やまねとわたしのカカオ・コンプレックス
小動物みたいな山根は、いちいち、ちょこまかとしている。
寒々しい夕日に照らされる冬の帰り道も、ちょこまかちょこまかと私の二倍位の速度で動かされる山根の動きっぷりを見ているだけで、私の心は結構ホットになる。
けれど、もう二年の三学期。
一月終わりの、寄り道多めの学校の帰りは、やっぱり寒いので自販機の前。
「私ココア」ココアを買ったのは山根。
最上段のココアに手が届かない山根の代わりに私がボタンを押す。
「へいよ」そんな私はコーヒー。
どっちもホット。
ガコンガコンとスチール缶が二個落ちた後に、ずるずると二人ともあたたか~い液体をすする音。
「うん、ファッキン甘い」
と、山根がほざいた。
山根が妙な事を言うのはいつもの事だったけれど、今日は一段と下品だった。
幾らなんでも花も恥じらう女子高生が、Fワードを使うのはどうなんだ、って奴。
「どったの山根。今日は品が無いじゃない」
「今日はココアが甘くて、甘すぎるからファッキン甘いのだ」
なんだそりゃ、と私が眉をひそめると、山根は唇の端に残った甘い甘い茶色い泥の様なミルクココアを、親指でギュッと拭った後、親指をペロッと舐めた。
「うん、ファッキン甘い」
「そっか、ファッキン甘いか」
山根がこういう状態になるのは、別段大したことが原因ではない。まぁ、いきなり蜂になりたいとか言い出さないだけマシ。
そういう意味では私は山根に超ファッキン甘い。
「ところで、ココアが甘いのは、砂糖が入ってるからなんだけど――」
「そいつはファッキン常識って奴よ」
ドヤ顔で山根が始めようとするところを軽くジャブ。
山根は黙った。
黙ったついでにファッキン甘い缶ココアを啜る。
空き缶が空になる。もう一本。
「同じのでいい?」「いい」
ここの自販機は百円玉で良い。
二本飲んで二百円。二人だったら四百円。
それで喫茶店で一人でお茶を飲むのと同じ値段。
「いいんだね?」「いいって言ってるじゃん」ガコンと落ちてくるホットな鉄缶のプルタブを、思い切りよく引き起こして、プシッという小気味よい音。
ファッキングッドな音も、計算されてるんだろうか。
ずずず、っと少々オッサン臭い音を立てて、山根が二杯目のココアを啜る。
啜った所で、山根が止まった。私も止まる。
「バンホーテンココアの高いやつ有るじゃん」山根が言った。
「あるね」私は答える。
「アレをたっぷり入れて、ミルク注いでやったのよ」
「ほうほう、それで」
「ファッキンビター」
ココアって砂糖が入らなきゃめちゃくちゃ苦いんだよね、と小さく山根がボヤいた。
「元がカカオだしね」
「カカオって言えばさ、カカオの実って、昔はお金扱いだったんだってさ」
「さよけ」
とその気無しに答えた私に向かって、山根がにやりと。
「さよう。つまり、私は今マネーを飲んでるんだよ!」
ドヤァと言う擬音が、山根の背後に見えた気がした。物凄く言ってやった感。
「でもカカオだけだと、ファッキン苦い。けれど山根が飲んでるのはファッキンスイート」
私もつられてFワード。ファッキン。
「――混ぜもの多めの偽金じゃんね?」
私もドヤ顔。やってやったぜ、と私は思う。
「私が飲んでるのはココアだよ?」
――イラッとしたから三発殴った。ポコポコポコ、と。
「大体――おカネ扱いされるぐらいだから、甘かったらアッという間に食べられちゃうじゃないの」
「さいで」
まぁ、確かにそうだ。山根はこう見えて結構理屈っぽい。脳味噌の飛びっぷりは脈絡がないくせに。
「お金が喰えたら大変だぁね」
「うん」
こくこくと頷く山根が、遠い空を見た――後で、また妄言を吐いた。
「私は、カカオになりたい」
「山根が何を言い出すのか良く判らない」
流石に今日は意味が分からない。私が山根の頭を叩き過ぎたからだろうか?
「大切に育てられて」
ふむふむ。
「価値があって」
へぇへぇ。
「収穫された後は」
ほうほう。
「チョコレートやココアになって、皆をほっとさせれる」
はいはい。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
私は続きを待つ。
一分。
二分。
カップラーメンが丸っとできるほどの時間の、痛々しい沈黙。
「え、それだけ? 山根ともあろうものがそれだけ?」
それだけだった。
小さな顔を真っ赤に染めて、ふるふると山根は震える。いや、それはそれで困るのである。私もどこからどう突っ込めばいいかわからない。
「チョコレートとココアになる前になんかこう、ココアは油めっちゃ絞られるやん? めっちゃ乾燥させられるやん? いや、カカオの時だって丁寧に育てられるとは限らないじゃん!?」
カカオがどうやってチョコレートやココアになるのか、私はよく知らない。良く知らないけれど、こう、山根のずるずるとした妄言をむちゃくちゃ否定したくなった。
「そんなチョコレートより甘っちょろい事を言ってどないするん?」
「え、なんで私怒られてるの!?」
山根憤慨。超憤慨。塗装のはげかけたアスファルトの路地で、私と山根は向かい合う。
「ちょっと甘いぐらいでいいじゃない!」
「そいつは山根、ファッキン甘いって奴よ!」
山根の手でプルプルとホットココアがぬるいココアに変貌する。私は山根のココアを奪い取る。そのままグイッと一気に飲む。「あぁーーっ!」山根の悲鳴からの「こらぁー!」山根が私のぬるまコーヒーを奪い取る。グイッと飲む。山根の小動物染みた顔が、しかめつらに。
「ファッキン甘い」「ファッキン苦い」
確かにココアは甘すぎた。一口舌の上に乗ったら、甘味以外の感覚がマヒする程度に甘かった。ファッキン。
「でしょ」「うん。思わずファッキンって言う位に」「でしょ。苦いよこのコーヒー」「うん。まじファッキン」「へへ」「へへへ」
「ココアとコーヒーって別だよね」
「カフェイン入ってるけど、別物だよ」
「でも、よく似てるよね」
私と山根は別物で、よく似てる。
「あは」「ははは」
二人見つめあって、最初はひきつったように。段々馬鹿みたいに、笑った。
「帰ろうか」
「うん」
「チョコバー食べる?」
山根のポケットから魔法のように飛び出したチョコバーは食べかけで――
やっぱりちょっと、ファッキンスイート過ぎた。
山根は足をちょこまかと私の1.5倍速で動かして。私はいつもの0.75倍速でゆっくり歩く。これでちょうど、同じ速度。「……そういえば、あれって間接キスって奴じゃ」
「へっ? 何か言った?」
「なんでもないない」
「さよけ」
何か良く判らないことを山根が言い出すのもいつもの事だ。私がグイッと唇拭って、指についたチョコレートは、薄く引き伸ばされてミルクココアの色。
そいつをペロッと舐めて一言言うのだ。
「――うん、ファッキン甘い」
「そうでしょ、チョコレートなんだから」
私も山根も、夕日に照らされて真っ赤だった。
了