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♯ 9

 この甘くも物々しい空気は何だ。

 部室に一歩踏み込んだ青は、すぐさまその足で帰りたくなった。

 それは隣にいた蒼汰も同じよう感じたらしく、つい一瞬前まで滑らかに回っていた彼の舌も驚きに止まっていた。

 本当に、それほど異様な光景だった。

 部室が、甘ったるいピンク色の海に沈んでいる。そんなフレーズが浮かぶほど、部屋中、目に痛いほどのピンク色とハートで埋め尽くされている。

 いつも作業に使われる会議用の大きなテーブルの上にはど真ん中のチョコレートフォンデュをはじめ、ずらりとチョコレート系のお菓子が並べられていた。

 その周囲を女子たちがやや殺気立ったエプロン姿で囲み、男子連中が部屋の隅で所存無げにひと塊りになって立っているのが見えた。

 まるで、黒魔術の儀式に臨む魔女と、生贄に連れてこられた子羊の集団だ。

 正直、エプロン姿でも気合いみなぎる女子集団から放たれる空気は、重くて、攻撃的で、可愛らしさのかけらもなかった。

「あ、青! 待ってたよ~」

 足を引きかけた青をすかさず捕まえたのはその、魔女集団のど真ん中で指示を飛ばしていたスミレだ。スミレはエプロン姿のまま駆けてくると、遠慮なしにその腕を絡めて部屋の中へ引きずり込んだ。

「もう、準備バッチリなんだから。すごいでしょ~」

 スミレは生き生きした顔でそう微笑むと、やや興奮気味にチョコレートの山を誇るように腕を差し出す。

 儀式のど真ん中にいきなり引っ張り込まれた青は、強烈なにおいに思わず口を押さえ俯いた。

 これは、拷問だ。心の中で呟く。

「こりゃ、気合い入ってんなぁ」

 蒼汰があんぐりと口を開けてその隣に並び、部屋を見回す。

 甘い香りを纏った女子たちが、その言葉に誇らしげに胸を張った。

「映画部の沽券にかけて頑張りました」

 普段は美術班にいる女子たちだ。なるほど、言われてみれば、そこかしこに施されている技術は無駄に手が込んでいた。

 天井からつり下げられたピンクと赤と白のテープ。それらが天井の中央で束ねられ何重にも重なり花を形作っている。

 「Valentine Party」と掲げられた文字は、どういう作りになっているのか文字が立体的に見えるし、普段はただのパイプ椅子も今日は可愛らしくハートやリボンで飾りつけられていた。

 そこかしこにバルーンアートも飛び交い、なんだかいつもの映画撮影の時より力が入っているような気すらする。

「じゃ、女子は出ていきますから、男子もそれぞれのチョコレートをテーブルに置いてね」

 スミレは蒼汰の関心具合に鼻から息を吐き、さらに高揚した声をあげると、具合を悪くしている青をよそに、ようやく女子の集団の中に帰って行った。

 ぞろぞろとエプロンを脱ぎながら出ていく女子の傍で、青は蒼白な顔で足早に壁際に逃げて深い息をつく。

「何だ。これは……」

 早くも限界だった。

 もともと甘いものは得意な方ではない。加えて目にも痛いピンク色の世界に、何を企んでいるのかわからないが女子の殺気ばった気合い。ついでに、さっきスミレに馴れ馴れしくされたせいで、男子集団の中にいる春日からの視線も痛かった。

 針の上のムシロ……の方がまだましなんじゃないかとすら思えてくる状況だ。

 やっぱり三宮の陰謀なのではないだろうか。そんな考えが掠め、視界を巡らせその張本人を探す。

 しかし、あのひげ面は怯える男子生徒の群れの中にも、もちろん雄々しい女子の中にもなかった。

「青君、大丈夫?」

 声をかけられ振り向くと、女子の最後尾にいる藍と桃が心配そうにこちらを見ていた。

 青はなんとか上体を起こし、ひきつりながらも笑みを見せる。二人の向こうで、紅先輩にデレデレになっている蒼汰の姿を見つけ、敵陣の中にいて味方を一人失ったような気分になった。

「あ、あぁ。なんでもない」

 何とかこたえると、スミレの方を伺いながら声を落とす。

「なぁ、これから何が始まるんだ?」

 この物々しさ、尋常じゃない気がする。自分達が持ってきたプレゼントも指定の位置におけと言われたし……。

 すると、青に質問された二人は視線を交わし、桃の方が代表するような形で答えた。

「なんかね、チョコでカップリングするみたいだよ」

「カップリング?!」

「うん、正確にはコンテストの様なものなんだけど」

 一歩引いた青に、桃が神妙な面持ちで頷く。

「今から、男子と女子、それぞれに持ってきたチョコレートを披露するの。もちろん匿名でね。で、一人に一枚ずつこの紙が配られるんだけどね」

 桃はポケットから赤いハートの形をしたカードを取り出して見せた。

「女子は男子の、男子は女子のチョコレートに投票するの。で、それぞれ一位になった人が今日のクイーンとキング」

「それって、何すんだ?」

「それは……」

 桃もよくはわかっていないのか、それとも知っていて答えにくいのか、どちらにしろ口を濁してしまった。追及しなくても、いずれわかるだろうという冷めた楽観に、青の方も質問の口を止める。

 それにしても、誰の発案だ? 溜息を一つついて考え直す。

 いや、考える方がおかしいか。こんなしょうもない事を考えるのは、他でもない、無責任にもここにいないあの髭面に決まっている。

 パーティーにクイーンとキングだなんて、少々古めかしいアメリカンじみている辺りが、奴らしいじゃないか。

 これはプロムじゃないっつーの。

「馬鹿らし」

 思わず零した言葉に、女子二人の鋭い視線が突き刺さった。聞き捨てならないといった体で、藍と桃が詰め寄る。

「そんな事言わないでよ! 男子は買って来たものばっかりかも知んないけど、女子は皆、手作りで頑張ってきたんだから!」

 藍がそう言えば、桃も隣で深く頷き

「私達なんか夜中までかかったんだから。絶対、私達の選んでよね」

 と無理難題を押し付けてくる。チラリ、女子チームのチョコレートを見るが、匿名と言うだけあって、どこにも名前らしきものなんかない。

 しかも、一票しか持っていないのだから「私達」というのはそもそも無理なんじゃないか。

 そんな疑問とも愚痴ともつかない言葉が頭の中を飛び交い始めた時、スミレが二人を呼ぶ声がした。

 二人とも慌てて振り返る。

 蒼汰は……!? 藍の視界に蒼汰と紅先輩の姿が入る事を恐れ、一瞬青は顔をひきつらせたが、先輩の方は一足先に部室を出ているようだった。

 胸をなでおろす青の袖を誰かが引く。見ると、桃だ。

 桃は一瞬、何かを言いあぐねているようだが、せかされる雰囲気に勢いに任せるように早口でこう言った。

「私は、絶対、青君の選ぶからねっ」

「あ、うん」

 桃が出ていく。

 そして部屋から女子の姿は消えた。

 なんだかほっとして、青はその場にうずくまりたくなった。

 何なんだ。たかだかチョコレートに成人したいい人間がこんなに振り回されないといけないものなのか?

「本命なら、別口で渡せばいいじゃないか。こんな凝った趣向に興じる理由がどこにある?」

 急に耳元でそんな声がして、驚き振り返る。蒼汰がニヤッと笑いすぐ後ろに立っていた。

「って思ってると思って、アフレコしてみました~」

「勝手に人の頭ん中をしゃべるな」

「ってことは、どんぴしゃ? いや~ん。やっぱり、俺らって通じ合ってるねんなぁ」

 蒼汰は上機嫌に青にじゃれつくと、その頭をガシガシとかき回すように撫でた。

「本当に、先輩達って気持ち悪いくらい仲いいですよね。何なら、お二人で交換したらどうですか?」

 低くじめっとした聞きなれた厭味は春日だ。

 奴はテーブルの上にやや大きめの包みを置きながらこちらを見ていた。スミレと付き合い出してから、多少、青への風当たりは柔らかくなった物の、険悪な関係は健在だ。しかも、さっきスミレが青に親しげにしたせいで、つけなくてもいい嫉妬心の火をつけてしまっている様でもあった。


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