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英者は次男坊!  作者: ゼット
◆シーズン1
14/33

第14章 不帰(かえらず)の洞窟

「で、ジェード王子、あなたは何をやってるのか・し・ら?」


 飛行艇のデッキで小さく肩と声を震わせながら、ファルナが言う。右手にはジェードから取り上げた挿絵付きの小説、左手には芋のスライス菓子の袋を掲げている。


「いやぁ、余りに快適な空の旅だからさ。くつろぎたくもなるだろ。その本は、リザの談話室からこっそり持ってきたんだ。あの人たちも、教典以外に結構読むみたいだな」


「それにしても、くつろぎ過ぎじゃないかしら? こっちは必死に操縦室の機械と格闘してたっていうのに、はやりの挿絵付き小説片手におやつタイムで・す・か」


 異次元の口調になったときの彼女は要注意だ。得意とする雷魔法の非検体にされかねない。


「あれ? やっぱり自動運転の機能が付いてた?」素早く話をそらしながら、ポテトフライスをファルナの口元に持っていく。


「そうみたい、見た目以上に最新鋭の飛行艇だったようね。さすがと言いたいわ。このまま不帰の洞窟まで一直線みたいよ」ファルナもフライスをパクついた。


 それから一時間もしないうちに、飛行艇は到着の合図を告げた。上空から身を乗り出して確認してみると、森の木々しか見えない。ただし周辺の色が変わっていることは、はるか上空からでも分かった。


「それじゃ、下に着けるわねジェード!」


「おう! 頼んだ!」


 威勢のいい掛け声を交差させ、木々を無駄に押し潰さないように注意しながら着陸する。


 その洞窟は二人を招き入れるように、ぽっかりと口を開けていた。森林を横断する小川があり、その水が洞窟に流れ込んでいる。中はひんやりして肌寒かった。さっきまで真夏のようなリザの砂漠地帯にいたのが、ウソのようだった。ジェードを前にして洞窟に進んだ。しかし、気がつくとファルナが先頭に代わっていた。


「ここから先には、光が入ってこないわね。任せて、ジェード」そう言うなり、まだ日の光がギリギリ届く場所でエージャーメダルを放り投げた。一発でエアキャッチも決めた。チャムが召喚される――謎のウサ耳妖精は、今日も御機嫌なようだ。


「こんにチャム! またお会いしましたね。今日は何の御用でしょうか?」


「チャム、ごめんね。この暗がりを照らす魔法と……私たちの話し相手になってくれる? ここ薄気味悪くて、ねえジェード」


「あ、ああ」とジェードも同意したが……エージャーのこうした使い方はありなのか?


 自分たちの声だけが共鳴する洞窟に、本能的な恐怖を感じた。ジェードは地獄の底に吸い込まれるような不気味さを覚えた。


「任せてほしいチャム。得意分野です。早速ですが、フレア=リロージョン(幻想の火球)!」


 おおっ、思わず感嘆した。四方数メートルだが、辺りを照らす炎がチャムの前に宿った。やはり火の魔法は便利だ、そう思わざるを得まい。


 魔法は顕現させるよりも、その姿を持続させる方が難しいと聞く。つまり火をおこすことよりも、それを持続させる方がより難しいのだ。集中力と精神力を長く保っていられるのは、やはり人とは異なるエージャーだからこそだろう。


 洞窟は迷うことなき一本道だった。しかし、少しずつ下に傾斜しているようでそれが後戻りのできない恐怖を駆り立てた。もちろん、ファルナの風魔法で戻る算段は描いているのだが、それでも得も言われぬ感覚に捕らわれる。


 ジェードは湿った壁面を触ってみた。それなりに鉱物が採取できそうな雰囲気があった。しかしシルヴァ司教の御指名は、何と言っても虹の水晶だ。ならば岩肌にただ埋没しているわけはない。そんな簡単なのであれば、とうに誰かが発掘しているはずだ。恐らく何らかの謎があるか、宝物を守る番人がいるか、あるいはその両方か――。


 体全体が薄い膜に包まれるような、暑く息苦しい感覚がべったりと絡みついてきた。先に進めば進むほど、その感覚が強くなってくる。恐らく気圧が変化しているのだろう。


「ファルナ、ここ、滑りやすいから注意しろよ」足元を確かめながら言った。


「ええ、分かった。ねえ、さっきからこの道、少しずつ狭くなってきてない?」ファルナの声が反響する。


「ファルナたん、鋭いです。少しずつ狭くなってて、ほらあそこなんて横に並んで歩けないです。もっとピッタリ、くっつかなきゃ」


「ええっ? しょうがないわねえ。ジェード、いい?」


 少し先を歩いていたジェードの背後に、ファルナがしっかりと抱きつく。まあ、足をくじいたときに、さんざんおんぶしたからな。それほどの抵抗はないのかも。ではなぜ……俺の鼓動は早まっている? 少し相手の体勢が違うだけでこうも違うものなのか?


 いずれにせよ、この暗がりのせいでジェードの耳まで赤くなった姿は見られずに済んだ。ファルナが顔を赤らめているかどうかも、このチャムの炎ではよく分からなかった。


「ウオオオオォッ!」とジェードの声。


 前方、いや後方不注意だった。後ろのファルナに気を取られてしまい、まんまと足を滑らせてしまった。コケが生え放題で湿った地形。狭い一本道で急こう配ときたらもう、この展開しかない。ジェードとファルナ、そしてなぜか飛べるチャムまでもが、一気に滑り落ちる。さながら、水の滑り台だ。


「キャアアアー! っとっと、ひゃあああーーーほぅ!」


 ファルナはなぜか、少しだけ余裕のある悲鳴を上げている。最後の「ほぅ!」は何だ。水の神殿クラウス城にある遊具と勘違いしてるんじゃないか? しかし、ジェードにそんな余裕はない。


 やばい! 落ちるぅ。終点が近づき、そこから先に見える光の穴に飛び込む寸前、後ろから胸を押し付けていた侍女様が得意の魔法をとなえる。


「テンペ=スプリンクル!」


 ふう、それは兄貴が得意としていた魔法か。どうりで、余裕があったわけだ。洞窟の砂に全力でたたきつけられる前に、ファルナは宙に浮いてジェードのベルトをつかんだ。


 チャムはジェードの横で羽をばたつかせていた。真下を見ると……。ひぃ、なかなかの高さだ。あの高さからたたきつけられれば、恐らく体は四片になってしまっただろう。ファルナはゆっくりと降下した。ああ、風の魔法も便利で……やっぱり風もいいな。


 最深部と思われる洞窟の地下には、大きな横穴から光が入ってきていた。空気も清涼で心地いい。ここに来るまでに魔獣と出くわさなかったのも、幸運と言ってよいだろう。それとも、もしかしてまだ続きがあるのか……そう勘繰ってしまいたくなる。


 ジェードが目を凝らすと、遠くに大きな湖が見えた。差し込む光に湖面が乱反射して、虹色に輝いて見えた。ジェードが駆け出そうとすると、ファルナとチャムは既に湖のほとりにたどり着いて水の掛け合いをしていた――何て緊張感がないんだ。


 洞窟の下に眠る地底湖か……余りにも神秘的な景色だから、その気持ちも分かるがな。


「ほら、ジェードもおいでよ。すごい水がきれいよ」


 ファルナはパラオの裾を絞り、ブーツを砂浜に置いて素足を水につけている。


「おいおい、魔獣が出てきてもおかしくないぞ。そんな無防備で入っちゃ危ないって」


「大丈夫よ、チャムちゃんがいるからねー」


「ねー」と首を曲げてチャム。


 是非、この女子二人の頭の中身を見てみたいものだ。反面、この能天気なところが、羨ましくもあった。兄貴もこんな感じだったな――ジェードの顔がほころびかけたとき、視界に黒い影が飛び込んできた! 心の椅子から体ごと飛び上がり、一気に緊張が走った。


「ファルナ! 後ろだ! 敵がいる!」思わず叫んだ。


 湖より一段高い場所に、周囲を取り囲むような小道が見えた。そこを黒い人影が横切ったのだ。ただ、こちらからの距離を勘案しても、人間にしては相当デカい。――この前、医務室で見た影はファルナぐらいの大きさだったはずだ。


 今見えた敵は、プリストンが魔獣化した十メートルのヤツよりは小さく見えた。それでも三メートルはあるだろう。ファルナはウィングブーツを脱ぎ捨てたまま、戦闘態勢に入った。かかとを浮かして上下のリズムも刻んでいる。傷も癒えて万全のようだ。


「ファルナ、あそこだ、見えるか!」上の小道を指差す。


「うーん、どこー。何も見えないよ」


「見えないチャム」


 すると次の瞬間、ジェードの目の前に巨大な影が現れた。いや、これは現れたのではない、遠くから飛んできたのだ!


 瞬間移動か! そう判断し、体を砂浜に横っ飛びで転がした。しかしそれは魔獣でも人影でもなく、大きな岩石だった。何者かがものすごい勢いで、ジェード目がけて投げつけてきたのだ。このデカい岩を投げるなんて……そう思ったとき、次の攻撃が来た。


 ビュゥウン! またしても大人一人分はある大きさだ。しかし今度は見当外れのようで、誰にも命中しそうにない湖の中央に落ちた。ザプゥン、と水しぶきが舞う。何が起きているんだ!? 判断力を失う。


「ジェード、投げてきた方向を見たわ! あの上から誰かがつかんで投げてた! こっちに回り込めば届かないから、早く」


 ファルナはそう言うと、さっき見えた人影の方角から遠い、くぼ地を示した。そこはしょう乳石がちょっとした壁になっていて、向こうからの投石を防ぐ絶好の地形に見えた。


 ジェードが身を隠すと、投石攻撃は中断された。二人でそろりと顔をのぞかせて見ると、ヒューンと適当なサイズの石が飛んでくる。それでもやはり狙いは定まっておらず、あさっての方角へ飛んでいく。最初の一撃がたまたま近接しただけのようだ。


 ファルナがしょう乳壁から姿をのぞかせて叫ぶ。


「姿を見せなさい。戦うなら正々堂々と正面から来なさい!」


「いや、そういう問題じゃないんだけどね。まあ、いいか」


 すると踊り場のような場所に、投石の主がゆっくりと姿を現した。それは、通常の人間が本能的に畏怖する風貌だった。


 頭部から肩口にかけてすっぽりと袋をかぶっている……天ラン豆を入れるような麻袋に見えるが定かではない。何より不気味なのが、その袋全体に謎の文字が書き連ねてあるところだ。そして、袋に二つ開いた大きな穴。そこからこちらを見通しているのだろうか。


「あれが……ファントムなのか……」ジェードは、その奇妙な容貌に身震いした。


 がっしりとした体つきで、大柄なことを除けばプリストン魔獣と違って肉体のバランスは至って普通だ。恐らく中身は人間なのだろうと踏んだ。しかし、それでも身動きが取れない。三メートル男とのにらみ合いが続く。


 緊迫を打ち破ったのはチャムだった。


「フ、フレア=マキチャム(火炎の何ちゃら)!」


 思わず口を突いた魔法で、炎のツバメが飛ぶ。「フレア=マキシマス」の言い間違いなのだが、詠唱スペルのミスはさほど問題ではないらしい。赤色と青色――二種類の炎球が、旋回しながら三メートル男へ飛んでいく。


「駄目っ、チャムちゃん!」


 チャムの詠唱にかぶせるように、ファルナが口を開く。チャムがファルナの声に振り返ると、放った火球は更に大きさを増していた。それも見間違いでなければ、チャムへ打ち返すように飛んできている。


「ウャア!」チャムは、子タイガーが尻尾を踏まれたような叫びを上げた。ジェードはチャムをむんずとつかむと、岩陰に再び身を滑らせた。


「風の魔法か……厄介だな。岩を飛ばしているのも、ただの怪力だけじゃなく魔法の効果か」


「そうね、火攻撃で立ち向かうと風で押し戻されちゃうから、相性が悪いわね」


「ご、ごめんチャム」チャムはそう言って、ピンクの体を更に赤く染め上げた。


 その色はファルナのサンゴ色の髪にそっくりだった。さては、それでチャムを選んだんだな。ジェードはそんなことに思いを巡らせるほど、心に余裕が持てるようになっていた。よしよし、とファルナがチャムの頭をなでてやる。さあ、ここで立て直しを図らなくては。


 やがてジェードは、ひとつの考えにたどり着いた。向こうからの投石は一時的にやんでいる。


「ファルナ!」と呼び寄せる。しょう乳石の岩陰は思いの外狭く、ピッタリと身を寄せ合う格好になった。心臓の鼓動まで聞こえそうな距離まで近づき、小声で言う。


「あいつ、何かおかしいぞ。闇の魔法を使ってこないのは、どういうことだ。出し惜しみするにしても、この魔法はどうにも妙じゃないか?」


「どういうこと?」


「風の魔法で岩石を投げつけるなんて、幾ら何でも雑過ぎないか? しかも当てずっぽうの投げ方ときてる。闇の使い手なら相当高度な魔法使いのはずなんだけど……攻撃がちょっと幼稚過ぎる」


「そうね……そのことは、クラウス城のあの子も言ってた。魔人が風の魔法を使うところまでは、見たって」


「ラーゼか。そう言えばあいつ、お前になんか話してなかったか? 最後に」


 この前、森で同じことを聞いたときは、鬼グモの襲撃で中断された。


「ええ、ラーゼ王女でしたっけ」ラーゼの名前を口にした途端、ファルナの口調が少し変わったように感じた。「そう、あの子に呼び出されたの」


「で、何て言ってた」


「……ジェードのことを守ってやってくれって」


 ジェードの拍子抜けした表情を確認したのち、そんなことあの子に言われなくても分かってるわ、という侍女の誇りを顔に貼り付けて続けた。


「それと、もしかしたらファントムは悪いヤツじゃないかもって。実際に何人かの兵士は無事に帰ってきたわけだから、とか何とか。後は、もし相手が闇の魔法を使ってきた場合の対処について。霧が立ち込める魔法がとにかくやばいらしいの。霧を見たらすぐに逃げ出せって」


「そっか、でもよく分かんなくなってきたな。だったら、あいつは闇の魔法を出し惜しみしてるのか? それとも、あいつが兄貴を襲ったヤツじゃないんだとしたら、ここで一体何をしてる……」


 話を遮るように、ズゥウウウンと大地を揺るがす、地響きが起こった。


「ファルナ?」


「えっ? 私は何にも……、チャム?」


「ううん、チャムは大人しくしてたですぅ」


 三人で顔を見合わせ、一斉に音のした方角を見る――警戒したまま顔だけをのぞかせて。そこには三メートル級の男が転げ落ちていた。もしかしたら岩石を飛ばす勢いで、上の踊り場から……? 疑心をしっかりと残しつつ、その落下した人影を見つめる。


 ピクリともしていないが、そこに誰かがいるのは間違いない。それもさっきまでは、いなかったヤツが。ジェード、ファルナ、チャムの順で前へ進み、周囲を取り囲む。死んだ振りなどという古い手に引っかかるのはごめんだ。


「どうする? ジェード」


 倒れている三メートル男の姿が、確認できる距離まで来た。男が被っている麻袋の文字すら読み取れそうな距離だ。書かれているのは、古代キルリア文字のようだ。ジェードはこう見えて意外と古文書好きであり、その知識を生かせば、何とか解読もできそうだ。だが、まずは男の反撃を警戒しなくてはならない。


「よ、よし。俺が確認する。任せろ」


「駄目よ! 私の魔法で」


「それこそ駄目だ! いいか、お前の魔法は威力があり過ぎるだろ。勢いで殺しちまうかもしれない。それより、何かあったら防御に回ってくれ」


「分かったわ」ファルナは理解した。恐らくジェードは、兄のプリストン同様に人が魔獣化させられた可能性を憂慮しているのだ。


 ジェードの目には決意が込められていた――ただの人間を、ファルナの強力な魔法で傷つけたくはない。それは、彼女自身のためにも。


「大丈夫だって、いざとなったら俺が唯一使える魔法、スピードスがさく裂するぜ」


「なるほど、全力で逃げるわけね」ファルナはほほを緩ませた。


 ジェードは忍び足で、大の字に倒れている男のそばに歩み寄った。体の上まで砂にまみれていて、落ちた衝撃を物語っていた。


「引っかかったな!」男は、そう言って立ち上がろうとした!


 魂がはじかれるように、ファルナとチャムが驚きの声を上げた。しかし男はバランスを崩すと、そのままよろめいて後ろに倒れ込んでしまった。どうやら、自分のダメージを見誤ったらしい。


 何だ? ジェードは今度は更に警戒して頭部から男に近づく。そして素早く、男が被っている麻袋を脱がした。またもやファルナの悲鳴。そこには形容しにくい――だが人間と思われる顔があった。


 耳は常人の三倍はあろうか。顔のパーツは中央に集約され、見ようによってはキュートに見えるかもしれない。が、何せ出会った場所が場所である。やはり醜悪な見栄えとして、心が拒絶してしまう。しかしジェードはきっぱりと言った。


「ファントムなんて言う、物々しい呼び名の割には、意外とかわいげのある顔をしてるな」


 男は目を回したようで、すっかり伸びきっていた。やはりあの高さから転げ落ちた衝撃は、しっかりと爪痕を残したのだろう。


 ファルナが湖から、両手いっぱいに水をすくってきた。それを三メートル男の口元にそっと流し込んだ。ちなみに水魔法で出現させる水は、異世界の不純物が混じっていて飲料としてはとても使えない。もし人が飲めるのであれば、一番人気の魔法になると思うととても残念だ。


 ゴホッ、ゴホッとむせぶような声で、男は意識を取り戻した。さあ、ここからが本番だ。


「ウォオオオ!」男は雄たけびを上げた。しかし体を起こす気力はないようだ。ジェードはひざまずいてから、ゆっくりと話しかける。


「よし、そこまでだ。俺たちは何もあんたを、倒そうというんじゃない。つまり、敵じゃないんだ。少なくとも、大人しくしている今のところはな。それで、あんたは誰なんだい? ここで何をしてるのか教えてほしいんだ」


 ファルナとチャムが心配そうに見守る。


「お、おで……」


 おで? ジェードはきょとんとする。


「おでは、ここの番人だ。湖と虹の水晶を守っている」


 虹の水晶! しかしここは過敏に反応してはいけない。ジェードは落ち着いて話した。


「そ、そうなんだ。いつからここにいるんだい?」


「ずっと前から、二十年くらい前だな多分」


 またまた……二十年ってのはさすがにないだろ、と思ったが、ある年号が頭をよぎった。ちょうど、バリアンの決戦直後になる計算か――。


「ひとつ教えてほしいんだけど、もしかしてあなたは、闇の魔法を使えるのかい?」


 麻袋からあらわになった顔が、明らかに年上に見えたので、あんたと言う呼び方は改めた。


「おで、使えない……得意なのは風の魔法だけだ。風ならすごい好きだ。ビューンって何でも飛ばすことができる。ビューンって」


 これではっきりした。こんなお間抜けさんに間違っても兄貴が殺されるわけがない。しかも、同じ風使いときてる。


「分かった、分かった。もう、岩石は飛ばさないでくれよ。さっきも言った通り、敵じゃないんだ。用事が済んだらすぐに立ち去るよ。それで、虹の水晶はどんな感じで守ってるんだ? いや、強引に取ってこうって、わけじゃない。興味があるだけさ。もしかしたら、あそこの布がかかってるところに隠してるのか?」


ジェードが示す方角に、使い古された帆布がかけられているのが見えた。


「いや、あすこはおでの部屋だ……。本当のこと言うと、おでは虹の水晶を見たこともないんだ。ただ、何もしねえでここに住み着いてると、色んな人がやってきて言うんだ。虹の水晶はどこだっ、て。そんでおでは何となくそれを守ってる気になっちまったんだ。どのみち、何もすることねえから、守ってるって言った方が楽しそうだからな」


 心なしか、男は笑ったように見えた。


「そうだ、名前を教えてくれよ。俺はジェード、後ろの子がファルナ。で、あの飛び回ってるちっちゃい子がチャムっていうんだ。エージャーなんだけど」


「おで、イルファン。でも、みんなにはファントムって言ってる。何となく、かっこいいから」


 ああ、自称ファントムだったのか……とジェード。


「そこに飛んでいるのはエージャー、エージャー」イルファンはそう言うと、のそりと立ち上がりチャムを捕まえようとする。


 チャムはひらりと飛んで逃げる。


「駄目よ、コバルトバタフライかなんかと勘違いしてない? ジェード、イルファンのことやめさせなさいよ」


「イルファン、駄目だ! チャムは友達なんだ。無理に捕まえなくても、大人しくしてれば止まってくれるから」そう言って、チャムに目で合図した。


 するとチャムは、空中で一回転してからイルファンの肩に降り立った。


「エヘヘー、この子はかわいい。イルファン、うれしい。おで、こんな気持ちになったの久しぶりだな。もう何年も、ずっと……ひとりぼっちだったから。たまに兵隊さんや子供が入り口にくるけど、みんなすぐ逃げてっちゃうから……何でだろ?」


 そうか……ジェードは、洞窟で過ごす男の境遇を思いやった。バグドラゴに関係していそうだが、そのことを表向きには隠して暮らす人がいても不思議ではない。それにこの奇妙な風貌を隠すのに、ここはおあつらえ向きと言える。闇の魔法さえ使わないのであれば、バグドラゴの出身かどうかなんて関係ない。彼の平穏な生活を踏みにじる必要はない。


「結局、ここは無駄足だったみたいね、ジェード。虹の水晶も分からずじまいかな。シルヴァ司教には別なものを持ってってあげれば? 例えば、イルファンの被ってた麻袋とか」ファルナが冗談めかす。


「イルファン、大丈夫。あなた男前よ、そんな袋なんてかぶる必要ないって。もう、私たち仲間でしょ。友達。分かる? と・も・だ・ち」


「おで、トモダチ。分かる。ジェンドとハンナとチャモの友達」


「なーんか微妙に違ってるけど、まあいいわ。で、どうするジェード? もう引き揚げちゃう?」


 ファルナの声は、ジェードの耳には届かなかった。麻袋の両面に書き込まれた古代キルリア文字が、気になって仕方がなかった。


「イルファン、この文字って誰が書いたか覚えてるかい?」


「うん、これはおでが書いた。湖の奥の壁面に書いてあったものだけど、何となく格好よかったから、なぞって書いてみた。何て書いてあるのかは、さっぱりだけんど」


 砂に座って足を組み、神妙にしているジェードの顔をファルナが上からのぞき込む。


「もしもーし、ジェード君、聞こえますかー」


 一瞬のひらめきがジェードの頭の中を駆け巡った。


「見てみろ、ファルナ。この文章を。お前もキルリア文字は読めるよな」


「一応ね。でも、ジェードほど得意じゃないかも……」


 そこには古代キルリア文字で、こう書いてあった。



 トンペティ・トンペティ 水の中

 トンペティ・トンペティ 息潜め

 全部の兵と仲間でも

 ついには倒せないままに


 トンペティ・トンペティ 好きなのは

 トンペティ・トンペティ 搾りたて

 全部をなくすと困るもの

 そいつの臭いがたまらない


 トンペティ・トンペティ 虹の石

 トンペティ・トンペティ 役に立つ

 生死のたもとを分かつとき

 かざせよ、されば晴れ渡る



「うん、分かったわ。これは……卵のことね」ファルナがサラリと言う。


「違うよ、それはどっかの国の、なぞなぞの話だろ『壁の上から落っこちて、元に戻れなかったのは何だ?』ってヤツだ。これは違う……きっと」


 ジェードは指先を額に当て、しばらく考え込む。ファルナもそれをまねて指先を薄い唇に押し当てる。チャムとイルファンは、追いかけっこをしている。


 時間の流れが永遠に感じられたとき、ひとつの答えがジェードを通り過ぎた。


「湖の奥に書かれていた文字か。なるほどね。ファルナ、風魔法の浮いて移動するヤツ、いけるよな」


「ええ、もちろん。侍女学校の必修科目だったから。でも風系はプリストンさんほど、得意じゃないから、余り期待しないでね。さっきの浮くだけのヤツでも、結構いっぱい、いっぱいだったんだから」


「ああ、上等だ」そう言うとジェードは、ファルナに指示を出した。


「ええっ!」とファルナ。


 数分後、二人は湖の中央で「テンペ=フルウィング(大天使の浮遊)」による空中浮遊をしていた。もちろん、ジェードのことをファルナが持ち上げる形で。


「これ、私の技術じゃ五分が限界ね。で、何をしようって言うの」


 遠くの湖岸にイルファンの姿が小さく見える。


「ちょっとした謎解きをね。俺の読みが正しければ、あいつとは数年越しの再会になるんだ」


「ふぇ? どういうこと?」ファルナの、ジェードのベルトを持つ手に力が入る。


 ジェードはおもむろに、腰のナイフシースから光るものを取り出すと手の平を切りつけた!


「ちょっとやめてよ! どうしちゃったの!」ファルナはジェードの予想以上に驚き、バランスを大きく崩した。


「つぅ。大丈夫さ、それよりうまくバランスを保っててくれよ。今から、あいつが出てくるからさ」


「何? ちょっと怖いよ! 何か出てくるの? ひょっとしてお化け?」


「いやぁ、そんな、おっかないものじゃない。ただの魔獣さ。この高さなら平気だと思うけど、やばそうだったら、うまくよけてくれよな」


「ええっ、何それ! どういうこと? 早く言ってよ、もう。でも分かったわ、何かがくるのね」


 二人に緊張が走る。ジェードの左手から、鮮血が湖に滴り落ちた。とてつもなく新鮮な血だ。湖面にさざ波が立ち、水中に大きな黒い影が見えた。影は水中をぐるぐると時計回りに旋回している。ノコギリのように鋭角な背びれがその姿を現す。背びれは銀色に光り輝いていた。


「やっぱり来たか。言わせてもらおうか。また……」


 (ウオ)ッ! ジェードが決めゼリフを吐こうとしたその途中で、巨大魚が水面からはるか上方に飛び上がった。ジェードのセリフは悲鳴に取って変わった。


 正に紙一重。両足を胸の高さまで引き上げ、すんでのところで、かわすことができた。ここまで飛び上がるとは――ゆうに十メートルは湖面から離れているのに。昔よりジャンプ力を上げやがったな。もう少し低かったら、下半身が丸ごと、なくなっているところだ。


「ファルナ、ごめん。もっと高く飛んでくれ」


「オッケー! これでどう?」


 グイと上空に引き上げる。下では光り輝く巨大魚が、何度も飛び跳ねて水しぶきを上げている。獲物にありつけず悔しがっているようだ。


「おーい、チャム! そこから、このどでかい魚をやっつけてくれないかー」


 追っかけっこをして遊んでいたチャムとイルファンの動きが、ピタリと止まった。


「了解チャム。いっくよー」


「お、おでも」


 ん? 今イルファンも何か言ったか? いや、君は何もしなくていいぞ。


 チャムの魔法詠唱モーションに先んじて、イルファンが動いた。そして手近な岩石をこちら目がけて投げつけてきやがった!


 ドバシャーン! 水柱がファルナの目の高さまで立ち上る。


 ひぃ、ぬれたら重くて落ちてしまうだろうが。その岩石による衝撃で、魔獣魚が空中に放り出された。魔獣魚もジェードの目の高さまで打ち上げられる。空中で魚のギラついた水晶のような目と、ジェードの目が合った。「あ、どうも」当然のことながら、魚の目は笑ってない。


「ウォル=タックモック(潮流の投網)! いくチャム!」


 チャムの小さな体から、水の網が投げられる。これは見たことがある――森の鬼グモを捕獲したときの水魔法だ。空中で巨大魚をしっかりと捕獲し、湖面にたたきつけた。ものすごい勢いで暴れている。ならば方法はひとつしかない――ジェードはチャムのいる湖岸に降り立ち、魔法の投網を引き揚げ始めた。


「オーエス、オーエス!」


 ジェード、ファルナにチャム、そして怪力のイルファン。四人が力を合わせれば、ちょっとした巨大ざめでも引き揚げることができるだろう。魔獣魚は網の中で豪快にもがき、網をかみ切ろうと試みたが、最終的にはジェードたちが勝利した。


 砂浜に打ち上げられたその姿は、七色に全身が光り輝いていた。ジェードは言いかけたセリフをここで言う。


「また……会ったな。お前とは、レンデル湖で兄貴と一緒に会っている。兄貴の足にかみついた湖のヌシだろう。俺はお前の姿を忘れてない」


「ふぇ? レンデル湖? お城の裏山にあるあの大きな湖? 随分とこっからは遠くない?」


「地下水脈でつながってるんだろう、きっと。だからこそ、あそこのヌシとして長く生息できたんだ。幾らうわさになっても、やすやすと見つかりやしない。それもそのはず、あのデカい湖の他にこっちにも行き来できたんだから」


「なるほど、ついでにもう一個聞いてもいい? あの謎かけの詩のこと」


 ファルナは、イルファンが被っていた麻袋をもう一度読み返した。ジェードが解説する。


「そうだな。『水の中、息潜め』が魚を表すだろ。そして『全部をなくすと困るもの』つまり、少しぐらい失っても平気なもので『搾りたて』とくれば、血しかないだろうって思ってさ。いずれにせよ、半分は当てずっぽうだけど……。試してみる価値はあるかなって。でも、この三番はよく分からないな。水晶の特殊効果について記されているとは思うけど」


「さっすが、エクスディアのヒラメキ王子!」


「っておい、初めて聞いたぞ、その呼び名。給湯室のメイドさんたちの間で、そう呼ばれてるのか? 思い付きばっか口にするから。まあ、別にいっか。今だったらさしずめ……トウボウ王子ってとこかな」少し現実がちらついて、ため息交じりに言う。


「そんなに卑屈にならないで、褒めてるんだから。それにしても、何この魚、おっきいよねぇ」


 チャムとイルファンも大きくうなずく。ジェードはイルファンのほうけた顔を見て言う。


「イルファン、力一杯引いてくれてありがとう。これでさっきの岩石攻撃は見なかったことに、してやってもいい」


 イルファンは申し訳なさそうな表情を見せた。そうした知能は十分にあるのだ。改めてイルファンへ向き直った。


「虹の水晶を守ってるって言ってたよね。もう一度聞く、そいつが欲しいのかい?」


「お、おで、別に欲しくねえ。虹色に輝く水晶だったら、そこら辺で結構採れるから。でも、本物は見てみたいかも。どんだけ似てるか確かめてみてえ。一応、番人だからな、おで」


 番人と言っているが、ここにいる理由は、世俗から逃れるように隠れ住んだのが正直なところだろう。ジェードはイルファンを思いやった。


「それじゃあ、虹の水晶は俺がもらっても文句はないな。見てみな、こいつが虹の水晶だ! えっと、こっちは最初から潰れてるようだから、こっち側のヤツだな」


 ジェードは巨大魚の片目に手を突っ込み、手首までうずめた。そして目玉を勢いよくひっこ抜いた。その手にはキラキラ光る虹色の玉が握られていた。


「これがそうなの! へー、ほんと水晶みたい」


「きれいチャムねー」


 二人の女子は、その美しさに見とれた。すると、その手頃な大きさの水晶玉をひょいとイルファンが取り上げた。


「これなら、おでも似たようなのいっぱい持ってる。岩の中から結構取れるんだ。見てみるか?」うれしそうな声を上げ、上階の帆布がかかった場所を指し示す。


 イルファンの部屋には、たくさんの鉱物が置かれてあった。ケトルや布団などの生活用品もそれなりにあった。二十年間住むことも可能なほど、意外と快適に見えた。見るからに宝箱風の箱に、窮屈なほど水晶が詰められている。紫、緑、黄色にピンク――色が混ざり合って虹色に見えるものもあった。どうやら洞窟全体が、水晶鉱山になっていたようだ。


「おお、これなんて結構似てるな。どうだい、イルファン。みやげ物屋とかの商売をやってみれば。虹色水晶風のデザインなんて珍しいから、飛ぶように売れると思うぜ」


「そうね、アクセサリーとしてかわいいかも」と女子の気持ちを代弁するようにファルナ。


「チャムはこのピンクのが欲しいですぅ」


 チャムのわがままに、イルファンはすぐに応えた。チャムでも持てそうな小ぶりの、ベニ水晶をそっと手渡した。ペコリとお辞儀をするチャム。イルファンは自分の宝物を褒められて、真夏の氷菓子のように顔全体が溶けきっていた。


 こうして、来るときとは正反対の和やかな雰囲気の元、不帰の洞窟を後にした。ファルナの風魔法で、イルファンが日頃利用しているという一方通行の出口から、一気に飛び出す。チャムをメダルに戻して飛行艇に乗り込み、万事終了。


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