素顔と曼殊沙華①:少女は青年の素顔を見る
9月最後の土曜日、昨日までのテストは終わった。前期で残っていることとすれば、後はテストの返却と成績発表くらいだろう。俺の場合、前の学校での成績をベースにこの1か月間での評価がプラスされるようだ。
(思えば、まだ転校してからまだ1か月しか経っていないのか……)
振り返ってみれば、充実した1か月だと言えよう。藤原さんに恋し、雄太と友人になった。高橋や山口とそれなりに仲がよくなり、友達と言ってもいいような関係にもなれた。
だが、俺にとって最重要である、藤原さんと付き合うための計画は何一つ進展していない。ところどころ好感度が上がるようなことはあったが、結局は友達留まり。異性として認識してもらえるような突破口が見当たらない。
「くそっ! あいつあれだけ藤原さんに軽口を言ってるにも関わらず、何で目に見えるような喧嘩の素振りすら見せないんだ……」
「あははは、真夜が焦ってるー」
「そう言ってやるな雫。こいつもこいつで恋する人間だったってことだよ。だからこうして俺たちがチャンスを作ろうとしてるんじゃないか」
今、俺たちは池袋の駅にいる。本当は埼玉の飯能で待ち合わせするつもりだったのだが、雫が、『それじゃ藤原さんとお話する時間が少ないじゃん!』と言うので池袋での待ち合わせに変わったのだ。
「これがチャンスになるならな……。正直、向こうは雫が会いたいからという理由と純粋に曼殊沙華が見たいから来てるようなもんだ。そもそもの目的が俺と違うんだよ……」
「真夜って恋愛になると、途端に自信なくすんだね。大丈夫大丈夫! 向こうに着いたら別々になるようにするからさ!」
「頼むよ。唯一の救いは高橋が結局来れなかったということか……」
高橋は昨日まで悩んでいたようだが、結局部活を取ることにしたようだ。なんでも近いうちに放課後、うちの高校で練習試合があるようで、今はそれに向けて躍起になってるらしい。
あいつはあれでかなり頑張ってるようで、1年ながら補欠メンバーとして抜擢されていると藤原さんが嬉しそうに話していた。なので、3年が引退した穴を埋められるようレギュラー入りに奮闘中とのことだ。
高橋が来れないと言っていた時の藤原さんはかなり悲しそうな顔をしていたので、俺は嬉しさよりその顔を見て悲しくなったけどな。
(でも、『真昼と違って風景とかには興味ないんだよなぁ』と、軽口を言うのは流石にどうかと思うがな……)
そう親友らと秘密の作戦会議をしていると、藤原さんらしき人がやってくるのに気が付いた。
「ご、ごめんなさい、葉桜君。……お待たせしちゃったかしら」
「────」
「葉桜君?」
「あははは。真夜、藤原さんに見惚れてるー! あ、初めまして、私は関根雫! 君が藤原さんだね? 聞いてた通り、物凄くかわいいー!」
「み、見惚れ!? ……え、あ、えと、はい。こちらこそ始めまして! 藤原真昼と申します。今日は誘っていただきありがとうございます!」
「そんなに畏まらなくていいよ! 同級生なんだしさ。ね、裕也」
「そうだね、むしろ来てくれてありがとうだよ。あ、俺は月城裕也。こいつの親友で、雫の彼氏だ」
「ラブラブなんだぁ。……で、真夜。いつまでフリーズしてるの?」
……はっ! 俺は今どれくらい意識が停止していたんだ。
「え? あ、えと……、藤原さん、おはよう。すまない、あまりにも今日の恰好が似合ってたもんだから……」
「あ、うん……、その、ありがと」
「葉桜君もその……、似合ってると思うよ?」
俺がそう言うと藤原さんも照れてしまったようで、お互い変な空気になってしまった。
とはいえ、今日のコーデはまたいいな。曼殊沙華に合わせたのだろう。黒を基調とした薄手のカーディガンを羽織り、チェック柄のロングスカート。靴は歩きやすいように可愛らしいスニーカーを履いている。それに今回は髪をひとつ結びにしているようで、これがまた似合っている。
「真夜、気持ち悪いー。そんなにマジマジと見たら藤原さん困るでしょ!」
「あははは。ここまでバカになってる真夜を見るのは新鮮だなぁ」
「うるさい! バカップルはバカップルらしく、イチャイチャしていろ!」
俺たちがギャーギャーしているのを見て、藤原さんは笑いながら、『本当に仲良しなんだね』と言ってくるので雫は、『でしょでしょー!』と言って藤原さんに抱き着いた。
「ひゃあ! 関根さん、あの……」
「雫って呼んで―! 私も真昼ちゃんって呼ぶからさ、……ダメ?」
「え? いや、私は別に構いませんが……」
それを聞いた雫は、『じゃあ私たちは友達だー』と言いつつ、抱き着きながら頬同士を合わせ擦り付ける。藤原さんは『雫ちゃん!?』と驚きながら、どうすればいいのか分からず、あたふたする。
可愛い。
「なあ真夜……」
「言わんとしていることは分かる。だが、なんだ?」
「……あの世界に入るのは無粋だと思わないか?」
「奇遇だな。百合の世界に入っていい男など、この世に存在はしてはならない」
百合に挟まる男など、死んでしまえ。心の中からそう思う。
正直な話、百合からしか得られない栄養ってあると思うんだよな。じゃないとあれほど尊く、何人たりとも犯してはならない聖域が生まれるとは思えん……。
俺たちが藤原さんと雫を見つつ、拝んでいると、雫が満足したような顔つきで藤原さんと共に現実世界に戻ってきたようだった。
「いやぁ、満足満足。真夜から聞いてた通り、本当に日本人形みたいな可愛さで、雫ちゃん、狼になりそうだったよ」
「ううぅ、雫ちゃん強引すぎるよぉ……」
「いや、もう狼になってたから。お前、裕也という男がいながら……」
「えー、女の子との絡みは別でしょ? というより裕也たちも眼福だったんじゃないの?」
そう言われると何も返せない。藤原さんからもジト目で『葉桜君?』と言われる始末だ。
「眼福だったのは認めよう。なあ裕也」
「そうだね。やっぱり女の子同士の絡みはいいものだ……。それより真夜、お前いつまで眼帯を付けてたままにしてるつもりだ?」
裕也の言葉に藤原さんはきょとんとした顔つきで『え?』と聞き返す。
「……外さないとダメか?」
「俺たちといるんだ、できれば外してほしいな。それに藤原さんになら見せても大丈夫だと思うけど?」
「そうそう! 真昼ちゃんなら真夜の素顔を見ても大丈夫だよ。むしろ真昼ちゃんは気になってるんじゃない?」
俺は藤原さんに顔を向けると、藤原さんは俺たちが何の話をしているのかについては理解しているようだが、少し混乱していた。
「え、えと……、つまり葉桜君は普段3人でいるときは眼帯をしてないってこと?」
「あぁそうだ。こいつらは俺が傷を負った理由も、……転校した本当の理由も知ってるからな」
「本当の……理由? でも確か別の環境で青春を謳歌したいって……」
「それもあるけど、本当の理由は違うんだ。……まぁ理由はまだ話せないけどな。それで、藤原さんがいいなら、俺は眼帯を外してもいいけど……」
正直なところ、眼帯を外した俺の素顔を見た時、どう思われるのか凄く怖い。怖がられるのか……、それとも直視できず目を合わせてもらえなくなるんじゃないかとさえ思ってしまう。
(何だかんだ俺もトラウマになっているのかもな……)
それを聞いた藤原さんは少し悩んでいるようなので、答えが出るまで俺たち3人は待つことにした。
「……見せて、大丈夫なの?」
「それは藤原さん次第だ」
少し卑怯な言い回しなのは理解している。それでもこれは俺ではなく、藤原さん自信に選んでほしい。
「うん。なら、見たい。あなたの本当の素顔を……」
まるでどんな結果でも受け入れるようなそんな表情で言った藤原さんのことを俺はかっこいいと思った。
なら、俺もやるべきことは決まってる。そう決めた俺は眼帯を外し、藤原さんに……、右瞼から頬にかけて存在する大きな切り傷が残っている素顔を見せた。
俺の素顔を見た藤原さんがとても驚いていたのを今でも覚えている。そういえば、俺はこの時、どんな表情だったんだろうな……。怯えた表情だったんだろうか、それとも不安な表情だったんだろうか。
「…………目は見えるんだったわよね? その、痛く、ないの?」
「視力はきちんとあるよ。それにもう痛くない」
俺がそう答えると、彼女は、『そう……』と呟き、触ってもいいかと尋ねるので俺は無言で頷いた。その間親友たちは真剣な表情で俺たちを見ていた。
「本当に、傷が残ってるんだね」
「そりゃな。嘘でこんなもの付けないさ。……それで、感想は?」
今でも俺は思い出す、この時彼女が言った言葉を。
あの時から俺は彼女の事が好きだったし、それは変わらない。でも好きって感情には段階があることを俺はここで知った。だって彼女は──。
──綺麗
傷が残っている顔を見て、確かにそう言った。親友たちは嬉しそうなそれでいて安心したような表情で俺たちを見ていた。
その言葉を聞いた俺は彼女の事を今まで以上に好きになってしまったんだ……。