1.
手順を怠った我を疑う。充填握をすかさず叩いた。かわらずに引き金は堅い。後部情報計を二度見した。赤い警告文が浮かんでいる。
「バイオコード!そりゃそうかッ……!」
パルスライフルをかなぐり捨てて、サミューン・セントヴァーは飛びのいている。もといた場所に弾雨がそそいだ。
『連邦法第112条に基づき、保安員による誘導が推奨されています……コロニー居住者はただちに、最寄りのシェルターへと避難してください……』
愚鈍なシステムのアナウンスがループに入った。十八分前には中枢系が封鎖されているのだ。サミューンのいる辺縁系通路の非常灯は、予備電源のもと赤暗い。
「縺ゅ▲縺。縺?!」「騾?′縺吶↑!繝。繝「繝ェ繝シ繧サ繝ォ繧貞・ェ繧上l縺!」
強化スーツ越しの声が暗号化されている。迫る早足は四人分、手練れの歩兵然で隙がない。
――ラッキーパンチも続いちゃくれない……。
角を覗いても、どうせよく見えまい。であれば立ち去るべきなのか。ひとり逡巡するサミューンは、警備カメラと目が合った。チカッ、チカッと動作灯が瞬く。「そこどいて!」と言われた気がして、走り出している。間髪入れずに背後で隔壁が下りた。
「ミィナ!最短の迂回路を!」
むこうの声は受け取れないが、こちらの声は聞こえているはず。先ほど取っ組み合いで二人倒すのに、個人端末をおとりにしていた。代わりに得たのが、謎のメモリーセルだ。
――連中、後生大事にしてたな。助かったのもこいつのおかげだ。
失くすべきでない。わかっていながら、ぞんざいに制服の胸ポケットへ押し込む。先を急ぐのだ。閉じたり開いたりする隔壁になぶられながら、サミューンは行きつく。
格納庫である。
「アトラス大尉!」
「サム!何しにここへッ」振り向くおもては見慣れた褐色。灰色の短髪といかめしい。「どうしてスーツを着ていない!」
「ミィナは逃がしました!」一人娘の無事を誓えるのだ、一キロを突っ走った甲斐もある。それに、「敵の主力はA.E.G.I.S.でしょう!?いちばん役に立てるならここだ!」
A.E.G.I.S.。有人二脚、七メートル級の戦闘ロボット。ずんぐりとしたしるしには、ちょとした愛嬌だ。その主力部隊が昆虫討伐に出払っている今、コロニーで正規の"パイロット"は、アトラス大尉のただ一人である。
「……止むを得んか。お前はMTMの搭載を!」「はい!」
人間の指示をなくして、どんな機械も働かない。サミューンは大尉のとなりの制御盤に立った。ゲームの方が難しいよ、とは技術者の物言いで、だだっぴろい格納庫に、ただいまは二人きりである。アトラス大尉は、すべてひとりでやるつもりだったのだ。
「どんなです?外は」
機関砲の炸裂音が、ひっきりなしでかすかに届く。断続的に響く方は、ドローン・スウォームの爆撃音だ。窮状はわかりきっていた。訊ねたいのは、そうではない。
「七機落とした、まだ半分だ」古傷で途切れた眉をかくのに、大尉は不満なようだった。
「すると総勢十機以上!?中隊規模の大気圏降下なんて……」コロニーのレーダー網をかいくぐった襲撃者たちは、まったく未知の勢力であった。
「アルバトロス級の影も見えた。防衛機構がどれだけもつか」
レーザー砲の暖気を待って、大尉は修理と補給にもどったという。しばしの沈黙を経てから、くわえる。
「なんとかこいつが片付いたら、サム。お前に話がある……」そっと肩に手を置かれるので、サミューンははっと見返した。養父としての顔だとわかった。「う、うん。でも今は……」
艦橋――コロニー中枢の原型は船だ――と、映像通信がつながった。格納庫の中空にでかでかと浮かび上がるのは、髭面に、覇気を宿した老人である。ベリクス総司令だ。
『大尉、もう出られるかね』
『防衛機構の損耗率が六割を越えました……!』オペレーターで、サミューンと同期のヤーナだった。彼女の方が画面の中心だ。
彼らとて戦っている。うしろはいかにも忙しない。アトラス大尉が進捗を求めた。
「サム?」「こちらあと一ユニット!」「よし、もうきりあげろ!ただちに出ます」
大尉は赤いパイロットスーツを着たきりである。かけたヘルメットを取り上げた。
『サミューン上等兵には装甲服の着用許可を出す』ベリクス総司令は行動手順違反を咎めない。『セクター三三で交戦中の保安部隊と合流し、内部の敵戦力を撃滅せよ』
「了解!」
ありがたい。思ってサミューンが目配せすると、アトラス大尉もにやりとした。その時である。
『あッ、航宙戦艦が……!』
めったなことで大声を出さない人だ。防衛機構主任のペッカー少佐の声だとわかった。ベリクス総司令とヤーナが正面を仰ぎ見た。なにもかも最後になった。艦橋との通信は途絶した。
「……え」サミューンはすぐに飲み込めない。「え……?」
膝から崩れ落ちそうになって、アトラス大尉にしがみついた。格納庫全体がすさまじく揺れるのだと気がつく。じきに音だ。
「ただ事じゃないな……」
「……死んだ、ってことですか?み、みんな……?」
艦橋は百人体制だ。コロニー人口の三パーセントがそこにいる。名前も顔もほとんど言える。
『有事非常回線でお知らせします』
鳴り響くチャイムも機械音声も、ひどく場違いな調子だった。今しがたの出来事など、まるでなかったみたいに。
『緊急警報です。コロニー圏内に、昆虫行動の活性化を感知しました。防衛措置が推奨されます……繰り返します』
人の都合などお構いなしに、ヤツらはいつもやってくる。状況は絶望的だ。
「サム、来い!」
「あ、はい……」
ふらふらと、サミューンが気がついたときには、A.E.G.I.S.の搭乗口が目前だった。ピットの足場に囲われている、アトラス機しかありえない。
「マニュアルはよく読み込んでるな?候補生」
「は……」
ふぬけていて、サミューンは突き飛ばされる。コクピットに入っても、まだ腰が抜けていた。
「なんで!」
むかいのピットにかがんでアトラス大尉は、唇に指を立てるのだ。
「……聞こえないか?流入した外気が誘爆してる、ここも遠からず火の海だ」
「ッ……だめだよ!おじさんのA.E.G.I.S.だ!」
A.E.G.I.S.のコクピットは狭い。一人だけしか入れない。入れてはならない。
「代わりにこいつを持ってけよ」前のめりで出ようとするのを、赤いヘルメットで押し返される。大尉は続けた。かたくなに立ち上がっている。「連邦法緊急事態条項第七条に基づき宣言する。サミューン・セントヴァー上等兵の階級を少尉に昇格。GX01-AT308の搭乗者権限を、同人物に委譲……」
テラ・アーカイブの古いフィルムで見た、従軍牧師――サミューンが思い浮かべたものだった。神様は実在するのだろうか。
「さぁ、お前も念願の"パイロット"だ。達者でな」うって変わって大尉は怒鳴る。「とっととハッチをしめろ!このポンコツ!」
全周囲モニターの給電に、数秒を要した。爆炎だろう、ごう、とうなり、補助灯で緑なコクピットがかたかた揺さぶられる。サミューンは何も見なかった。炎で赤い格納庫に、アトラス大尉はもういなかった。ただ聞いた気がする。
――許してくれるか、ヴィクター。
十年前、アトラス大尉とともに異星で戦い帰らなかった、サミューンの実父の名前だった。
「はっ、はっ、はー……っ」
動悸がすさまじい。目の前でまた人が死んだ。
「……くそがっ!くそッ!くそッ!」
それも父親代わりであった。
やたらと落ち着き払った、男の声が告げる。
『パイロット、起動シークエンスの実行を推奨します』
「……君らには人の心がないんだ」
抑制人工知能だから当然だ。しかしだからこそ間違えず、およそ正しいことを言う。大尉のヘルメットを、サミューンはかぶった。
十七時間の歩行訓練、百発程度の実弾射撃、候補生サミューンが、訓練機のコクピットで経験した全てだった。ミサイルのマルチロック手順も、チャフの撒き方も、滑走を駆使した機動戦の極意もとうぜん知らない。しかも、よりにもよってアトラス大尉専用のA.E.G.I.S.はピーキーな機体バランスだと――ムゲンは言ってたっけ……!
AIの補助ありきだとして、よちよち歩きがいいとこだ。無様にピットによれかかり、倒れる。ふたたび立ち上がれるかも怪しい。爆炎の吹き戻しであった。
――武器庫に誘爆せずにラッキー、そうだろう!?踏ん張れよッ!
2.4Gにあらがって、なんとか直立させたところだ。次の課題である。
昆虫退治だ。
格納庫の破損個所から、蜘蛛型個体が続々と侵入してくる。装甲服でもペロリといくヤツらだ。ただしサミューンが今着ているのは、全長七メートル級のA.E.G.I.S.であった。
――行かないと、はやく!俺が戦わないと……!
構ってられない。踏みつぶし、踏みつぶし、侵入口を廃材でおざなりにふさぐ。合格。しかし振り向くのがへたくそだった。脚を取られたのだ。
――蜘蛛の糸!?
コクピットの衝撃緩和機構がなければ、いまごろ二度目の脳震盪である。たちまち連中は勝ち誇って、A.E.G.I.S.の顔面に集った。モニター越しに睨みつけてくる無数の単眼に、恐怖している場合ではない。
「どけ、どけったらッ!」
救われたのは、機銃掃射のためである。
サミューンは首をよじった。格納庫の主扉が開け放たれている。あるのは、一機のA.E.G.I.S.の影だ。HUDがオレンジに点灯する。敵味方識別信号が、アンノウンだと通知した。
「……くそ」
敵も馬鹿ではない。ここが火薬庫だと気がついたのだ。一瞬間をあけて、近接兵装を展開する。プラズマソードだった。
「立て、立て、立て、立て、立て……!」
サミューンは奇跡的な回避をみせる。蜘蛛の死骸に滑ったために、刺突がかすめて行きすぎた。訓練だってしない尻もちだ。
間近になって、敵機は紺色の塗装をしていた。軽量機なりに、振り向く動作が洗練されている。プラズマソードを、ふりかぶった。
なんだってよかったのだ。サミューンの反撃はがむしゃらだった。仰向けのまま投げつけたのは、腕部にからんだ廃材で――奇しくもその実際は、アトラス大尉の采配で積み逃した、マルチターゲットミサイルの一ユニットであった。
次は幸運で片付かない。
推進剤が点火した。
軽量機はコンテナごと押しやられ、格納庫の果てまですっ飛んだ。
――ミィナなのか……!?やってくれたッ!
いまもモニターしてくれている。最年少で最優秀技術者賞を獲得した、ミィナ・アトラスの仕業にちがいない。きっと来年も獲る。無様な姿は見せられない。彼女の父、リモー・アトラスの最期を思って、サミューンはなおのこと食いしばった。
歩き出している。
が、現実は甘くなかった。
『これがさっきと同じA.E.G.I.S.かよ?』
格納庫を繰り出た矢先、サミューンはたちまち転がされた。三体の敵性A.E.G.I.S.に包囲されている。ちょうど軽・中・重量機のとりあわせで、軽量機の男は意地悪く、オープンチャンネルで語りかけた。
『制御系のバグか?よお』
あれだけよくもやってくれたな、と肩担式レールガンをつきつける。
『武装解除を勧告します。当コロニーの防衛機構は既に無力化した』中量機の男性はリーダー格と思われる。つとめて丁寧な口調だった。『……素直に応じるなら、命はとらない』
『蜻ス縺ッ縺ィ繧峨↑縺!?繧ィ繧コ縲√≠繧薙◆鬥ャ鮖ソ縺ェ縺ョ縺九>!?』重量機は女性らしい。音声は化けても、興奮状態にあるのがわかる。
『落ち着け、リンネ』リーダー格も万全ではない。暗号化を忘れている。『僕らの目的は殺戮じゃない……』あえて聞かせたのかもしれない。あらためて言う。『猶予を、十秒与えます』
テキストチャットに送られて、淡々と減る数字を見ながら、サミューンは考えた。
武装解除までボタンは五つだ。ハッチをあけるなら手順は三つで済む。それしき候補生でもできる。
ほかにはどんな選択肢がある?
敵には四十ミリ追尾砲、レールガンに高周波ブレード――素人が打破できる術とはなんだ?
『気にくわないよッ、アンタ!』
身じろぎせずいると、重量級に蹴り飛ばされた。無能なAIが危険度の通知を繰り返す。『速やかな対処を推奨します』転げる中で目に入ったのは、胸ポケットから飛び出して、踊るメモリーセルだった。
『三』
親切にも、余命を音声で通達してくれる。彼らの目的は、殺戮ではない。あながち嘘ではないかもしれない。機体の鹵獲が目的なら別だが、それなら余計に蹴とばさない。
『二』
謎の多い襲撃だった。連邦査察団も顔負けのA.E.G.I.S.、撃墜された一隻きりの航宙戦艦、密なレーダー網をかいくぐった大気圏降下、強化歩兵には光学迷彩、銃に至っては生体認証。宙賊にしては超高級だ。
『一』
はじめもはじめ、強化歩兵をふたりも裸で熨せたのは、彼らの隙をついたからだった。メモリーセルを取り落とすと、我が子でもかばうよう、必死で、命がけで。その歩兵らはおかしなことに、コロニーの中枢方面からやってきた。今、サミューンは思い出す。彼らはそれを持ち帰る、すんでのところだったのだ。
『ゼロ……残念です』
完全に直感だった。サミューンは謎のメモリーセルを、アトラス機のコクピットに挿入した。同時刻、防衛機構の機関砲が、一門だけ息を吹き返した。
突きつけていた四十ミリを、リンネ・エバーソンは再照準する。機関砲に応射せざるをえない。
『ちっ、まだ生き残りが!』
視界の傍で、機体が跳ね上がる。もう死に体でいるはずだった。たった一機で降下部隊を半壊させた、血に染まったかに赤いA.E.G.I.S.だ。
『何!?この隙に回復処置を!?』
『ちがう!』
機関砲の射撃で、リンネはあとの二機と分断された。エズワース・リトンが駆る中量級と、ジャッカム・フェデラーの駆る軽量級だ。
『さっきまでのとモノがちがう……!』
近接戦闘仕様のエズワース機が、なすすべもなく四肢をもがれていた。血染めのA.E.G.I.S.が駆使したのは一振りの短刃、よくある機体の「そなえつけ」で、いわば作業用の十徳ナイフの一部だ。これに、ジャッカム機もたちまち斬り刻まれた。
『いッ!?近寄るなッ!』
第一目標すら排除できていない。重量級のリンネ機は、横っ腹に機関砲をまともに受けた。
サミューンはわからずにいる。これがただしい決断だったのか。死なずにはすんだ。殺さずにもすんだ。けれどこのコロニーに、何を招いてしまったというのか。いや、何者の目覚めを、促してしまったというのか。
『不明なデバイスが接続されました』
『不明なデバイスが接続されました』
『不明なデバイスが接続されました』
『不明なデバイスが、が、が、が、が――』
ひっきりなしだった補助AIの音声にノイズがかかる。
『あ……あー、あー……』
徐々に置きかわろうとする。
『んん……きこえてるのかな、この声は?』
女性の声だ。とぼけたAIとはちがう。理知的で、凛とした響きであった。
「……君は、いったい」
『ええ。私がいったい何様かって?そうねひとまず……あなたにとっては、命の恩人。ちがう?』
操縦桿には肘掛けみたく、しがみついていただけだった。動かせたとすれば他にいない。あんな挙動は、誰にも真似できない。おそらく、アトラス大尉にさえ。
「恩人。たしかに、その通りだ……」
『いい子ね、物分かりがよくて助かるわ。なら……』
アトラス機はうろうろと動いた。屈伸、伸脚、両腕の旋回。
『最初に答えてくれるでしょう?』
言ってしゃがむと、彼女――とこれからは呼ぶべきだろう――は、斬り刻んだ残骸の物色をはじめる。
『今は何年?ここはどこ?』コミカルな記憶喪失だ。と、思わせないだけの迫真さだった。
「……星海開拓歴八百八十六年。ギリアナ恒星系第七惑星、タルサムVII。準連邦領開拓コロニーの、ほぼ中枢」まだるっこしい疑問をサミューンは省いて、できるだけ正確にこたえてみせた。救われた身である。間違いない。
『ふーん……』
予想に反してあっさりと、恩人様は言うだけだった。関心がもうなさそうまである。
『ああ、それともうひとつ』
憂いの種は尽きそうにない。立って見回すと、コロニーの外周防壁は、襲撃の余波で崩壊してしまっていた。
『あれって、敵。で、いいのよね?』
押し寄せる昆虫の大群をさすのは、ハッキング済みの高周波ブレードだ。