ホラーの魅力
ホラーはマニアックなジャンルとされているようだ。
確かに、メジャーなものといえば、いわゆる『ノンストレスで読めるようなもの』だと思う。
それに対し、ホラーはストレスのかたまりのような世界である。
どこでビクッとさせられるか、読者は身構え、おぞましいものや汚いものを見せつけられ、巨大なハサミをチョキチョキするナニカに追いかけられたりする。
バッドエンドがふつうの世界である。かわいい猫の首がはねられ、道路の真ん中で睨みつけてきたりする。
現実がストレスに溢れているというのに、なぜ創作物の中でまでストレスにさらされないといけないのか──などといって、マニアックでないひとたちは忌避するものなのかもしれない。
しかし、ハマった者はトコトン引きずり込まれる、それがマニアックな世界だ。
フラグを立てた者は真っ先に死に、優しいお母さんなんかでも構わずに頭を粉々にされ、主人公は補正があるから死なないと思いきやあっさりと死に、あれっ? もしかして主人公、こっちだった? と思った人物もあっさり死んだりする。
ラストにはとんでもない絶望が待っていたりする。
優しいホラーやハッピーエンドなホラーももちろんあるが、いわゆる健全な作品とは違い、どこか寂しさのようなものが漂っていたりする。
そんなホラーが私は大好きである。
なぜか?
色々と理由はあるが、以前にそれを述べてもマニアックでないひとたちには理解してもらえなかった。
ヘヴィメタルが大好きなひとが、マニアックでないひとの前で、爆音ノイズのごとき歪んだギターを嬉々として弾いても理解されないのと同じであろう。
悪趣味というのであろうか?
そう思われても構わないし、そう思われることに愉悦を感じてしまう自分がいることを否定しない。
しかし、ひとつだけ、たった今気づいたことがある。
それだけ言わせていただこう。
『現実がストレスに溢れているというのに、なぜ創作物の中でまでストレスにさらされないといけないのか』
↑この問いに対する回答である。
回答はひとつではない。
ただ、今思いついたばかりのことだけ、言わせていただこう。
ホラー作品の中に現れるストレスは、現実におけるストレスの比ではない!
ホラー作品の中に現れるストレスを体験してしまったら、あなたの現実におけるストレスなんて、大したことはないと思うことができるであろう!
いわば自分よりもっと不幸なやつを見て、自分はまだ幸せだなと思う──安部公房氏が『ニュースは嫌いだ。他人の不幸と照らし合わせて、自分の幸福を確かめるようなものだから』と書いた、あの感覚に通じるものがあるのである!
いや正直、自分がそんなことを感じながらホラーを観たり読んだりしたことはないので、まさにこれは『今思いついただけ』の、アレであるのだが……
とりあえず──
公式企画『夏のホラー』が7月3日より始まる。
参加すれば何かの賞があるというものではまったくないが、参加すれば他の参加者さんたちが読んでくれることであろう、たぶん。
ホラージャンルを盛り上げたい! ホラージャンルを盛り上げよう!
ただそれだけの動機で、私は参加する気マンマンである。
まだ一作も書けていないが……