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♯ 7

 部屋中に甘い香りが充満している。

 今や台所は、バレンタインチョコ作りのラストスパートに向けた戦場だ。

 昼過ぎから四苦八苦しているルームメイトの後姿を見ながら、藍はラッピングの手を止めた。

 時計を見上げるともう夜の9時になろうとしている。料理を始めてからかけているCDは、少なくとも5順はしているだろう。

「桃ちゃん。お夕飯、ピザでも取ろうか」

「うん。てきとーにお願い」そう返事した小さな背中は、今は必死に本命の彼の為に作業中だ。

 先に出来上がった、皆に配るための義理チョコクッキーとブラウニーに目を落とすと、藍は「りょうか~い」と返事が聞こえた事を知らせた。

 ピザのチラシを取るために立ち上がって台所に向かう。

 その時、ふと桃の真剣な横顔が視界に入って、藍は思わずため息をついた。

 羨ましいな、と思うと同時に、いじらしくも思え、自分自身が情けなくも感じた。

 桃はいつだって一生懸命だ。

 入学してからずっと、青の事だけを見ている。ぶれないその気持ちは、きっと簡単に貫けるものではないだろう。

 なんたって、あの、青なのだ。

 藍はレシピ本の間に挟まっていたチラシを引き抜くと、選んでいるふりをしながら青の事を考えた。

 青の事を想う女子は少なくはない。去年ほどじゃないけど、やっぱり遠巻きにでも彼に憧れる子は結構いる。実は今年も同じ文学部の子たちから何人か、チョコレートを渡すように頼まれていた。桃には内緒だが。

 ただ、青の難攻不落っぷりはもう、学内では有名で、自分にチョコレートを渡してきた子たちだってアイドルを見るような目で彼を見てはいても、本気で恋をしているわけじゃないのだろう。中には彼氏がばっちりいる子も入っているくらいだ。

 もしかしたら、本気で青に恋をしているのは、この、小さくて勇敢な桃くらいかもしれない。

 息をするのも忘れているんじゃないかって言うくらい、口を真一文字にしてチョコレートを天盤の上に絞り出している桃をそっと振り返る。

 とはいえ桃も、決して報われている状況とは言えない。

 一年の夏、青に「妹のようだ」とハッキリ言われたっていうのは、自分も知っているし、実際、去年の春辺りから夏合宿までは気まずい雰囲気だった。今も、友達関係は修復しているように思えるけど、チョコレートを簡単に渡せる仲じゃない事は確かだ。

「なに? もう、選んだ?」

「あ、うん。桃ちゃん、頑張ってるなぁって、見惚れちゃったの」

 不意に振り返った桃に、藍は慌てて誤魔化すようにチラシを持ったまま微笑み返した。

「やだ~」

 桃はその可愛らしい頬を染めると、手をひらひらさせた。

 見た目じゃ、桃は本当にか弱い女の子だ。すべての作りが小さく、仕草もどこか小動物のように愛らしい。着ている服もスカートが多いし、髪だってボブだが毛先はふんわりカールしていて、人形のようだ。

 本人は自分は子どもっぽ過ぎると気にしているようだが、女子にしては少し背が高くていつも実際の年齢より高く見られる自分からしたら、羨ましい容姿だ。

 でも、桃の魅力はそれだけじゃない。

 一番の魅力は、その芯の強さにあるように思う。

 始め、青の事が気になると聞いた時は、正直、他の女子と同じものだろうと思っていた。

 確かに、青はかっこ良いし、聞き上手。自分だって、彼になら不思議と気が許せて一緒にいて心地よい。

 でも、青には好きな人がいるらしい。  桃にはいっていないが、たぶん、桃の気持ちに応えないのもその女性の存在があるからなのだろう。

 全く、誰にもなびく気配がない。

 なのに……。

「桃ちゃんは、凄いよね」

「え?」

 思わず、藍は口を滑らせてしまい、声にしてからしまったと気がついた。桃が驚いたこリスよろしく、まんまるの瞳をこちらに向けてキョトンとしている。

「あ、その。なんか、いいなって、思っちゃったの」

 弁解が弁解になっていない。藍は困ったな、と思いながら手元のチラシをいじくった。

 少しの沈黙。それを溶かしたのは桃の方だった。

 彼女は細い肩を小さく揺らし、口元を隠しながら笑ったのだ。

「なにそれ~」

 ほっとして藍は肩をすくめる。

「すごく真剣な顔だったもん」

「だって真剣なんだもん」

「頑張ってるんだ」

「うん、頑張ってる」

 鸚鵡返しのように帰ってくる言葉はどれもくすぐったい笑いにコーティングされていて、藍は頬を緩めた。そして、思わず

「本当に青君の事、好きなんだね」

 そう言った。桃の顔からすっと笑みが消える。

 心臓がドキリと音を立てた。「え?」と急に金縛りにあったような感覚に藍は息を飲んだ。何か、気に障ることいった? 桃の硬い表情にそんな不安を覚えた。

 そんな藍を桃が真っ直ぐ見つめる。そして、

「うん。好きだよ」

 とハッキリ答えた。まるで、一字一字にその想いを込めるように。

 不意に藍の心臓の真ん中に鋭い何かが突き刺さった。その痛みは自分でも予想外に強くて、苦しく、深い。

 桃が青の事が好き。

 そんなわかりきったことだ。知っている。

 知っているし、応援もしている。

 なのに……。

 藍はまっすぐ迷いのない桃の瞳を直視しがたい、そんな自分自身に戸惑った。

 桃は気持ちを探るように、強く、迷いも曇りもない目で、じっとこちらを見つめていた。

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