第5章 美しき生活様式
嫌がるファルナを押し切る格好で、ブラックスラムでの生活が開始された。彼らブラックスラム住人は、例外なく朝が早い。いろいろな仕事が、早朝に前触れもなく募集されるからだ。
レクストンは、定職には就いていなかった。その時々で募集される仕事をこなし、その日その日でお金を稼ぐ生活をしていた。治安が悪く、いつ子供たちの具合が悪くなるかも分からない。すぐにでも飛んで戻らなければならないので、決まった時間の仕事に就くことは難しかった。
主に農作地の開墾や、縄を編む仕事。家畜の放牧や餌やりをこなした。たまに雇い兵のような仕事もあった。
「よし、ジェード。お前さんは何が得意なんだ? 教えてくれ」レクストンが屈託のない声で言う。稼ぎ手が増えるのは、大歓迎だからだ。
「力仕事に頭脳労働、子供たちへ勉強を教えること……。それから……」
「ほう、どれでもいけるのか! そいつは凄えや」
「いや、今言ったどれもが苦手なんだ」
ジェードの言葉に、レクストンがガクッと体を滑らせる。
「でも、どれでもやってみたい。是非教えてほしい」
「そうか、まあいいだろう。じゃあ、今日はバッファローシープの放牧からいくか。このブラックスラムは、土地だけはバカみたいに広いからな。あいつらが逃げ回ってしょうがないんだ」
彼らの住居である、倉庫のすぐ裏手には広大な草原が広がっていた。
レクストンが示した先に、一頭のバッファローシープが見える。頭は雄々しいバッファローで、胴体は羊のような厚い毛に覆われている。見るからにバッファローの部分が凶悪で、その突き出した角を武器に突進してくるという。
「気をつけろよ、ジェード。あいつらを適当に草原で遊ばしてやって、サクの中に追い込むんだ。危険な割に対してもうからないから、競争相手は少ない。ある種、狙い目の仕事なんだ」
「へ、へぇ。そいつは楽しそうだな」ジェードの強がりに、ファルナが口を挟もうとした。だが、踏みとどまった。
「ファルナ、それじゃあ俺は、レクストンさんと草原へ行ってくる。そっちの子供たちをよろしくな!」
「もう、勝手なことばかりいって」ファルナは、かかとを鳴らした。
草原の家畜たちは、ジェードの想像より手ごわかった。中には、ゆうに数百キロを超える大型もいた。
「ヒイィ!」ジェードはスピードスを操り、懸命に突進をよける。
「おっ、何だ少年! 魔法を使えるじゃないか! 俺なんて、いっこも使えないぞ。ロクに学ぶ機会がなかったからな。でも、見てみな! 魔法なしでも、ここまでできるんだぜ」
闘牛士という呼び名がふさわしいだろう。レクストンはバッファローシープの突進をジャンプ一せん! ヒラリとかわし、その巨体をサクの中へ押し込んでいく。流れるような身のこなしは、ファルナの空中演舞に通じるものがあった。魔法を一切使わず、ここまで華麗な身のこなしをする彼に、ジェードはただ目を見張るだけだった。
それでも何頭かは、ジェードの命がけの誘導により、うまくサクの中に収まってくれた。
五十頭全てを三時間ほどかけて収容すると、ジェードは汗だくだが充実感を覚えた。
するとレクストンが、すがすがしい笑顔で言った。
「やるじゃないか、ジェード! ようし、これでこのシマは終わりだ。あとは、これを三つばかしのシマでやるだけだ。簡単だろ? じゃあ、後は任したぞ。俺はアリゲーターキメラの捕獲に行ってくるから、また夕方に会おう!」
は、はは……あと三つを、俺一人でやるわけか……。でも、アリゲーターキメラよりはましか……。と、想像もつかない魔獣のことは頭から押しやった。
一方、その頃のファルナと子供たち。
「へえ、こうやってロープを編むわけね。楽勝楽勝! こう見えて、お姉さんは器用なんだぞ」
ファルナは三人の子供と、船舶係留用のロープを編む作業をしていた。こうした内職をする子供たちは、ファルナの村でも見かけることがある。
黙々と繊維を交差させてより上げ、三本のヒモにしたのち、更に丈夫なヒモに組み上げていく。
「この元になる繊維って何か分かる? ガーゴシルクじゃないよね? 何か、もっと高級そうな感じがするの。とても珍しいわ」ファルナが、少し打ち解けたように言う。
「――の糸だよ。えっと……」と学者風の少年――ロンドが言った。
「ん? ファルナでいいわよ。そうね、それかお行儀よくお姉さんって呼んでくれる?」
「わ、分かりました。それじゃ……ファルナ姉さん。その……ちょっと、スカートがめくれちゃって目のやり場に困るんですけど……」
「ふぇ? あ、ああ。ごめんね。私の方が行儀悪かったわね」ファルナは、地べたに敷かれたマットの上で、足を組み替えた。どうもこの姿勢には慣れない。
「あたいは、まだ認めてないからね! 何よ、ロンドったら鼻の下を伸ばしちゃってさ。あたいだって成長したら、お色気いっぱいで、負けないんだから」まだ幼いルリエッタが口をとがらせる。
ファルナは背伸びしたい少女の思いを、余裕の面持ちで受け流した。
「で、何て言ったっけ、この糸の原材料は? とても柔らかくて丈夫な糸よね。私のいる国でも見たことがないわ」
「えっとね、鬼グモだよ。ほら! そこにいる」
ロンドが指差した先には、虫かごがあり、百匹ほどの小さな鬼グモがうごめいていた。
「イヤャアアアッ!!」
ファルナは虫が大の苦手だ。その叫び声は、遠く離れたジェードに届きそうなほど大きかった。
昼になると、示し合わせたようにジェードとレクストンが戻ってきた。レクストンは、両手一杯の食料を持っていた。
「いやー。今日は思いがけずバカ勝ちしちゃって。いやね、今日はアリゲーターキメラの捕獲が突然中止になっちゃったもんだから」
「さっすが! レックス兄ぃ。得意なんだよね。今日はカードで戦うヤツ? それとも絵柄がグルグル回るヤツ? あたいも、ちょっとは知ってるんだよね」ルリエッタが言葉を弾ませる。
ルリエッタの言葉に、ファルナはピンと来た。デイワールド大陸でも、ここファンブレラ大陸でも禁止されている裏のばくち場だろう。こんな真っ昼間から営業しているなんて全く太刀が悪い。
「レクストンさん? ジェードと私が汗水垂らして働いているのに、まさか……賭け事じゃないで・す・よ・ね?」
ファルナの背後に、かすかに雷魔法の残像が見えた気がした。ジェードは、すぐに割って入った。
「ま、まあ。そういうなよ、ファルナ。こうして子供たちも喜んでるんだからさ。な?」
ジェードは複雑な心境だった。ばくちにうつつを抜かすことは、決して好ましいことではない。だが、そうした怪しい経済活動であってもこの貧民街を支える収益源のひとつになっているのだ。人が集まり、お金が動く。そうしないと、経済全体が停滞してしまう。ちょうど、血液を体全体に行き渡らせる水車の役割を果たしているのだ。
必要悪という物言いはしたくないが、彼らにとっての仕事の場や、幸運に恵まれて貧困から抜け出すチャンスが与えられることについては、非難したくなかった。
もし彼らの国を治める王子だったとして、一体何をしてあげられるのだろう? きっとそれは、何かを取り上げることではなく、与えることから始めるべきなのだ。
ファルナは、ジェードのレクストンの肩を持つような対応に、あからさまにむくれた。悪いことは悪い。子供のお手本になるのが大人の役割。それを指摘しするのが、いけないこと? と言わんばかりだ。
ひたむきな侍女の正義は、王子の国を思う主張と真っ向から衝突した。
すると思いがけないところから、ファルナの援軍が顔を出した。
「僕も……ファルナ姉さんと一緒で、賭け事はよくないと思う。それと、たまにお金持ちの人から盗みをすることも……。僕たち孤児だけど、そこはもう破っちゃいけない。お父さんとお母さんに会えたときに、悪いことしてたら、きっと言えないから……」眼鏡を直しながら、ロンドが言う。
ルリエッタは、ロンドに白い目を向けた。子供の中でも意見が分かれるところなのだ。ファルナは、そっとロンドのそばに近寄った。
ジェードは、思わず兄貴――プリストン――に意見を聞きたい衝動に駆られた。しかし、彼はもうこの世界にはいない。そこでジェードはつい、兄貴に似た(というより、そっくりな)レクストンのことを目で追ってしまった。
レクストンは、実の兄貴のように笑い、そして言った。
「すまん、俺が悪かった。これで終わりにするから、勘弁してくれよ。ようし、みんな飯にするぞ!」
「オーッ!」とルリエッタから歓声が上がった。ファルナは、レクストンの素直すぎる物言いに、余計に腹を立てた。
〈どうせ、やめるつもりなんて、ないんでしょ。あんな二つ返事で言うもんですか。もう! どうして分かってくれないの、ジェードは〉
ファルナは、感情を抑え切れなくなっていた。何に腹を立てているのか、自分でも分からないほどだった。
〈ジェードが命を賭してまで学びたいと思ったことは、この程度のことなの?〉
その夜――。
ジェードは起き上がり、外へ出た。小用を足すためだ。この倉庫を改造した住居は、お世辞にも全てが完備されているとは言えなかった。
ふと、人の気配を感じた。ジェードの横に立ち、草むらに向かって用を足しているのは、レクストンだった。
「昼間はすまなかったな。あの子を怒らせてしまってさ」
「ああ、いいんですよ。何ていうか、ちょっとこちらも深く立ち入ってしまった感じがして……。やっぱり、それぞれの正義や立場、考え方があって。一筋縄じゃいかないなって思ってます。手伝いたいって言ったのは俺の方ですし」
ジェードは年の差からか、自然と少し丁寧な言葉遣いで接するようになっていた。レクストンは、日が落ちるまでの間に、いろいろな生活技術について真剣に教えてくれた。
「でも、俺も悪かったよ。彼女にはうまく謝っといてくれよ。それにしても、随分と高尚な物言いをするもんだな。まるで、どっかの王子様みたいだ」レクストンはぶるっと体を震わせて、小用を終えた。
「王子様、ですか……はは、この俺が。まさか」声を少し震わせながら、ジェードも用を済ませた。
「まあ、いいや。で、ロンドの――男の子の方なんだけどさ。実は親はいるんだよ」
「そうなんですか……。俺はてっきり二人とも、両親を亡くした孤児かと思ってましたよ」
「まあ、ジェードになら教えてもいいか」レクストンは一呼吸置き、続けた。
「ここから南下したところにエルラド教国っていう宗教国がある。そこの連中に洗脳されて、働かされてるのさ。優秀な両親だったと聞いているから……恐らく、何かの研究をやらされてるんだろう」
「どういうことだよ、それ? 助け出せないのかい?」ジェードは、自分の語気が強くなるのを感じた。
「でも俺じゃあ、無理なんだ。知らないのか? エルラド教国の恐ろしさを。そっか、この大陸の人間じゃないんだよな、お前さんたちは。ブラックスラムの人間は、あいつらの怖さを我が身で知っている。俺の両親とルリエッタの両親は、抵抗した挙げ句、あいつらに殺されたんだ。最近じゃ戦うヤツなんて、いなくなっちまった」
「レクストンさん、その話は聞き逃すわけにはいかないな」
ジェードの挑発的な物言いに、レクストンは少し興味を引かれた。
「そりゃまたどうして? お前さんに何かできるのかい? バッファローシープで四苦八苦している少年剣士さんに」
レクストンは、ジェードの腰に差した、無駄に立派なエージャーソードをからかった。
「俺は……王子じゃないけど」
「何だい?」
「実は、英者って呼ばれてるんだよね」
照明設備がさほど発達していない、ブラックスラム街――ジェードの自信あふれる顔を、満月が照らした。




