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英者は次男坊!  作者: ゼット
◆シーズン2
22/33

第2章 エアハート家の流儀

 村の中心部を三ブロックほど過ぎた辺りからは、のどかな田園風景が果てしなく広がっていた。この地方特産のクリーブ小麦は、春に種をまいて、夏の終わりに収穫する。今はちょうど、胸のすくような緑色から、ほんのり小麦色に変わりかけているところだ。二人はのんびりと、中心部を背にして歩き始めた。ファルナの生家はこの方角らしい。

 

 ファルナが幼少時代に、この小麦を左右に見るあぜ道を行き来していたのかと思うと、感慨深い。きっと彼女は風系魔法スピードスで、全力疾走していたに違いない。

 

「あれ? ジェード、今日は緊張してないの? ふふん、さては成長したな。この前のスピーチも、最後はビシッと決めてたしね」

 

 朝から大道演劇に参加してバタバタしていたから、すっかり忘れていた。これから、ファルナの母君――と言うべきだろう――にお会いするのだ。

 

「スピーチか。あれは……原稿が風で飛ばされちゃって、そのおかげで緊張するどころの騒ぎじゃなかったからな」

 

 何千人もの聴衆を前に、エクスディア国の発展を宣誓したスピーチが、遠い昔のように感じられた。あれを乗り越えたからと言って、緊張しやすい性格が特に直ったわけじゃない。

 

「ま、まあ、何も重大なことを言うわけじゃないからな。ただの御挨拶、だし。緊張するわけ……ないだろっ!」と、自分に言い聞かせる。

 

「重大なことぉ? 何かあるのかなぁ?」

 

 んふふーんっと、鼻歌が今にも聞こえてきそうな口ぶりで、ファルナが言う。

 

 よし、こうなったら……困ったときのスピードスだ。ジェードは右腕を曲げて胸の前に構える。風の抵抗をその左腕で、さも受け流すかのように、だ(実際にはその効果はなく、ただのポーズだ)。

 

「およ?」とファルナが声を上げ、彼女はジェードの方を横に向いたまま、涼しげな表情でついてくる。実に彼女は、風の抵抗を扱うのがうまい。

 

 ジェードが汗だくでスピードスを仕掛けるが、彼女はクルクルッと小回りを交えながら

 その後をついてくる。

 

「あっ、あそこ! あのおっきな水車がついてる、赤い屋根の家だからね」

 

 ファルナは風とたわむれるかのように蛇行し、ジェードに分かりやすく指し示した。ジェードは、直線の動きは得意だが、高速移動中に自在に曲がることは(まだ)できなかった。体重移動のコツは、冬の人気スポーツであるスケルリンクと同じ要領だ。ファルナにかかれば、スピードスの最中に三回転ジャンプするのもお手の物だ。

 

 ファルナの生家はこぢんまりとした旧家で、独特の郷愁に満ちあふれていた。生まれてからずっと城暮らしのジェードでさえ、不思議と懐かしさを覚えるほどだった。

 

 黒くて精強なはり、柔らかさを感じさせるクリームイエローで塗られたしっくいの壁。そして薄い赤レンガで飾られた屋根は、この村の田園風景に溶け込んでいた。自分の生まれる前からそこにあり、これからもあり続けるように。

 

 ファルナが玄関の呼び鈴に触れる間もなく、家の中から女性が姿を見せた。どこからどう見ても……ファルナの母親だ。

 

 靴のかかとを履きつぶしているところを見ると、人の気配を感じ、慌てて出てきたように見えた。きっと朝から、娘の到着を心待ちにしていたのだろう。その連絡は、旅の宿からテレプスという交換器で行った。テレプスは、水晶玉に互いに手をかざすことで、離れていても双方向の意思疎通が行える――便利な魔法具だ。

 

 ファルナの母――ウィルナ・エアハートは、目じりにしわが残るものの、まだまだ若い。ジェードの母親と、奇遇にも同じ年だと聞いた。ジェードの母親、サラ・エクスディア王妃は、少年がまだ小さい頃に病で急逝した。生きていたら、この場で幸せな会話ができたかもしれない。

 

 ウィルナはファルナより少し背が高く、(目下成長中の)ジェードと余り身長は変わらなかった。ファルナの大きな丸い目は、母親譲りだと直感した。余分な肉がついていないところも、運動が大の得意のである、ファルナのルーツであることを感じさせた。

 子供の頃に叱られた――(でも)優しい先生のように見えた。

 

「え、えっと。初めまして。ジェードって言います。あの、ふだんは学校に行ったり、王子をやったり。……あっ、今は特別休暇中なんですけど。たまにちゃんと行ってます、はい。後は、国のことを少々、やってたり、やろうとしてみたり……」

 

 ウィルナは、ジェードの自己紹介を聞いて、思わず吹き出した、娘もそれに少し遅れたが、ほぼ同じタイミングで吹き出した。どうやら笑いのツボは同じらしかった。

 

「ジェードさん、王子様でしょ。そんなに、かしこまらなくっても。いつもうちのファルナがお世話になっています。御迷惑をおかけしてないかしら? この子はほんとにおてんばで、いつも心配してるんですよ」

 

 そう言って、ウィルナは深々とお辞儀をする。ファルナの頭も一緒に下げさせる素振りをしたが、娘はそれよりも早く自らペコリとお辞儀をした。以心伝心、仲むつまじい似たもの親子だった。

 

 家の中に案内されると、そこは外観に負けず劣らず、一段と懐かしさを感じさせる空間だった。ずっとここに、根が生えたようにいたくなる、そんな感じだ。食器やこまごまとした小物はきちんと整頓され、清潔な印象を与える。幾つもの賞状やカップ、盾に女神像が、客の目につきにくいところに奥ゆかしく飾られていた。

 

 暖炉があって、寒い季節は重宝しそうだった。さすがに今は、夏の収穫祭を控えているので出番はなさそうだったが。

 

「さあて、ジェードさん。エアハート家へようこそ。おなかペコペコでしょ、二人とも。我が家自慢の特製リンクルパイを用意するから、ちょっと待っててちょうだい」ウィルナはそう言うと、台所の方へ引っ込んだ。

 

「えっと……じゃあ、ちょっと恥ずかしいけど。二階に上がって待とっか。あっ、私の部屋が二階なの。ごめんね、説明が下手で」

 

 あ、ああ。としかジェードは答えようがなかった。えも言われぬ、緊張感とも異なる感覚に、心を奪われていた。海で泳ぎ疲れたときの、トロンとした感覚が近い。何だろう? このくすぐったい感覚は……。

 

 ファルナを先頭に、木造の階段をトントンとリズミカルに駆け上っていく。新調したパレオの中をのぞき見ないように、ジェードは視線を下げた。

 

 今日のジェードは、髪の色に合わせたグレーのドレスシャツを着ている。正装でありながら戦闘向きの動きやすい服装だ。まあ、戦闘は主にファルナ担当で、ジェードの出番はそうないのだが。

 

 ファルナが多感な少女時代を過ごしたその部屋は、もう一年以上も空けられたままだったが、ほこりの匂いはしなかった。恐らく、ウィルナが前日までに掃除してくれたのだろう。さすが、侍女の母親といったところか。

 

 成長しても使えそうな、大人向けの勉強机がひとつ。本棚にはジェードが余り読まない、分厚い羊皮紙の書物がずらりと並んでいた。学業と魔法に関するものが多くを占め、かしこまった雰囲気を醸し出している。ただし、部屋の色調はファルナが好きな(自分の髪色と同じ)、淡いサンゴ色で統一されていたので、全体としては女の子らしい部屋だった。ジェードは、さっきの洋服屋のような、少し落ち着かない気分になった。

 

 彼女と並んで、ベッドに腰掛けた。

 

「えっとね。特に見せて面白いものはないんだけど、これっ! じゃじゃーん。何だと思う?」ファルナが達筆で書かれた一枚の紙を取り出す。

 

「何だ、これ?」ジェードは、緊張が悟られないように、声を強めに張る。

 

 そこには「侍女検定特級 合格証書」と書いてあった。

 

 ――貴殿の優秀な成績を認め、ここに特級資格を授与する。

 これにより、王家並びにデイワールド大陸全土に渡る全ての職業において、侍女を勤める資格を有することを認める。

 

 なお、ファルナ・エアハート女史の取得が過去最年少記録であることも、ここにたたえます。

 

「凄えな、ファルナ。この記録って……。ファルナの前は、確かアリーザさんがその記録保持者だったっけ。それを大幅に塗り替えるなんてな」

 

 最高のボディガード兼家庭教師、それが侍女を端的に示す。知性と強い肉体を併せ持たなくては、その特級資格は取得できない。彼女の卓越した魔法技術と、戦闘能力は、恐らく想像を絶する努力で実を結んだのだろう。

 

「これをもらったときは本当にうれしかったの。人生において、もう、上から数えるくらいに。これで、晴れて王室の侍女を目指せるって思うと、一日中部屋の中を駆け回っていたんだから」

 

「この部屋の中をか?」

 

「そう、ここを百万回ぐらいグルグルとね。スピードスは使わないで、自分の足で。そのぐらい興奮したってこと」

 

「そいつはすごいな」

 

 ファルナは目を細め、その心地よい思い出を反すうするかのように目を閉じた。

 

 今からおよそ二年前の冬の寒い朝――。

 

「ファルナー。起きたのー。もし心配だったら、ママもついて行ってあげるよー」

 

 階段下から、ウィルナの声がする。ファルナはとっくに起きていた。だが、不安の渦に飲み込まれそうで、布団を頭からかぶっていた。それでも母の声で勇気を振り絞り、ベッドから体を起こした。

 

「大丈夫よ。一人で行ってくるから。もし駄目だったら、尾長芋たっぷりのシチューでなぐさめてくれる?」ファルナは台所に顔を見せるなり、そう言った。

 

「ええ、いいわ。パパの大好物だったヤツね」母親は笑顔で、ファルナを玄関に送り出した。

 

 ファルナは合格者の書かれた掲示板の前に、立ちすくんでいた。母親に発した軽口も、その掲示板の前では意味を成さなかった。それはまるで、裁きを言い渡す「断罪の立て札」に思えた。

 

 記載されるのは番号ではなく、本人の氏名だ。すなわち、ぱっと目を見開いた瞬間に全ての結末が告げられることになる。意を決して、そのつぶらな瞳を開く。

 ファルナのロングヘアーが、冬のいてつく風に揺れた――このときは、ポニーテールに結っていない。

 

 目を開けた瞬間、そこにファルナの名前は映し出されなかった。四、五名の見知らぬ名前だけがそこにあった。人生が全ての価値を失ってしまったように、色あせたものに感じた。

 

 あなたは誰? 掲示板はそう言い放っているようだった。ぼう然と立ち尽くした後、その立て札の最上部に気になる文字を見つけた。

 

「侍女検定一級 合格者」

 

 一級!? ファルナは自分のそそっかしさに感謝した。一級の立て札の右にはもっと人だかりができている――恐らく、受験者の多い二級だろう。だとすれば……。

 

 ファルナは、最も左に立てられた札へ移動した。その周辺には、うれしさの余り号泣するものも、悲観に暮れるものもいなかった。受験者数が極端に少ないことを、如実に物語っていた。

 

「侍女検定特級 合格者」

 

 立て札の最上部だけを、わざと焦点が合わないように眺め、特級であることを確認した。

 その下には、黒い文字がぼんやりと見えた。年によっては、合格者が一名も輩出されないほどの難関だ。今年は、誰か合格者が出たのは間違いない。それが、自分であってほしい――。

 

 心臓が早鐘を打ち始めた。ゆっくりと、その小さなおとがいを引くようにして、視線を立て札の中央へ移動させていく。やがて、黒い文字の輪郭をはっきりと確認した。

 

「ファルナ・エアハート(CMS所属)」

 

 やった……。ファルナは腰が抜けたようになり、その場に座り込んでしまった。

 ほおを伝う大粒の涙。その姿を、余り人に見せたくはなかった。

 

 CMS――CustomカスタムMaidメイドSchoolスクールとは、侍女養成学校の略称だ。個別のニーズに合わせてあつらえる「カスタムメード」と「特別なメイド」である侍女の意味をかけ合わせている。このときのファルナはCMSの学生であり、春に卒業することになっていた。

 

 ファルナが喜びに浸るのもつかの間、周りには黒山の人だかりができていた。

 

 〈おめでとう!〉

 

 〈すごいわ、あなた! 去年なんて一人も合格者が出なかったんでしょ?〉

 

 〈歴史に名を残す、侍女が生まれましたか。もしかしたら私たちって、歴史の一ページ……世紀の瞬間に立ち会っているのかも〉

 

 女子学生たちの歓喜の声が、ファルナを取り囲む。

 

 難関を突破した栄誉は、他の受験生たちを大いに勇気づけるものだ。

 小さな幾つもの魔法花火に祝福され、大仰に頭を下げて応えるファルナ。それは、彼女の思い出として、しっかりと刻まれた。

 

 ジェードはひとしきり、その思い出話を聞いた後、話を続けた。

 

「そうなんだ、学校とは別に資格試験があるんだ……」

 

「うん。CMSを卒業しただけでは、特級の資格は授与されないの。卒業するときに、エースクラスだったら一級の資格はもらえるけどね」

 

「へえ、それで、CMS卒業のときにあの帽子を天高く投げるヤツをやるんだよな? あの正方形の帽子を天高く投げる姿は、見ていてぐっとくるよな」

 

「恥ずかしいな。よく知ってるわね。でも、確かに気持ちよかったかも、あれ」

 

 小さな書類棚の上には、魔法で書いた肖像画が置かれていた。そこにはネイビーの角帽をかぶった、ファルナとクラスの生徒が描かれていた。

 

「それでね、ジェード。もうひとつ、合格したときと同じぐらい……うれしかったことがあるの!」

 

「ほう、何だい、それは?」

 

「もちろん、王室への採用が決まったときよ! 興奮の余り、テレプス水晶を落として壊しそうになったんだから」

 

「ああ! 採用通知のときか!」とジェードは言ってはみたが、どうにももどかしかった。侍女の採用システムについて、詳しくは知らないのだ。どういう選考基準で、どのように知らされるかすら知らなかった。全て自分の周囲が、勝手に行ってくれていたのだ。

 

 俺は、何て温室育ちの甘ちゃんなんだ――ジェードは、そう自嘲した。しかし、そのことをくよくよしても始まらない。そうした無知や世間知らずを含めた上で、よくするための旅だからだ。

 

「そうか、そんなにうれしかったんだ。その仕組みについてよく知らなかったけど、気持ちはよく分かるよ」正直な胸の内を語り、続けた。

 

「王室の侍女になることが、ファルナの夢だったんだっけ? ん? 一個聞いていいか? 何で王室の(傍点)侍女になりたいなんて思ったんだ?」

 

「あれ? そっか……まだ言ってなかったっけ。実はね――」

 

 ファルナがそう言いかけた途端、ウィルナの声が一階から聞こえた。

 

「ファルナー。リンクルパイが焼き上がったわよー。降りてらっしゃーい」

 

「はーい。それじゃ、この話はまた後でね」

 

 ファルナはそう言って、話を切り上げた。

 

 リンクルパイは、この世のものとは思えない出来映えだった。ふっくらとした円形のパイに、季節のフルーツが色とりどりに飾られている。中でも、すっかり熟したリップルベリーが視線をくぎ付けにした。その上に水蜜桃のソースがたっぷりとかけられ、この糖分を消費するには、スピードスを半日は行わなければならないほどだ。こんがり焼き上がったパイ生地の匂いに、フィルクリームの香りがよくマッチした。その匂いだけで、お菓子の国へ連れていかれそうだ。

 

「う……うまそう。こんなうまそうなパイは、初めて見た……」ジェードは、目を見開きツバを飲み込む。

 

「そ、そうね……これは手ごわいわ。誘惑に負けちゃいそう……」

 

 ファルナは完食したあとの糖分が、やはり気になるようだ。

 

「まあ、大げさね二人とも。ジェードさん。王室じゃこんなのよりも、ずっといいものを食べてらっしゃるんでしょう?」

 

「い、いえ。このクラスは、正直、王室顔負けです! では、早速ですが……」

 

「いっただきまーす!」ジェードとファルナの大合掌。

 

 エアハート家特製リンクルパイは、正にとろけるばかりの夢の国だった。テーブルマナーを一通り習得しているジェードが、ナイフとフォークを逆の手で持っていることに最後まで気づかないほどだった。

 

「ごちそうさまでした! とってもおいしかったです!」

 

 二人ともそれぞれ似たような感想で、夢の世界を締めくくった。それを見て、満足げな表情を浮かべるウィルナ。母親の慈愛に満ちた表情だった。

 

「それじゃ、ジェードさん。おくつろぎくださいね。お客様を徹底しておもてなしするのが、エアハート家の流儀ですから」

 

「いえいえ、本当にもう、お構いなく」ジェードは、パンパンでなったおなかをさすって言う。

 

「そうはいかないのが、うちのママなのよ。もう、次から次に、ごちそうが運ばれてきちゃうわよ。もう、こーんなに」

 

 ファルナが手で山盛りの仕草をし、ジェードの驚いた顔を見定めた後に、エアハート家の女性二人は、冗談だと明かした――そうか、ファルナのこういうところは、お母さん譲りだったんだな。

 

 ウィルナの竹を割ったような性格は、切り出しにくそうな話題にもポンと触れた。

 

「こんなときに、お父さんがいれば更によかったんだけどねぇ。ジェードさん、旅のついでに探してきてくれないかしら?」

 

「ちょっと、ママ! 家出した迷い猫じゃないんだから。ねぇ、ジェード」

 

 ジェードの反応を待つ前に、ウィルナがドンドン切り出す。

 

「迷い猫か……お母さんが、ポルケットからエクスディアの城下町まで、羽を伸ばして買い物に行ったときのことなのよね、そういえば。あの、敵につかまっちゃって幽閉されたときのこと、バリアンの決戦って言うんでしょ、ジェードさん? 私もそのときは、まだ純情で若かったわねぇ……」ウィルナがうっとりと遠い目をする。娘はジトッとその表情を見る。

 

 親子の話によると、父親のグレアム・エアハートは二十年前の「バリアンの決戦」で行方が分からなくなったと言う。今は滅亡した「失われた帝国――バグドラゴ」を、エクスディアのバリアン国王が討ち滅ぼした大戦だ。ウィルナは、バグドラゴに一時的な捕虜として幽閉された過去を持つ。

 奇遇にもその大戦に関係した五名の人物は、同い年であり、元は学友と呼べる関係だった。

 

 当時は騎士団長だった、ジェードの父親「バリアン・エクスディア」。その妻でありエクスディア王妃の「サラ・エクスディア」。

 ファルナの母の「ウィルナ・エアハート」に、父の「グレアム・エアハート」。

 そして、バグドラゴの皇帝「インゼクト・バグドラゴ」。

 

 ジェードの母親「サラ・エクスディア王妃」は病により、ジェードがまだ小さい頃に他界している。そして「インゼクト・バグドラゴ」は、既にこの世にはいない(バリアンが葬った)。しかし、何の因果関係もない「グレアム・エアハート」はこの世のどこかで生き延びている。ファルナたちはそう信じて疑わなかった。

 

 ウィルナは、父親の話を続ける。

 

「でもね、うちのお父さんは、バリアンの決戦の後にひょっこり戻ってきたのよ」

 

「あれっ? そうだったんですか?」ジェードが目を丸くする。

 

「そう、どこに行ってたのかは結局よく分からなかったけど。無事に戻ってきたから、この子が生まれたのよ。その後も、時たまふらっといなくなって、また戻ってくる生活だったの。あっ、お父さんは昆虫を調べる仕事をやっててね。もしかして……帰ってこなかったのは、そのせいかしら? ファルナが嫌がるから」

 

「ママッ、そんなことないでしょう。パパとはすごい仲がよかったんだから」虫嫌いの娘が、母の誤った情報を訂正する。

 

「そうよね、ごめんね。それで、一年とちょっとぐらい前かな? ちょうどこの子が特級検定に合格したあの日に、またいなくなっちゃってね。その合格報告もできてないんですよ、まだ」

 

 エアハート家の内情に深く踏み込んだ会話で、ファルナはいたたまれないような表情を見せた。幾ら関係の深いジェードとはいえ、侍女の私的な部分をそこまでは見せるのは失礼だと思ったのだ。

 

 しかしジェードは、ファルナの申し訳ない思いと相反する返事をした。

 

「お父様のことは、よく分かりました。エクスディア国王子の名にかけて。必ずや探し出してみせましょう!」

 

「あらやだ、『お父様』だなんて、まるでプロポーズしに来たみたいじゃないの」ウィルナがポロリと言う。

 

 すると若い二人のほっぺは、焼きたてのリンクルパイのように、赤く染まった。

 壊れた人形のように言葉を失った二人には気もとめず、ウィルナが続ける。

 

「でも、たしか侍女と王子様の恋仲は認められないんだったわよね。残念。フンフフン」ウィルナは調子よさげに、指をパチンと鳴らした。最後の鼻歌の出自も、母親だったか――たまにファルナも、言葉尻に混ぜるときがある。

 

「マ、ママ。それはそうと、何か面白いうわさ話を聞いたって、言ってなかった? テレプスで言ってたじゃない」

 

 うむ、見事な話題そらしだな、ファルナ。助かるよ。さすがに、ファルナの母君だけあるな。俺のからかい方も超一流だ。

 

「ああ、例のうわさね。それが――」

 

 ジェードとファルナは、同じうわさを頭に思い描いていた。街で聞いた「生者の魔法」についてだ。しかし、二人の予想は見事に裏切られた。

 

「何でも、光の魔剣使いが、この辺りに出現しているらしいのね」

 

「光の……魔剣使い、ですか……。それは、とても強そうなお方ですね。魔剣……魔法の剣ですか」と、どこか不安げな表情でジェードが言う。

 

「何でも、全身が真っ白い光に包まれているとかで。ほら、村を出てずっと東に行った先に……えっと、エルラド教国があるでしょう。その近くで見た人がいるらしいのよ。うん、ジェードさんもそんなおっきな剣をぶら下げてるぐらいだから、剣には興味あるでしょ。でも、あそこは……余りいいうわさを聞かないから、行かない方がいいかしらね」

 

 ウィルナの得意げな口調は、エクスディアの給湯室で見られる、メイドたちのうわさ話に似ていた。信ぴょう性に欠けるとしても、その話に二人は後ろ髪を引かれた。

 

「もう、やめてよママ。そんな寄り道してる暇はないんだから。ただでさえ、ジェード王子の頭は変な魔法(傍点)でいっぱいだってゆうのに」

 

「変な魔法? 何だい、それは?」ウィルナは身を乗り出して聞く。年長メイドが、目がキラーンと光らせるときとほぼ変わらない。

 

 ファルナは思わず口を滑らせてしまったかと心配したが、ジェードの表情が存外変わらなかったのを見て取り、先を続けた。

 

「死んだ人を生き返らせる、『生者の魔法』っていうのが、あるんだってさ。それが噴水広場のところで、うわさになってたの。で、まあ……ちょっと興味があった。それだけよ、ママ」

「へえ、そんなのもあるの、すごいわね。私は、魔法はからっきしだから、さっぱり分からなくて。ファルナは、パパに似てよかったわね。あっ、確かジェードさんも魔法はからっきしだとか」

 

 ファルナよ、そんなことまで母君に話しているのか。ファルナのちょこんとつきだした舌を見ながら言う。

 

「ええ、ですが最近は少し小さな火ぐらいだったら、出せるようになりました。フレア=リルダンス(小炎の舞踏会)!」

 

 ポウアッ! 小さく、熱さを持たない炎が食卓の上に踊る。本当に、火が命を持ったように(腰らしき部分を)フリフリとミニダンスをする。

 

「あら、かわいいわね。でも、ジェードさん。これって何に使われるのかしら?」ウィルナが、ファルナと同じ丸い瞳で尋ねる。

 

「え、ええと……大道演劇の演出とか、そういった類いですね。熱くないので、安全なのかなと。でも、燃えやすいものだったら、頑張れば火を付けることぐらいはできると思います」と、たじたじのジェード。

 

「そうなの? 炎は熱くなきゃいけないわよ、ハートに火をつけて、なんちゃってね。フンフフン」ウィルナの、再び恋をけしかけるような物言いに、ファルナが小刻みに震える。

 

「マ、マ……また来るから。今日はこのぐらいで……おいとましようかしら。ほら、ジェード王子も何かと忙しいみたいだし」

 

「あら? 残念ね。お夕飯も食べていけばいいのに。でもまた、いつでもいらっしゃいな。それと、ジェードさん。うちのパパのことは気にしなくていいから。まずはファルナのことをよろしくお願いします。今日は、本当にありがとうございました」

 

 ウィルナが席を立ち、丁寧なお辞儀をする。

 

「いえ、こちらこそ。リンクルパイとてもおいしかったです。また来ます! それと、おっしゃっていたエルラド教国にも、時間を見つけていってみます。旅の目的はいろいろな国の制度を知ることなので、是非参考にしたいと思います」ジェードも慌てて立ち上がり、今日のお礼をする。

 

 母が娘に顔を近づけて肘でつつくと、娘はさっと顔を赤らめた。本当に仲のいい、まるで女子学生のような親子だ。

 

 帰りしなに、玄関に小さく飾られた家族の肖像画を見た。父のグレアムは、麦わら帽子をかぶり、実に昆虫学者らしい優しい風貌をしていた。ウィルナの肩を抱き、片方の手でまだ幼いファルナを抱きかかえていた。ジェードは心の中で、挨拶をそっと済ませた。

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