8. マーガレット・ミッチェル講師
「はぁ〜い、じゃあ今日は、精霊さんや魔獣さん達とお話できるようになりましょ〜う! 」
四月も下旬。学院全体が温かな陽気に包まれる中、今日も各教室ではいつも通り授業が行われていた。
「まずぅ、センセがお手本を見せちゃいまぁ〜す」
所は4年D組教室。春の日差しにピッタリな、間延びした声で授業を行っているのは、『環境学』担当のマーガレット・ミッチェル講師。緑のとんがり帽子に、緑のローブ、自分の背丈ほどある太い杖という、いかにも“魔法少女”な先生である。童顔をコンプレックスに思っている彼女は、少しでも知的女性らしくするため赤い眼鏡をしているのだが、恐ろしく似合っていない上に何度もずり落ちては持ち上げる、という動作を繰り返していた。
——そして彼女の最大の特徴は、その小学一年生並な背の低さとド貧乳にあった。
「……うっひょお、マーちゃんセンセー可愛い〜。全教科マーちゃんセンセー担当なら良いのにー」
声を弾ませた一人の男子生徒が、後ろの生徒にそう言って同意を求める。声をかけられた男子生徒——泰太は、顔を上げると呆れたように前の生徒を見た。
「ミッチェル先生が戦闘魔法実技も担当だったら、授業になんねえだろ。何しろオレらミッチェル先生だったら攻撃出来ねえだろうし」
「えーー。シャクシャインって変な所で現実的なんだなー。男子として夢を見るのは当たり前じゃないかぁ」
前の生徒——溝端 秀明が、首をすくめて言う。その顔には、はっきりと“面白くない”と書かれていた。
「ホントにホントにホントにそう思うのかー? マーちゃん先生だったら、とか一瞬でも考えたことないのかー? 」
「いやそれは、……オレだって考えたことくらいあるけど……」
「そうだよなー、そうだよなぁー! 」
「はいそこぉ〜! センセの話、聞いてますかぁ〜? 」
大きな杖をぶんっ、と振り回して先端を溝端と泰太に向けるミッチェル先生。彼女はぷくぅ、と頬を膨らませて2人を睨んでいる。泰太と溝端は慌てて「聞いてます聞いてます! 」と弁解した。
「ではシャクシャイン君〜、精霊さんたちとお話するための呪文は何ですかぁ〜? 答えて下さぁ〜い」
「うっ……えぇーっとぉ……」
視線を宙に彷徨わせ愛想笑いを浮かべる泰太。ミッチェル先生は更にぷくぅ、と頬を膨らませる。
「溝端君、わかりますかぁ〜? 」
「うっ……えぇーっとぉ……」
同様に視線を宙に彷徨わせ愛想笑いを浮かべる溝端。ミッチェル先生は涙目になった。
「……次はないですからねぇ〜。気をつけてくださぁ〜い」
「「はいっ」」
「良いお返事で〜す」
背筋をピンと伸ばしてしっかり返事をする泰太と溝端。クラスメート達からはヒソヒソと密やかな笑い声が広がった。
「さっきの答えですが、精霊さんや魔獣さん達とお話するのに呪文は使いませ〜ん。その代わり“陣”を使いま〜す」
ミッチェル先生はそう言って人差し指を軽く動かす。すると、白チョークがひとりでに宙に浮き、黒板に何かを書き始めた。
六芒星を二重の円が囲み、その二重の円の間に何かの文字がぐるりと廻る。そこまで書くと、チョークはゆっくりと元あった場所へと戻る。
「魔法学でも習ったと思いますが、この六芒星と二重の円が基本の“陣”になりまぁ〜す」
この世界で日常的に使われている、魔法という力。これは『法力』と呼ばれるエネルギーによって引き起こされるものだ。
魔法使いは、この世界と重なるように存在すると言われている『異次元界』と呼ばれる空間から法力を身体へと取り込み、杖のような“媒体”から放出させて魔法を使う。“媒体”——一般的に『法具』と呼ばれるが——には、先ほどミッチェル先生が言った基本の“陣”が刻まれていたり織り込まれていたりしていて、それが異次元界とこの世界を繋ぐ、トンネルのような役目をしているのである。媒体の形状は様々で、例えば杖、箒は法具の一ケースだが、その他にも紙状のものであったり、手袋であったり、カードであったり、個人個人が好きな法具で魔法を扱うことが出来る。
「“式”は、教科書の48ページに乗っているのでそれを書いて下さぁ〜い。それではセンセ、今から実演しちゃいまぁ〜す! 」
ミッチェル先生はそう言うと、指をパチンと鳴らす。すると、教室の窓が開き、外から白いまあるい何かが何匹も入ってきた。
「今、精霊避けの魔法を解きましたぁ〜。これから皆さんには、精霊ちゃん達とお話して上手く外に誘導する、ということをしてもらいまぁ〜す」
白い毛並みに覆われた、柔らかな球体。フワフワと教室内を飛び回りながら、時折生徒にくっついては、彼らは様々な色に毛並みを変化させる。
「マーっ! ムーっ! 」
ミッチェル先生の肩に乗って、毛並みを黄色く変化させる一匹の精霊。ミッチェル先生は微笑むと精霊の頭を優しく指で撫でる。気持ち良さそうに目を瞑る精霊。
「では始めまぁ〜す」
先ほど黒板に書いた“陣”に、片手を添えるミッチェル先生。次の瞬間、その陣から黄色い暖かな光が発生し、ミッチェル先生を包み込んだ。
「マー? ムー? ミーミー……」
ミッチェル先生が、精霊語を話し出す。肩に乗った精霊は、突然自分たちの言葉を喋りだしたニンゲンに驚いていたようだったが、しばらくすると彼も何かを話し出した。
ミッチェル先生と精霊の声が何度も交差する。生徒たちは感嘆の声を漏らしながら成り行きを見守っていた。
少し経って、精霊がミッチェル先生の肩から離れた。名残惜しいようにミッチェル先生の周りを2、3度ぐるぐる回ると、精霊は窓から外へと出て行く。教室内には生徒の拍手が鳴り響いた。
「ではぁ〜、皆さんもやってみましょ〜う! 」
それからしばらく、教室内は生徒たちの「マーマームームー」という声で溢れるという、シュールな光景が広がっていた。
★★
同日昼休み、4年D組では体育祭の競技の一つである、“集団魔法戦闘試合”に向けての極秘会議が行われていた。それは、他クラスにバレテはいけぬマル秘ミーティング。そのため教室には防音結界がかかっているのだが、その結界の掛け方は——
「……溝端の結界の掛け方ってさ、いつ見てもすげえよなぁ…………」
泰太が漏らした声は、言葉の意にそぐわぬ呆れ声。
教室中に張り巡らされているのは、何十枚という和紙。しかもただの和紙ではなく、筆で呪文を書き込んだ手作り製である。それは凡人には到底わからぬ小難しい漢字をつらつらと連ねたもので、そんなものが窓に壁に黒板に天井に、至る所に貼ってあるものだから、この教室は最早、胡散臭い呪いの部屋と化していた。
「流石は陰陽師家の息子」
「まあ、結界の腕は本当にピカイチなんだけど……」
広園と泰太はそう言いながら、この防音結界の作り主——溝端 秀明へと目を向けた。彼はユートピア帝国でも有名な陰陽師の御曹司。防音結界は元より、守護魔法や各種結界の腕なら、学院一とも言われている。
「——これで攻撃がもう少し上手ければ……」
「シャクシャイン、聞こえてるぞこの野郎ぉ! 」
——しかし、彼は攻撃が大の苦手という大きな弱点があった。
「本当の事だろ」
「うるさい、学年最下位! 」
「今もう違えし⁉︎ いつまで引っ張るんだよ! 」
ちなみに、先ほどまで彼は手に数珠のようなものを持って、何かを一心不乱に唱えていた。溝端曰く「これは珠数じゃない! 」らしいが。
「はいはい君たちケンカやめ。……えーと、じゃあこれから四年D組、集団戦闘試合の作戦会議を始めます」
泰太と溝端の間に入り言い争いをやめさせると、広園は教壇の上に立って言った。
「今年のオペレートメンバーは、“将軍”の僕、それから“軍師”の泰太、軍師補佐の花山瑠璃、構成員、進藤 進、レイナ・ヴィンセントの五人でやって行きたいと思います。よろしく」
教壇の近くにある席に、思い思いに座った四人を見回しながら広園はそう言う。4人は彼を見上げて頷いた。
「まずは、このクラスの戦力を確認していこう」
広園はそう言うと、教卓の上に丸めて置いてあった模造紙を広げて黒板に貼った。しかし、その大きな紙には何も書かれていない。4人の怪訝そうな表情を横目で見ながら、広園はベルトのホルダーから杖を取り出す。
「ま、念には念を、ってことでね」
広園は戸惑う4人に苦笑してから、「隠密解除」と唱えて杖を一振りした。途端、真っ白い模造紙の上に、文字やグラフがさああ……、と現れる。
「今は僕の声でしか反応しないようにしてるけど、会議終わったら、ここのメンバーは誰でも開けれるように設定し直すよ」
琉璃が「流石、法具職人志望だけあるよね……」と感心しながら模造紙を眺め、他3人も同じように感嘆の面持ちで広園を見ていた。
「よし、じゃあ確認。僕らのクラスは男子24人、女子16人の計40人学級。このうち、戦闘科男子19人、女子8人、普通科男子5人、女子8人だ。この男女比率、戦闘科・普通科比率はどのクラスもあまり大差ない。ここまではオッケーだよね? 」
四人は広園を見上げながらうんうん、と頷いている。
「問題なのは戦力。ここからは去年の敗因も混ぜて話していこうと思う。まずは役割から」
広園は模造紙に書かれた円グラフを杖で指し示して言う。
「このグラフはうちのクラスの戦力配置を示してるんだけど、一番多いのは近接戦闘型で23人。次に多いのは遠距離攻撃型で7人、守護・結界系統が4人で残りがその他だね」
広園は目線を四人に戻した。
「このグラフを見てわかる通り、僕らのクラスは戦闘試合をするのに関して、物凄くバランスが取れたクラスだと思う。なのにどうして去年、僕らのクラスは予選落ちで終わったのか。一番の敗因、それは——」
広園は言い放つ。
「——個人個人の力量不足。僕はそう、ふんでいる」
女子2人から息を漏らす音が聞こえた。泰太は腕を組んでグラフを眺め、進藤は「成る程……」と呟いている。
「僕らのクラスは決して戦闘実技で他のクラスと差をつけられているわけじゃない。でも、全体的に“平均”の実力派が多いと僕は感じている」
「確かにそうかもしれないわ……」と琉璃が難しい顔をしながらそう言った。
「例えばA組。実技試験の学年順位が上の人が結構いるけれど、極端に下の人もいるわよね。ならせば平均だけど、戦闘試合では上の人たちが、ある意味“火力”になってくれるから、有利に試合が動くような気がする」
「今、花山さんが言ったこと、僕もその通りだと思う」
広園はそう言うと話を続けた。
「僕らのクラスはほとんど全員が平均的だ。しかも、去年は上級連合生が花山さん、君一人しかいなかった。だから火力が足りなくて、相手に押し負けた印象があると思う」
「でも、それは所詮去年までの話だろ」
広園の言葉に首を突っ込んできたのは、進藤だった。
「うちのクラスは今年、上級連合生を3人も抱えるパワー系クラスになった。しかもそのうちの一人は準二級取得者ときたもんだ」
淡々と告げる進藤の言葉に、広園は「その事なんだけど……」と言いながら苦笑いした。
「まず、僕はやられれば終わりだから、あんまり前線には出れない。それと泰太ね。泰太は大きな戦力となると思うよ。——でも僕は、出来れば泰太の力はあまり使わないで、勝ちにいきたい」
すると、レイナ・ヴィンセントが小首を傾げて会話に入ってきた。
「んー、確実に勝ちにいけるのに、何でそんな遠回りするような事……? 」
広園は頷いて言葉を続けた。
「この学年には、各クラスに一人ずつぐらい上級連合生がいる。だから手を抜く必要性はないかもしれない。ただ、僕の目に狂いがなければ、泰太と他の上級連合生とのレベルの差は歴然としてると思う」
泰太が「おいおい……」と広園の言葉を遮ろうとしたが、広園はそれを手で制して続けた。
「当たり前だ。準二級っていうのは、そう簡単に取れるものじゃない。実力に差があって当然。でももし、戦闘試合で泰太の力を大々的に使い、仮に優勝してしまったら、僕らのクラスは何て言われると思う? 」
「“泰太・シャクシャインがいるから優勝した”、だろ」
広園の言葉に続けて進藤がそう言う。泰太は居心地が悪そうに目線を泳がせている。進藤は腕を組むと「で、どうするつもりだ」と広園に先を促した。
「まず、普通科戦闘科にかかわらず、個人個人の力を伸ばす訓練をやっていきたい。それから、他クラスの戦力情報を出来る限り集めて、このクラスの戦力で一番良い戦闘方法を考察していきたいと思ってる」
4人が成る程、というように頷き合った。広園も一つ頷くと説明を続ける。
「じゃあそれについて。個人の力を伸ばす訓練は、先生とも相談して、“対抗魔法”を中心にすることになった。課外実習でもやってもらうことになってる」
広園はそう言うと全員を見回す。
「とりあえずそんな感じかな。何か意見ある人はいる? 」
「……少し聞いてもいいかしら。基礎はそれで良いと思うけれど、実戦練習は何か考えているの? 」
花山が手を挙げて言う。広園はその質問に「それについてはまだあんまり……」と言葉を濁した。
「今、思いついたのだけど、無難に“鬼ごっこ”とかどうかしら」
花山の言葉に、広園は表情を明るくする。
「それはいいね。鬼ごっこでも、種類によっては守護の人とかも参加出来るから面白いかもしれない」
「それでも良いのだけど、思い切ってシャクシャイン君意外を鬼にして、クラス皆んなで襲うっていうのはどうかしら? 」
「「「あー」」」
「————はあっ⁉︎ 」
花山の突飛な提案に納得した声を上げる泰太意外の他3人。泰太は突然の指名に素っ頓狂な声を上げている。
「あー、本番と同じくライフ・ポイントでやって、泰太のポイントがゼロになるまで皆んなで日頃の恨み込めて滅多打ちにするってことかい? 」
「そう。戦闘実技なら、シャクシャイン君を越す実力者は中等部にはいないし、どう闇に葬るかを皆んなで考えて作戦立てて協力するわけだから、かなり良い実戦練習になると思うのよ」
「……お前らオレをどうしたいの……? 」
泰太の涙声は完全にスルー。広園は花山の提案を最後まで聞くと、ふんふんと何度も頷いた。
「成る程……それは良いアイデアだ」
「いや良くねえよ⁉︎ 」
身の危険を感じた泰太の心の底からの叫びは無視され、花山と広園は世にも危険な練習法をしばらく話し合っていた。
「……えー、実戦練習はそんな感じで考えていこう。じゃあ時間も時間なので今日はここら辺で。これから定期的に会議をやるのでよろしく」
広園はそう言うと4人をぐるりと見た。
「“泰太が強い”じゃなくて“D組は強い”。他クラスにそう言わせられるよう、僕らは最後までクラスを引っ張っていこう。本日はここまで。解散」