プロローグ③:青年は1人の少女に恋をする
「ようやく、荷ほどきが終わったな。まったく、今年の夏は一段と熱いな」
そう呟きながら俺は本棚の一番上にある小説に手を伸ばし、自分が一番好きなミステリー小説を取り出した。
(流石に、本棚3つ並べるのはやり過ぎたな。おかげで組み立てるのに苦労したし)
身長は172cmで過去少しだけバスケをやっていた時期もあり、今もたまにだが筋トレをしたりしてるので、力仕事については何とかなった。とはいえ、親父は一度くらい手伝いに来てくれてもよかったんじゃないのか?と俺は思う。
さて、俺こと「葉桜真夜」は都内のとあるマンションにて、引っ越し作業を行い、ようやく全ての荷ほどきが終わったこともあり、安堵していた。
高校1年の夏にも関わらず俺は、淡い青春を謳歌することもなく、1人空しく一人暮らしという夢の城のために一生懸命、部屋の整備を行っていた。まぁ今更埼玉の学校に戻るつもりもないし、未練はないからいいんだけどさ。
「俺が決めた事とはいえ、いつでも会える距離ではあるけど、学校という青春を謳歌できる場所で親友たちに会えないのは辛いな」
右瞼から頬にかけて存在する大きな切り傷を触りながら、1人そう呟く俺は傍から見たら滑稽だろうなとは思う。とある事情から埼玉の高校で過ごすことに嫌気がさしたので、俺は夏休み明けから都内の高校に転校することになっている。
そのためこうして引っ越し作業をしていたわけだが……、母さんたちもよく許可してくれたもんだと心の中で感謝する。
ひと段落ついて小説を読む前にスマホへ目を向けると、チャットアプリ"LIME"に着信が入っていることに気が付き見てみると、親友の名前が出ていた。
『よう真夜、今大丈夫か?』
『ああ、ちょうど引っ越し作業にひと段落ついたところでな、休憩しようと思ってたところだ。全く、誰も手を貸してくれないからマジで死ぬかと思った』
相手は月城裕也と言い、今は関根雫という女性と付き合っている。
その2人は小学生時代からの付き合いであり、家族の次には大切だと胸を張って言えるだけの無二の親友たちだ。
(この2人をくっ付けるのにどれだけ苦労したことか……。だかまぁ今となってはいい思い出だ)
『どうしたんだ、裕也? まさか俺がいないことで寂しいとか言うんじゃないだろうな?』
『いや何、雫と今一緒にいるんだけど、むしろ真夜が寂しがってないかと思って電話してみたんだよ。あははは』
『やっほー、真夜! 親友の雫ちゃんだよー』
『はあぁ夏休みとはいえ、お前らイチャつきすぎだろ。ま、電話してくれて感謝するよ。ちょうど俺もお前たちの声が聞きたかった所だ』
『あははは、もっと喜べー! それで真夜は今日この後どうするの?』
『この後は、小説のネタになりそうなものがないか周辺探索だな。ついでに周辺の土地勘も養いたいし』
そう俺はラノベ作家として、一時期Web小説に小説を投稿していた時期がある。今ではその時投稿していた作品の書籍化がされており、それなりの人気で売れていることもあって金銭面で困ることは現状ない。だからこそ、親も一人暮らしのを許可してくれたんだろうしな。
『そうか、まぁそっちも夏休みが終われば、2学期が始まるからな。新しい学校にはもう行ったのかい?』
『あぁ、この間挨拶しに行ったよ。まぁまぁいい先生たちだったよ。信用はしないけどな。でも女子の制服はそっちよりもデザインが可愛いぞ。それと、こっちは2学期制だから、前期の方が正しいな』
『雫がいる俺にその情報いるかい? でもそっか、まぁ真夜の境遇を考えればね……。すまない、俺たち全然力になれなくて』
『何言ってるんだ、お前たちがいたから俺は腐らないで済んでるんだよ。ほんと感謝してるぜ親友!』
そんな話の他に他愛ない話を笑いながらしつつ俺たちは電話を切った。
(ほんとできた親友たちだよ)
右目に眼帯を装備し、出かける準備が終わった俺は周辺の探索を始めた。ひとまずスーパーやコンビニなどの生活に必要な所のリサーチは一通り済んでいるが、大型ショッピングモールや本屋などは後回しにしていたので、今日はそこら辺を攻めてみるとしよう。そう決めた俺はさっそくショッピングモールのある場所をスマホで確認し、向かって行った。
***
(なかなかの収穫だったなぁ、特に本屋の内装が大きかったからこれから色々な本を買えると思うと楽しみだ。それに人間観察もなかなかに楽しめたし……)
そんなことを考えつつ、時間帯も夕方の6時を回っていたため、そろそろ家に帰ろうかと体を帰る方向に向けた際、ふと帰り道とは違う方向の横断歩道に目を向けた。
(女の子? ……それもかなり小柄だな。150もないんじゃないか?)
目に入ったのは150もないと思われる身長に、さらっとした長い黒髪をしている少女であり、日本人形のような可愛らしい印象を受けた。これだけならなんも変哲もない、ただ見かけただけの感想だろう。
というか、完全にロリコンと言われても仕方ないことを思っているなと苦笑した。ただ違ったのはその少女は年配の女性と手をつないで横断歩道を渡っており、もう片方の手には手提げ袋を持っていた。
「家族か? にしては後ろ姿が似てないから横断歩道を渡るのを手伝っているといったところか」
そんな感想をしつつ、小説のネタになる可能性もあるので、とりあえず観察だけでもしてみようかと思い、その場に立ち止まって俺は少女らを見ていた。
俺の立ち位置的に少女の後ろ姿しか見えないため、どんな顔立ちをしているかなどは分からないが、ああやって手助けをしているんだから、心優しい人なんだろうと思った。
そんなことを考えていると少女らは横断歩道を渡り切ったようで、案の定年配の女性から感謝されており、ようやく少女の顔と仕草を見ることができた。
(ッ!?)
その時、まるで恋愛漫画のワンシーンみたいな強い風が吹いたんじゃないかと思うくらい俺の胸の中、そう心臓が強く脈動するのを感じた。
今まで感じたことのない感覚、親友らの恋を応援していた時や告白を見守っていた時、小説の展開にドキドキしていた時の感覚とは全然違う。
まるで吸い込まれるように視線が釘付けになるような、経験はないが金縛りにあったような感覚だ。
(なんだこれ。なんで俺の心臓がこんなにも煩いんだ。……いや、色々な小説を読んできたから、この現象が何なのかは理解できるけど)
だけど、俺に限ってそんなことは絶対にないと思ってた。だってこの感情は──。
恋は理屈じゃないと誰かが言った。実際そうだったと、俺はこの時初めて知った。人が人を好きになるために必要なプロセスとは何なのかと問われたとしたら、積み重ねた時間と信頼だと、俺は迷いなく答えるつもりだ。
だけど、そういうプロセスをすっ飛ばして、人が人を好きになる瞬間と言うものが存在する。
心を、心臓を鷲掴みにされるような、まるで運命なんじゃないかと思えるような、何が何でもその人を手に入れたいと考えてしまうほどのどす黒い感情の本流を、俺は一目惚れだと定義した。
そう、俺は、……名も年齢も性格すら何も知らない1人の女の子に恋をしてしまったんだ。