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英者は次男坊!  作者: ゼット
◆シーズン1
11/33

第11章 洞窟へ向かう森

 ジェードとファルナはクラウス城を後にし、魔人が住むと言われる洞窟へ足を向けていた。それは、この広大な深森の奥にある。かつてこの周辺にはエルフ族が繁栄し、どこからともなく美しいハープの音色が聞こえたと伝えられている。しかし、その心優しき森の種族も、かの帝国バグドラゴに追いやられた。


 ジェードとファルナは無言で歩き、葉っぱと服がこすれ合う音だけが流れた。森の道が細くなり、進むにつれて生い茂る植物の葉が徐々に大きくなってきた頃、ファルナが口を開いた。


不帰(かえらず)の洞窟か――。縁起でもない名前ね」


「でも、帰ってきたんだろ、一応。その衛兵さんは」


「そうかも、じゃあそんなに心配することないか」ファルナは、自分に言い聞かせるように言った。「そう言えば……さっきあの子、ラーゼ王女にね――って、ねえ、聞いてるジェード? もう、さっきから上の空なんだから」


「あ、ああ。ごめん」


「しっかりしてよね……キャア!」


「っておい! お前がしっかりしなきゃ」


 積もったシダモの枝で足を滑らせたファルナの手を取り、すんでのところで洋服が台なしになるのを回避した。実のところ、単にファルナがジェードを強くつかんだだけだったが。いずれにせよ、お気に入りの茶色のウィングブーツや紺のオーバーニーソックスが汚れなくてよかったな。


「ちょっと、そこで休んでいくか」


 時計が一回り半するほどの時間が過ぎていた。いかに鍛えられた侍女とはいえ女の子だ、体力が持たないだろう。いや、正確にはジェードの体力が持たない。都合よく植物が少なくなった場所に、切り株が二つ並んでいた。旅人がここで腰を下ろした跡が伺われた。


「イヤァ!」


「今度は何だよ!」珍しいな、ファルナが悲鳴を連発で上げるなんて。


「そ、そこ……」


 ファルナが指した先には、赤と黄色の模様――燃えるような炎のフレイムパターン――をまとった大ぶりなクモがいた。拳ほどの大きさで、こちらを見ている。その動き方もそうだが、模様も含めて全てがおぞましい。


 ファルナはジェードに抱きつくようにして、その陰に隠れた。ジェードはシダモの枝を折って、クモをさっと振り払う。


「やっつけてくれた?」ファルナは目を閉じたまま言う。


「ああ、もちろんさ、この程度ならお安い御用だ。いつでも任せてくれ」


 ふう、とファルナが一呼吸を入れる。


「昔っから虫は駄目なんだよね……」


 ああ、そうか、前に聞いたことがある。ジェードは切り株に腰を下ろしたまま、ファルナを思いやった。ファルナは二十年前に起こったあの争いにおける、母からの教えを思い出していた。



――二十年前の禁忌(タブー)「バリアンの決戦」


 今となっては失われた帝国――バグドラゴ――による侵略に端を発した戦争は、激烈をきわめていた。戦火は拡大し城下町が焼き払われ、多くの一般市民が捕虜と化した。


 終わりが見えない戦いだった。バグドラゴ帝国の戦団はエクスディアが見たこともない魔法を使った。戦場には死の匂いが立ち込め、しかばねがうずたかく積まれた。霧のように忍び寄り、人々を死へと誘う魔法――闇の魔法だった。


 その戦争は民間人を巻き込み、総力戦の様相を呈していた。エクスディアも四元素魔法を駆使し、また剣を携えた兵士たちが乱舞したが、戦況はジリ貧模様だった。闇の魔法に対して少しでも気を抜くと、自ら死を選ぶ結果となる。姿が異形の者へ変化する者も現れた。その姿に絶望し、やがて自ら朽ち果てていくのだった。心の内側に侵入し破壊していくその悪魔の魔法に、エクスディア側は対抗しうる術を持ち合わせていなかった。


 バグドラゴに幽閉された捕虜の中に、その女性はいた。


「皆さん、大丈夫。きっと助けが来るわ。こんなことが許されるわけないもの。ここは騎士の皆を信じて祈りましょう」


〈こんな状況にありながら、何と気丈なお方だ〉


〈何でも、騎士団長や女王の御学友だったそうじゃ〉


〈それでですか。何とも勇敢な……ということは、バグドラゴの皇帝とも知り合いか。実においたわしい話ですじゃ〉


 底冷えのするろう屋で、彼女は周りの者に祈りを説いた。彼女の名前は、ウィルナ・エアハート――後にファルナ・エアハートを生むことになる。


 最初は十人ほどが同じろうに幽閉されていたが、日に日に減っていった。金持ちの者、知に富んだもの、あるいは屈強な者。その誰もが死を免れることはできなかった。死の恐怖におびえていると、その不安な心情が波及していく。そして死の霧に一度捕らわれてしまうと、もう逃げることはできなかった。ひと思いに殺さないのは、その魔法の威力を試しているからに見えた。しかし本当の理由に思い至ったとき、彼女は心の底から恐怖を感じた――死をエクスディア国民の脳裏に植え付けようとしているのだ。


 闇の魔法に犯された死体には、おぞましい虫たちが群がってくる。その虫の姿は、帝国の紋章に描かれている――二本の健脚を持つクモだ。そのクモが群れを成して、死体の上をうごめくのだった。


 戦況を大きく動かしたのは、一人の騎士だった。その名はバリアン・エクスディア――のちにエクスディア家のおさ、すなわち国王となる男だ。このときはまだ王の肩書きはなく、一介の騎士団長として戦争に身を投じていた。


 男は魔法が苦手だった。戦場を駆け抜ける一陣の風。その握られた剣先には光が宿っていた。修羅の形相でバグドラゴ軍の魔獣や戦士を切り飛ばしていく。一瞬で敵を十字に切り裂く斬撃は、聖十字の逆りんとして恐れられた。


 四十九日間にも及ぶ死闘の末、ついにバリアンは広大な森を抜けた海岸沿いにある、バグドラゴ帝国の重要拠点へ乗り込むに至った。天は裂け、血の雨が降り注いだ。闇魔法に骨の髄まで陶酔したバグドラゴの皇帝インゼクトは、そこでバリアンに言い放った。


「うぬが剣で、この闇魔法を打ち破れるとでも思っているのか!」


 皇帝は、既に人とは形容できない姿になっていた。雄ヤギのような角が頭部だけでなく両足からも生えていた。皮膚はまだら模様で、毒虫のような赤の極彩色をしていた。


「地に落ちたな、インゼクト! 既に人の心も持たぬと見える」


 バリアンは、インゼクトを友と呼び交わした青春の日々に思いをはせた。だがそれも男の攻撃により、かき消された。闇霧に紛れた無数のヤリが、バリアン目がけて飛来する。全ての飛行物を紙一重の距離でかわし、次の剣げきの力をためる。


 この時点で雌雄は決していた。深く踏み込み、そしてなぎ払うように斬る。剣の軌跡には光の筋がまだはっきりと残っている。剣の速度は正に光のそれだった。物理攻撃に魔法を上乗せして加速する攻撃は、戦闘巧者であれば王道と言える手段であり、取り立てて珍しいものではない。だが、バリアンのそれは群を抜いていた。


 本人ではなく別の何者かが、光の魔法で支援していたのだ。剣と魔法の融合――それも限りなく究極に近い形で。


 攻撃と防御を兼ね備えていた闇の霧は、文字通り雲散霧消した。空間に閉じ込める魔法を、その外側から真一文字に切り裂いたのだ。剣先からは光があふれ、インゼクトの肉体をこの世から決別させた。


「グハアアアッ!」終幕を告げる断末魔が、世界に去来する。


 この空間には、もう死にゆくインゼクトの姿しかない。側近は戦況が悪いと見るや逃亡し、配下からも見捨てられていた。それでもまだ、その邪悪な力があれば国を統治し侵略できると考えるのか。


 バリアンは二つに断裂されたインゼクトに近づき、声をかけた。


「お前が侵略の野望さえ持たなければ、こんなことには……。魔法をきわめしお前は、どこへ行こうとしていたのだ。どこへ……」


 バグドラゴの皇帝は、もう言葉を発しなかった。魔法が消え、姿も人間らしさを取り戻していた。安らかな死に顔に見えた。自分の敗北と死を予感していたのかもしれない。圧倒的な魔力は、一点の純粋な力において、崩壊する危険があることも。空前の規模の貯水場が、オオハシ鳥のたった一か所のついばみによって決壊するように。


 皇帝の上半身の元に、何者かが駆け寄ってきた。バリアンはさっと身構える。それは二人の子供だった。十歳前後の二人の子供は、少年とも少女とも判別がつかなかった。黒いフードを頭からかぶっていたからだ。だが、そのフードの下からは明らかに憎しみを宿した両の目が細かく揺れ動いていた。


「インゼクトの子供か。すまぬが、ここで手心を加えるわけにはいかぬ。全ての散っていった命のためにも、そしてエクスディアの未来のためにも」


 バリアンは腰に収めた愛用の剣に再び手を伸ばした。剣は広めの幅で、グリップには黒いメダルがはめられていた。その両手剣はバターを切るかのように、滑らかに岩を切り取ると言われた。バリアンは剣先を突き上げ、そしてひと思いに振り降ろした。後には、静寂だけが残された。


 生還したウィルナは、生まれくる娘に大切なことを伝えた。


「ファルナ、おてんばで勝ち気な子。でもね、死をつかさどる虫には注意しなくてはならないのよ」


「虫は怖いよ。気持ち悪いもん」ベッドの中で、少女は毛布をすっぽりかぶりながら、母の話を聞いた。


「そう、いい子ね。もしあなたが怖い目に遭ったとき、きっとあなたの素敵な王子様が助けてくれるわ」


「王子様?」


「そう。もしかしたら、白馬には乗ってないかもしれないけど」ウィルナは自分の夫――すなわちファルナの優しい父親を想像し、笑いながら言った。


「それでね、ファルナ。怖い思いに打ち勝つには、とっても強く誰かを信じる心が必要なの、分かった?」

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