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英者は次男坊!  作者: ゼット
◆シーズン1
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第1章 エクスディア城の風物詩

 この国では武功に優れ知力にたけるもの――平たく言うと勇者のことを、英者えいじゃと呼ぶ。一番の勇者、英雄という意味だ。ジェード・エクスディアは一番でもなければ、英雄でもなかった。すなわち、英者ではなかった。


 うん、それでいい。古今東西、勇者や英雄なんてのはどこかぶっ飛んだ選ばれし人間がやるものだ――ジェード少年は日頃からそう考えていた。


 俺はただの次男坊――永遠の二番手でいい。何なら、二番の座も三男坊に譲ってやっていい。俺は謙虚なんだ……言い換えると欲がない。もっと言うと、やる気がないと言うか……。


「起きなさーい、ジェード! また朝食に遅れちゃうよー。ほら、早く早くー。ここから大聖堂ホールまで五分はかかるんだから、もう」


 朝からけたたましく起こしてくるこいつの名前は、ファルナ。我がエクスディア家の侍女をやってくれている。サンゴ色のポニーテールはちょっと長めで、後ろに結ったテールの部分を前に持ってきて、俺の鼻をくすぐって起こすことができる長さだ。


「おい、やめろっ、分かったって、へっくしゅん」


 くすぐりとパジャマ強奪作戦を同時にやられると、必然的にこうなる。春の陽気とはいえ、朝はまだ少し肌寒い。上半身を脱がされかけたところで自立し、辛うじてジェードの自尊心は保たれた。


「すぐに着替えるから、待ってろ。あれだけ取ってくれるか?」


「任せて、はいどうぞ」


 ファルナ・エアハートは、かれこれ一年以上も侍女を勤めている。ジェードのあれだけでエクスディア家伝統のショートマントを指すことが分かった。


 ジェードはマントを厚顔不遜なコスチュームだと常々感じているのだが、エクスディア家の正装に指定されているので致し方ない。ちっとも似合わないとしても、これをまとわないと大聖堂の食事にありつくことができない。ちなみにジェードの兄貴のマントは、ど派手な真紅だ。


 王室の人間の服装には厳しい割に、侍女の王子に対する口調にうるさい決まりはなく、どちらかと言えば自由奔放だった。当事者に任せておくのが一番よく、取り澄ました関係は自由な国風にそぐわないと考えられている。つまり、侍女の裁量に全幅の信頼を置いているのだ。


 ジェードも改まった口調より、ファルナの砕けた口調を有り難く思っていた。恐らくエクスディア家の兄弟全員が、侍女に対してそれぞれ似たようなことを思っているだろう。


「うん、上出来。さあ、行くわよ!」ファルナがジェードの後ろにスルリと回り込み、マントの首留めをパチンと装着する。


 その手際のよさは「この首留めは私の仕事よ」と言わんばかりだ。確かにその光速の動きを見る限り、このジョブにおいて彼女の右に出る者はいない。ジェードは右目で歴史を感じさせる柱時計をチラと見た。


 やばい! いつもと同じ遅刻すれすれコースだ。育ち盛りの男子にとって、睡眠も大切だが朝食は死活問題だ。両開きの分厚い扉を豪快に開け、廊下に飛び出した。ファルナはジェードの一歩前に躍り出て、腰に巻いたパラオ風のスカートをなびかせる。


 おいおい……スリット入り過ぎじゃないか? 太ももを見せ過ぎだろ……などと十代半ばの少年でありながら、親のような心配をのぞかせる。そんなウブな少年の心情をよそに、彼女は風系魔法「テンペ=スピードス(一陣のつむじ風)」を詠唱し、高速移動を始めた。初歩的な風の応用だ。


 これ苦手なんだよな……。ジェードは嘆いた。この運動エネルギーに変換する魔法、というより全ての魔法についてジェードは不得意だ。辛うじて使える魔法がこのスピードスだと言っていい。専らの用途は、現実逃避も含めた逃避用だ。


 両足を斜め前後にずらして固定し、あたかも何かの板に飛び乗っているような姿勢を作る。重心を沈めてバランスを保ちながら前傾姿勢を維持する。五百メートル以上はあるエクスディア家の直線回廊を、スピード魔法をかけた二人が疾走する……いや、一人は既にへばっている。


「おおい、ファルナ。今日は特に飛ばし過ぎじゃないか? 酸欠でちょっと腹部が……」脇腹を抑えながらジェードが言う。


 スピードスによる高速移動は、一時的な酸欠を伴う。五十メートルプールを一切の息継ぎなしで泳ぐようなものだ。いつもは途中で減速するなりして、酸素を適度に供給しながら移動する。


「駄目よ、これも練習のひとつでしょ。私が組んだカリキュラムだと……そろそろマスターしてもらわないと、困っちゃうの!」廊下の途中でへばっているジェードのところまで戻って、ファルナが言う。


 きれいなターンで魔法を締めくくると、パレオスカートがはらりと舞った。彼女は多少のめくれ上がりは気にもとめない様子だ。


「そうは言っても、俺は筋肉バカのおやじや何でもこなす兄貴と違ってデリケートなんだよ……」ぶつくさという表現が適切なほど口をとがらせて、視線をファルナからそらして言う。


「んもぅ、しょうがない王子様ね。お兄さんと比較してもしょうがないでしょ。ほら、手を貸して」そっと右手を差し出す。


 ジェードは、えっ……となったが、中腰のまま右手を出して、彼女のすらりと細長い指をつかむ。


「んっふふふ……」不気味な笑い声に加え、怪しげな光がその大きな瞳の奥に宿る。


「ほぅら、行ってらっしゃーーーーーい!」


 ファルナはそう言うと、おもむろにジェードを全力で投げ飛ばした。両手を握って、ハンマーを投げるように、だ。ちきしょう、俺のきゃしゃな両腕をワイヤー代わりにしやがって。


 ヒィ、とだけ声が出たがその後は、声すら出せなかった。何せ、魔法の二重がけ状態で加速も二倍だ。ジェードは両腕をひな鳥のようにばたつかせながら、何とか止まって見せた。


「ヒュウ、二百メートルの大記録達成だな。もし魔法なしでハンマー投げが行われる世界が存在するなら、優勝間違いなしだ」ジェードは顔面を硬直させながら強がって見せた。


 そんなこんなで、定刻七時の五分前に大聖堂ホールになだれ込むことができた。いつもより五分早いだけか、あんな死ぬ思いをして――ファルナを恨みがましい目で見つめる。


 彼女は口元に笑みを浮かべつつ、ジェードの隣にちょこんとかしこまって座った。彼より頭ひとつ分は小さいはずなのに、こうして座ると余り変わらない。ジェードにとっては、実にゆゆしき問題だ。


 大聖堂での朝食――。


 実に壮観な風景が展開する。大理石を敷き詰めた、三百人は一度に座れる巨大テーブルを囲うように(ジェードもよく知らない面々が)一堂に会する。


 向かって右サイドには、若いメイドたちがずらりと並ぶ。その奥には、気品が増して成熟した大人のメイドが並ぶ。その更に奥には、お年を召した妙齢のメイド。しつこいくらいに、美女のメイドたちがずらりと並ぶ。


 動きやすそうな濃紺ブレザー風のコスチュームや、反対にフリル装飾大目の者もいる。統一した制服は用意されておらず、ジェードのマントとは対照的に自由なのが、エクスディア家の流儀となっている。共通しているのはメイド職に従事していることを示すための、ちょこんと頭に乗せられたティアラ風の帽子だけだ。


 これは正確に言うとフリル付きのカチューシャらしい。前にファルナが耳打ちして教えてくれた。ヘッドドレスでドレスアップしている者が数名。これは若いメイドに多い。そして中には、猫の耳らしきデザインをつけている者がいるが……ジェードは見なかったことにした。エクスディア家は大所帯だ、何かの間違いがあっても不思議ではない、多分。


 左サイドには遠い親戚を含めた、いわゆる家系の者たちが並ぶ。厳かな鐘の音とともに、国王であるジェードの父が登場した。


 赤じゅうたんの中央を、うなずくように小首を上下させながら勇壮に歩く。上下させる回数だけ、屋敷の者に感謝の気持ちを伝えているらしい。町を挙げてのパレードの際には、一秒間に数往復させることもある。民衆の期待に応えるのは実に大変だ。数十メートルほど進み、開口一番。


「諸君、今日も一堂に会して朝食を共にできることを光栄に思う! 我がエクスディア王国は、豊じょうな大地に恵まれ、ゆたかな作物の恵みを享受できて……」国王の演説はありふれた学園の校長と変わらず、とにかく長い。


 天ラン豆とパフコーンがたっぷり入った熱々のスープや、甘みとうまみが凝縮された照りタレが自慢の「リザ風=砂漠羊のティーボーングリル」がすっかり冷めてしまうほどだ。


 すると第一王子である兄貴――プリストン・エクスディア――と目が合った。街の女子たちがこぞって読むロマンス小説から抜け出してきたような、涼しげな笑みをたたえている。軽くあごを引いて、朝の挨拶を目線で交わす。


 すっかり冷めきる前には、国王の挨拶も終わりを告げた。


「いっただきまーす!」総勢二百人はゆうに超える人数で合掌。うん、これはうまい。全力で疾走したかいは十分にあった。


 長方形の巨大テーブルにおいて、ジェードの真ん前には国王が座っている。その右に兄貴のプリストンとその侍女のアリーザ・レインウォーターが並んで座る。


 プリストンは朝から笑顔全開だった。品のあるアッシュグレーの髪は少し波打ち、ただでさえ理知的な顔に磨きがかけられている。加えて賢明さの代名詞とも言えるシルバーフレームの眼鏡が髪の色とマッチし、賢さの相乗効果を生み出している。ジェードより十五センチは高いその上背は、そのインテリジェンスと相まって年齢が高めのメイドさんたちを中心にハートを射抜く。とはいえ、世の女性たちが幾らキューピッドの矢に貫かれたところで、かなわぬ思いなのだが。


 そのことは、プリストンの横でこれまた年中笑顔をたたえているアリーザが教えてくれる。彼女はプリストン専属の侍女であり、美しい姿と知性に加え、少年には刺激が強い極上のボディを持ち合わせている。まずは彼女を恋敵として越えなくてはならないのだ。しかし、アリーザほどの逸材であってもプリストン王子と結婚することは許されない。王国のしきたりとして、侍女との結婚はもちろん、恋慕すら許されないのだ。つまり、プリストン王子を通常の女子が手中に収めるのは夢のまた夢なのだ。ジェードはリザ教国のシルヴァ司教あたりが結婚相手として順当なところだとにらんでいる。


 ジェードは前菜のムースカキのコンフィをたいらげ、ファルナの顔を見やった。彼女もちょうど前菜を食べ終えたところだ。満足げなまなざしを浮かべているところを見ると、どうやら口に合ったらしい。そうか、兄貴の心配をしてみたが俺もこいつとは――。


 横目でファルナを眺めながら、メインディッシュに取り掛かる。朝食からさすがにフルコースとはいかず、前菜とメインの二本立てだ。それにスープと、デザートとして季節のフルーツが添えられる。育ち盛りの男子であるがゆえ、朝から豪快に食しても特に問題はない。ちなみにファルナには、エルデ海で捕れたての魚を用いた「シェフの気の迷いムニエル」が運ばれている。


「今日もちゃんと間に合ってよかったね」


「ああ、あの強引なスピードスのおかげでな」


「うーん、あれが駄目なら、もっと早起きしなきゃ。ふう、今日のコンフィは格別だったね。ほっぺたが落ちちゃいそう。これがあるから、侍女はやめられないのよ」


 何かに気づいたようにはっと驚き、左手をスラリとしたおとがいに添えてそっと耳打ちする。


「ちょっとカロリーオーバーかしら、どう思う?」


 どう思う? に幾重の意味が込められているのかは男子のジェードにとって知る由もない。もしかして「食べても平気かな?」という意味の先には、「多少肉付きがよくなっても大丈夫かな?」という意味まで、含まれているのだろうか。


「大丈夫だよ」なぜかジェードも小声で答えた。


 食事中の会話は、取り立てて制限されているわけではない。大衆的な会話が飛び交い、会食はにぎやかな表情を見せる。


〈そう言えば、城下町にヒュードロ・サーカスが来てるみたいよ。今度のお休みに行ってみようかしら。何でも、最新魔法を使った幻想劇が見られるとか〉


〈もう読んだ? 『赤いメイドと黒のナイツ』の最終巻。私はもう読んだから、後で回してあげるね。もう、すごいんだから、ドロドロのトロトロで〉


 色男ぞろいのサーカス談義に、兄妹愛と愛憎劇がてんこ盛りの小説の話ですか。ふう、優雅な女性陣ですこと――なぜかジェードまでゴシップ好きの女性口調になってしまった。


 こうしたにぎやかな会食が、夕食時にもう一度全員そろって行われる。大勢の人前は苦手というジェードだが、人の息づかいが感じられるこの食事風景は案外好きだった。

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