3. 魔法戦闘試合
学院内で1番大きな建物は何か。
生徒たちは皆揃って口にするだろう。『第一訓練場』と。
200メートルトラックが悠に入る大きさのフィールド。そのフィールドを取り囲むように観客席がある。高さは30メートル強。学院の一番端に位置するドーム型の訓練場は、飛行訓練も視野に入れた集団魔法戦闘試合用の訓練場である。
翌日、朝日に照らされる中、第一訓練場のフィールドでお互いに向かい合っていたのは、泰太と広園であった。広園は怒りの色を瞳に乗せ、泰太は苦笑いしている。
一定距離離れて向かい合っていた2人の元へ、観客席から飛び降りた1人の青年が近づいてきた。2人の丁度真ん中に位置する場所で「じゃ、準備はいいね? 」と言うその青年。泰太と広園は頷く。
「——では、中等部4年D組戦闘科、泰太・シャクシャイン、同じく4年D組戦闘科、広園柾仁による戦闘試合を行います。なお、この試合については上級連合総長権限により、既に照会済みです」
お手本通りのような口上を述べる青年。彼は続けた。
「試合方式は、“デッド・オブ・ネクスト・ターン制”です。審判はわたくし、高等部4年A組戦闘科、林 凛が務めさせて頂きます」
そこで青年は軽く一礼。顔を上げた青年は、「両者用意——」と告げた。
2人の間に緊張が走る。その表情に怒りもなければ、笑いもない。ただただ真剣な面持ちで、2人は向かい合っていた。
「戦闘試合、始め! 」
鋭い青年の声。試合は、始まった。
★★
最初に動いたのは泰太だった。ベルトに装着していたホルダーから素早く杖を取り出すと、何も言わずに横に一閃。直後、広園の鋭い声が響く。
「Radius Corriente! 」
広園の杖の先端から水の塊が飛び出した。水の塊は真っ直ぐ泰太に向かっていき襲いかかろうとしたが、それは泰太に到達する前に、壁のようなものに遮られて四方八方へ飛び散ってしまう。
「ちいっ! 遅かったかあ……」
広園の苦々しいつぶやきが漏れる。泰太は何も言わずに床を蹴った。
「はあ……っ! 」
一気に広園との距離を縮め、無防備な彼の真正面へと飛び込んで行く泰太。広園は、飛び込んでくる泰太を見て冷静に杖を構える。
「Icicle」
先ほど泰太の魔法によって飛び散った水が、白い霧とともに氷へと変化した。形を変え、鋭利な氷へと変化したそれは、広園が杖を振った直後、泰太の背後へと襲いかかる。
「危ねえよ? 」
氷が迫る中、泰太は後ろを振り返ろうともせず、一言、広園にそう言った。泰太の口端が上がり、広園は怪訝そうな表情を浮かべる。
氷が泰太の背に到達する寸前、泰太は床を蹴ってその場から離脱した。軽々とした身のこなし。氷は泰太の背にかすることなくそのまま直進する。驚いたのは広園だ。大きく目を見開き、息を止めたまま、広園は慌てて杖を振って氷の軌道を変えた。
広園の足元に先の尖った氷は突っ込む。音を立てて粉々になる氷。安堵の色を顔に浮かべた広園だが、それは完全なる“隙”であった。
「Lucent Schlag」
広園に杖を向けた泰太は、氷を回避したその場から、広園へと攻撃魔法を繰り出した。泰太の杖の先端には何かの光が集まり、次の瞬間、それは広園に向かって飛ばされる。氷を操作していた広園に、それを対処する暇はない。広園の顔が歪む。
「……っ! 」
受け身姿勢をとれず、衝撃に耐えられなかった広園が空中へと吹っ飛ばされた。宙を飛びながら、それでも諦める様子はない広園は、パン! と両手を合わせて打ち鳴らし、腕時計に片手をかざした。
その瞬間、フィールドの約半分を、突然現れた水が覆った。箱のような形をした水の塊に、広園は突っ込んでいく。
「成る程。……やるなぁ! 」
泰太が感嘆の声を発して、なお追いかけるようにその水の塊へと走る。水に突っ込んだおかげで、吹っ飛ばされた勢いを殺した広園が、水中で杖を振った。
泰太が水の塊へと到着する前にその水は動き出し、四角い箱の形から大きな波へと変形した。広園を乗せた一本の水柱が宙高く上がっていき、波は泰太だけを飲み込むように一気に襲いかかる。
「あっはっは……やっべえ! 」
「その笑顔、今すぐにでも崩してやるよ……! 」
自分が危機にさらされているというにも関わらず、泰太の表情は楽しそうであった。そんな泰太の“余裕”に広園は苦々しい表情をして吠える。
波は泰太を飲み込んだ。——否、ように見えた。
「Glint Gale! 」
飲み込まれる寸前に聞こえた泰太の声。次の瞬間、音もたてずに波に風穴があいた。吹き飛ばされた水が、フィールドを覆うシールドに激突して床へと落ちていく。泰太は素早くその風穴から向こう側へと抜け、直後、波はバッシャーン! と盛大な音を立てて床へと叩きつけられた。
「くっ……」
広園が悔しそうな表情をして声を漏らす。泰太は不敵な笑みを湛えて広園と対峙した。
「……さすがだよ泰太」
「お前もな。……んじゃ、そろそろオレも反撃させて貰おうか」
苦虫を噛み潰したような表情で、広園は憎々しげに泰太にそう伝えた。いかにも不本意だというように。泰太は更に笑みを濃くしてそう広園に言葉を返すと、自身の顔に絶え間無く滑り落ちてくる水を制服のそでで拭った。
二人の戦いは佳境へと突入する。
★★
時は少し遡る。二人が戦闘試合を始めて少し経った頃である。
「なんだい? もうはや戦闘試合をしているのかねえ、あの2人は」
呆れた口調。審判役の林 凛の元にやってきたのは、一人の女性だった。
長い白髪を一つに縛った女性。顔にはいくつものシワが走り、長い年月を過ごしてきた故の貫禄を醸し出していた。しかし彼女の瞳は鋭く、背筋をしゃんと伸ばしたそのシルエットは全く年齢を感じさせない。
「お早うございます、教官。……そうなんですよ」
首をすくめて言う凛。さも迷惑だ、というように彼は小さくため息を吐いている。しかし、凛はそう言いながらも何処か楽しそうに微笑んでいた。
すらりと高い身長に、整った顔立ち。やや下がった目尻は、彼の微笑みを一層優しいものに変えている。誰もが頷く“イケメン”と呼ばれる顔だ。
「ふん……」
彼の隣で、目を細めるようにして2人の戦闘を見守る女性。
「……シャクシャインは完全復活、いやそれ以上だねえ。魔法のキレもいいし、よくコントロールしている。素晴らしい技術力を持っているよ」
「まあ、元々泰太君の師匠は良いですから」
「ああ、そういえば林とシャクシャインは兄弟弟子だったねえ、豊音の。……あの娘は本当に素晴らしい魔法使いだった」
「ええ、豊音先生のおかげで魔法の土台作りは人一倍やってますよ。俺も、泰太君も」
凛が笑う。それは寂しそうな笑いであった。女性は凛の表情は見ず、前を向いたまま戦況見守った。
「広園は……相変わらずだねえ。癖が抜けてないよ、所々力づくで攻撃している。あんなんじゃ身体を壊しちまうよ。ちゃんと指導しておきな、林」
「……はい、申し訳ありません。前よりは大分良くなってはいるのですが、どうも戦闘試合になると癖が出てしまうようで……」
「まあ、だろうねえ。指導者ってもんも大変だろう? 」
意味ありげに笑ってそう言った女性は、そのままくるりと凛に背を向けた。
「施錠は林、あんたに頼むよ」
「わかりました」
女性は去っていく。2人の試合は、まだ続いている。
★★
広園を乗せていた水柱が、いきなり横に引き裂かれた。泰太が水を分断させたのだろう。乗っていた広園が床へと落ちていく。
「……くっ! 」
思わず声を漏らした広園は目の前に迫ってきていた光の塊をかろうじて避けた。しかし、それをも見透かされていたように、避けた広園に迫る影。泰太だ。
「Lucent Schlag」
「Lucent Adamant! 」
泰太に続き、広園の声が重なるように響いた。2人が杖からほぼ同時に発した光がぶつかり合い、火花を散らす。宙から床へと着地し、2人は一度距離をとった。
いつの間にか、フィールド上にあった水は跡形もなく無くなっている。びちょぬれであったはずの広園の制服も、乾いているように見える。
2人は何も言わずにまた距離を縮めた。お互いに掴みかかるようにして、杖を振る。
「「……はぁっ! 」」
同時に雄叫びを上げる泰太と広園。目にも留まらぬ速さで二人の攻撃は交わされる。何度も何度も互いの攻撃がぶつかり合っては、力は相殺された。火花を散らし、煙を上げ、過激な攻防の入れ替わり。時々体術も入れながら、フェイントを入れ、騙し騙されの攻防。
「Radiant Rafaga! 」
「……⁉︎ あ……っ! 」
互角の戦闘に見えたが、広園が泰太に不意打ちの攻撃を食らってからは、徐々に彼が不利になってきた。よろめいた広園に対し、泰太が畳み掛けるように攻撃を繰り出し、
「……かぁ……っ!! 」
攻撃に紛れて鳩尾を殴られた広園が息を吐き出し、膝をつく。泰太は彼の肩に手をかけ、杖を振り上げたが——
「な⁉︎ 」
「……バーカ」
状況に似合わない広園の笑み。すばやく、振り上げた泰太の右手首を掴んだ広園が、ニヤリと不敵に笑って泰太を見上げた。泰太が焦ったように手を引こうとするが、広園が離さない。
「Frost Mist」
冷たい霜。白い冷気が泰太の右手と杖を覆っていく。広園が掴んだ場所から指の先まで、みるみるうちに青白く変色していく泰太の右手。
「…………痛っ……⁉︎ 」
凍傷状態と化した自分の右手を見て青ざめる泰太。この試合で初めて見せる泰太の“焦り”を、広園は見逃さない。
「お返しだ! 」
泰太の右手首を掴んだまま、鳩尾に膝蹴りを入れる広園。呻き声を上げる泰太の手首を捻りあげ、広園は杖を降り抜き、
「Icicle! 」
呪文とともに、尖った氷が泰太の喉元へと——
「……おぉう⁉︎ 」
その瞬間、捻りあげられた手首を逆に捻り込み、広園の拘束を抜ける泰太。氷は泰太の首元スレスレを抜けていく。
「馬鹿野郎! 殺す気かぁ! 」
血色も悪く機能しない右手から杖を奪って左手に持ち替え、泰太はすぐさま広園から距離を取った。
「ちぃっ。……そのまま負けてくれれば良かったのに」
「阿保! 」
泰太が吼える。広園は首を竦めていた。
「お前、Icicleなんて戦闘試合で使うか普通⁉︎ 」
「いやぁ。殺す気でやらないと、変人級の強さを持つ君には勝てないからね? 」
さらっと皮肉を言ってのける広園。泰太は盛大にため息をついた。
「……お前、オレのこと馬鹿にしてるだろ」
「まさか」
とぼけた様子で返してくる広園。泰太は再びため息を吐くと、息を整えるように深く吸った。
静かに杖を広園に向ける泰太。広園も泰太に向けて杖を構える。
★★
それは束の間だった。目を閉じた泰太が目を開く。その一瞬で、彼の纏う雰囲気が変わった。ひりつくような緊張感。何かの拍子に、その均衡は崩れてしまうような、そんな危うさを漂わせて、それは横たわっている。
美しい弧を描いて、杖を自分の前で一閃させる泰太。続いて呟かれる呪文。
「Turbulence Rough」
泰太の杖から光の粒子が現れ、風によって運ばれる。泰太の周りを渦巻くように、蒼の風は天井高く上がっていった。
「まさか……」
泰太の魔法が完成する前に、なんとかその魔法を中断させようと躍起になっていた広園が、愕然とした様子で声を上げる。
「Turbulence Roughって……嘘だろ……」
先ほどから、広園の攻撃の全てが泰太の魔法へと届く前にあっちこっちとんでもない場所に飛んでいってしまい、全く当たっていなかったのだ。
泰太は多くの風を一度に起こし、それを見事に操る事によって広園の攻撃を誘導し、自身への攻撃を防いでいたのである。
「……待てよ。ということは……」
風の中で、泰太が笑ったように見えた。
広園は慌てて杖を降るが、もう遅い。
「Force Tormenta! 」
次の瞬間、先ほどどこかに消えてしまった広園の全ての攻撃魔法が急に現れ、彼の頭上に降り注いだ。広園の守護魔法は間に合わない。
「………………っ!! 」
かろうじて頭を抱えて受け身体勢を取る広園。しかし、勝負はもうついていた。
「ま、ドンマーイ。広園」
軽い調子の声音。いつの間に移動したのだろうか。広園の背後に回った泰太が、広園の手からひょいっと杖を奪い取った。それをくるくると回して弄びながら、彼は広園から離れていく。
審判役の林 凛を横目でチラリと見る泰太。凛は一つ頷くと、泰太に手を向けた。
「そこまで! ——勝者、泰太・シャクシャイン! 」
凛の声が試合の終了を告げた。泰太は「よっしゃあ! 」とガッツポーズをし、広園は先ほどの攻撃の雨で頭を打ったのか、うつ伏せに倒れたまま完全に伸びきってしまっていた。