♯ 6
「チョコレート持参ってさ。野郎もって事?」
「ん? あぁ、そうらしいで」
蒼汰は別段気にした様子もなく、頷く。また、豪快に麺をすする音がした。
青はそんな友人の横顔を少々呆れて見つめる。
「なぁ、この時期にチョコレート買うのって、ちょっと嫌じゃないか?」
「まぁ、確かにな」
そう。この時期、ただチョコレートを食べたいという理由だけでも、男が買いに行けば、店員や周囲の目がなんだか痛い、気がするのだ。
一つももらえないから、自分で購入している……なんて勘違いされ、憐れみ混じりの薄笑いにさらされるんじゃないかっていう可能性を、どうしても考えてしまう。
くだらない事だけど。
しかも、パーティー用って、きっとそれなりのものを用意しないといけないはずだ。
100歩ゆずってコンビニで板チョコを買えたとしても、本気モード全開で「これはバレンタインチョコです」ってデコレーションが施されているものなんて、間違っても買えるわけがない。
だろ? と同意を求めようと蒼汰を見た。しかし、蒼汰はそれより早く飄々と
「でもさ。俺、もう買ったで。てか。買ってた」
と、悪びれもせず、むしろ少々自慢げにそう言うと、残りの汁を全て飲み干すようにどんぶりを持ち上げた。青は蒼汰を、唖然と見つめる。
「どういう事だよ」
そんな恥ずかしい事、お前はしたのか? どうして!?
問い詰めたい気持ちを抑えてどんぶりを下ろすのを待つ。その、どんぶりの向こうから覗いた蒼汰はどこか照れ臭そうな、それでいて楽しみにわくわくしている悪戯小僧のような顔をしていた。
「逆チョコや。ぎゃ、く、ちょ、こ」
「ぎゃく、チョコ?」
聞き慣れない単語に思わず復唱すると、蒼汰は頷いた。
「今年はなんでも、男子から女子に贈る逆チョコが流行りらしいで。っていうか、なんか世間で急に公認されたみたいや。せやからさ……」
贈る相手の事を思い出したのか、蒼汰が小さく笑った。
あぁ、そういうことか。
青は脱力してテーブルに突っ伏したくなった。
そんな青にはお構いなしに、蒼汰は体をゆすり声を弾ませた。
「なんか、紅先輩も来るみたいなんやんか。どうやって渡そうって思とったから、俺にとってはちょうどよかってん」
はいはい。そんな事、お前の顔にしっかり書いてあったよ。
馬鹿らしい。
青は鼻から息を抜くと、今度は本当に突っ伏した。
視線の先にきた、送り主不明、もしくはさして親しくもない人からの贈り物を見つめながら、隣の蒼汰のお喋りをぼんやりと鼓膜に反響させる。
よくもまぁ、あんな片想いの相手にそんなにマメになれるもんだ。
蒼汰の浮かれる声に、青は少々辟易とした。
蒼汰が好きな紅先輩は、二代前の部長、神崎川先輩の彼女だ。
神崎川先輩が彼女である紅先輩に日常的に暴力をふるっているのは、青も知っていた。その事実が、蒼汰を縛り付けて彼女から離さないのだろうが、もう、彼らはこの春に結婚を決めている。つまりは彼女は絶対に神崎川先輩から離れないってことだ。
そんな他人じゃどうしようもないって事は、ずっと二人の傍にいた奴が一番身にしみて分かっているはずなのに……。
少し体をずらして、蒼汰の方を見やる。
奴は微塵も臆する様子もなく、どんなチョコにしただとか、彼女は喜ぶだろうかとか、妊娠中は甘いものは大丈夫なのかのか話している。
まったく……見ている方がやるせなくなる。
そんな青の視線に気がついたのか、蒼汰ははっとすると、すぐににんまり何かを企む顔をして
「あ、藍ちゃんももちろん来るらしいで~」
「え」
と、意味ありがに不意打ちを青に投げつけた。青も反応してしまってから、しまったと舌打ちをし、目をそらす。
「ええやん~。気になってんねんやろ? 藍ちゃんからチョコ、貰えるかどうかって。去年は一般大衆と同じ義理チョコやったもんなぁ」
嫌な事を思い出させられ、青は余計に意地になり、体ごと背を向けた。
そう、去年は確かに義理も義理、そこらでワゴンに売られているものをそのまま渡された。
桃の事を考えれば仕方ないのだが、肝心の桃からはもらわなかったわけだから、藍が遠慮する理由はないはずで……つまり、義理はそのままの意味という事になる。
「で、どうですか。今年は少しはランクアップしてそうですか」
蒼汰が馴れ馴れしく肩に腕をまわし、囁くように耳元で尋ねて来る。
うっさい。マジで、うっさい。
そもそも、お前にも一因はあるんだぞ。
と言いたくなるのを我慢して、眼鏡を直すふりをした。
藍が誰を好きか、知っているのだ。去年のバレンタインより前に。それは当然自分ではなく……。
「なんなら、俺が二人になれるようにセッティングしたろか?」
この馬鹿だ。
映画と他人の女の事しか頭にないような、この馬鹿を、藍はずっと見ている。きっと、普通の神経ならとっくに彼女の気持ちに気がついても良いようなものだが、いかんせんこの馬鹿の視界は極端に狭く、しかもその許容量いっぱいいっぱいにその二つが占めているものだから、藍の一途な思いの入り込む隙間もないのだ。
藍の気持ちを想うと、こいつの無神経さに腹が立ち、自分の気持ちを考えるとそのまま気がつかないでくれとも思う。
結局、そうなると、自分自身、どうなって欲しいのかはよくわからなかった。
ただ、ハッキリわかっているのは。こいつが
「ば~か」
って事だ。青は蒼汰の手の甲をつねって自分の肩から離すと、そのままその指を鼻先に突きつけた。「いったぁ」と声をあげる蒼汰を睨みあげる。
「いいか、俺は何にも言ってない。勝手な思い込みで、余計な事をすんな。わかったな」
「はいはい。今度の副部長さんは怖いわぁ」
「選んだのはお前だろ。部長さん」
青は厭味を込めたつもりで言い返すと、鞄から零れていたチョコレートをぞんざいに詰め直し席をたった。
「あ、で、青もでるやんな?」
蒼汰も慌ててトレイを手に立ちあがる。青は鞄を肩にかけると「あぁ。そう書いてあるしな」と気の抜けた返事を返す。
蒼汰はどんぶり鉢を倒さないように気をつけながら青の後を追い、肩を並べた。
「これから部室、来るか?」
そのつもりだったんだろう? と顔を覗き込む。
はたと青が足を止めた。
いきなり動きを静止し、よくできた彫刻か何かのようにじっと一点を見つめ何かを考えている。
「青?」
急にどうしたんだ? 電池でも切れたか? 確かに、青って、人間っていうよりアンドロイドってい言った方がしっくりする顔してるなぁ。綺麗すぎるし、表情乏しいし。何やったら、その路線の話にしても良かったなぁ。
なんて、蒼汰が青の顔を覗きこみ、いい加減なことを考え始めた時だった。
「用事が出来た。皆によろしく」
ポツリ、ほとんど唇が動かないで言葉が転がり落ちた。
「へ?」
空耳か? と蒼汰が訊き返そうとするより前に、青はまるで静止ボタンから解放されたテレビ画面の映像のように再び歩き出す。
「あ、青!?」
そして彼の顔に人間らしさが戻ってくるのと正比例にその足取りは速くなり、ついには早送りのような速さで食堂を去って行ってしまった。
「なんや? 一体」
残された蒼汰は首を捻る。
しかし、そう言った物の、答えが返ってくるはずはなく、仕方なくあっという間にいなくなった親友の背中を見送ったあと、食器返却口まで下唇を少し突き出したまま向かった。
まぁ、来る気ならそれはそれでいいだろう。
ん? 待てよ、っていう事は。
もう一度、親友が出て行った方を振り返った。
当然ながら、彼の姿はもう影も形もない。
彼は来ると言った。なら、当然、チョコレートを買わないといけないはずだ。買いに行ったのか? まさか、嫌な事にはなかなか首を縦に振らず、岩のように腰が重いあいつが?
「チョコレート、どないすんねんやろ」
バレンタインまで、あと2日であった。