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英者は次男坊!  作者: ゼット
◆シーズン2
26/33

第6章 霊峰ムーラン山脈

「もう、また、勝手にそんな大切なことを決めて! ちょっとは私にも相談してよ」

 朝日が顔を見せる頃、ファルナが真夏の太陽のようにカンカンに怒っていた。夏の到来には、まだ少し早い。

 

「あぁ、悪い。行きがかり上さ」

 

 ジェードは、夜中の男同士の小用中に決めたとは、さすがに言い出せなかった。

 

「もちろん、ジェードが決めたことだから、私は従うけど……。それで、いつまでここにいるの? 確かにここの生活はためになるし、手伝いをするのも分かるけど」

 

 ファルナは、恐らくもう限界なのだろう。清潔好きな彼女にとって、ここは少し無理があった。簡素だが、冷水が出る入浴器具などは一通りそろっている。だが、やはり年頃の女子を満足させる水準には達していない。

 

「ここには、あと一日、今日だけいる予定だ。それならいいだろう? そして明日にはエルラド教国を見に行く」

 

 その言葉に、ファルナは仕事の顔を取り戻す――すなわち、有能な侍女の表情だ。

 

「視察は、表向きからする? エクスディアの紋章を掲げて」

 

 ジェードは考えあぐねた末、胸のペンダントをはじいて言った。

 

「こいつは、使わないよ。ややこしくなりそうだし。潜入するかどうするかは、まだ考え中だ」

 

 ジェードの胸にかけられたペンダントは、兄の形見だ。エクスディア国の紋章である、サラマンダーが描かれている。この紋章は公的な身分証明として用いることができ、偽造は国単位の法令で固く禁じられている。教国の外交官レベルであれば、この紋章を見せるだけで話が通じるはずだ。

 

「ええーっ、そうなの? 考え中って……そんな行き当たりばったりで、うまくいくかなぁ」ファルナからため息が漏れた。

 

 すると、倉庫の奥から歯磨きをしながらレクストンが起き出してきた。

 

「いよぅ、お二人さん。朝早くから、仲がいいねえ。しかし、ふだんは一体何をしてるんだ? 調べ物をしながら旅をしているのは分かったけどさ。学生だったっけ?」

 

「ま、まあそうですね、学校に行ってますよ、もちろん。今は、春休みと夏休み前の間なので、ちょうどお休みなんですよ」とジェードが答えた。

 

「へえ、そうなんだ。俺なんてロクに学校に行かせてもらえなかったから、よく分からねえや。おっ、そうだ! 今日は俺の師匠に会わせたいんだ」

 

 ジェードのむちゃくちゃな理由付けも、堂々と話したせいで案外通じた。降って沸いた、レクストンの師匠に会いに行くという話に、ジェードはなぜか興味をそそられた。

「師匠! そいつは楽しみだ、なあ、ファルナ?」

 

「ええ、とっても……」ファルナは愛想のいい顔でそう答えながら、ジェードのちょっとした柔らかい部分を、キュッとつねって見せた。

 

 ほどなくしてちびっ子二人も、「ふぁー、おはよう」と起き出してきた。

 まだ朝もやがかかる中、みんなで背伸びをした。倉庫が居並ぶスラム地帯とその奥に大草原が広がる、混とんとした風景を前にして。

 

「――で、師匠さんはどこの山奥に住んでるんだい? レックス?」

 

 ジェードは子供たちと同様に、レクストンを愛称で呼ぶようになっていた。

 

 しかし……大草原からふと立ち入ったところが、ムーラン山脈へ続く登り道になっていたとは。

 

 入り口は石を並べる形で舗装されていたが、それもすぐに途絶えた。山に登るには装備が軽すぎる。ジェードはファルナを見やった。彼女もジェード同様に額に汗をにじませ、突如開始された山登りに苦戦していた。ルリエッタたちは山登りにはまだ早過ぎるため、連れて来ていない。

 

 ファルナは、風魔法を使えばもっと楽に山登りができることを知っている。風魔法を使わないのは、レクストンもジェードもそれを使えないからだ。幾ら彼女でも、二人を運ぶことは難しい。そしてジェードも、鍛錬の意味において、この苦行は望むところとしていた。

 

 山肌は火山岩が多く、むき出しの岩が切り立っていた。緑は少なく、お世辞にも奇麗な眺めとは言えなかった。所々にわき水が流れ、涼しげな印象を与えてくれた。しかし、レクストンによれば、最近になって有毒な成分が含まれるようになったため、とても飲めないという。

 

 ムーラン山脈を大づかみに言うと、観光者向けの連峰ではなく、修験者が参拝に来るような、信仰と自己研さんを目的とした霊峰だった。

 

 山の中腹まで来たところで、レクストンが足を止めた。そこには古びた井戸があった。

 

「この水もさ、俺がガキの頃はガブガブ飲めたんだけどな。今はなぜか毒素が混じってるって話だ。せっかくだから飲ませてやりたかったのに、残念だ」

 

 レクストンの言葉が耳に慣れてくるにつれ、ジェードにはある種の思いが生じていた。彼の話し方は兄貴よりも、多くの部分が乱暴でぶっきらぼうに聞こえた。違うのは当たり前だが、見た目が余りにもそっくりなため、そこも似てるような気がしていたのだ。

 

 うん、やっぱりこの人は兄貴じゃない――、そう自分に言い聞かせられそうだった。

 

「へー、こんなおっきい井戸、初めて見たわ」ファルナが首元の汗をはじきながら、井戸をのぞき込んだ。

 

 井戸の直径は、ゆうに十メートルはあった。子供であれば、水浴びができそうな広さだ。水深までは分からないが、手が届く距離まで水がたまっていた。

 

「えっと、レクストンさん。これって水に触るのも駄目なんですか?」ファルナが冷たそうな水に、今にも触れそうな体勢で聞いた。

 

「ああ、止めといた方がいい。この水が汚染されてるのも、恐らくエルラドの仕業だ」

 

 ファルナが残念そうに手を引っ込め、井戸に背中を向けたとき、その物体は出現した。

 

 赤色で細長い物体。ファルナが編み込んで作ったロープよりははるかに太かった。その不気味な赤太いロープが井戸から飛び出し、ファルナの首に巻き付いた。

 

「キャアアアアッ!」ファルナは首を強く絞められる前に、鋭い叫び声を上げた。

 

「ファルナ!」ジェードは侍女の名を呼び、腰のエージャーソードに手をかけた。

 

 一瞬のきらめきをまとった一撃。ジェードのソードが残像を描いて空を切り裂く。バグドラゴの強敵を破ったときの太刀筋とまではいかないが、その軌跡は衰えていない。地力だけでいえば、更に早くなっているほどだ。

 

 赤色のロープ状の物体は、ファルナの腰のあたりで切断されたが、その重みで彼女を水中に引きずり込んだ。

 

 バシャーン! 水しぶきを上げ、ファルナの姿が一瞬で水中へと消える。

 

「大丈夫か!」と、レクストンも井戸端に駆け込む。

 

 ジェードは一瞬も迷うことなく、井戸の中に飛び込んだ。水の中は澄んでいて、見通しはよかった。だが、ファルナの姿は見えない。自らの力で、深く深く潜っていく。

 

 すると赤い物体の切れ端が、水を濁らせながら沈んでいくのが見えた。あれは、水の中に血液を巻き散らしているのだ。決して、あの血はファルナのものではない――ジェードはそう、断言した。そうなると……あれは、生き物の一部ということになる。

 

 伸縮自在な舌の持ち主は、ゆっくりとその姿を現した。一匹の背中に、もう一匹が乗っている。どこかの宿屋の置物で見たことがある――巨大なリンデガエルだ!

 

 その大きさといい外観といい、かわいらしいリンデガエルを連想したことを即座に訂正した。目玉は体のあちこちに二十ばかりあり、体を引き裂くように大きな口が開いている。ただの生き物ではない――どう見ても魔獣の類だ。

 

 二匹の魔獣はファルナのスカートと同じ、ウルトラマリンブルーの表皮をしていた(もしかして、同系色の仲間だと思って引きずり込んだのかもしれない)。大小異なる魔獣は、ほの暗い水中でこちらをじっと見つめている。

 

 その奥に、ファルナの体が漂っているのが見えた――気絶している。

 彼女を水死させないためには、どんなに遅くとも十分以内に決着をつけなければならない。それを過ぎると、生存はほとんど見込めない。ジェードは、一分で決着をつけるつもりでいた。しかし、二匹を同時に相手にしている余裕はない。

 

 ふと、上空を影がよぎった。肝腎なときに、太陽にそっぽを向かれたか。そう思って見上げると、一目散に潜水してくる男の姿があった。

 

〈レクストン!〉

 

 ジェードが目で言葉を交わす。

 

〈ああ、皆まで言うな、それじゃあ早速、剣技戦としゃれ込もうか、なあジェード!〉

 

 レクストンはそう合図するなり、どこからともなく短剣――ルーンソード――を取り出した。短く三日月のように弧を描いた刀身だ。小型なので、恐らくブーツの中にでも隠していたのだろう。

 

 水中戦開始の鐘が打ち鳴らされた。

 ジェードは、大ガエル魔獣にエージャーソードを振り抜いた。しかし、水中では剣が文字通り波打つように泳いでしまい、ダメージを与えるどころか、触れることさえ難しい。

 

 レクストンは小ガエル魔獣へ、ルーンソードを向けた。小ガエルは水かきを駆使して、小バカにしたようにスイと泳いだ。そして大ガエルの背中にくっつくと、水中で動きを止めた。

 

 二匹とも、内臓が直視できそうなほどに口を開け、ボワッと何かを吹き出した。泡による攻撃だ。浴槽の栓を抜いたような勢いで、水流が起きる。水圧で吹き飛ばされ、井戸の内壁にジェードとレクストンは激突した。

 

 グハアァッ! 二人の口から空気が一度に吐き出された。骨がきしむ音が水中に響き渡る。レクストンは、その衝撃でぐったりとした。ジェードよりも体が大きい分、その衝撃も大きかった。彼の意識が失われる瞬間を、小ガエル魔獣は見逃さなかった。

 

 シャアアッー! 鳴き声らしきものを水中にまき散らしながら、レクストンに向かって襲いかかった。そして、そのブヨブヨの体をレクストンの顔面に貼り付けた。

 

 明らかに窒息死を狙う行動に、ジェードは恐れを覚えた。この魔獣は、少なからず知性を持っている! ジェードはレクストンに向かって泳いだ。レクストンの顔から引きはがさなくてはならない。すると、水中が鮮血で染まった。赤色ではなく、不気味な緑の体液を放出させ、小ガエルは、井戸の奥底に沈んでいった。

 

 レクストンは、自分の顔面へ向けたルーンソードをスッと戻した。

 

〈別に死んだ振りをして、おびき寄せたわけじゃねえぜ。たまたまあいつが飛びかかってきたから、うまく決まったまでだ〉

 

 ジェードはレクストンの合図にうなずいたが、もう時間的な余裕はなかった。すぐに次の手を打たなければ、ファルナの命に関わる。

 あの親玉を一撃で仕留めるには……

 

〈一度もやったことはないが……やるしかない! これしか使えないんだから! テンペ=スピードス!〉

 

 スピードスは、高速移動を可能にする風魔法だ。陸上では、巻き起こした風を背中や足に受けて動力へと変換する。その魔法を、自分の腹から背中目がけて放出した。体をくの字に曲げ、効率よく水中を移動できる姿勢で。それは、別の水生生物――エルデ海の大エビのようだった。

 

 後方に勢いよく推進しながら、大ガエルに肘を当てた。その不意を突く動きは、よけきれなかったようだ。そして、振り向きざまにファルナを胸に抱きかかえ、水面を目指した。形は不格好だが、水中の高速移動には最適だった。

 

 ズバアアッ! 激しい水しぶきを上げながら、井戸の外に転がり落ちた。水面から更に数メートルほど飛び上がる勢いだった。

 

「ファルナッ! 無事か!」ジェードは素早く体勢を整え、ファルナの体を確認する。

 

 冷たくなっている。息もしていない。慌てるな……落ち着け、こんなときは。

 王室で学ぶ救命技術、それは魔法を使うものではなかった。古今東西、昔から変わらぬ救命術――人工呼吸と心臓マッサージだ。

 

 迷いはなかった。ちゅうちょなく、ファルナの細い鼻を押さえ、口づけする。

 水を吐かせるべく、力強く胸を押す。愚直に、ただ真っすぐな思いで。

 

 戻ってこい! お前をまだ、そっち側に行かせるわけにはいかない!

 ひたすら、その動作を繰り返した。

 

 ゴボッ……ゲホッ、ケホッ。

 

「よしっ! 水を出した! やったな、ジェード!」レクストンは、ファルナが水を吐くのを確認して言った。彼は魔法を使わず、自力で水面まで泳ぎついたようだ。

 

「おっと、ジェード。青春してるとこ、悪いんだけどさ。まだ第二幕がありそうだぜ」

 

 舌を切り取られた大ガエルは地上に飛び出すと、こちらの動きを捕捉していた。

 

 ジェードはふてぶてしいその姿を見て、強い違和感を覚えた。野生の魔獣と何かが違う。

 

 そうか――! その疑問の答えを見つけ出した。野生の魔獣であれば、対象物を捕食するために、戦いを挑む。

 

 だが、このリンデガエルの化け物はどうだ。リンデガエルは決して肉食ではない。体がでかくなって、通常の外見とも大きく異なるが、そこまで変わるとは思えない。

 

 それに、さっきファルナが水中に沈んでいたときもそうだった。食おうとする仕草は一向になかった。レクストンへの攻撃方法も、そうだった。

 

 つまり、この化け物は食うためではなく、人を殺すために行動しているように見えるのだ――まるで、生物兵器のように。

 

「ジェ……ジェード。無理しないで……」ファルナが状況を見渡して言う。

 

「ああ、カエルの知り合いはいないはず……なんだけどな。随分と、にらまれちまってるよ」軽口をたたいて、ファルナを安心させる。

 

 レクストンは、ルーンソードを構えながら言った。

 

「あのデカいのに、このちっぽけなソードじゃ分が悪いな。よし、カーラ! 頼んだぞ。エージャー! カモゥン! ドントゥキナ!」

 

 レクストンの召喚で、濃いオレンジの妖精が出現する。

 ジェードとファルナは、カーラのその生意気な姿を先日見たばかりだ。だが、今日はそんな生意気な態度が逆に頼もしく思えた。

 

「あーら、レックス。お困りのようね? こんなの、ただでかいだけのリンデカエルじゃなくって? 見てなさい、一発でしとめちゃうカーラ!」

 

 カーラは空中で文字を描くように飛び回ると、全身に強力な魔法をため込んだ。そして、一気に放出した!

 

「マッド=ゼンドモウ!(全土の洪水)」

 

「オオオッ! 何だあっ!」声を上げたのはジェードだった。

 

 ジェードが驚くのも無理はない。大ガエル周辺の地面が、まるで溶岩のように溶け出し、沸々と水泡を浮かべているのだ。ファルナとの距離は十分にあるが、いつでも彼女を連れ出せるように、その近くで立て膝をつく。

 

「あれは、カーラお得意の土魔法さ。泥土を自在に操り、敵を土中で締め上げて窒息させる。目を見開いてよく見てな、ジェード! あの地面の泥がどうなるかを」

 

 泥の溶岩は城を飲み込むほどの高波となって、大ガエル魔獣へ襲いかかった。間髪入れず、レクストンが胸のペンダント(ミュレット)をカーラにかざし、威力を増加させる。

 

 ファルナが所有している「雷ていのクルミ(雷魔法の威力倍増)」ほどの増加効果は得られないが、十分に役立つ。

 

 ジェードは、戦闘の成り行きを見つめた。局所的な土石流が魔獣へ向かい、うねるように巨体を飲み込んでいく。まるで、無限に続く泥の噴水を見ているようだった。

 

 泥土の重量によるダメージ。そして、呼吸と自由を奪う攻撃スタイル。完全に決まったと思った。レクストンとジェードが手を交差させようとした、その瞬間……。

 

 泥の山の中から、勢いよく何かが飛び出し、カーラに吸いついた。短くなってはいるが、例の赤い舌だ。ジェードが切り取ったのにも関わらず、まだ口の中にあの長さを残していたとは。

 

 シュルシュルシュルッ!


「ヤベえ! カーラが食われた!」レクストンの言葉に、ジェードとファルナが凍りつく。

 

 肉食ではないと高をくくっていた。だが、殺すために飲み込むことも十分考えられたのだ。

 

 カエル魔獣に泥の攻撃は、全く効いていなかった。正に、カエルの面に何とやらで――最悪の相性だった。

 

 魔獣は泥の中から醜悪な姿をのぞかせて、勝利の雄たけびを上げた。

 

「ゲゲッ! クックックー!」カエルと金色ニワトリを足したような、奇声だ。

 

 カーラが飲み込まれると、レクストンは生気が抜けたようになり、地面に片膝をついた。

 すると、その代わりにファルナの横で立て膝をついていたジェードがすっくと立ち上がった。

 

「諦めるな! まだ終わっちゃいない!」レクストンが目をぱちくりする中、ジェードは続ける。

 

「ファルナ、俺たちには最強の味方がいたよな。忘れてたよ」

 

「ええ、最近、誰かさんのせいで、その子がケガさせられたけど。ジェード、お願できる?」

 

 ファルナの皮肉に、レクストンも気づいたようで、唇を引き結んでみせた。ジェードはファルナからメダルを受け取ると、一発でエアリリースを決めた。

 

「エージャー! カミュタリウス! オペマドゥーラ!」

 

 ファルナと同じ言葉でチャムを召喚する。メダルを空中に放り投げ、キャッチさえできれば、言葉まで同じにする必要はない。まあ、気分的なものだ(こっそり、エアリリースを練習しておいた自分を褒めてやることにしよう)。

 

「お待たせしましたー。お届け物はチャムちゃんで間違いないですかー?」

 

 ピンクの妖精――希少種のフェアリー・ラビットが降臨する。

 

「いよう、チャム。その感じだと、すっかり回復したようだな。いつもの最強ぶりを見せてくれないか?」

 

 ジェードは、チャムの戦闘能力を心から信頼している。だからこそ、カーラに敗北した話は、にわかに信じられなかった。戦闘内容について聞くと、きっとファルナが怒り出すと思ったので、聞けずじまいになっていた。

 

 チャムはこくりとうなずくと、天高く舞った。鋭い飛行はチャムの真骨頂だ。

 地上では大ガエルが泥の上に、自らが山峰のように鎮座している。カーラが食べられたことにより、土魔法の効果は消失していた。

 

「行きます! トゥララ=ブリザリオン(吹雪の組曲)!」

 

 出た! チャムの奥義とも言える、ツララ攻撃だ。無数のツララを天空からヤリのように降り注ぎ、敵を貫く魔法だ。しかし、ジェードが前に見た陣容とは異なった。――たった六本のツララしか見えない。もしかして、まだケガの後遺症があるのか?

 

 しかも、その六本のとがったツララは、大ガエルに命中することなく地面に突き刺さった。魔獣を取り囲む形になったが、捕獲しても意味がない。

 

「続いて、ハルド=ラインアクト(雷撃の軌跡)! ファルナたん、クルミよろです!」

 これは、まだ見たことがない魔法だ。魔法が苦手なジェードの想像領域を超える。しかし、ファルナにはその意図がしっかり伝わっているようだ。

 

「ハルド……雷系ね。はいっ、ジェード、このミュレットで支援してあげて!」

 

 ファルナがスカートの裾を少しまくり、左の太ももに装着した小物入れから、雷ていのクルミを投げてよこす。おいおい、そんなところに収納を用意していたとは。んっ、レックスに見られなかっただろうな……って、そんな余裕はない。

 

 うあっとぉ! ちらつく煩悩のせいで、投げられたミュレットを取りこぼしそうになったが、何とかつかむことに成功した。

 

 古びたクルミのアクセサリーを、チャムにかざす。これで、雷系魔法の威力が倍加されるはずだ。

 

 チャムから放出された雷が、ツララを起点として線を描いた。外側は六本、内側は五本の線でそれぞれの点同士が結ばれる。上空から見下ろさなければ、それが何を意図しているか分からないかもしれない。――が、ファルナは気づいた。

 

 あれは……正六角形の魔方陣――六ぼう星の布陣ね。効果は確か……強力無比な麻ひ。

 

 バクゥン! 集中された一撃が、地を揺るがす音となって、周囲に伝わった。

 大ガエルは、そのままの形で石のように固まっている。それは、口を開けたままの姿だった。

 

 チャムは急降下し、思い切りよくその口の中へ飛び込んだ!

 

「ふぇ!?」とファルナの口癖。

 

 ジェードはぎりぎり、その動きを捕捉できていたが、レクストンは何が起こっているのか、思考の処理が追いついていない。

 

 そして……

 

「ふぅわー! この子をよろしくですー」

 

 チャムが再び空中に姿を見せ、大きな声で言った。その背中にはマンダリンオレンジの妖精――カーラが担がれている。

 

「おっ、おおおぅ!」チャムのかけ声にいち早く反応したのは、レクストンだった。

 

 両手を伸ばして、カーラを受け取ると優しく包み込んだ。カーラの全身は粘膜でベトベトだった。その小さな呼吸を確かめようと、レクストンが耳を近づける。しかし、聞こえてくる音は何もなかった。

 

「おいっ、カーラ! 何やってんだよ! 主人より先に死ぬヤツがあるか! このバカ野郎!」両手で、妖精の体を揺さぶる。レクストンは動揺を抑えきれなかった。

 

「ジェード、ファルちゃん、何とかならないのか? 回復魔法とか使えないか? これから行こうとしていた、俺の師匠が使えるヤツだ! 俺は魔法はてんで駄目だけど、お前らならできるだろ? どうなんだ!」

 

「ごめんなさい……私は回復魔法は使えません。私が使うものとは系統が違う、高度な魔法なんです。それより、そのお師匠さんのところへ、これから急いでいくのはどうですか?」

 

「チャムも、回復系はできないです……ごめんチャム」

 

「何だよ!」レクストンは声を荒らげ、足を踏みならした。焦り以外の何物でもない。しかし、はっと我に返った。

 

「いや……すまない、デカい声を出しちまって。こっから師匠のところへは、どんなに急いでも一時間はかかる。それじゃあ、カーラが死んじまう。そうだ! あれはどうだ? 最近耳に挟んだ『生者の魔法』ってヤツさ! あれなら、死んでる者も生き返らせることができるんだろ、なあ、なあ……」

 

 ファルナはうつむき、首を横に振った。ジェードには、レクストンの声が遠い場所からのささやきに聞こえた。ここでも、生者の魔法か……。無力な自分を嘆きつつ、天を仰いだ。

 

 天をぼう然と仰いだとき、とんでもないことが……ひらめいた。ジェードは理由も告げず、その場を走り去った。まだ麻ひしたままの大ガエルの前を通り過ぎると、林の中へ消えた。

 

「おぃっ! テン! いるなら力を貸してくれ! 大ピンチなんだ!」

 

 山道を外れた、誰もいない雑木林に向かって言う。すると、やぶの中から女性がスッと姿を見せた。長い髪を三つ編みにし、山登りをするには不似合いな、随分となまめかしい格好をしている。サーカスの踊り子と言えば近いかもしれない。

 

「何じゃ、ジェード。露骨に助けを求められると、困ると言っておいたじゃろうが。幾ら守護天使とはいえ、頻繁に頼られても、な。それに、近付き過ぎると命に影響があるかもしれんと、はっきり言ったじゃろう。ほれ、早く離れろ」

 

「ああ、聞いたよ。だけど、大ピンチのときは呼び出してもいいってこともな」

 

 テンは、エクスディア家の守護天使で、いわゆる守り神だ。彼女の姿は守られし者であるジェードにしか見えない。その姿はジェードの強く思い描く人の姿になるそうで、当初の姿はファルナだった。だが、ファルナだと混同してしまうので、城のメイド長であるフミラの(若き日の)姿に変えてもらっていた。

 

 三つ編みをかき上げて、テンが言う。

 

「――よかろう、ヌシがそれほどのピンチと言うのであれば。あの、妖精の娘を助ければよいのだな」

 

「さっすが! 話が早いよ、テン」

 

「じゃが、わしも回復魔法は使えん」ええっ、とジェードが落胆しかけたが、話は続いた。

 

「さすれば、ファルナに頼むがよい。ただし、そこで用いるのは『ハルド=コンシェレイト』じゃ」

 

「分かった! ありがとう、テン。またな!」

 

 ジェードは、聞き終えるやいなや、全速力でテンに背を向けた。

 

「やれやれ。まあ、これほどの短時間なら、命にさほど影響はあるまい。しかし、守護天使が近くにいると、影響があるというのは、まっこと不可思議なものだわい」

 

 テンはそうつぶやき、林の中へ姿を消した。

 

 ジェードは全力で戻った。ファルナもレクストンも疑いのまなざしではなく、期待のまなざしを向けていた。二人とも、ジェードが逃げ出したとは思っていなかった。

 

「ファルナ!『ハルド=コンシェレイト』だ! それにかけてみよう!」

 

「ええっ! もちろん、いいけど……それって、雷系の攻撃魔法よ。それでも、いいの?」ファルナは遠回りして、レクストンに聞いているようだった。

 

 レクストンは、決意を秘めた表情でうなずいた。

 

 カーラを地面にそっと横たえ、ファルナが身構える。両手を高く突き上げ詠唱を開始する。その瞬間……

 

「ジェード! それで……雷ていのクルミは使うの? それとも使わない?」

 

 大切なことを思い出したかのように、ジェードに問いかける。

 

 やべっ、そこまではテンに聞かなかった。何という慌てん坊なんだ、俺は。

 だが、待てよ……。論理の糸を紡ぎ上げていく。ファルナが子供たちと、クモの糸のロープを紡ぎ上げてみせたように。

 

「使ってくれ! ちょっとぐらい強めでも構わない!」ジェードは雷ていのクルミをファルナ目がけて放り投げた。

 

「おいっ! ジェード! 使う、使わないって、ひょっとして補助系ミュレットのことか? 俺だってその効果は分かるぞ。威力のブーストだ。お前……まさか、カーラが苦しまないように、ひと思いに――」

 

 ジェードはレクストンの言葉を左手で制すると、ファルナに視線で合図を送った。それは、自信に満ちあふれた優しいまなざしだった。

 

「カーラッ!」レクストンが叫ぶ。

 

「ハルド=コンシェレイト!」針金のように細い、一条の雷がカーラへ落ちる。

 

 派手な音は出なかったが、その攻撃によりカーラの体が地面から数メートルほど宙に浮いた。レクストンは走った。そして、カーラが地面に再び落ちる前に、その小さな体を両手でキャッチした。

 

 妖精の体に、焦げた部分はなかった。レクストンには、とても安らかな死に顔に見えた。


「カーラ……すまねえ。お前に何一つ買ってやれなかったな。ちょっとは、おしゃれしたい年頃だったろうに。あの二人のガキどもに手一杯で、お前には……何にも……」

 

 レクストンの涙がカーラに落ちると、妖精は身震いするかのように、二枚の羽を震わせた。

 

「レックス、バカいっちゃいけないよ。あたしは……こんなことで死ぬわけにはいかないのさ……今、しっかり聞いたよ。お出かけ用の靴からドレスまで、しっかりと買わせてやるんだカーラ……」

 

「おい、ジェード、ファルちゃん! 生きてる、生きてるぞ! すげえ、助かった、ハハ……ハハ……」

 

 レクストンが放心状態で喜ぶのを見て、ジェードとファルナは目を見交わした。

 ファルナがジェードの横にスッと歩み寄り、口を開く。

 

「なるほど、電気ショックね。それで、それはどこのお姉さんに教えてもらったのかしら?」

 

「はいっ!? お姉さん? 守護天使の見た目について、お前に教えたっけ?」

 

 心の動揺を抑えて言った。さっきのレクストンみたいに、取り乱してはいけない。

 

「あら、違うの? 林の奥から駆け出してきたとき、随分と鼻の下が伸びてたから、てっきり、奇麗な女性かと思ったんだけど」

 

 くぅ、鋭い、というより、これはカマをかけてるだけだな。いずれにせよ、ファルナが無事でこうした軽口をたたければ、それに越したことはない。

 

「で、大丈夫なのか、ファルナ。人のこともそうだけど、お前自身が生死をさまよってただろ」

 

 ファルナは、その言葉でさっきまでの死闘を思い出したらしく、力なくほほ笑み返した。

 

 レクストンはカーラの粘膜などを拭ってやり、回復のためにメダルへ戻した。

 チャムとカーラの再戦は、行われそうもなかった。メダルへ戻る前に、強気なカーラがはっきりとチャムに言ったからだ。

 

「あたしの負けよ。あんなバカげた雷や雪魔法を隠し持ってるなら、先に言っときなさいよ! 助けてもらったお礼なんて、言いたくないんだカーラ!」だそうだ。

 

 妖精に友情があるかどうかは知る由もないが、チャムはうれしそうにしていた。

 

「で、このカエルの化け物をどうするか、だな」ジェードはチャムに言った。

 

「この魔獣さん、井戸に戻してあげるのがいいと思いチャム。普通の魔獣さんと違って、誰かに何かを施された感じで……。ちっとも自然じゃなくって。だから、多分だけど……長生きはできないチャム」

 

 それを聞いてジェードは、クラウス国が近くにあればよかったのに、と思った。

 クラウスの王室図書館であれば、その豊富な蔵書量から知見が得られるかもしれないし、王女のラーゼ自体が歩く百科事典みたいなものだからだ。

 

 結局、麻ひしている大ガエルを全員で持ち上げ、井戸へ戻した。

 次に通る旅人を考慮して、適当な立て看板を用意した。

 

「巨大リンデガエルに御注意を!」

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