたちは気づくはずがなかった。




