♯ 14
「もう、いいでしょ!? いきなりなんですか」
部活棟を出た所で青は三宮の手を振りほどいた。
三宮はそれでも硬い表情を崩す事はなく、くしゃくしゃと短く刈ったグレーの髪をかきまわし、もどかしげに顔を歪める。
「本当にすまないが、時間がないんだ」
「だから、なんですか?」
「行けば分かるって」
「説明しにくい事ですか?」
「そう言うわけじゃないんだが」
どうも三宮の歯切れが悪い。青はじっと地団駄を踏みかねない落ち着きなのない教授の方を見据えて考えた。
時間がない、説明はできるけどしたくない。今わかるこの二点だけで推測できる事はほとんどないと言っていいが、見えてきたのはおそらく話せば絶対に自分が拒否る事なのだろうという事だ。
だから、教授は口渋っているに違いない。いつもなら詐欺師同然の手口で自分をひっかける奴が、こうも下手な事をしてくるって事は、焦っているのだけは確かだろうが。
「教えてください。だいたいなんですか。俺自身に断りもなく、人に借りるだの返すだの。ものじゃないんですよ」
「あぁ、そうか。そうだな。すまなかった。とにかく、この学校のためだと思って、一肌脱いでくれよ」
「学校の?」
どういう事だ? 首を捻った時だった。
「先生ぇ~! こんな所にいらっしゃいましたか! 探しましたよぉ!」
大きな声が二人の間に割り込む。見ると、キャップを前後ろ逆さに被り、首には大きなカメラをぶら下げた見知らぬ男がこちらに駆け寄ってくる所だった。
嫌な予感に一歩後ずさる。その青を逃がさぬように、三宮の大きな手が彼の腕を掴んだ。
「すみません! 今、そちらに彼を連れて行く所で!」
「あぁ、彼が」
話がてんで見えない青を置き去りに二人の声が調子よく飛びかう。なんだ? いったい、なんだ? 目を白黒させているうちに、そのカメラの男は青の前で立ち止まり、年齢不詳の顔で青を品定めするようにじっと見つめた。
きっと、年齢は自分より随分上なのだろうが、その人柄と職業が彼に若さと活力を与えている、そんな雰囲気だった。しかも、どこかなよっぽい。腕を組むその立ち姿もどこか直線的ではなく、シナが作られている。とはいえ、大きな目はそれでも抜け目なく、しばらく青をじっと見ると、溜息を一つついた。
「先生……」
少しなじるような響きに、三宮も顔を引くつかせる。
「あ、やっぱり素人は駄目か?」
「駄目なんてもんじゃありませんよぉ!」
カメラ男は今度は少々興奮した声を荒げて三宮を見ると、彼と反対の青の腕を掴んだ。
「始めから彼を紹介してくれたらよかったじゃないですか! 十分ですよ! ってか、最初のモデルよりいい。うん。絶対いい!」
「はぁ? もで……る?」
カメラ男は上機嫌でそう言うと、半ば青に抱きつくように彼の腕に絡みついた。絡みつかれた側だけの鳥肌が一気に立つが、それにも増して、ひっかかる言葉が、一応の理性を引き止めていた。
もでる……モデル? いったい何の話だ? 嫌な予感かますます輪郭をはっきりさせる中、目を見開く青の抗議視線を三宮は敢えて外し、青越しに「そうでしょう、そうでしょう」と大仰に頷いている。
「じゃ、時間がない。さっそく行きましょう。衣装合わせもしないといけないしぃ」
「ですな」
二人はまたもや青本人を無視して頷き合うと、彼を引きずるようにやや小走りで歩きだした。
どうやら本当に困っているらしい彼らを見ると、力づくでの抵抗は憚られたが、それでもまだ不穏な空気を拭いきれない青はじっと三宮の横顔に無言のプレッシャーをかけるがごとく睨みを利かせる。
三宮は漸く青の方をチラリと見ると、本当に弱った顔をして
「すまん。ちょっと顔を貸してくれるだけでいいんだ。後で飯でもおごるから」
そう小声でつぶやいた。
隣りでやたら語尾を鼻にかけて伸ばすカメラ男の、調子のいい声が飛ぶ。
「んもぅ、モデルが急にドタキャンって時はヒヤヒヤしましたよ。まぁ、ごくたまにあるんですけどね。こういった地方の仕事だと、新幹線に乗り遅れただとか、スケジュール調整がつかなかったとか。プロとしては、もちろん言い訳になりませんけど。でも、まぁ、結果オーライ、災い転じて福となすって事ですかね。彼は何者です? あ、もしかして」
いつも撮影で使う桜並木の手前で、急にカメラ男の顔がこちらに向いた。青は驚き、正面から見つめる形になってしまう。ぎょっとして思わず身を引くと、その男は何か自分の頭の中のデータと青を照らし合わせる様な目をし見つめた。
「彼、どこかの事務所にもう入ってるって事、ありません? なら、少「ないない! ずぶの素人ですって! なぁ? 園田」
「は、はい」
どうでもいい、このオカマもどきの顔を遠ざけてくれ。
もはやカメラ男をおかま呼ばわりする事に躊躇いのなくなった、青のひきつる顔に、カメラ男は得心したように頷く。
「よねぇ。私、たいていのイケてるモデルの顔と名前と事務所は把握してるつもりですもの。君なら、絶対忘れるはずないわ」
そして再び歩き出した。 一瞬、本能的な危機を感じた青も、ホッとして思わず一緒に歩いてしまう。もう、さっさと用事を済ませて皆の所に帰りたかった。
確かに、バレンタインパーティーなんてものに関わるのはいやだ、だけど、髭面のおっさんとおかまに両サイドを固められて歩くの何か、もっとごめんこうむりたい事態だ。
まだ、自分を置いて、二人は楽しげに会話を交わしている。
本当にどこかの事務所に所属させたらどうとか、知ってる事務所になら紹介できるとか。
こういった人格無視が一番嫌いなのだ。
青は顔をしかめて聞こえないふりをした。
人を見てくれだけで評価する輩は、青にとって最も嫌いな人種だった。春日と言い、このオカマといい(もう言いきっている)、三宮にしたってそうだ。俺はものじゃない。好きでこの姿に生まれたわけじゃないし、望んでこの姿になったわけでもない。
それを勝手に妬んだり、羨んだり、利用したり……うんざりだ。
さっきの部室での事を思い出す。
それはそれで嫌な気分がした。
人の好意はいつだって紙一重だ。勝手にイメージを作り上げて、それに沿わなければ勝手に失望する。時には敵意や嫌悪を抱かれる場合だってある。
自分はいつだって、地味に目立たなく、群衆に紛れて静かに過ごしたい、それだけなのに。
気がつくと、青は校門の前まで連れて来られていた。
見ると、照明やアシスタントと見られる人間が数名、不満顔で佇んでいるのが見えた。彼らは一様にこちらに気がつくと、始めは文句を言おうと口を開きかけ、すぐに青の存在に顔を綻ばせた。
「なんだ、見つかったんじゃないですか。よかったよかった。ここまで出て来て、取り直しなんて、勘弁でしたからね」
中から女子スタッフが一人飛び出て来て、青の前に立つ。少しあか抜けた感じの、少し意地を悪く言えば派手な感じの女性は手に銀色のケースを持っていた。
彼女も例にもれずまた、品定めするような目で青を見回すと「うん、いい」と独り言をつぶやき、おっさん二人から青をひったくるように引きよせ、足元にあった椅子に青を座らせる。
「もう、時間も押してますし、彼で問題ないですよね!?」
と言いつつ、女はしゃがむと、ケースを開いた。
彼女の背中で一同がいらだちから解放された安堵の溜息を混じらせ、賛同の意を口々に伝える。
目を少し上げると、三宮とこの学校の事務員、そしてスタッフの一人が顔を合わせているのが見えた。
「ちょっと、動かないで」
ぐいっと顔を引き戻され、青は不快に顔をしかめる。しかし、女は意に介しもせずに青の首周りに白い布を巻いた。
彼女の足元を見ると、ケースが既に開いており、どこをどう見ても化粧品にしか見えないものがずらり並んでいる。
これを、つけるのか!?
気色の悪さにさらに眉間にしわを寄せながら、青はどうやら少しは話ができそうなこのメイクスタッフに訊いてみることにした。
「あの、これ、一体何なんです?」
「あれ? 君、聞いてないの?」
あからさまに子ども扱いするその口調にむっとはするが、青は黙って頷いた。しかし、メイクは手を止めるつもりはないらしく、リキッド状の肌色のものをパットの上に垂らしていた。
青は顎を小さく引く。
もう、どんな事態かは大体把握しているつもりだった。
カメラマンにメイク。照明スタッフ……曲がりなりにも映画部に所属しているのだ、いや、それでなくてもこれが何かの撮影だってことくらい察しがつくだろう。
ただ、誰かの口から正確な情報が欲しかった。
女はひやりとしたそのリキッド状の何かを青の肌に伸ばしながら、きびきびとした口調で話し始めた。
「ここの学校の来季のパンフ作りなのよ。本当は春とかもっといい季節選ぶんだけどね、ここの学校のスケジュールもあってさ、この時期になったってわけ。昼間にはここの学内を女の子のモデルで取ってたんだけど、これがもう、呆れるくらいど素人でさ、時間食っちゃって、あげく、次の仕事があるからって帰っちゃたわけ。もうすぐ日が暮れるって~のにさ。ま、先に外観のを撮っておけばよかったんだけど、そこは今日来る筈だった男の子と二人で撮るつもりだったから、こんな時間まで後回しになっちゃって、挙句、ドタキャンでしょ。私達も東京から来てるのよね。出張費って言っても宿泊費も二度もここに来る費用も含まれてないし、日を改めるんだったら実費になっちゃうのよ。で、制作委員の教授に泣きついたら、ちょうどいいのがいるって、君の登場なわけ」
……よくしゃべる。
青は自分で尋ねた手前「うるさい」ともいえず、黙って最後まで聞いていたが、とにかく状況は把握できた。
つまり、ドタキャンのモデルの代わりにさせられるって事らしい。
三宮が説明を渋った理由も納得できた。先にい聞いていれば、まず間違いなく断っていたからだ。
とはいえ、もう、ここまできたなら引き受けるしかないのだろう。
「うん。君、化粧ノリいいね。きれいな肌だから、そんなに手を加える必要ないし、本当にどこにも所属してないの? もったいないよ」
「『もったいない』なんて言うのは、その世界に憧れている人間だけが使う言葉ですよ」
「え?」
メイクの女性は目を瞬かせて立ち上がった青を見上げる。青は首に巻かれた布を引き抜くと、そのメイクに差し出した。きっと、彼女にしたら、外見を褒められちやほやされる事を認められる、評価される、それが気に食わない人間がいること自体が理解できないのだろう。
まあいいや。もう、人に理解されないのには慣れた。
それに、とさっきの部室を思い出す。
少なくてもこんな自分を理解してくれている連中もここにはいる。
「さて、なにをしたらいいですか? 教えてください」
どうせなら、プロの仕事ぶりを見てやる。曲がりなりにも自分もカメラを持つ身だ。で、三宮には思いっきり高いもんでも奢らせてやろう。
青はそう決めると、暮れかけた空を背にスタッフの方を見つめた。々面倒なんですけどぉ」