7. 試合終了
——よし。準備完了。
広園は大樹の剣技をかわしながら、そう心の中で呟いた。
先ほどからフィールドの中をあちこち行ったり来たりしながら大樹の短剣を避けていた広園。その最中、広園は様々な場所で密かに軽いステップを踏んでいた。
側から見れば何の変哲もないステップ。剣技をかわすためにただ微妙な足さばきをしていただけだと、他の上級連合生たちにも、そして大樹にも思われているだろう。それが広園がかけた“罠”だった。
気付いたのは、広園と長らく戦闘をしている泰太、広園の師匠である林 凛、そしてマサやん大好き人間の夏目 捺美と他数名といったところか。
「そろそろ試合を終わらせないとね」
大樹の鋭い剣筋をかわし、広園は口元に笑みを浮かべてそう言った。
「強がりですか? 自分の方が有利だと思いますが」
大樹は怪訝そうな表情をする。隙を狙ってカードを広園へと飛ばす大樹。広園はその攻撃を守護魔法を詠唱して防いだ。大樹は、息を吐く間も与えないつもりのようで、脇目も振らずに広園の間合いへと踏み込んでくる。が、それでも広園はその場を動かない。
「——じゃあ、まさか一年相手に“コレ”を使うことになるとは思わなかったんだけど……」
間合いに踏み込んでくる大樹を見ながら、広園はニヤリと口元に笑みを浮かべ、両手を合わせた。
パンっ、という乾いた響き。それに続いて右手についた腕時計に左手を添える広園。
「ごめんね一年坊主君。初戦で“コレ”を防げた人は、今まで1人もいないんだ
広園の左手が腕時計へと触れた瞬間。
「……? 」
フィールドに円形を描くように、大きな光の陣が現れた。
それは先ほど広園がステップを踏んでいた場所を繋ぎ合わせて出来るもので——
「……っく⁉︎ こんな巨大な陣をいつ⁉︎ 」
——それを知らない大樹は、自分を飲み込む巨大な魔法陣がどこからもなく突然現れたように思えただろう。
「Infinity Muddystream ! 」
広園の声が訓練場内に響いたそのとき、それは現れた。
陣からどこともなく現れる水。大樹を中心に、現れた水は徐々に渦を巻き始める。水自体は大樹の足首ほどまでしかないか、勢いを増す水はそれでもかなりの威力になる。
「——な……っ⁉︎ 」
水に足を取られた大樹。バランスを崩した大樹はそのまま倒れ込み——
「……おい⁉︎ 広園 柾仁っ⁉︎ 審判を巻き込むな……っ……」
——と、同時に、何故か審判の遠藤も悲鳴を上げた。試合を見守っていた上級連合生達がどよめく。遠藤がその渦に飲まれているのだ。
広園は素知らぬ顔で大きく杖を振り被った。次の瞬間、水かさが一気に増す。
しばらくは持ち得る魔法でなんとかしようとしていた大樹だったが、短剣が手から離れ、カードが全て水流に持ってかれた時点で、大樹の術は全てなくなった。遠藤もどうにか広園の魔法を中断させようとしていたが、何しろこの大渦の中だ。それは不可能であった。
二つの声ならぬ悲鳴が上がる。
渦は時を追うごとに早くなっていく。しばらくして、水流に飲み込まれたのか、大樹と遠藤の姿が消えた。
彼らの姿が消えた瞬間、広園は杖を振って水の流れを弱めた。そして親指と人差し指を口に入れ、思いっきり指笛を吹く。途端、水はみるみる姿を消した。フィールド上に残ったのは、目を回した大樹と遠藤と、いくつかの水滴のみ。渦に飲み込まれる寸前、広園は彼らに軽い守護魔法をかけていたため、大きな怪我も溺れることもなくすんでいた。
「——そこまで! 」
すっかり伸び切ってしまった遠藤に代わり、凛がギャラリーから試合終了の音声を上げる。上級連合生達からは、拍手と歓声が上がった。
★★
「すいませーん、遠藤先輩! 僕、審判巻き込んでんの、全然気付いてなくって! 大丈夫ですか? お怪我はありませんか? 」
試合終了の合図が出て、広園の放った第一声はそれであった。遠藤にかけより、いかにも心配しています、という表情で言っているのだがが、口調にはどこか白々しさがあった。
広園の系統は水——正確には水ではなく流動した法力なのだが——、彼の操る水に一度でも捕まれば、誰であっても、逃れる事は出来ない。つまり、彼の操る水に何かが触れれば、必ず広園に伝わるのである。全然気付いていない、というのは真っ赤な嘘であった。
「広園 柾仁……っ……貴様っ……! 」
今にも飛びかからん勢いで身体を怒りで震わせ、低い声で広園に迫る遠藤。対して広園はウザったいくらいのニコニコとした笑顔で彼を見下ろしている。
「いやぁ、ホントすいませんね。……師匠、審判巻き込んじゃったので、今の試合、もしかして僕の負けですか? 」
広園はそう言うと、わざとらしい神妙な表情を顔に貼り付けてギャラリーへと振り返った。声をかけられた凛はしばらく何かを考えていたが「ん〜」と言って遠藤を見た。
「でもまあマサの戦闘域に入ってた審判の、力量不足って事も否めないかな? ——どう思う? 泰太君? 」
「は? 」
意地悪そうな笑みを泰太に向けてそう問う凛。泰太は、突然の質問に動揺している。
「いや、ええっとー……その、広園の今の魔法はかなり高度なものだから、審判が気づかなくても力量不足って事にはならないと思うんですけど……」
「ほう、そうか」
凛はふんふん、と頷きながら泰太の返答を聞いた。同じく泰太の返答を聞いていた遠藤が顔を背けて舌打ちし、苦々しい表情でうつむく。それを見て凛は眉を上げ泰太に目配せし、凛のアイコンタクトを受け取った泰太はしまった、という顔をして遠藤から視線を外した。
しばらくして、おもむろに立ち上がる遠藤。深々と広園に一礼する。
「…………審判の力量不足です。申し訳ありませんでした。ただいまの勝負は、広園 柾仁の勝利とします」
いかにも不本意だという表情でそう言う遠藤。広園はどこか満足そうな表情でそんな遠藤を見ていた。
「……信じられない……自分が……負けた……? 」
審判の言葉を聞いて、呆然とした表情でそう言う大樹。そんな大樹に凛がギャラリーから容赦のない言葉をかける。
「ということで新入生君はしばらく、上級連合生との戦闘試合は禁止ってことで」
「何で⁉︎ そんなこと、最初に言ってなかったじゃないですか! 」
「訓練時間を削って戦闘試合をゴリ押しでやったんだから、それぐらいの処置は当然。その先輩に勝てるだけの技量になったら、またおいで」
「…………! そんなぁ……! 」
悲痛な大樹の叫び。凛は表情を崩さず彼を見ていた。
「……広園 柾仁、先輩」
突然、大樹は立ち上がると広園の前に立って言った。
「今回はた・ま・た・ま、負けましたけど! 次は絶対に勝ちますから! 首でも洗って待っていろ! 」
大樹はそう早口に捨て台詞を吐くと、広園の返事も聞かずにさっさと走って訓練場を出て行ってしまった。唖然とした表情で彼を見送る広園。凛はニヤニヤしながら「青いねぇ〜」と言っていた。
訓練のために上級連合生達が急いで動き出す。ギャラリーから飛び降りた泰太は、広園に呆れた表情を見せていた。
「……お前さ、馬鹿じゃねえの? 」
「ねえ、試合終わって選手にかける第一声ってそれ? 信じらんないんですけど」
「……何でわざわざ先輩に目ぇつけられるようなことすんだよ」
「さあね? 何でだろーねー」
とぼけた様子で答えをぼかす広園。泰太はため息をつくと「まぁ……その……」ともぞもぞとした声で言った。
「…………ありがとな。なんかすっきりしたわ」
一瞬、表情が固まる広園。それから、彼は思いっきり顔をしかめて泰太に言った。
「……うっわぁー、ないわぁー。どうしたの君が礼言うとか気持ち悪っ変なヤクでもやったの人格狂ったマジで腐ってるよ君」
「——言い過ぎじゃね」
泰太がげんなりしながらそう抗議しても、広園はどこ吹く風。
「あーマサ、聞いてよ〜。泰太君ね、俺が“新入生君とマサの勝率どんな感じだと思う? ”って聞いたらね、“五分五分”って答えたんだよ〜。ありえなくなーい? 」
そんな広園に援護射撃が。凛がどこぞの女子高生のような口調でそう広園に告げ口した。
「はぁ? 君サイテー。僕が勝てないとか思ってたわけ? 」
「いや思ってねえよ」
「だって五分五分とか、全然僕のこと信じてないんじゃん」
「ちなみに俺は、“九割九分九厘、マサの勝利だ”って言いました〜」
「師匠、流石です。わかってますねぇ! 」
「……お前らホントどうにかなっちまえ……」
腹黒師弟に、今日も泰太は振り回される。
★★
(……今日のレイナの一番の失態は、学校で泰太君と話しそびれちゃったこと……)
夜。所は、中等部寮各男女シャワー室の近くにある小さな談話スペース。柔らかいソファーに腰掛けたレイナは、冷たい缶ジュースを飲みながら心の中でそう呟いていた。
(あーもうレイナのバカバカバカ! もう夜になっちゃったじゃない! )
レイナの髪はまだ少し濡れている。先ほどシャワーを浴びてきてドライヤーで乾かしたはずだが、まだ完全には乾いていないようだ。ほのかに漂う石鹸の香が、彼女を包み込んでいる。
そんな彼女の太ももに置かれているのは、膨らみを持つ小さな紙袋。彼女はそれを大事そうに抱えながら、遠目でそわそわと男子シャワー室へと繋がる扉を伺っていた。
(……さっき入っていったから、もうそろそろだと思うんだけどなぁ……)
扉が開いては期待した目で立ち上がり、お目当ての人でなければしょぼんと項垂れて——を何度か繰り返した後、ついに彼女の待ち人は現れた。
楽しそうに笑いながら扉から出てきた泰太。彼に続いて出てきた広園も可笑しそうに笑って何かを話しかけている。レイナは紙袋を持つとソファーから勢いよく立ち上がった。
「た……泰太君! 」
名を呼ばれた「ん? 」と泰太は振り返り、レイナを見ると不思議そうな表情をした。
「おう、レイナ。なんか用? 」
「……えっと、あの……」
それからレイナは、今更ながらに広園がいることに気付いて、困ったように彼に目配せした。広園は眉を上げると、泰太をしげしげと見てから、納得したような笑みを浮かべる。
「あー、僕そういえば至急やらないといけないこと思い出しちゃった。というわけで、お二人さんはごゆっくり」
「は? いや広園さっきお前ヒマだって——」
「いいからいいから。ほらヴィンセントさんが君と話しにきたんだから相手する」
広園は泰太の背中を押し出し、レイナの前に追いやると、自分はさっさとその場から退散。置いてけぼりにされた泰太は唖然とした表情で広園が去った方を見ていたが、しばらくして観念したかのようにレイナと向き合った。
「で、えーっと……、それで何の用? 」
「あ、……あ、えっと引き止めちゃってごめんね! 渡したいものがあって……」
レイナはそう言うと、自分の背に隠していた紙袋を泰太の手に押し付けた。
「これ! 私の家がある地域の名物なんだけど! すっごく美味しいから、ぜひ泰太君にも食べてもらいたいなぁーって思って……」
可愛らしいイチゴのイラストが入った小さな紙袋。泰太は紙袋の中身を覗いて、「出してもいい? 」と聞く。
「うん。あの……キイチゴが特産品で……、キイチゴのジャムとクリームを挟んだブッセと、キイチゴの香りのするクッキーが入ってるんだけど……」
「へえ。キイチゴが名産ってことは、お前ん家、ウッディ地方にあんの? 」
「あ、うん。ほら、地域貢献みたいな! よかったら貰ってほしいんだけど、どうかな? 」
泰太は紙袋から取り出した、お菓子の入った箱を一通り見てからレイナに笑いかける。
「ああ、貰うよ。わざわざありがとな。なんかお返ししたいんだけど、オレ春休み中ずっとここにいたから手元に渡せるもんなくて。今度でいいか? 」
「え! いや、お返しなんていらないよ! 半ば押し付けちゃったし……。こちらこそ受け取ってくれてありがとう」
そこでレイナは今の会話の違和感に気づき、目を見開く。
「春休み中ずっとここにいたって……帰ってないの⁉︎ 」
レイナの驚いた表情に苦笑する泰太。
「あー、オレの故郷ってしきたりとか風習とか色々あって面倒でさ。息苦しいからあんま帰りたくねぇんだ」
泰太はそう言うと、「用はこれだけ? 」とレイナに聞く。レイナが頷いたのを確認して、泰太は再度お礼を言って立ち去った。
(やったぁ……! 受け取ってもらえた! )
泰太の姿が見えなくなり、小さくガッツポーズをするレイナ。上機嫌な様子で、レイナは鼻歌を歌い、小躍りしながら自身の自室への廊下を歩いていった。