♯ 15
撮影スタッフが機材を片付けていく。その姿を少し離れた所で眺めながら、青はどこかホッとした気持ちになっていた。
気が引けながらも、自分で受けたモデルの代理は想像以上に苦痛を強いられるものだった。
もともと笑顔が苦手だ。蒼汰の言葉を借りれば、普段の笑顔でさえ『凍りついた笑み』だそうで、とても人に好感を持ってもらえるような代物ではないらしい。
実のところ、今度の映画の配役でも笑わないといけない場面があり、クランクインする前から青本人をはじめ、皆の心配の種になっているくらいなのに……。
ため息を大きく一つつく。
いきなり見知らぬ連中を前に明後日の何もない方向に向かって微笑め、そう言われて微笑めるはずがない。
実際、無理やりに作った自分の笑みはスタッフ全員の失笑どころか、落胆をさそってしまったのだ。
結局、三宮やあのオカマのおかげで何とか笑いの様な顔になたっ所を撮影し、終わる事になったが、きっと酷く微妙な顔には違いなかった。
この撮影の分はボツにしてもらうか、せめてその前にとった真顔の分を採用してほしいと願うばかりだ。
「君、顔はいいのに、表情が、ねぇ……」
さっきのメイクが苦笑交じりに歩み寄ってきた。三宮もいつの間にか傍にいて、馴れ馴れしく肩に手を回す。
「いや、本当に不器用な男なんですよ。すみません。なにせ、ずぶの素人なもんで」
確かにそうだが、何度も『ずぶの素人』と言われるのは気持ちのいいものではなかった。
青は社交辞令な会話を交わす二人に肩を竦め、腕に巻いた時計に目をやった。部室を出て30分。思ったよりは時間もかかっていない。まだ、皆は部室にいるだろうか。
「もう、戻っていいぞ」
三宮の声に顔を上げ「先生は?」と尋ねる。思わず怪訝な顔になってしまったのは、三宮のずるさを知っているからだ。彼もその言語外の疑念をくみ取ったらしく、大仰に手を上げて答える。
「後で俺も行くさ。奢る約束を踏み倒すほどケチじゃないって」
「わかりました。じゃ、失礼します」
頭を軽く下げ、スタッフの横をすり抜けようとした。その時だった。青の腕を誰かが掴んだ。
今日は誰かに掴まれてばっかりだ、そう思い振り返ると、あのオカマだ。青が眉を寄せて「何ですか?」と質問の形で突き放す前に、彼は名刺を差し出した。
「君、表情は、まぁ、いまいちだったけど、この世界に興味があるならいつでも連絡ちょうだい」
「はぁ」
気のない返事で、とりあえず失礼がないようにと形だけ受け取る。その受け取った手を名刺ごと男は掴むと、ぐいっと青を引き寄せた。
「いっ!?」身の危険を感じて思わずのけぞろうとしたが、そこは機材を運ぶカメラマン、強い力で抵抗を許さなかった。
ぐいっと青の耳まで自分の口元を寄せると低い声で呟いた。
青は息をのみ、カメラマンの顔を見つめる。男はにっこり微笑むと黙って頷き、ようやく青を解放した。
解放された青は、それでもそのまま耳を押さえ、呆然とカメラマンを見つめる。
カメラマンは、ニヤッと口の端を上げ
「頑張ってね」
そう言って胸元で手を振った。
青はふてくされたように目を伏せると、しばし言葉を探すように沈黙していたが、結局探せず、黙って頭を下げ、背を向ける。
カメラマンは満足げに、去っていく彼の背中を見送った。
青が遠ざかり、一部始終見ていたメイクの女性が駆け寄る。訝しげに眉を寄せ、カメラマンの男の脇腹を肘でつついた。
「アンタ、何言ったの? 可愛いノンケの男子に不穏な事言ったんじゃないでしょうね」
「失礼な。そこまで見境ないわけじゃないわよ」
カメラマンはメイクの額をお返しとばかりに小突くと腕を組み、青の消えて行った方向を見つめながら答えた。
「ただ、こう言ったのよ『もう少し自信もったら? 少なくとも貰ったチョコレートに込められた気持ち分はね』って」
「はぁ? あの子がチョコレート貰うってどうしてわかるの?」
「じゃ、貰わないの、想像できる? あんな子が」
「う~ん。確かに」
メイクは腕を組んで、じっと同じ方向を見つめる。
カメラマンは小さく息をつく。
「見えちゃうのよね~。レンズ通すと、その子の心の中まで」
「で、また、撮ってみたいと思ったわけだ」
メイクは茶化すようにさっきの名刺の事を指摘するつもりで訊いた。しかし、カメラマンの方は悪びれもせず頷くと
「だから、助言したのよ。外見ほどアンタって悪くないわよって」
踵を返した。
メイクも考える。確かに、『外見ほど』悪い奴には見えなかった。自分達の勘が当たっているとしたら、彼は相当勘違いをしてるし、かなり損をしているって事になる。
「世の中、不器用な子もいるのね~」
そう声を上げると、彼女も踵を返した。「やっぱりもったいな~い」と言葉をこぼして。
自信を持てってどういう事だよ。
青は自分の耳に残った、気持ちの悪い熱をぬぐい去るように耳を何度もさすりながら部室へと向かっていた。
くそっと舌打ちしながらも、気持ち悪さがおかまの囁きだからって言う理由だけじゃない事くらいわかっている。
自信を持て、だと?
他人に弱みを指摘されるほど嫌な事はなかった。
自分に自信がない、だから人と接するのが億劫だし、人に興味を向けられるのが苦手。
とどのつまりは酷く臆病で卑屈だって言う事だ。
そんなの自分が一番よくわかってるさ。嫌になるくらい。
ふと、今日集まったチョコレートの数々を思い浮かべてみる。次いで、先日自分のロッカーに入っていた包み達の事も。
家で開封した時、既製品のものも手作りのものも色々あったが、どれも悪意や冷やかしのかけらは見当たらなかった。
さっきのオカマの言葉を素直に聞くなら、そして癪だが春日の言葉を信じるなら、どれも自分の事を想って準備されたものって事になる。
押しつけだ。
押しつけだけど、好意には変わりない。
気がつくと部室棟の扉の前まで来ていた。
ガラスに映った自分の顔を見る。
ほとんど度の入っていない眼鏡に覆われた顔。無愛想で冷たくて、笑顔の一つも作れない顔。
本当に、こんなものが人に好かれるのか?
もしかして、外見云々の事は、自分の思い上がりであり、本当の理由は別の所にあるって言うのか?
そう、思っていいのか?
僅かに頬が上気した。
ちょとだけ、ほんの少しだけでも、自分に期待していいような、そんな気分になった。
もちろん、だからと言って内面において人を引き付けるものが自分にあるなんて思わない。でも、でも……。
扉を開けると廊下に光がこぼれ、映画部の部室の方からにぎやかな声が聞こえて来ていた。
さっきまでうっとおしくしか感じられなかった甘い香りが、今は少しだけ優しい気持ちにさせる。
たぶん、もうとっくに投票は終わっている。キングとクイーンが決まった今は、もうたぶん、みんな自由にチョコレートを渡したり渡されたり、食べたり飲んだり、楽しくやっている、そのはずだ。
もし、誰かから貰えたなら、今度は素直に喜ぼう。今日、渡すつもりだったチョコレートはそれなりに真剣に渡してみよう。
青は部室の前で小さく気合いを入れる様に深呼吸すると、思い切ってドアノブを引いた。