2. 寮にて
「——あれはヤバい。マジでヤバい。かなりヤヴァイ」
「……君は語彙力という言葉を知っているかい? 」
ユートピア魔法学院は全寮制の学院。生徒たちの多くは中等部4年、高等部4年、計8年間という長い年月をここで過ごすことになる。
入学式、オリエンテーションと忙しい1日も終わり、夜、中等部寮の男女共同食堂では、多くの学生が夕食を摂りながら、または友人らと談笑しながら、その時間をゆったりとくつろいでいた。照明が温かな光で食堂を包み、また厨房からは油のはねる音が絶え間なくしている。
「おう、知ってるぜ」
「……ヤバいしか感想の言えない君が、そんなむつかしい言葉を知っているとは。驚きだよ」
「……お前、オレのこと馬鹿にしてるだろ」
香ばしい匂いが漂う食堂。その一画、窓と向かい合うように備え付けられた席で、隣同士に座った2人の少年がそんな会話を交わしていた。一人は左目近くに大きな刀傷を残す少年、もう一人は黒髪の童顔に黒縁の四角眼鏡をかけた少年である。
「——僕は、鳥肌が立ったよ。本当に感動した」
「…………」
黒縁眼鏡の少年がしみじみとそう言った。隣にいる少年が、口を噤んでその言葉を受け取る。
「……ああ、オレもだよ。フライダンスも中々良いな、って思った」
暫くしてそう告げた少年の言葉に、黒髪の童顔少年がおちゃらけたように笑って言葉を返した。
「だったら、フライダンスに転向したら? 」
「——それも良いけどなぁ。だけど、戦闘魔法も捨てがたいわけだ」
苦笑する少年。彼の名は泰太・シャクシャイン。史上最年少で、国家試験の一つである、“魔法戦闘士検定”の準二級に合格した実力者。準二級は、戦場で活躍出来るだけの実力をもった者に与えられる称号であった。
現在、中等部4年D組戦闘科に所属している。
「明裕達はすげえよ。オレ達は“人を傷つけるための魔法”を学んでいるけど、あいつらは違う。“人を楽しませて感動させるための魔法”、それを極めてんだ」
泰太はそう言って宙を見上げた。
「——ホント、立派だよ」
「…………そうだね」
黒髪の少年が、泰太の事を横目で盗み見ながら同意する。口元には小さく笑みを浮かべていた。
彼は広園 柾仁。中等部4年D組戦闘科所属。中1から泰太とずっと同じクラスであり、また4年間、寮部屋も一緒であった。
本人達の言葉を借りれば、この2人の関係は“悪友”である。しかし彼らの関係は、紛れもなく互いを高め合う競争者であった。なぜなら、この2人は幾度と激戦を繰り広げてきた戦闘者同士であるからだ。
「ああ、そうそう。明日の朝さ、“一戦”やんねえか? 」
「おっ。珍しく気が合いましたねー。僕も全く同じことを思ってたよ」
一戦、とは魔法戦闘試合のこと。いずれ戦場に立つ責を担う戦闘科の生徒たちに推奨されている、模擬戦闘のことだ。泰太と広園、彼らは今まで何百と戦闘試合を積み重ねてきた、“常連ペア”であった。
「なんだかんだ、春休みは時間がなかったからなぁ」
「そうだね。二週間ぶりくらい? 」
「それくらいじゃね? すっげえ久しぶりに感じるわ」
「僕もだよ」
広園がニヤリと笑って賛同する。そんな広園の不敵な笑みを見て、自然と自身の口角も上がっている泰太。
「うわぁ、待ちきれねえ」
泰太は口元に作った笑みを更に深めながら、残っていたご飯をかきこんだ。茶碗を置くと、何気ない動作で自身の制服の胸ポケットへと手を伸ばす。取り出したのは、何かの液体が入った茶色の小瓶。泰太はそれの蓋を親指で押し開けると、中に入っている液体を、呷るかのように一気に喉の奥へと流し込んだ。
瞬間、顔を歪める泰太。だがすぐにいつもの表情に戻した泰太は、それから蓋を閉めて小瓶を胸ポケットへとしまった。そんな泰太の一連の動きを見ていた広園が、心配そうな表情で問う。
「まだ、治らないんだね? 」
「あ? ああ。ま、仕方ねえよ」
眉間にシワを寄せている広園の顔を見て、苦笑しながらそう返す泰太。泰太は「それに……」と更に続けた。
「薬の量、大分減ったんだぜ」
皿や茶碗を乗せたトレーに「ご馳走様でした」と手を合わせる泰太。トレーを片手で持って立ち上がった彼を、広園は複雑な表情で見つめていた。
二年前の中等部生行方不明事件。泰太はその事件の被害者であった。学院が休みの日、街に遊びに出ていた泰太と泰太の友人3人が、名も知れぬ誰かに襲われた。悪質な事件であった。犯人は泰太達の周りに結界を貼り、外部に助けを求める手段を絶っていたのである。
結果的に、泰太の友人2人は犯人に連れ去られ、その事件で泰太は傷を負った。左目の近くにある刀傷。それは当時、泰太が犯人から受けた傷である。
「……最近ちゃんと寝れてる? 」
「お前はオレの母ちゃんかよ。……前よりは大分寝れてるよ。薬、効いてるみたいだ」
心配そうに尋ねてきた広園に、苦笑して泰太はそう答えた。それでも広園は疑うように泰太の顔を覗き込んでいる。
泰太が受けた傷はただの傷ではなかった。
魔傷。その名の通り、魔法によって受けた傷の事をさす。泰太が受けたのは魔傷の中でも一番厄介な、精神系統の魔傷であった。
幻覚、幻聴。それによって引き起こされる強い目眩や頭痛、発熱、腹痛、吐き気、嘔吐。悪夢による睡眠障害。
事件の時の光景を何度も何度も甦らせ、ループさせる。この魔傷は、人の精神を崩壊させるための、悪魔のような傷であった。
二年前、泰太が寮に戻ってきたその日から、毎晩うなされる彼を介抱してきた広園にとって、泰太の病状は気になるところである。しかし彼の目から見ても、泰太は最近、大分落ち着いてきているようであった。
「無理だけはするなよ」
「おう、サンキュ。……オレもう戻るけど、お前どうする? 」
「ん、僕も泰太と部屋に戻るよ」
そう言いながら、手早く空になった皿や茶碗を揃える広園。トレーを持ち、立ち上がった広園は次の瞬間、思わぬ珍入者に度肝を抜かされることになった。
★★
「あっれぇ? ……まさやんだあ! 」
一人の少女の声。直後、食堂の入り口から駆けてきた誰かが、いきなり広園に抱きついた。抱きつかれたまま、銅像のように凍りつく広園。泰太は盛大に吹き出している。
ハーフアップのツインテール。パッチリとした目に低い鼻。広園より低い身長の可愛らしい少女が、広園の胴に手を回して、気持ち良さそうに目を瞑っている。
「まさやん、ああ、会いたかったぁ! 春休みの間、一度も訪ねて来てくれなくて、捺美さみしかったんだよ! 」
高い少女の声。広園はそこでようやく振り返って、少女に抗議した。
「知らないよそんなこと! 何でもいいから離せよ⁉︎ 」
広園の言葉に、大きな目を更に見開く少女。
「“知らない”なんてひどいよまさやん! 大事な許婚に! 」
「はあ⁉︎ 何言ってんの⁉︎ 」
「だってまさやん、“おとなになったら、なつみちゃんとけっこんするんだ”って言ってくれたじゃん! 」
上目遣いで今にも泣きそうな表情で、広園を見上げ爆弾発言をする少女。広園は口をパクパクさせるが声にはならない。泰太は初めは声を押し殺して笑っていたが、ついに耐えられなくなったようで、腹を抱えて笑い転げている。
「……そ、その話は……」
広園の顔が比喩でもなく真っ赤に火照っているのは、羞恥かそれとも怒りか。いずれにせよ、復活した彼の口から出てきた言葉に、泰太はまたもや大爆笑する事になった。
「幼稚園の頃の話だろ! そんな話引っ張ってくんなぁ! 」
中等部3年C組戦闘科所属、夏目 捺美。彼女と広園は、オムツが外れる前から一緒に遊んできた、紛れも無い幼馴染である。事あるごとに広園にまとわりつく彼女は、中等部でも一つの名物となっていた。
「捺美ちゃん、やめよ? 嫌がってるよ広園先輩」
そんな彼女の暴走を止めようと試みたのは、彼女と一緒に食堂に入ってきた、もう一人の背の低い少女だった。
「ちぇー! 大事な許婚だっていうのに、まさやんったらいっつもそうやって嫌がるの! 悲しいよ捺美」
「意味わかんないから⁉︎ 頼むから、誤解を生むようなことを言わないでくれよ」
「ひどーいひどーいひどーい! まさやんのこと、捺美、大好きなのに! 」
「……お願いだからもう黙ってくれ……」
食堂にいた生徒たちが、騒ぎに顔を上げる。だが、広園と捺美を見ると、苦笑いの表情に変わった。捺美の元に来た少女も、苦笑しながら泰太を見上げている。泰太は少女に眉を上げて、意味ありげに視線を交わすと、広園に背を向けた。
「じゃ広園、オレ、先に戻ってるわ」
「……なっ⁉︎ 薄情者! 助けろよ! 」
「いやいやあ〜。許婚との幸せな時間を、奪おうとは思わねえよ。んじゃまた! 」
「……泰太? 君、コロサレタイ? 」
広園の酷く冷淡で、低い声。青ざめ、冷や汗をかきはじめた泰太は、ロボットのようにぎこちなく広園に背を向け、
「らいり、後は頼んだっ! 」
傍らの少女にそう告げると、その場から一目散に逃走した。
「逃がすかぁ! 捺美、離せ! 」
「やだあ〜! 」
広園は追いかけようとしたが、捺美にガッチリとホールドされたまま動けない。らいりと呼ばれた少女は、苦笑したまま、軽くため息をついていた。
「こらあーっ! 食堂で走らないーっ! 」
「すいませんー!! あ、ご馳走様でした、美味しかったです! 」
食堂の入り口付近で、食堂のおばちゃんに怒鳴られる泰太。泰太は応えながら、しかし時間が惜しいというかのように、一切速度を落とすことなく、食堂を出て行ってしまう。
「泰太ぁ、覚えとけよ! 明日の戦闘試合、後悔させてやるからな! 」
「食堂で騒がない!! 」
「……すみません」
去り行く泰太の背に、そう言葉を投げる広園だったが、そんな広園の吠え声も食堂のおばちゃんの前では無力であった。
★★
「……ふんふん、ふふん、ふふん、ふんふん」
あちこちで反響するシャワーの音。柑橘系の爽やかな石鹸の香り。仕切られたシャワー室が並ぶそこで、色とりどりの可愛らしいバスタオルに身を包んだ少女達が、1日の疲れを癒している。
同日夜。中等部女子寮にある共同シャワー室は、勝手の知らない新一年生で溢れかえり、中々に賑やかであった。
「……ふんふんふん、ふふん、ふっふふん……」
そんな新一年生に混ざって、鼻歌を歌いながら身体を洗っている上級生が一人。ぱっちりとした目に、癖の強いセミロングの鮮やかなブロンドヘア。そして歳に似合わない小柄な身体。一見、新入生と見間違えられそうなその少女は、よく石鹸で泡立てた柔らかなタオルで、自身のしなやかな白い身体を洗いながら、楽しそうに鼻歌を歌い続けていた。
「……レイナ、随分と楽しそうね? 」
「……ふんふんふふん……え? そうかなぁ〜? 」
少女に話しかけてきたのは、隣のシャワー室にいた、黒髪のミディアムヘアの気の強そうな少女であった。高く形の良い鼻筋に、吊り上がった切れ長の目。先ほどの少女を“可愛い”と称するならば、こちらは“美人”という言葉が合いそうな少女である。彼女は少女がいるシャワー室を覗き込んで、呆れた表情を見せていた。
「いつもと変わらないと思うけど……」
「いつもと変わらない、ねぇ……? 」
身体をシャワーで洗い流しながら、黒髪の少女にそう答える少女、レイナ。それを聞いて、黒髪の少女は柳眉をひょいっと上げてレイナの言葉を繰り返した。
「いつもは、“私はまな板じゃないもん。成長途中だもん”とか、ぶつぶつ呟いてると思うけど? 」
「あーー、聞こえないよーー! 」
シャワーを勢い良く出してそっぽを向くレイナ。プンプン、というオノマトペが聞こえてきそうだ。少女は苦笑しながら「ごめんごめん」と謝っている。
「で、今日何かあったの? 」
「特に何も」
「……にしては、楽しそうね……」
「強いて言えば、明日からクラスの皆んなと授業が受けれるから、かな」
ふにゃあ、と表情を崩してまたふんふんと鼻歌を歌い始めるレイナ。黒髪の少女は「成る程……」と呟いた。
「——そうね。好きな人に会うのは、そりゃ楽しみわよね」
「……ふふんふんふん……瑠璃ちゃん、なんか言った? 」
「んーん、何も言ってないわよ」
瑠璃、と呼ばれた少女はそう答えると、シャワーを手に取り泡だらけの身体を丁寧に洗い流し始めた。
「——さて、今年こそ、私の大切な友人ちゃんの恋愛は成就出来るかしら」
口元に笑みを浮かべ、彼女は小さく呟く。目線を、隣のシャワー室に向けて。
「……ふんふん、ふふんふふん、ふん、ふふん……」
レイナの楽しそうな鼻歌は、まだ続いている。