9. ダブルポストバスケットボール
靴が床を鳴らすキュッ、という小さな音。それは重なり合って、広い館内中に響き、アンサンブルとなる。
「溝端! パス! 」
「あいよ、受け取り、まし、たっ! 」
茶色のボール。バスケットボールを持った泰太が溝端にパスを回した。体育館の片面、ハーフコート内で幾人の男子が走り回る。
溝端が目指すはゴール。お馴染みの白いネットのゴールだが、それは2つあった。
通常の高さのゴールの斜め右上方に、もう一つのゴール。溝端は、人間業とは到底思えない跳躍で、その高い方のゴールに迫り、ボールを入れようとするが——
「…………! 」
——左から、溝端の方へ跳躍していた優に、動きを遮られた。優の長い前髪が一瞬揺れて、真剣な目つきが露わになる。
優は、体勢を崩した溝端に追い討ちをかけるように、ボールへと手を伸ばしてはたき落とす。ボールが落ちた先には、優と同じチームの明裕がいる。
落ちてバウンドしたボールを素早く持って、ドリブルしながら逆方向へと走り出した明裕は、右からボールを奪おうと明裕の方へ走ってくる、泰太の姿を視界に捉えていた。明裕は、身体を張って泰太の動きを遮りながら、自分のチームの陣地へと辿り着くと、前にいた人影に鋭い声をかける。
「進藤! 」
「おう」
同じくチームメートの進藤にボールをパスを回し——
「させるか! 」
——進藤の前に手を出した広園がボールをカット。広園の手から跳ね返ったボールは泰太の足元へと飛び込んでいき、バウンドしたボールを受け取った泰太は、逆を向いて再び走り出す。
「溝端! アゲイン! 」
「あいよーっ! 」
この時点で試合の残り時間は、最後の10秒をカウントするだけになっていた。
ドリブルをする泰太。泰太の斜め横で並走する溝端と、2人を追いかける広園、明裕、進藤。泰太が溝端に目配せをし、ボールを溝端に向かってパスをした、その時だった。
まるでボールに体当たりでもするように、優が溝端に送られたパスをカット。素早いその動きに泰太は一瞬呆気に取られ、溝端は眉を上に上げて、半ば諦めかけたような表情をした。
優はドリブルをしながら、泰太が目指していた方向とは逆の方向へと走り出したが、試合の残り時間をチラリと見ると、そこで立ち止まってボールをゴールに向かって投げた。
カウントは残り5秒。ボールは綺麗な弧を描くと、通常の高さのゴールへと、吸い込まれるように入った。得点表がめくられ、優のチームに3点入る。
そこで試合終了のホイッスル。優、明裕、進藤は手を叩き合って、勝鬨をあげた。
★★
午後の第一限目は体育だった。体育館で泰太達がやっていた競技はダブルポストバスケットボール。ユートピア帝国で最もポピュラーな魔法スポーツである。普通の跳躍で入れられるゴールと、跳躍魔法を使って入れる高さにあるゴール、二つのゴールのどちらかを狙って、ボールを入れる競技。どちらのゴールを狙っているのか、フェイントを上手く使いながら相手を翻弄させるのが、この競技の醍醐味でもある。
「……いやあ……反則だろ……優と明裕ペアでくっつくとか」
「まあ、ここくっつかれたら……勝ち目ないよね」
コートを出て壁際で仰向けに倒れこんだ泰太は、息を切らしながらそんな事を漏らした。壁を背に泰太の隣りに座った広園も、呼吸を整えながら泰太にそう返す。
「だってお前ら手話使って、作戦その場で決めてるだろ」
泰太は壁際へと歩いてきた明裕と優にそう悪態をついた。
「あはははは、そうっすねー。でもシャクシャイン、それも立派な“作戦”っすよ」
「…………」
明裕はわびれも無くそう笑って言い、その言葉に賛同するように、優は口元に笑みを浮かべて、コクリと首を縦に振った。泰太は「くっそお……めっちゃ悔しい……っ! 」と言って手足をバタバタさせた。
優・フリーデマン。ダブルポストバスケットボール部、通称ダブバス部に所属。入学当初からめきめきと頭角を現し、話すことが出来ないというハンデがありながら、それを補う俊敏性で試合を引っ張る人材へと成長する。謙虚で控えめな性格だが、試合になるとその性格に反して気勢ある試合運びをすることから、他校から“寡黙の獅子”と恐れられていた。
「体育祭の時は期待してるよ。ダブバスエース」
広園が人の悪い笑みを浮かべながらそう優に言う。クラス代表として、プレッシャーをかけたのかもしれない。
「…………」
しかし優はその言葉に動揺することもなく、涼しい顔で手を動かし始めた。その手の動きを見て、明裕が苦笑しながら訳す。
「“柾仁も良い動きしてたよ。期待してるから。”だそうっす」
青ざめる広園。「……最高」と吹き出す泰太。——広園は、今回体育祭でダブバスメンバーの一員として出場するのだった。
「…………困った。僕は優にプレッシャーをかけたはずなのに、逆に返されてしまった」
「柾仁が言い負かされるとこ、初めてみたなー」
冷や汗を拭いながら広園はそう言い、隣からひょっこりと顔を出した溝端が、あははと笑いながらそう突っ込んだ。寡黙なる獅子は何も言わず、静かに口元に笑みを浮かべている。
ピリリリリーっ! とホイッスルが鳴った。泰太たちと入れ替わりでハーフコートに入って試合をしていたチームが終わったようだ。体育教師が「全員集合ー」と声を張り上げる。
泰太達も話すのをやめてその指示に従った。
★★
5時間目が終わり10分休み。多くの生徒が談笑しながら廊下を歩いていく中、泰太と広園も先のダブバスの話をしながら教室へと向かっていた。
「……優、怖し」
「そりゃ怖いさ。“寡黙なる獅子”なんだから」
広園がぶるると身震いしてそう言う。泰太はそれを聞いて再び吹き出した。
「確か、ゲームキャプテンだったっけ? 優は」
「うん。……最近うちのダブバス部、色んな試合で優勝してるんだって」
「へえ。ユートピアなのに珍しいな。いっつも、アリアとかが優勝かっさらってくのに」
「そうだよね。今回の代がかなり凄いらしい。優と、部長の野田がチームを引っ張ってるみたいで」
「あー……あの熱血部長か」
泰太が苦笑いしてそう言うと、広園もつられて苦笑する。
「フライダンス部も、明裕中心にやっぱすっげえ結果残してるし、今年度は戦闘科より普通科の方が目立ってるかもな」
「それは素晴らしいことだと思うけど……この学院じゃそれを良く思わない人が多くいそうだね…………あ」
眉間にしわを寄せそう言った広園は、ふと前に視線を向けて、こちらに向かって歩いてくる1人の男子生徒に目を留めた。
「……噂をすれば」
首をすくめて泰太にそう囁く広園。泰太も広園にならって前に視線を向け、その男子生徒を見ると、表情を曇らせ「……篠崎か」と呟いた。男子生徒は泰太と広園に気付いたようで、目を細めると声をかけてきた。
「おい、泰太・シャクシャイン」
決して友好的とは思えない、好戦的な声音。立ち止まる泰太に合わせて、広園も足を止める。
「何か用か。篠崎」
目つきの悪いその男子生徒に、ぶっきらぼうな口調で返す泰太。二人の経過を見守りながら、広園は特に口出しをしないことに決めたのか、そのまま傍観している。
「なあ、お前、準二級取得者になったんだって? 」
「それがどうしたんだよ」
「証拠は? 」
「…………なんでお前にわざわざ見せなきゃなんねえんだよ」
「見せらんねえんだ? 」
更に目を細めて薄ら笑いをしながら、泰太を小馬鹿にする男子生徒。泰太は怒りを抑えるように唇を噛みしめていたが、一つため息を吐くと制服のズボンのポケットに手を突っ込んで学生手帳を取り出し、その1ページを開いて篠崎に見せた。
「ほらよ。これで良いんだろ」
紺色のフェルト生地の上に、水色に着色されたバッジがきらめいている。何かの花をモデルにしたそのバッジ。花の下にある縁取られた四角の中には、『UTOPIA EMPIRE——Pre・Seconder——』と刻まれている。
「へえ」
篠崎はそれを見ると、大げさに驚き感嘆の声を出した。
「じゃ、マジで本当なんだ? ——洋介の腰巾着だったお前がねえ? 」
その言葉が発せられた瞬間、泰太の表情が変わった。
「去年、実技学年最下位だったお前が? 魔法すらろくすっぽ使えなかったお前が? へえ? 」
舐め回すようにバッジを見てから、篠崎は顔を上げて泰太を見ると、冷ややかに笑った。
「俺に、たった20秒で負けたお前が、準二級取得者? ははっ、意外と簡単に取れるもんなんだな、準二級ってのは」
「お前…………っ! 」
悪意のある言葉の羅列に、耐えられなくなったのは泰太ではなく、隣にいた広園だった。しかし、広園が何かを言いかけたのを、泰太は手で制す。広園は泰太に抗議するように目で訴えていたが、泰太は広園の方は見ておらず、篠崎をただ何も言わずに眺めていた。
「どうなんだよ。何とか言えよ、学年最下位。いや、一応、“元”ってつけた方が良いかな」
「……………」
篠崎に迫られても、泰太は無反応だった。舌打ちした篠崎は、次の瞬間、ベルトのホルダーから杖を抜き取り泰太の左目へと先端を向けた。しかし同時に、隣にいた広園が泰太と篠崎の間に素早く入り、篠崎の杖を掴んで自分の方へと向けていた。
「何、お前。シャクシャインの腰巾着? 正義ぶった偽善者か何か? 」
「ご期待に添えなくて残念だけど、あいにく僕は腰巾着でも偽善者でもないよ。ただの泰太の友人さ」
「あァ、そう。お前が広園柾仁か」
うっとおしそうに杖を広園の手から引き抜いて、制服で杖を拭う篠崎。彼は泰太に目を向けて、ふん、と鼻で笑う。
「精神系魔法を受けたら卒倒。そんな奴が戦場で通用するか否かなんて、火を見るよりも明らか。戦いの場ではこんな奴蹴散らされて終了だろ。それが準二級取得者ときたもんだ。お前もおかしいと思わないか? 」
「誰でも弱点があるのは当たり前だろ。泰太の力は十分通用するよ」
「……お前、シャクシャインのこと持ち上げすぎじゃない? 」
顔をしかめる篠崎。彼は杖をしまうと歩き出す。
「手が震えてるぞシャクシャイン。そんなに腹が立つんなら俺をぶっとばせば良い。——まあお前に、俺の前に立つ勇気があるならの話だけどな」
すれ違いざま、篠崎は泰太に向かってそう吐くと、二人の隣を通り越して去っていった。
「…………何で、何も言い返さないんだい」
「…………いや、何を言い返せばいいのか、わからなくなった」
振り返った広園に問われ、泰太は握りしめていた拳をゆっくりと開いていきながらそう答える。
篠崎 諒。彼は中等部4年A組の生徒だった。上級連合所属のエリートで、実技の成績だけでいえば、この学年のトップである。
ユートピア魔法学院では、実技、筆記、実技筆記を含めた総合で成績を見る。総合で言えば、泰太や広園は篠崎を上回るが、実技を見ると、篠崎、泰太、広園という順番だったりする。
とは言っても、単純な実力ならば篠崎より、泰太や広園に軍牌が上がるのだが、実際は篠崎の方が成績は上。それは篠崎の得意魔法に起因する。
精神干渉魔法。それが、篠崎の得意魔法だった。
精神系の魔傷の有無にかかわらず、精神干渉魔法は多くの生徒が苦手とする魔法だ。そもそもこの魔法は相手を自滅させる魔法——幻覚が見えたり幻聴が聞こえたり、自分の最も嫌な記憶を呼び起こせられたり——であるから、苦手意識を持つのは仕方ないと言える。
昨年度の後期中間実技試験で、泰太は偶然、篠崎と戦闘試合を行うことになった。その時、泰太は篠崎に精神干渉魔法で徹底的に魔傷を狙われ、あっという間に決着をつけられてしまった。文字通り秒殺されたのだ。
「それに——」
そのため、泰太は他の精神干渉魔法使いよりも、篠崎に対してはかなり苦手意識を持っていた。
「——実際、オレはあいつの前に立つ勇気なんてねえよ」
泰太は再び歩き出してそう自嘲気味に言った。
「そんなわけないだろ! 馬鹿かい君は! 」
広園の一喝に、泰太は驚いて顔を広園に向けた。廊下にいた生徒たちも振り向き、ひそひそとしたざわめきが広がる。
「僕は腸煮えたぎってしょうがないよ。あいつにも、君にもね! 」
泰太が何かを言おうと口を開き掛けるが、それを遮って広園は言葉を続けた。
「なんで君はそんなこと言うんだい? 君は自分が弱いとでも思ってるわけ? 僕は少なくとも、君が弱いなんて思ったこと無いよ。さっき、僕も言ったじゃないか。弱点は誰にでもあるんだよ」
泰太は口を閉じている。広園は怒った顔をしたまま話を続けた。
「君はもう少し、自分の実力をわかった方がいいよ。——それとも、洋介の話を気にしているのかい? それだって所詮過去の話で……」
「その話だって、お前も昔は思ってた事だろ!! 」
突然、泰太が声を荒らげた。広園は口を閉じる。泰太は言ってしまってから、はっと我に返ったように広園から目をそらした。
「……ごめん、お前にあたるつもりはなかった……」
「……まあ、別にいいよ。僕の事は気にしないで」
広園はそう言うと、ポツリと呟いた。
「確かに僕も、昔は泰太のこと、洋介と春斗の腰巾着だって思ってたさ。実際、そうだったと思うし。——でも、今の君は違うよ。全然違う」
広園は言った。
「今の君を馬鹿に出来るやつなんて、本当はいないはずだよ」
泰太は困ったように笑う。返答に悩んでいるのか、視線を宙へと彷徨わせ、
「ありがとな」
ただ一言、そう言った。